静かなカフェに訪れた喧騒が心の内で警鐘を鳴らしている。
「私、御形家なんかに嫁がなくて良かったかもっ!こんなケチなんだから」
御形家は優しくて温かい場所だ。それにケチなんかでは。
「私なんて退魔師の秘扇家を継ぐ王輝さまと許嫁になったのよ?つまりは未来の当主夫人!」
秘扇……二大退魔師家には及ばないが名前は聞く家である。
「当主の弟と婚姻するアンタとは雲泥の差ね!」
美ノ葉はお兄さまがまだ当主も継いていないと禾守さまに言われたことを恨んでいるのだろうか。
「それに知ってるの?アンタ」
美ノ葉が嘲る。
「そうだぞ、伊吹。御形家はな……禍神を代々封じてきた呪われた退魔師家だ」
え……?禍神を、封じてきた?
「その家に禍神の刻印を持つ娘を招き入れるとは!代々禍神を封じてきた慢心でお前をどうにか出来ると思っているのか?」
「……」
そのノウハウが私の刻印を鎮めてくれているってこと?だからこそ、こんな私でもと受け入れてくれた。
「だが御形家は6年前、禍神の災禍によって壊滅状態に陥った」
6年前って阿矢女お義姉さんが言っていた……?だけどその原因は確か継子の王輝では。あれ、この名前ってたしかさっき……。
「当主神月はその12歳の時に、禍神の災禍を封じ込めたものの、かろうじて死の淵から戻って来たと言われる」
神月くんが禍神を封じ込めた……?魂まで見通す霊力の持ち主なら有り得ないこともない。
「決して助かるはずがなかった」
でも神月くんは確かに……まさかその死の淵を彷徨った後遺症が今の神月くん……?
「以来当主は家督を継ぎ、ずっと伏せられてきた双子の弟が現れた。そんな話、誰も聞いたことがなかった」
え……禾守さまが?
「だから噂があるんだ。存在しないはずのあれは化け物だ……と」
そんな、禾守さまがそんなはずは……。
「言いたいことはそれだけか」
「禾守さま!」
禾守さまの登場に美ノ葉とお兄さまが苦い顔をする。
「店の連中がさ」
禾守さまが指差す。そこには店のウェイターさんたちが揃っていた。
「店のことをバカにするなら出てってくれって」
店のひとたちの迫力にびびったのか、美ノ葉たちが退散していく。
「ふんっ。なんてことないな」
「禾守さま」
「アイツらに言われたことなんて気にするな」
「だけど御形家は禍神を封じてきたって」
「ああ、それか。だから言ったろ?専門家だって」
「刻印を持った私を招き入れて大丈夫なの?」
「ああ、院斎家に置いておくよりもよっぽど世のためになる。それに」
禾守さまが差し出してきた包みからは甘い匂いが。
「神月たちを喜ばせる案を見つけてくれたのは伊吹だぞ?」
「……!」
「アイツら、喜ばせてやろうぜ」
「う、うん!」
せめて……2人が喜んでくれたのなら。この罪悪感も薄まるだろうか。
※※※
――――街歩きから帰ると、落ち着く空気に包まれる。ここに来たばかりだと言うのにどうしてこうも安心させてくれるのだろう。
「伊吹、阿矢女たちにお土産を」
「うん、そうだね!」
早速阿矢女お義姉さんにお土産を見せる。
「わぁ、ステキ!エクレアって最近流行ってるんでしょう?」
「うん、だからその、ナギさんに珈琲を入れてもらって神月くんとどうかなって」
「いいわね!神月くんもきっと喜ぶ!だけど苦いのは苦手だから……ミルクコーヒーにしてあげたら飲めるかも」
その言葉の通り、ナギさんが阿矢女お義姉さんにはミルクを足した珈琲を、神月くんにはミルクたっぷりのミルクコーヒーを淹れてくれた。
すず……。
恐る恐る神月くんがミルクコーヒーを啜る。
「あまにが?」
「美味しいですか?神月」
「ん、ナギ、美味しいビーコ」
「珈琲ですよ」
そのやり取りの一つ一つが微笑ましい。
「ふふっ、いいわよね。こう言うの。さて、エクレアは……と」
阿矢女お義姉さんもカフェラテを啜りつつエクレアに手を伸ばす。
「ん、美味しい〜〜!」
阿矢女お義姉さんの歓喜の声に神月くんが反応する。
「ん、美味しそう」
「うんうん、最高よ。これ。珈琲との相性も抜群だわ!」
「ん!」
神月くんが嬉しそうなのはスイーツを前にしているからか、阿矢女お義姉さんが喜んでいるからか。
いや、どちらもか。
「神月くんも、ほら。あ〜〜ん」
「はーむ、はむ……美味しい」
「や〜〜んっ、かわいいっ!」
「にぎにぎ、み!」
「わーい、ほっぺたもちもち〜〜」
なんて素晴らしき。
「……永遠に見てられるな、あれ」
「うん、幸せそう」
あんな2人の幸せな日々を……私がいても守れるのだろうか。
そのためにはもっと禍神を知るべきだろうか。
2人のティータイムを見守った後、私は書庫に向かった。最近はメイドや阿矢女お義姉さんに紹介された本以外にもこうして書庫で読みたい本を探しているのだ。
「退魔師の家系だから、たくさんあるわね」
あやかしの本、退魔師の術の本に、神さまの本。でも本格的なのは難しいから、神話くらいがちょうどいい。
「禍神の本も……またあるかしら」
書庫の小椅子に腰掛けページをめくる。
厄災を司る災いの神、禍神。それは恐ろしい神だと誰もが話す。
どの本も以前読んだ内容が羅列されているだけ。
他には……。
「……春伊比売……?」
双直神と共に生まれた女神と書かれているが、浄化の力を持つという記載以外はほとんど見かけない。
「もしかしたら刻印をどうにかするのに関係あるのかな」
禾守さまならもしかしたら、この神話に書かれている以上のものを知っているかもしれない。
私は早速禾守さまの元へ向かう。
※※※
あそこが禾守さまの書斎だ。
――――少し開いた扉から、カンさんと禾守さまの声が聞こえてくる。お仕事のお話だろうか?できれば邪魔したくない。そーっと中を窺ってみる。
「禾守さま、よろしいのですか」
「何がだ、カン」
「このまま伊吹殿に自らの正体を隠しておくおつもりか」
禾守さまの……正体?禾守さまは退魔師……よね?
