――――ピシリ。
凍り付く場の空気。今はもう夏だと言うのにこんなにも肌を刺す冷気は初めてだ。
これも美ノ葉の才能であろうか。
しかしどうしたものか。この才能はある意味神をも怒らせそうな。
――――いや、逆か。
「ふふ……」
「禾守さま?」
失笑が声に漏れている。
「ははははははっ」
「ちょ……爆笑しないでってば!」
緋扇家当主なんてこめかみをピクピクさせながら恐るおののいている。
「なるほど……そうかそうか。禍神に擦り寄ってねぇ……やってみるか?」
イタズラたっぷりなこの最強神。笑っているだけマシなのだろうか。
「やりません」
「だそうだ。残念だったな」
禾守の余裕の笑みに美ノ葉がぶるぶると震える。
「そんなの口ばっかりだわ!」
「そんなことはない。神は何でも見通すぞ」
「はぁ?」
「例えばこの手の甲に禍神の刻印があるとする」
私の右手の甲には未だ刻印が記されている。
「禍神の本質は災厄、穢れ、病、人間の心の歪み。だとしたらお前の心の歪みも今まさに、禍神は刻印を通して見ているのだぞ」
いや、直に見てるって。
「私のどこが歪んでるのよ」
「全部」
思わず即答してしまった。
「何ですって!?お義姉さまのくせに!」
「そういうところ、全部だよ!あなたにあるのは欲ばかり。物欲金欲。さらにはより良い嫁ぎ先に入るために私を蹴落とそうとする」
「私が恵まれないといけないのは当然じゃない!私はあなたのせいで妾の子としてみすぼらしい生活を強いられた!」
「毎晩のようにお父さまは入り浸り、あなたたちに貢いでたじゃない。どこがみすぼらしいの?」
しかも本邸に来てからはお兄さままで奪っていった。
「心よ!心は惨めな気持ちでいっぱいだった!」
「傲慢な気持ちでいっぱいだったんでしょ?あなたは少しは質素な暮らしをして、一番大切なものは何なのかを学ぶべきだよ」
「お義姉さまのくせに生意気よぉっ!」
そして私に食ってかかろうとすれば、後ろからズゴンと殴られ引きずられていく。
「あの娘は見張り付きで村八分で暮らしをさせましょう。しかして……その厄災が我々に及ぶことは?」
「さぁ知らん。俺はわざわざアイツらに厄災を持っていくことはしない。弟どもが口うるさいもんでな」
禍神が厄災を起こせば、双直神は役目として直しに行かないといけない。
カンさんとナギさんも彼らの厄災を直しに行くのは嫌なのだろう。
「だが勝手に降りかかるものについては知らん」
「……そういう事でしたら、我々も罪として受け入れるしかありません」
「ま、祈れば厄除小吉程度の加護はあるかもな。アイツらにはねーけど」
それも禾守さまなりの優しさだろうか。
「感謝いたします。しかして……次は伊吹夫人の兄を通しますが良いですかな」
「それはいいですが……」
「いいのか?伊吹」
「禾守さまが一緒だから」
「ふむ……ならひとつ、擦り寄ってくれるか?」
「ちょ……こんなところで何を」
ゴホン、と緋扇当主の喉が鳴り、禾守さまは居住まいを正す。
「しかしあれはいいな」
「何です?」
「ほら、弟神月が阿矢女によくねだるやつ」
「ああ……その、私もちょっとやってみたいと思ってて」
「なら、とっとと済ませて帰ろうぜ」
その言葉に緋扇当主は頭を抱えつつも、禾守さまの機嫌を損ねないようとっとと通せと命じる。
暫くして、ボロボロの着物に窶れた肌の……かつてのお兄さまが通された。
「伊吹ぃっ!助けてくれ!お兄さまだろう!?」
「ふざけないで」
「は……?」
「お兄さまが助けてくれたことなんて一度もないじゃない」
私を能無しと罵り、美ノ葉を選び一緒に虐げた。
「だから私がお兄さまを助ける理由がない」
「な……生意気だぞ伊吹!兄である私に逆らうのか!」
瞬時にお兄さまが豹変する。
「逆らいますよ」
「あ゛!?」
「だから逆らいます」
「このぉっ」
お兄さまが向かってこようとして、後ろから取り押さえようとする男たちよりも早く。
お兄さまの身体が蛇に睨まれたかのように硬直する。
「いい度胸だ」
