君と埋める八の項目

心地よい空調の中でいつもと違う肌触りのシーツと掛け布団に包まれる。
外からは激しい雨音と、窓を割らんとする勢いで吹く風の音が聞こえ、本格的な台風は久しぶりだな、と思う。
照明を落とした部屋で、幸弘は目が冴えて、何度目かもわからない寝返りを打っていた。

小腹も空いたし、たしか一階にコンビニがあったはずだ。
時刻を見れば、まだ日付は越えていない。

幸弘は音を立てないようにベッドから抜け出す。
テーブルの上に置いてあるカードキーを持って、部屋を出ようとドアノブに手を掛けた瞬間、太陽の声がした。

「ユキ、どっか行くのか?」

ドアノブから手を離し、太陽の寝ていたベッドが見える位置まで戻れば、上体を起こして目を擦っている太陽がいた。

「起こした?」

「いや、ちょっと起きてた」

そうは言っても眠そうだ。

「どこ行くんだ?」

「小腹が空いたし、なんか食いもん買ってこようかなって」

「……ユキ、おれ思いだした」

あまり会話になっていない太陽の言葉に、首を傾げて次の言葉を待つ。
すると、太陽はベッドから抜け出して自分のリュックを漁った。

「ほら、これも買ったじゃん」

そう言って、箱を取り出す。

「あ、栗羊羹」

「そそ。なんかおいしそうだったやつ」

太陽が照明を付けて、ケトルに水を入れ、チェックイン時に持ってきた緑茶のティーバックの袋を破った。

「眠いんじゃないの?」

「いい。ユキが起きてるなら起きる。せっかく、二人でいるのに寝てたらもったいないだろ?」

「一緒にいても俺欠乏症なの?」

冗談めかしてそう言えば、太陽は真面目な表情で、けれど自嘲するように言う。

「そうだよ。おれのユキ欠乏症は昔から酷いんだ」

ベッドの脇にある小さなテーブルには二人の時計や大学でもらったパンフレットなどが散らかり、羊羹を食べるために片付けようと手を伸ばす幸弘を制して、太陽が仕切りの向こう側にある細長い空間――広縁にあるテーブルと椅子を指さす。

「あっちで食べよ。せっかく綺麗なんだし、使おうよ。雨と風は酷いけど、流石にガラス割れたりしないでしょ」

そう言って、羊羹の箱を手に移動した。

「緑茶と羊羹っていいよなぁ。最初に持ってきててよかった。明日の朝は紅茶飲もうな」

動こうとする幸弘を座らせ、沸かし終わったお湯を二つのコップに注いで、ようやく腰を下ろした。

「……なぁ、南央大どう思った? ユキは行きたいって思った?」

熱い緑茶をフーフー、と冷ましながら、太陽が言う。
そこにはいつもの軽さはなく、伺うような、祈るようなそんな色があった。

「……俺は明瞭か、星稜情報大」

「星稜……。なんで?」

「地元から新幹線一本で一時間だし、住みやすそう。あと、パンフレット見た限り、明瞭より綺麗だし、学食は美味くて安いらしいし。大学周辺も栄えてるから、バイトもすぐ見つかりそう」

「オープンキャンパスいつ? おれも行っていい?」

羊羹の箱を開けると、食べきりサイズの羊羹が出てきた。
それを各自一つづつ取って、皿がないので齧りつく。

「気になるなら一緒に行けばいいよ。……太陽はどの学部に行くのか決めた?」

「分かんないんだよなぁ。南央は綺麗だし、色んな学部があるから、見学したかったって言うのもあるんだけど……。今日見て、楽しかったけどさ、学部の説明聞いてもピンとこないっていうか」

ちびちびと羊羹を齧り、その甘さをお茶で流す。
太陽が立ち上がり、パンフレットを持って戻ってくる。
そこにたくさんの学部が羅列されており、当然、幸弘の考えている学部もある。

「ユキが言うように、カッコいいとか、稼げそうとかで調べてもみたんだよ。おれもITいいなって思うし、ゲーム好きだしゲーム作ろうかなとか、とりあえずで行くなら経済学部だよなとか」

「いいじゃん。小さい頃、ゲーム作りたいとか言ってたじゃん」

「……なぁ、変なこと言っていい?」

幸弘とは目も合わさずに太陽が言う。

「いいよ」

「……おれさ、ユキと一緒のとこ行きたい。ちゃんと、考えたんだ。将来のことだし、お金もかかるし……けど、隣にユキがいないんだと思うと、上手く先のことが思い浮かべられない」

