BAR Balalaikaー恋はあせらずー

 片付けも終わり、バックヤードに入った。
 4畳ほどの狭い部屋で、事務関係のものとか、ストック棚とか、お酒の箱とか……まあ雑多な部屋だ。
 そこに置かれたパイプ椅子にだらりと座り込む。
 お客様からいただいたお酒で少しほろ酔い気分なのも手伝って、ちょっと眠気が襲ってくる。

「ヤバい。早く帰ろう」

 こんなところで寝てしまったら、首や足腰が悲鳴をあげてしまう。
 ソムリエエプロンを外し、ベストを脱ぐ。ハンガーにかけてネクタイを緩めた。
 解放感にほっとため息がでた。
 掛けてあったコートを取り、書類が山積みになった机のカバンに手を伸ばす。
 その勢いのまま店内に戻ると、整然と並んだ椅子のひとつから、いつもはないものが見えた気がした。
 薄暗い中、それに近づくとマフラーが背もたれに掛かっていた。
 忘れ物?
 手に取ると上品な肌触りに感嘆した。

「柔らか!」

 間違いなくカシミヤだな。
 マフラーの掛かっていた椅子を見て、ああ、と納得した。
 今日最後のお客様、貴也だ。

 どうしようか悩みながらカウンターに入った。少し明るい照明の下で、チャコールグレーのマフラーが、なめらかな光沢を放っている。
 ちらっとバックヤードの方を見た。
 あの部屋に置いておくのは、ダメな気がする。

「どうすっかなぁ……」

 かなりの高級品だよな。
 ここに置いていて、もしものことがあっても困るし。
 ——持って帰るか?
 家に適当なペーパーバッグとかあったかな。
 ファストファッションのとかはちょっと避けたいけど、そんなブランドのペーパーバッグって……
 自分へのご褒美に買ったラリックのロックグラス。それを入れていたペーパーバッグならよさそうだけど……ん——

 見栄を張ってどうすんだって。
 クラフト紙の茶色の袋、100円ショップで買うか。

 いろいろ考えている間、マフラーを抱きしめていたことに気づいたが、この肌触り、一度体験すると媚薬のようだ。
 思わず頬擦りしたくなる衝動を必死に堪える。
 マフラーをもう一度じっと見た。
 歳が近くて、これって……おれなら買わないわ。
 ていうか、マフラーもそうだけど、あのスーツとか時計とか、どんな生活してんだ?

「あいつ、何者なんだよ」

 ああ……そういえば名刺をもらったけど、結局読めなかったんだわ。スマホで翻訳しようと思ってて忘れてた。

 でも……
 
 知らない方がいいような気がしてきた。絶対に関われるような人じゃないって。
 本当なら五つ星ホテルの最上階のバーやラウンジが行きつけなんだろな。
 偶然立ち寄っただけのバー。
 おれはそこのしがないバーテンダー。

 あ、なんか泣きそう。