お兄さまの額から、大粒の汗が流れ落ちる。まさか義兄妹だからとこうも似るなんて。さらにお兄さまは美ノ葉よりも才能があるようだ。
「お前のような男が伊吹の兄を語るなど片腹痛い」
「……っ、ま、ぇ」
「はぁ?誰に口を聞いているかも分からんか、このヘボ退魔師」
「な……だ、と」
喋れているのが奇跡なほど、お兄さまは全身ガクガクと震え出す。
「お前のようなものでも分かりやすく教えてやろうか?」
その瞬間、禾守さまの身体に怨嗟が巻き付き、それがお兄さまに一気に飛びかかる。
「神をナメるなよ」
「あギャガアグぎゃあァァァ――――――ッ!!?」
お兄さまが言葉にならない悲鳴を上げる。その場にいたみなが恐怖で震え上がる。
「伊吹に喧嘩を売るってのはなァ、この俺に喧嘩を売るってことだ。お前ら、よぉく覚えておけよ」
バタン、と畳に突っ伏すお兄さま。硬直して動けなかったみなはかろうじてコクコクと顎を揺らした。
「その……お目汚しを」
この状況でも言葉を発せられる緋扇当主は優秀な退魔師なのか、それとも地元で詣でたことがあって許されたのか。
「いや?結構面白かった。またやるか?」
「ご勘弁を」
皆見事に土下座をしてくる。
「あの……禾守さま」
「どうした?伊吹?」
その割にはケロッとした笑みである。
「その、カンさんとナギさんに怒られない?」
「厄災を起こしたわけじゃなくて見せただけだから問題ない」
そう言う問題なのだろうか。
「人間は学んで進化する生き物だ」
うん、充分学びになったと思う。この場にいる皆にとって。
「お兄さまはどうなるんだろう?」
「……鉱山労働に送ります」
緋扇当主が下した罰は一番過酷と呼ばれるものだった。しかしそれも因果応報。
「もうあんなひと、兄だと思わなくていいかな」
何だか吹っ切れた。あんなに気にしていたこと。
「もちろん。それにいい兄ちゃんならいるじゃないか」
「あ、そう言えば……」
まだガクブルと震える緋扇当主たちに今日の礼を言い、屋敷を後にする。
「さようなら、院斎家」
もう違うけど。
「建て直すんだって」
座敷牢は埋めて、洋館に。
「その方がいいだろう」
「うん、そうだね」
欲を溜め込みすぎた家。いっそのこと取り壊して新たに作り直す方が得策だ。
そうして御形家に戻って来れば、先に帰宅していた夫婦の仲の良いやり取りが聞こえてくる。
「阿矢女、おひざぽんぽん」
「はーい、神月さま。今日は憑依頑張ったもんね。たーんと堪能してね」
「わーい」
阿矢女お義姉さんのお膝に頭を乗っけて幸せそうな神月くん。
「今日は神月さまを憑依させて頑張ったんだね」
「そうだよ、伊吹」
神月くんを見守る優しい守護霊が微笑む。
「もうお兄さまって呼んだらどうだ?」
横から禾守さまがしれっと告げてくる。
「それはその……っ」
「伊吹の……そうだね、その方がいい」
「神月さま」
「君が何に憧れていたか、求めていたか、知らないわけではなかったから」
「……それなら、その、お兄さま」
「ああ。幸せだな。最愛の弟と妹を見守れるのは」
「はい、お兄さま」
神月お兄さまが私に微笑めば、いつの間にか神月くんが目を覚ましている。
「俺も……兄?」
「……」
そう言えば……一応表向きは禾守さまが双子の弟だから神月くんは義兄になるのでは?
「にーいになりたいの?神月くん」
阿矢女お義姉さんが優しく問う。
「にーいのとーと、いい!」
「そうだねえ。神月くんはかわいい弟だもんね」
そうすると神月くんは再び阿矢女お義姉さんのお膝で寝息を立て始める。
「神月くんは弟属性だよね」
「ああ。俺も3人の兄だ。よく分かる」
そしてそれは阿矢女お義姉さんも周りのメイドたちも満場一致らしい。
「それより伊吹」
「ん?」
「してくれるんだろ?膝枕」
「そ……それはっ」
「あらあらいいじゃない!やっちゃいなさいな」
「阿矢女お義姉さんまで!」
それなら……とソファーに腰掛ければ、隣に腰掛けた禾守さまが心地やさそうに頭を預けてくる。
自然と髪を撫でる手に、ふと入る禾守さまの刻印。
今ではその刻印は……禾守さまに大切に思ってもらえている、優しい、優しい印だ。
【完】


