君と埋める八の項目

 サラリとした空気に湿度が混じる。
 先程まで稼働していた冷房は消されてしまったらしい。

 中村幸弘(なかむらゆきひろ)は帰り支度をしながら、隣の席の上田のマシンガントークを聞き流していた。
 つい先日、彼女ができたらしい上田はとにかく彼女の話をしたくて仕方がないらしい。

 ここから電車で一時間半先の女子高に通う美少女で、塾が同じ。
 志望大学が同じで、切磋琢磨している間に距離が縮まったそうな。
 そして、これからデートだとも言っている。

 高校最後の夏休み。
 その開始日である今日は、人生最後の一学期終業式だった。

 上田はデートで浮かれているが、幸弘は夏休みに浮かれている。
 彼女自慢を聞いてやってるのは気分がいいとの、隣のクラスが終わるのを待っているからだ。

 「でな、今日は――」

 「ユキぃ〜!」

 上田の声を遮るように、デカい声で教室に入ってきたのは幼馴染の真田太陽(さなだたいよう)だ。
 色素の薄い髪をふわふわさせ、柔らかな雰囲気を持つ彼は女子から密かにゴールデンレトリバーと呼ばれている。
 犬みたいで可愛い男子、ということらしい。

 「遅かったな」

 「なんかな、たにぐっちゃんが夏休みで浮かれんなよ! って、熱弁してた」

 当たり前のように幸弘の前の席を陣取り、腰を下ろす。

 「ユキはおれを待ってたんでしょ? 上田は?」

 「彼女自慢」

 「はぁ〜? 自慢じゃないね! 事実の羅列!」

 幸弘の雑な分類に上田が声を上げた。
 自慢の何が不満なのだろうか。

 「彼女?」

 「おぉ〜、聞いて驚け。オレに彼女ができましたぁ〜」

 その瞬間、太陽の目から光が消える。

 「……あ、お前この前ふられたんだったな」

 いつものことなので気にも留めていなかった。

 「ユキ!」

 「でも、今回は三ヶ月続いたじゃん」

 太陽はよくモテる。
 彼女自慢をしている上田よりモテる。

 ニコニコとよく笑うし、下心あるけど女子に優しい。しかも、惚れっぽくて、好きになったら全力だ。
 連絡もマメ。デートにもよく誘う。
 なのに、付き合った途端にそれらが全ておざなりになってしまう。

 「真田は釣った魚に餌をやらないタイプだよなぁ〜。サイテー」

 上田にそう揶揄われて、太陽が机に突っ伏して泣く。

 「上田、嫌いだ。早く帰れよ。おれとユキの時間を邪魔すんなよぉ!」

 「へぇへぇ、おじゃま虫は帰りますよぉっと。真田、お前のそれなんていうか教えてやろうか?」

 「うっさい! どうせ、自業自得とか言うんだろ!」

 「あったりぃ〜。じゃな〜」

 カバンを背負い、教室を出ていく上田に幸弘は手を振る。
 そして、いじけたまま顔を上げない太陽に声をかけた。

 「釣った魚に餌をやらないんじゃなくて、釣って安心してバケツに入れた魚の隣で寝てるだけなんだけどな」

 「ユキぃ……」

 「ほら、帰るぞ。一昨日、散々泣いてスッキリしたろ?」

 「……昨日さ、バイト終わりにすっげぇ可愛い子いてさ、声かけたんだ」

 早いな。本当にそういうところは尊敬する。

 「お姫様みたいに可愛くて、なんか、ふわふわしてて……男だった」

 「……え」

 「女装男子? ってやつ」

 「あぁ、そう」

 「なんか、心折れた」

 その声は絶望に染まっており、本当に心が折れたことが伝わってくる。
 けれど、じんわりと汗ばむ肌にこれ以上ここにいられないと思った。

 「太陽、帰ろ。家で話聞いてやるから」

 「おれの青春……」

 全くと言っていいほど、幸弘の声は届いていない。
 気が付くと教室に残っているのは幸弘と太陽だけだ。

 「高校生活って、本とか漫画の中でも特別じゃん? 青春ってよくキラキラしてるじゃん? 高校生になったら、普通にそうなると思ったのに……」

 ぼやく太陽は机に突っ伏したまま動かない。
 このままでは暑くて死ぬな。

 そう思った、幸弘はカバンを背負い、太陽を立たせ、教室を出る。
 腕を引かれている太陽は、未だにブツクサと青春とは、彼女とは、みたいなことを言っている。

 太陽のいいところは、素直なところだが、まっすぐ過ぎて心配になるほどのバカでもある。
 本当に彼女がいれば青春できると思っていたのだろう。

 「おれの青春、終わったんかな……」

 「帰って、うまいもん食おう」

 上履きを履き替え、全く自分で何もしない太陽の面倒も見つつ、帰路につく。
 真っ青な空がとても高くて、改めて夏が来たんだなと感じた。