――――にぎ……
ににぎ……
にぎにぎみ……
声が響いてくる。
この声は。
ハッとして目を開ける。ひんやりと冷たい床。むくりと起き上がればそこに鉄格子がある。
「……誰か、いるの?」
少なくとも実家の座敷牢ではない。だけど何となく既視感がある。もしかしてここは……。
「あー……」
「……?」
甲高い子どもの声だ。
「にーぎ」
「……」
ぱちくりと目が合ったその姿に驚く。
「神月さま」
子どもの頃の神月さまに似ている。いや、違う。
「神月くん」
「あうー……」
「しゃべれないの?」
その頬に手を伸ばそうとすれば自身の身体が鉄格子をすり抜ける。
「どうなって……」
「みー」
「……どう言う意味なの?」
よく分からない……が、彼にはきっと私には見えないものが見えている。むしろそれは私も……?
「神月くん、私は伊吹」
「……いーぃ」
「うんうん、上手だね」
今のように上手には呼べないけど、どうしてか『ちゃんと』呼んでいるのが分かる。
「それから……」
その先を問おうとした時。ドタドタと階段を駆け下りてくる音が響く。
「ひ……っ」
神月くんが脅えている。
現れたのは数人の男たちだ。
男たちはズカズカと座敷牢の中に入って来ると私の姿に気にもとめず神月くんに詰め寄り……。
殴った。
「やー……あー……っ」
「うるせぇっ!この▓▓が!」
「黙れ!うるせえんだよ!」
「や、やめて!こんなこと!」
神月くんを思わず抱き締める。しかし男たちの暴力は私の身体をすり抜け神月くんを襲う。
「う……うぅ……あぅ……」
「神月くん……」
神月くんを抱き締めることは出来るのに、助けることが出来ない。
守ってあげる事が出来ない。
「おら、とっとと……結界のために霊力を注げ!」
結界……?霊力?
次の瞬間、身体が引き攣るかのように神月くんの身体が仰け反る。
「アァァぁぁぁァぁ――――ッ!!!」
耳を刺す、悲痛な叫びの中。私は何も出来ない。
どうして私はこんなにも無力なのだろう。
「神月くん……神月くん……っ」
その時、手の甲に痛みが走る。いや……手の甲から痣のように身体を蝕んでいく。
「あ……あぁぁ……あ……」
でも……こんな痛み、神月くんの痛みに比べたら……!
「負けない!こんな痛みなんかに負けない!」
『……ありがとう、だから……』
脳裏に響いた声に驚く。
あの優しい声は。
『ぼくが壊れても』
「ダメ!」
『この子を頼むね』
「ナギさん!」
『ごめんなさい……兄さま』
兄……?カンさん?いや……違う。
その瞬間地の底が抜けるような衝撃が走る。
暴力を振るっていた男たちが悲鳴を上げ、消えていく。
生身じゃない、これは……魂だ。何で私にこんなものが見えるの?