太陽の言葉に幸弘は息が詰まった。

「……っ」

「待って、全部聞いて」

口を開こうとする幸弘を遮って、太陽が言う。

「おかしいって分かってるから……。おれ、自分がおかしいの知ってるんだ。だって、こんなにユキ、ユキ、ユキっておかしいだろ? 何も分からない子供だった時ならまだしも、十八にもなって……おれ、何も変わってない」

泣き出してしまいそうな太陽にずっと昔の幼い太陽が重なる。

「でも、おれ……それでいいと思ってたんだ。だって、ユキは約束してくれたもん。ずっと一緒にいるって。今だけだって。大人になったら、ずっと一緒に入れるんだって、普通に思ってた。けど、本気で考えたらそんな事無理だって分かるのにな。……ユキだって、彼女作って、結婚して、……大学だって、おれと違うところ行くかもだし、仕事だって……」

幸弘は無意識に太陽の手を握る。
幼い頃からずっとそうしてきたように。
太陽が泣くと幸弘も泣きたくなる。太陽を慰めているように見えて、幸弘は自分自身を慰めていたのだ。

「ユキ……なんで、ずっと一緒にいてくんねぇの? なんで、違う大学行こうとすんの? なんで、彼女作ったり、おれのこと置いていこうとすんの……っ」

あまりにも自分勝手な言い分に幸弘の口が開きかけるが、言葉にも声にすらならない呼吸が漏れるだけだ。

「分かってるよ。彼女作ったのも、遠い大学選んだのも、おれが初め。ユキの選択におれは文句言える立場の人間じゃない……。でもさ、今なら言っていい? 恋人の今なら、おれ……ユキの人生に口だしてもいい……?」

話している間、ずっと息がしづらそうに声を絞り出していた太陽。
それが、涙をこらえてるからだというのはすぐに分かった。
そして、もうダメだということも。
久しぶりに見た太陽の泣き顔はやっぱり、昔のままだった。

「……おれ、ユキのこと、そういう意味で好きになるよ。絶対なる。だから――、ユキも好きになって……」

離れたくないと、帰りたくない、と泣いていた太陽。
それと似た切実さの中に、縋るような決意と懇願を見た。

「……いつから、そんなこと思ってたの」

「高校入って、初めて彼女出来た時……、おれさユキの話しかしてなかったらしくて、距離感おかしいって言われたのが初め」

太陽は整った顔立ちと愛嬌も相まって、入学してすぐモテた。
そして、好意をちらつかせられた太陽はすぐに、その子のことを好きになる。
そうして、初めてできた彼女に浮かれていたのを覚えている。

「実はさ、沙耶ちゃんに言われたのが初めじゃないんだ……。おれ、彼女出来てもユキを優先しちゃって……。よく、おかしいって言われてフラれてた。けど、おれにとっては普通のことで、おかしいって言われる理由が分からなくて。でも、学年が上がるにつれて、将来を考えないといけないくなって、その時々にいた彼女が言うんだ。自分はここに行きたいって。だから、卒業したら離れちゃうねって。付き合ったのに、離れちゃうんだ、続くのかなって思って、けど……それは、ユキも一緒じゃないかってようやく気付いて……」

握った手が太陽からも握り返され、その温かさに冷房が効きすぎているな、と思った。けれど、そんなの逃避でしかない。

「沙耶ちゃんに付き合えって言われて、ユキと付き合う選択肢が出た時、これだって思った。……ユキとずっといたい。けど、大人になったら、おれたちは幼馴染みのままじゃ、ずっとは一緒にいられないから。だから――」

じわっと滲んだ涙に、太陽の限界が見える。
幸弘は深く息を吐いて、真っ直ぐに太陽を見た。
そして、握った手を解いて、太陽の指に自分のものを絡めた。

「本当に、俺のことそういう意味で好きになりたいの? 恋人って、多分さ、太陽が思ってるほど万能じゃないよ。俺もお前も、彼女と続いて、三か月とか半年じゃん」

「……っ、」

「幼馴染みも親友もずっと続くけど、恋人は続かないかもよ。いいの?」

「ユキもおれに呆れて嫌いになるの? 幻滅するのか?」

「……俺、きっと」

幸弘は言い淀み、喉の奥に引っ込んでしまった言葉に一瞬迷う。
本当に言ってしまってもいいのだろうか。

太陽にとって、幸弘の言葉は毒みたいなものだ。
それが真実だろうが、嘘だろうが、幸弘が言ったという事実があるだけで、嚙み砕いて考える価値のあるものになり、いつだって結局飲み込んでしまう。