「神月にはもう、双子の片割れなどいない」
え……?もう……存在しない?まるで昔はいたかのような言い方だ。
「あの神月は兄を演じている弟の神月です」
どういう事……?
神月さまが本当に双子だったとして、神月くんは神月さまの双子の弟?なら禾守さまは何者なの?
「それでも神月は兄と共にあろうとしている。魂は一つだと」
仮に本当に双子だったとして魂は一つってどういう事?それは神月くんにしか見えていない、分からないものがあるってこと?
「だがこのままじゃ、御形家は院斎家に潰されてしまう」
「ええ。院斎家はずっと御形家を目の敵にしてきた」
それは単に二大退魔師家と言うだけではない?
「禍神を祀る御形家を院斎家は悪の根源だと譲らない」
禍神を祀る……?どういう事?封じているのではなかったの?災いの神を祀るとは一体……。
「だから時の御形家当主はあなたを封じ、御形家を根本から作り変えた」
あなた……?部屋にはカンさんとあなた……そう呼ばれた禾守さましかいないように思える。
「形だけ。あなたを封じたとすることで院斎家の目を盗み生きながらえた」
封じた……カンさんがあなたと言っているのは間違いなく……。
「今もなお彼らは、諸悪の根源である禍神を封じるのではなく殺そうとしている。あの家は禍神を殺すためにあの娘を生かし続けた」
「だと思ったから時が来るまでそうした。アイツらは俺を殺すために伊吹を殺せない」
「全くあなたは自ら伊吹殿に刻印を刻んだ上に……」
自らって……やっぱり。
禾守さまは……そうか……禍神さまだったのだ。どうして気が付かなかったのだろう。
禾守さま……あなたも私を利用するつもりだったんだ。
禾守さまのことを信じようとしてきた私がバカだった。
刻印が痛む。
この刻印の痛みだって、禍神ほんにんならば自由自在なはずだ。
私は……騙されていた。
気が付かれないようにその場を後にする。
逃げなきゃ……逃げなきゃ。
禾守さまから、禍神から……禍神を祀るこの退魔師家から!
出口はどちらだ。
取り乱せば取り乱すほど分からなくなる。
「ここ……初めて来た」
よく手入れされた祠が並んでいる。
何を祀っているのだろうか。いや……禍神を祀っているのか。しかしどうして複数あるのだろう。もっと近くで……。
「……で、なんだけど」
「かわいいわよね〜〜」
メイドたち!?それとも退魔師だろうか。
見つかってはいけない。
私は即座にその場を後にする。
「裏口?」
そう思われる扉から外に出る。
「とにかく……急がなきゃ」
禍神から。禾守さまから……!
ズキリ、と痛む刻印が心臓を高鳴らせる。
雑木林が風のように流れる。
「逃げなきゃ……早く、逃げなきゃ」
でも何処に……?私に逃げる場所なんてない。行く宛なんてない。
「ここ……」
何年も人の手が入っていないと見える廃墟。
「まさか、旧本邸?」
自分の中の何かがそう訴えている。
――――side:美ノ葉
「それじゃぁ王輝さま、また」
今日も今日とて着飾った美ノ葉は上機嫌に手を振る。
「ああ、美ノ葉」
にこりと笑んだ男の顔が何処かで見たことがあるかなど美ノ葉の脳内にはない。
ただ美ノ葉は義姉よりも上でありたい。それだけだった。
「それと……今度は高級ホテルのティータイムがいいわ」
「ふふっ、そんなものでよければいくらでも」
美ノ葉は顔を輝かせる。
「やったぁ!やっぱり王輝さまは御形家のケチとは違うのね」
「……」
「知ってる?お義姉さまが嫁いだ御形家の禾守って男、自分の許嫁に街のちんけなカフェにしか連れていかないのよ」
「……そうか」
「その分王輝さまは最高よ!」
「ありがとう」
王輝は一瞬瞼に陰りを宿すが、美ノ葉は露ほども気付かず後ろ姿を見送り満足気に微笑む。
「ふふっ、私の方がいい男を手にいれたんだからっ!お義姉さまなんてとっとと禍神に食われて不幸になっちゃえ」