多くの魂がひしめいている。怨み、悲しみ、苦しみ……まさに地獄絵図だ。
「神月くんはこんな世界を見ていたの……?」
カツ……
カツン……
誰かが階段を下ってくる。多くの怨嗟を絡めながら、少年はほくそ笑んだ。
「これが何だか分かるか?▓▓」
そう言って見せつけてきた首は……分からないはずがない。
「神月さま」
「……」
神月くんはただ黙っている。それすらも知っていたように。それでもこの子は全てを見ているのだ。
「ふ……ふふっ。双直神を崩すのがかくも簡単だったとは。お陰で禍神を復活させることができる!いいか?御形家本家が壊滅したのも神月が死んだのもお前のせいだよ、▓▓」
「神月くんが何をしたって言うの……」
しかしその呟きも彼には聞こえていないのだろう。彼の霊力は神月くんには遠く及ばないのだ。
「お前が苦しんだお陰で双直神は禍神を抑える封印を崩し禍神のもたらす災厄と穢れが御形家を呑み込んだ!そうそして!この御形家は私のものだ!」
彼はそのために禍神を復活させたのだ。
自分の強欲のために。
「本来の嫡男は私だ!本妻などという女がいたせいで!▓▓を生んだくせにのうのうとその座に座りやがって!」
神月くんのことをそんな風に。とてもじゃないが聞いていられない。
「本妻は命乞いをしていたぞ!神月だけは助けろと。だからその目の前でコイツを狩ってやったのさ!」
彼はさも愉快そうに神月さまの首を掲げる。
「でも聞いて喜べ▓▓。お前のことなどどうでもいいそうだ。お前など自身の子ではない。神月の命を助けるためならお前を殺せとな」
そんな……っ。
「だがそれはダメだ。お前は低能だが、霊力だけは使える」
そのためにこんなことを。
「まぁお前には理解などできないだろうが。だがしかし……私が有効活用してやる。お前の霊力を使い、私はこの御形家の当主となる!」
彼が誰なのかもう分かった。充分だ。
彼は神月さまの首を投げ捨て牢に押し入ってくる。
「ダメ!」
私のことが見えなくても、私には何の力もなくても。
「私のことすら見えないあなたになんて負けたくない!」
「ああ、伊吹」
「……」
涙が頬を伝う。
そっか……そうだったんだ。だから2人でひとつだったんだ。
「神月さまはずっと神月くんと一緒にいたんだね……」
首を落とされたその瞬間から、悲痛な苦しみに呑まれるよりも神月くんを守ろうとした。
「分かってた」
あなたがそんな優しいひとだったって。
だから……神月くんをあんな風に呼ぶひとが神月さまなわけないの。
「神月は私だ。私は神月だ。神月が与えられなかった分、この名前ごと。私は神月にあげるよ」
「……にーい」
神月くんの目から涙が溢れる。
「さぁお前は!」
彼が叫ぶ。いや、彼は。
「王輝」
「そうだ、御形王輝」
「……継子」
「ああ」
阿矢女さんの言っていた全ての元凶。
「私のための道具となれ!」
神月くんの腕を掴もうとする王輝の手首を必死に掴もうとする。
どうして……どうして!
「伊吹」
「神月さま?」
神月さまの手が私の刻印を覆うように重なる。
その瞬間、確かに感触がある。
「な、何だっ」
王輝が後ずさろうとした時、手と手の隙間から刻印が光り輝く。
『……は、ガミ』
聞き覚えのある声に必死に叫ぶ。
「禾守さま!」
『我は、禍神』
その瞬間、王輝が鉄格子を破るようにぶっ飛ばされる。
『穢れごときが……根源たる我にやすやすと……触れられると思うな』
その瞬間世界が神聖な光に包まれる。
「禾守さま」
「伊吹」
「……神月さま」
「大丈夫」
「……」
「神直神が待っている」
カン……神直神!