だからこそ、幸弘はよく考える必要があった。
けれど、本当にそれは必要なのだろうか。

太陽は幸弘に、そういう意味で好きになるから、好きになれ、と言った。
遠慮して、手を伸ばさないなんて、物分かりのいい大人のふりをする必要なんてあるのだろうか。

「ユキ」

自分でもなんで泣いているのか分かっていない太陽がボロボロと涙を流す。
繋いでいない方の手で目元を拭い、それでも追いつかない。
終わることを怖がっているのはきっと、幸弘だけだ。

「そういう意味で好きになって、って言ったのは太陽だから。それを俺に許可したの、お前だから……」

「っ……」

「俺は、お前がやっぱり、俺をそういう風に見れないって言っても、もう無理だから。女子と遊ぶとか、彼女作るとか……もう、許さないから」

絡めた指先に力がこもり、耳が熱い。
自分の顔が今、どんなことになっているかなんて知りたくない。

「俺、今からお前のことちゃんと好きな人として扱うから。……いつもの俺と違うからって、気持ち悪がるなよ」

「ユキ……、どういう……」

困惑して涙の止まった太陽が、あっけにとられたようにそんな言葉を漏らす。

「好きだよ」

「……っ、へ」

「お前に……勃つか知らないって言ったけど、嘘だよ。……ちゃんと好き。そういう意味で。ずっと、ずっと好きだったよ」

だから、と詰まる声を絞り出す。

「俺のこと、そういう意味で好きになって……。俺だって、お前の人生に口出す権利ほしいよ」

ようやく口に出せた言葉に、幸弘は泣いてしまいそうだった。
言ってはだめだと、顔に出してもダメだと自分を縛ってきた。
なんでも共有してきた太陽にも内緒で、苦しかった。
だが、一瞬の解放感は、恐怖に変わる。
幸弘は太陽をまっすぐ見ることはできなかった。

「ユキ……おれのこと好きだった……?」

こくん、と頷く。視線は下がったままで、上げることはできない。

「……いつから」

「小学生の終わりには気づいてた」

「おれに……彼女ができたとき、どんな気持ちで隣にいたんだよ。……なんで、嫌って言わないんだよ! おれ、ユキの嫌なことばっかりしてたじゃん!」

思いもよらない言葉に顔を上げれば、太陽が怒りで震えている。

「この三年間で、おれ……ユキのことどれだけ傷つけたんだよ……。最悪じゃん……。……彼女は?」

「は」

「ユキだって、彼女何回かいたじゃん。何で付き合ったんだよ……。おれのこと好きなのに」

「……付き合ってほしいって言われるから、可愛かったし……好きになれたらいいなって思って」

「けど、フラれたら毎回それなりに落ち込んでたじゃん」

「……半年も付き合えば、好きだなって思うようになるし」

その頃に丁度フラれるのだ。
やってられないと思った。

「好きだったのか?」

「まぁ……」

何の尋問なんだろう。
幸弘は、長年の気持ちを吐き出したところだったはずだ。
だというのに、なぜ元カノのことを話しているのだろうか。

「浮気じゃん」

「……浮気って」

「おれのこと好きなのに、浮気じゃん」

なんだこいつは。
怒っているような、傷ついているような、いろいろな感情が混ざったようなそんな色を宿して、幸弘に文句を投げつけてくる。

「太陽は俺のこと好きじゃないんだから、浮気じゃない」

「浮気に決まってんだろ! だって! だって……、ずっと一緒にいるって言ったのに、おれから離れようとしてたってことじゃん……。ユキは分かってるだろ。ずっと一緒って、どれだけ条件が限られて、彼女とか夢とかそういうものがあれば、無理になるって……。なのに、ユキはおれから離れようとした! 浮気じゃん!」

