――――もう、抑えられない。これ以上は……っ。
その時だった。
「ぼくも……寝たままだなんていられません」
その時、神杖を握る手に優しい手が重なる。
「兄さま」
神聖な気が満ちていく。
「兄さまは怒ってくれたのですよね」
ナギさんが倒れてしまったから。
「ぼくは大丈夫です。神月は幸せになると教えてもらいましたから」
「ナギさん……」
ナギさんはふわりと私に微笑むと、再び禍神を見上げる。
「さ、戻りましょう。元の優しい兄さまに」
大直神の力が神直神の力と呼応し、荒ぶる禍神の厄災の力を鎮めていく。
『災厄よ、穢れよ、全ては我が手のうちに』
厳かな声が降り注ぐ。
『祓えよ』
その瞬間大地を衝撃が駆け巡る。
「きゃ……っ」
「伊吹」
「か、がみ、さま」
優しい腕が私を抱き締めている。
「穢れを祓うためには必要なことだ」
抱擁を解き、静かに見据える眼下に映るのは……御形家だ。御形家があやかしとともに崩落していくのだ。あのあやかしたちが外に出ないようにしていたのは……誰?
そんな事が出来るのはひとりしかいないじゃないか。
「災いは転じて福となる」
「ナギさん……?」
「それが我ら禍神と双直神が担う役割です。だからきっと、災いが去った後には福が訪れます」
「は……はい!」
悪いことばかりじゃない。きっとこの先の未来は暗くなんてならない。
「ま、そうだな」
禾守さまが笑う。
「だが、お前は」
スッと神月くんを見る。
「お前は見えすぎる」
禾守さまが神月くんの額を小突く。
見え……すぎる?
「その目は未来をも見てしまう」
「にーい……うー……あう……」
神月くんが見た未来って……。
「お前はどうあっても双子の兄が死ぬことが分かっていても変えたんだな」
「うー……にーい」
「お前にとって唯一痛いことをしなかったから」
神月さまは神月くんを守っていた。もしかしたらあの時も神月さまは神月くんを紹介しようとしてくれていたのかもしれない。
大切な大切な、弟の神月くんを。
「う……あーぅ」
「だからお前はあんな地獄の中でも、正しかったんだな」
「うう……」
グスン……と涙を溢す神月くんを、神月さまが優しく抱き締めていた。
「神は時に、救いをもたらすものだ。お前が此度やり遂げた褒美は受け取るべきだ」
褒美って……?
「だからそれは対価にもらっていく」
その瞬間莫大な霊力の一部が抜け出たのが見える。
「私には見えないはずだったのに」
「神の刻印があるのだ。見えないはずがない」
「でも今までは……禾守さまが?」
「だろうな」
推測なのは、彼が過去の禾守さまだからか。しかし私のことは分かっていてくれているようだ。
「さ、これでいい。ナギの神子よ」
「……ありがと、神、さま」
神月くんが今のようにしゃべった!?
「さて、そろそろ戻らねばな」
「戻るって……」
「伊吹が元いた時代だ」
「だけどどうやって……?」
来た時は神月くんに呼ばれて……だったが。
「送るよ。もうひとりの俺が呼んでるから」
「もうひとりの……禾守さま……?」
「知ってるだろ?」
「うん……っ」
「戻ったらちゃんと説明しろよ」
「ええと……」
「お前は俺じゃなく自分を刺したんだよ」
「……」
「俺はちゃんと答えるまでしつこいぞ」
「そんなっ」
「事実ですよ。弟がいたずらをしたらちゃんと吐くまでお説教が続きます」
「……ほんとな」
ナギさんの言葉にカンさんが視線を逸らす。
どうやら本当らしい。覚悟しておかないといけないのか。しかしながら同時に。
「また、会えるんだね」
禾守さまは神殺しの太刀に刺されたはずだった。
「あれは神殺しじゃない」
「え?」
「禍神を暴走させるもの。戻ったら見てみな。今度は見えるはずだ」
「……分かった」
今度は逃げずにちゃんと見るから。
「みんな、未来で待っていて」
「まってる」
神月くんの手が私に重なる。
「うん」
ああ、だから神月くんは……。
そっか、ずっと知っていたんだね。ずっとずっと未来すら見ていた。
「あやめ、知らない」
「え?」
「会える、楽しみ」
「うん!楽しみにしていて!」
