透明な氷が入ったコリンズグラスに、ビーフィータジンを少し多めに入れ、トニックウォーターと炭酸水を注ぐ。
そっとバースプーンを差し込んでカンッと底を叩くと、シュワシュワとさわやかに発泡するグラスに口をつけた。
開店準備も一段落し、おれはホッと一息ついてカウンター内から店内を見渡す。
ここは父が長年守ってきた店。
カウンターに立つ父の姿を見て育ったおれは、微かな憧れを抱いていた。
柔らかな微笑みに優しく語りかけるようなおしゃべり。
お客様の邪魔をせず、お酒や雰囲気、それが静寂だとしても望まれるものを提供する。
大人のほんのひととき、リッチな気分になれるオーセンティックバー。
でも、実際カウンターの中に入ってしまうと、憧れなんて生易しい感情は消えていった。
大学生の時バイトで入ったが、レシピを覚えるだけで精一杯だったし、接客なんて客との距離感がわからず、すべてが手探りだった。
厳しくも優しい父がいたから雰囲気を壊さずにやれたんだ。
そんな場所を父の死を機に受け継いだ。
母が閉めると言ったとき、後悔するって思ったんだ。
「おれ、やるわ」
当然のように反対されたけど、それでも父の思い出を手放しなくなかった。
無謀だとわかってる。
だから、常連のみなさんに頭を下げて育ててもらうことにした。
おれが引き継いでから、もう来なくなった人もたくさんいる。
けど、父のように厳しく優しく見守ってくれる人がそれ以上にいてくれた。
「理都くん、マスターに似てきたな」
5年経ち、不意に嬉しい言葉をかけてもらえた。
「ほんとですか?」
「ああ。味も、顔つきもサマになった」
ようやくおれはこの仕事を心から楽しめるようになった。
ジンソニックを飲み干し、外のネオンを灯して最初の客を待つ。
父のお気に入りだったレコードから、しっとりとしたジャズが流れる。
カラン……
扉が開き、ひとりの男性が顔を覗かせる。
「いらっしゃいませ」
「いい?」
「どうぞ」
おれは手首を返し、目の前の席を勧めた。
座るのを待って、すぐさまウェットタオルを差し出す。
「外、寒かったでしょう?」
「ああ、すっかり冬だね」
男性はタオルを取ると赤い指先にそれを当てる。
「温かいな」
おれはにっこりと笑い、その仕草をそれとなく見る。
歳は30歳前半、おれより少し年上か?
ガッチリとした胸板にスーツが似合う。
自分にはない落ち着いた雰囲気にときめいた。
「なににいたしましょう?」
「ハイボールで」
「かしこまりました」
整然と揃えられたグラスからロックグラスを選ぶ。
後ろの洋酒が並ぶ棚から、デュワーズを手に取り男性の前に置く。
大きな氷を入れたグラスを水で1度すすいで、細いスポットライトの真下に置いた。
薄暗い店内で、氷に乱反射する光が美しい。
砕いた氷をそのまま使うのはこの景色が見たいからだ。
ジガーカップで少し溢れるほどにデュワーズを入れ、ゆっくり炭酸水を注ぐ。
そしてバースプーンでひと振りすると、ウイスキーの香ばしい香りが広がった。
「どうぞ」
「ありがとう」
今日の恋人におれは優しく微笑んだ。
甘く低い声で語る仕事のちょっとした愚痴を、おれはその場限りの恋人気分で聞く。
「ありがとう」
帰り際の笑顔が、恋人との最後の会話だ。満足してもらえたら十分。
明日はどんな恋人に会えるかな。
テナーサックスの渋い音色に目を閉じた。
そっとバースプーンを差し込んでカンッと底を叩くと、シュワシュワとさわやかに発泡するグラスに口をつけた。
開店準備も一段落し、おれはホッと一息ついてカウンター内から店内を見渡す。
ここは父が長年守ってきた店。
カウンターに立つ父の姿を見て育ったおれは、微かな憧れを抱いていた。
柔らかな微笑みに優しく語りかけるようなおしゃべり。
お客様の邪魔をせず、お酒や雰囲気、それが静寂だとしても望まれるものを提供する。
大人のほんのひととき、リッチな気分になれるオーセンティックバー。
でも、実際カウンターの中に入ってしまうと、憧れなんて生易しい感情は消えていった。
大学生の時バイトで入ったが、レシピを覚えるだけで精一杯だったし、接客なんて客との距離感がわからず、すべてが手探りだった。
厳しくも優しい父がいたから雰囲気を壊さずにやれたんだ。
そんな場所を父の死を機に受け継いだ。
母が閉めると言ったとき、後悔するって思ったんだ。
「おれ、やるわ」
当然のように反対されたけど、それでも父の思い出を手放しなくなかった。
無謀だとわかってる。
だから、常連のみなさんに頭を下げて育ててもらうことにした。
おれが引き継いでから、もう来なくなった人もたくさんいる。
けど、父のように厳しく優しく見守ってくれる人がそれ以上にいてくれた。
「理都くん、マスターに似てきたな」
5年経ち、不意に嬉しい言葉をかけてもらえた。
「ほんとですか?」
「ああ。味も、顔つきもサマになった」
ようやくおれはこの仕事を心から楽しめるようになった。
ジンソニックを飲み干し、外のネオンを灯して最初の客を待つ。
父のお気に入りだったレコードから、しっとりとしたジャズが流れる。
カラン……
扉が開き、ひとりの男性が顔を覗かせる。
「いらっしゃいませ」
「いい?」
「どうぞ」
おれは手首を返し、目の前の席を勧めた。
座るのを待って、すぐさまウェットタオルを差し出す。
「外、寒かったでしょう?」
「ああ、すっかり冬だね」
男性はタオルを取ると赤い指先にそれを当てる。
「温かいな」
おれはにっこりと笑い、その仕草をそれとなく見る。
歳は30歳前半、おれより少し年上か?
ガッチリとした胸板にスーツが似合う。
自分にはない落ち着いた雰囲気にときめいた。
「なににいたしましょう?」
「ハイボールで」
「かしこまりました」
整然と揃えられたグラスからロックグラスを選ぶ。
後ろの洋酒が並ぶ棚から、デュワーズを手に取り男性の前に置く。
大きな氷を入れたグラスを水で1度すすいで、細いスポットライトの真下に置いた。
薄暗い店内で、氷に乱反射する光が美しい。
砕いた氷をそのまま使うのはこの景色が見たいからだ。
ジガーカップで少し溢れるほどにデュワーズを入れ、ゆっくり炭酸水を注ぐ。
そしてバースプーンでひと振りすると、ウイスキーの香ばしい香りが広がった。
「どうぞ」
「ありがとう」
今日の恋人におれは優しく微笑んだ。
甘く低い声で語る仕事のちょっとした愚痴を、おれはその場限りの恋人気分で聞く。
「ありがとう」
帰り際の笑顔が、恋人との最後の会話だ。満足してもらえたら十分。
明日はどんな恋人に会えるかな。
テナーサックスの渋い音色に目を閉じた。