暴論である。

「浮気すんなよ……」

そして、止まった涙は再び流れて、顔はべちゃべちゃだった。
タオルを取りに行こうと立ち上がり、繋いだ手を離そうとするが、太陽が離さない。

「……どこいくんだ……っ、おれに呆れてるんだろ!」

泣いた太陽は物凄く面倒なのだ。
子供返りが激しい。けれど、これは幸弘だけに見せる顔でもある。

「呆れてない。……タオル取って、顔拭いてやろうと思って」

「そんなのいいから、そこにいろよ。……ユキ、ユキぃ……」

「ちょ、おい……。なんで、そんなに泣くんだよ……。太陽に彼女作るななんて、嫌だなんて言えるわけないじゃん。……俺に何の権利があったんだよ。それ言われて、お前、なんて返すんだよ」

立ち上がったついでに、椅子に座る太陽の隣に膝をつく。
繋いだ手とは違う手で、絶えず流れる涙を拭ってやれば、太陽が不貞腐れたように言う。

「ユキが嫌なら、彼女は作らなかった! おれは、恋人とか、そういう好きとか、そんなの関係ないんだ。ユキが一番大事だ。……ユキが俺のこと大事にしてきてくれたの知ってるんだ。……なんで、おれに大事にさせてくれないんだよ」

弱々しい声に、責められる謂れはないというのに謝罪が零れる。

「……ごめん」

「おれはユキのこと、好きだ。けど、どういう好きなのかは知らない……。けど、けど! ちゃんと好きになるから、今から大事にさせて……」

「それで十分だよ」

期待していなかったんだ。
太陽が隣にいる未来を望んでいいと言われて、幸弘はそれだけで十分に満たされていた。

「本当に? おれがそういう好きにならなくてもそんなこと言うのか? 許さないから」

「は?」

「おれがそういう意味で好きにならないからって、ユキは他に彼女作ったらだめだし、体だけとか、そういう不純な関係もダメだし、そういうお店も使っちゃだめだ。全部浮気だからな」

「……は」

「おれだけにして。おれのこと好きなら、ずっとおれのことだけ好きでいてよ。……ずっと一緒にいてよ。約束守れよ。お前が言ったんだ……。大人になったらずっと一緒だって。今だけ我慢だって」

幸弘の指先も手のひらも、太陽の涙で濡れている。
だというのに、太陽は幸弘の手を掴んですりすりと頬を寄せてくる。

「ユキ……。ユキぃ……。っ、うぅ……ユキだったら、どうにかできるだろ。……そういう意味で、ユキのこと好きになりたい。……ユキがどうにかしてくれ。……っふぅ……うぅっ、ユキ、おれのこと口説いてよ」

しゃくりあげながら、幸弘にしがみついてくる太陽。
その体温は幼い頃から変わらないというのに、理不尽を言ってくるところも変わらないのに、抱きしめ返す幸弘だけが変わってしまった。
同じところに行きたいと、太陽が泣いている。
ならば、幸弘はどうにかするしかないのだ。

「……口説くとか分かんないけど、……お前のこと好きな人として扱うって言ったじゃん」

「……っ、元カノにしてたみたいな感じか……?」

複雑な気持ちで、少し考えて首振る。

「俺がずっと、お前にしたかったようにする。抱きしめたいときに抱きしめて、髪を撫でたいときに撫でて、手に触れたいと思ったら繋ぐ。……だから、気持ち悪がるなよって言った」

「ならない」

「分かんないだろ」

「分かる。おれがユキのこと気持ち悪がるなんてありえない」

泣いているくせにそこだけは妙に力強くて、幸弘はもう何も言えなかった。
抱きしめる腕に力を込めて、幸弘は太陽の首筋に顔を埋める。

「好きだよ。だから……好きになって。俺頑張るからさ」

ギュウギュウとしがみつき、太陽が幸弘の首筋に頭をグリグリと押しつけ、うずめてくる。

「……うんっ。なる、なるから……ずっと一緒にいてくれ。それ以外の選択肢なんて捨ててくれよ」

せっかく淹れた緑茶は温度を失って、色も悪くなってしまった。
食べかけの羊羹も太陽が泣き止んで、幸弘が再び席に着くころには少しだけかピカピしていて、美味しさは半減。

外だって未だに大嵐。
けれど、ここ最近で一番、心が穏やかだった。

未来への不安はある。
進路のこと、どうすれば一緒にいられるのか。
そんなことはまだ何も具体的には考えられていない。

けれど、寂しいと言えることが、思っていいという正当性がどれほど欲しかったのかを幸弘はこの夜、ようやく理解した。
カピカピになった羊羹に文句を言う太陽を見ながら、泣きたい気持ちになったのは内緒だ。
幸せ過ぎて涙が出るなんて、まだ少し恥ずかしい。