その言葉と同時に世界を渡るのが分かった。時代を巡って、未来に……現代に戻るんだ。
「未来は変わったよ」
「禾守さま?」
「弟神月が見た最悪な未来は変わったんだ。未来から俺の刻印を持ったお前の魂を呼んだことで」
「神月くんは未来を変えようとしていたの?」
「ああ……ずっとずっと、誰にも理解されずに。だけど兄神月一人のために」
「だけど神月さまは」
神月くんの側にいるものの、命を落としてしまった。
どうあってもその未来しかなかった。
「だけど阿矢女に会えるのだろう」
「……!」
災厄の未来では阿矢女お義姉さんとは会えなかったのだ。たけど今度は。
「双直神の双子神子のいない時代は、御形家の直系とその妻が代わりを担う。弟神月が片割れを亡くしたのなら、その片割れを埋めるのは」
「阿矢女お義姉さんしかいないんだよね」
「そういう事だ。ほら、見えてきた」
禾守さまが指差す方向に手を伸ばせば、ずっと待ちわびていた手が私の手首を掴み……引き上げた。
パチリ、と瞼を開く。そこには待ち望んだ顔がある。
「禾守さま」
「ああ、伊吹」
「ただいま、帰りました」
「ああ、お帰り」
※※※
「言いたいことは山ほどある」
「う……うん。私も話したいことが山ほどある」
「全部聞くまで放さんぞ」
「うん、聞いてる」
過去の禾守さまから教えられた通りの反応に笑みが溢れる。
「……いっ」
しかしチクリとみぞおちが痛む。
「無理をするな。やっと血が止まったところだぞ」
「う……ん、だけどここは」
満点の星空の下。まるであの時の星空の空間のようだ。
「旧本邸跡だ」
「……跡?」
首だけ動かせば、そこには建物はない。思えば過去の最後で旧本邸はあやかしこと沈んだのだ。
「私が来た時は……建物があった」
「過去と共鳴していたんだろう。この世にはそう言う不思議なこともある」
「それで……」
魂すら過去に呼ばれることがある。現代に導いてくれる神がいる。たったひとりで未来を変えようとした子のために言葉という奇跡を授けてくれた神かいる。
「地下に祭壇があったの」
「ああ、俺たちの祭壇か」
「今も眠ってる?」
「いや……俺のだけは無事だったが、あの後の地震でそれもろとも崩れてるよ」
「そんな……」
「けど、阿矢女と神月が今の館にも作ったから」
「そう言えば阿矢女お義姉さんと神月くんは……」
そう思った時、凛とした声が響く。
「私はあなたなんてごめんよ!」
阿矢女お義姉さんの声だ。
「どうして……どうしてなんだ、阿矢女!」
弱々しい声で縋っているのは縄で縛られた王輝である。その他屋敷から駆け付けたと見られる大勢の退魔師たち。
阿矢女お義姉さんはプイッと顔を背け、神月くんの腕に抱きつく。
神月くんの側には……ちゃんと神月さまが控えている。
「私は阿矢女のために!」
「私のため?意味が分からない!私のためを思うのなら神月さまとの夫婦の間に入って来ないでよ」
「何で……何で完璧な私ではなく▓▓など選ぶんだ!」
「あんたの何処が完璧なのよ!それより私の神月くんをそんな風に呼ぶ男は嫌いよ!」
「きら……そん、な……」
王輝が項垂れる。
「そう言えば禾守さま、王輝のあの太刀、大丈夫だったの?」
「あー、あれか?神にあれしきの攻撃が効くかよ」
そう言って本当にケロッとしているんだもの。
「でもあの太刀……神殺しではなかったと聞いたけど」
「ああ、あれは穢れをたんまり塗り込んだ趣味の悪い呪物だよ」
「大丈夫だったの!?」
そんなもので貫かれたのに。
「あんなの俺の制御範囲だ」
穢れも災厄もものとしない、制御してしまう神。それには双直神の力も必要だが……むしろ最強なのでは?
「あの、私あなたの妻でいいの?」
「いいだろう?それも酔狂だ」
「酔狂……って」
「人の子を知るのは面白い。それに伊吹」
「禾守さま……?」
「お前は俺を直すために身体を張ってくれた。度胸のある娘だ。俺は伊吹のあの瞳を独占したいと思ったのだよ」
「……っ」
過去のあの出来事を禾守さまも覚えていてくれたのだ。だから禾守さまは……。
「これを刻んでくれたの?」
「ああ」
禾守さまはそう言うと自らの頬に私の手をそっと当てた。