※※※
ここは、どこだろう。
空の中?星空が広がる空間に私が立っている。
「伊吹」
「神月さま」
「こっちへ」
神月さまが導く方向には。
「禾守さま」
「そう、禍神だよ」
球体の中に囚われるようにして浮いている。その身体には無数の怨嗟が巻き付いている。
「禾守さま、どうして……」
「禍神だからだよ」
神月さまが告げる。
「だが……だからこそ俺たちがいる」
私たちの前に現れたのは。
「カンさん」
「お前にそう呼ばれる筋合いはないが」
「え……でも」
「伊吹、この世界は伊吹が来た世界よりも過去なんだ」
「そう言えば……御形家本家が壊滅した年だとすると6年前。でもどうして私は……」
「あの子しかいない。伊吹が神月くんと呼んでいる」
「神月くんは未来から私を呼んだ?」
「ああ。禍神の刻印を持つ君の魂を」
「でもどうして」
「可能性としては……見えすぎるんだ」
だけど言葉を介さないから誰も分からない。誰も神月くんの力の神髄を知らない。
「大直神もそう言っていた」
「大直神……カンさんの相棒ならナギさん、ですよね」
「兄さまが呼ぶ名を軽々と……だがその刻印があるのなら深くは突っ込まん」
「その、兄弟?」
「禍神が生まれた時、その災厄を操る力を正しい方向に直すための双神が生まれた。後に生まれた俺たちを兄さまは弟だとした」
「禾守さまらしいね」
「ふん。それを分かってるのならいい。しかし今は兄さまをどうにかしないといけない」
カンさんが禾守さまの囚われた球体を見つめる。
「どうすれば……そう言えばナギさんは!?」
「ナギは……発狂して倒れちまった」
「どうして……」
「御形家に生まれた双子は俺たち双直神の双子神子となる。双子として生まれた2人の神月はそれぞれ俺たちの神子となった」
「だが……ナギの神子である弟神月は人間としての名も与えられず暴力を振るわれ搾取され続けた。その叫びは人間には分からんだろうが、神にはしっかり届いてんだ」
「ナギさんはそれを聞き続けて……」
「壊れちまったのさ」
カンさんが見つめる先にはぐったりと横たわるナギさんに寄り添う神月くんの姿がある。人には見えないものを見る神月くんにはナギさんが自分の神さまだと分かっているのだろう。
「双直神の直しの力が崩れたことで兄さまを……禍神の力が暴走した。故に多くの厄災を呼び穢れが襲う」
「そんな……っ」
「禍神ってのは本来は俺たち双直神の力で正しく災厄や穢れ制御する神だ。正しく祀れば最強の祓えの神なんだよ」
「知らなかった」
「それを塗り替え悪神としたのは院斎家だ」
「……ごめんなさい」
「お前が謝ることじゃない。兄さまがそれでもお前にその刻印を刻んだのならそういう事だ」
禾守さまはどうして私に刻印を刻んだの?本来ならば憎むべき一族なのに。
「伊吹も祈ってくれたね」
「……神月さま?」
「三柱の神の祠に伊吹を連れて行ったことがある」
「まさかあの祠……」
「御形家が隠すしかなかった本来の祠だよ」
私が祈ったから。
神さまに願ったから。
バチリ。
球体に電撃が走るかのように不穏な音が響く。
「もう時間がない。双直神の力を振るうしかない」
「でもナギさんが!」
「ナギが立てないのなら、神子がやるしかない」
「神月くんが……」
「伊吹」
神月さまが私の手を引く。
「うん、やろう」
神月くんと一緒に。
「ナギさん。神月くんは幸せになります。阿矢女お義姉さんって言うとっても素敵な奥さんと結婚して、みんなに愛されて、幸せになるから……だから、見ていて」
ナギさんにそう呼びかけると、自然と神月くんが私の手を握ってくる。
『行こう』
「ん」
私たちの声に神月くんはこくんと頷く。
神月くんはもう片方の手でナギさんの手から神杖を受け取る。
左側にカンさんが……神直神が立つ。
そしてその対面、右側に私たちが立つ。
「行くぞ、人の子ら」
『はい!』
「う!」
神杖を構える神月くんを私と神月さまで支える。
眩く光輝く神杖と神直神の手から溢れる光が禍神を包み込む。
しかし……。
「カンさんの力に及ばない……」
私たちの、神子の代理の力はカンさんの力ほど届かず、私たちの側だけ禍神の荒ぶりが止まらない。
「禾守さま!お願い、禾守さま。元の優しい禾守さまに戻って!」
刻印が光輝く。
『……伊吹』
優しい声が私を呼ぶ。
しかし私たちはもう限界だ。
押し負ける。荒ぶる禍神の力は猛威を振るうように暴れ出す。
「まずい!逃げろ!」
カンさんが叫ぶが……間に合わない!


