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千輝たちが訪れてから二日後、米をといでいたところに現れたのは黒須家当主である祖父だった。
「貴様っ! 一体何をしたんだ!」
突然訪ねてきたと思えば血相を変えて詰められ、灰理は何が何だかわからない。
「紫上院公爵のご子息から手紙がきて、お前を妻に迎えたいと言っているではないか!」
どうやら千輝は正式に黒須家に婚約の申し入れをしたらしい。あまりの早さに驚くばかりだ。
「何故あの紫上院家が貴様のような化物を……。理由はわからんが、とにかく来い」
灰理は無理やり連れて行かれ、三年ぶりに黒須の邸宅に戻ることになった。まさかこの家に帰る日がくるとは思わなかった。
「ほら! とっととお支度なさい! 紫上院様をお待たせするなんてあってはなりませんよ」
晶穂と史乃の母、つまり灰理の伯母は灰理に上等な赤い着物を着せて髪も結い上げる。顔にはおしろいをはたかれて唇には紅が引かれた。
こんな風に着飾るなど初めての経験で、戸惑いが隠せない。鏡に映った自分は自分ではないような気がして、とてつもなく違和感を覚えた。
「お母様! それは私の着物よ!」
勢いよく戸が開かれ、顔を真っ赤にした晶穂が現れる。
「どうしてドブネズミに着せるのよ!」
「仕方ないでしょう。ボロ切れで紫上院様の前に立たせるわけにはいかないわ」
「だからどうしてドブネズミなの!? 私でいいじゃない!」
キーキーと喚き散らす晶穂は三年前と何も変わらない。今年で二十歳になるはずだが、我儘でなんでも自分の思い通りにならないと気が済まないのは変わっていなかった。
三年前までは晶穂のことが怖かった。痛くなくても彼女に手を挙げられるたびに心が縮こまる。
だが今は恐怖を感じず、とても冷静に彼女のことを見ていた。
(どうしてだろう。ドブネズミと言われても何も感じない)
晶穂は灰理を睨み付ける。
「お前! 私の着物を返しなさいよ!」
「やめなさい、晶穂」
灰理に掴みかかろうとする晶穂を伯母が止める。部屋には伯父と史乃も入ってきた。
「やめないか、晶穂。この縁談は黒須家にとって大きなことだ」
「お父様! だったら私が!」
「我儘を言うな。灰理、早く来なさい」
「はい」
苦虫を噛み潰したような表情で灰理を睨み付ける晶穂の横を通り過ぎ、灰理は部屋から出た。
伯父はそのまま灰理を別室で待っているように言いつけた。
「あと半刻もすれば紫上院様がお見えになる。正直何故お前を選ばれたのか理解できんが、黒須家の者として恥じぬ行動をするんだ。わかったな?」
「……はい」
それだけ言うと伯父は慌ただしく出て行った。まだ他にもやるべき準備があるのだろう。
一人になった灰理は溜息をつく。
(黒須家の者として、なんて——今まで私のことを家族だと思っていなかったのに)
久々に訪れたこの家はやはり居心地が悪い。公爵家の紫上院家との縁談が決まった途端、家族扱いして上等な着物まで着せる。
だが祖父も伯父も伯母も薄っすらと灰理に対して気持ち悪さを抱えているのが見て取れた。
「何故こんな化物が」と言いたげな視線が隠せていない。
その点は素直に言葉にする晶穂の方が幾分マシなのかもしれない。
(この家とはこれが最後だ。あともう少し、自分の務めを果たそう)
この先は千輝の妻というもっと大きな務めが待っている。
正直今でも現実味がなく、どこかで夢なのではないかと思っている自分がいる。
(お父さま、お母さま。どうか見守っていてください——)



