「何か、お忘れですか?」
最後のお客様を見送り店を閉めようと振り返ると、目の前の扉が勢いよく開いた。
びっくりした——
驚いて変な顔になったけど、ちゃんと対応したことを褒めてあげよう。
けれど、さっき帰ったばかりの貴也が鋭い目つきで歩み寄ってくるのを見て、それどころじゃないと身構えた。
「あ、あの……」
「理都——」
目の前に貴也が立ち尽くす。
あのいつも余裕のある男が、めずらしく声をつまらせている。
言葉を選んでる、の方が合ってるのかも。
なにか言おうとしてやめて、目を伏せる。何度かそれを繰り返して、やっとその口を開いた。
「理都は、俺をどう思っている?」
唐突な質問に首を傾げた。
「お客様です……ね」
貴也の目が飛び出そうなほど見開き驚愕している。
——なにか間違ったこと言った?
息を止めてたのか、荒い呼吸を繰り返すと、大きくため息をついた。
「理都。俺は、そうは、思ってはない」
ドクンと胸が跳ねた。
待って。それはどういう意味だ?
「バーテンダーと客という関係に収まるつもりはない」
「お客様ではない……と? 関係? それはどういう……」
貴也はそれには答えず、おれの頭の中を探るようにじっとみつめてくる。
「理都。本当は俺を意識してるだろう?」
一瞬、記憶が飛んだ。
ヤバい。うまく笑えているか自信がない。
「意識なんて、してません」
目の前に迫る貴也の口元がくいっと上がった。
「——なるほど」
なにが「なるほど」なのかわからないんだけど。
妙に納得してうなずいてるけど、不気味でしかない。
すっと目が細められ、貴也が甘くささやく。
「俺にとって理都は特別だよ。理都もそうであってほしい」
「え……」
震える喉から掠れた息が漏れた。ちゃんと声が出ない。
いつもみたいに冗談で躱せばいいのに、喉がカラカラで息苦しい。
あぁ、笑えない……無理だ。
「理都」
動けずにいると貴也が腕をつかんだ。
おれは思わずその手を払いのけてしまった。
弾かれた手を貴也は驚いて見つめているのを、ただ茫然と眺めていた。
「理都……」
「す、すみません……やめて、ください——」
絞り出した言葉に、また貴也は目を見張る。
「すまない、怖がらせてしまった」
後ずさりする貴也を見て、深く息を吸い込んだ。
「申し訳ありません……あなたにそんな感情は……ありません」
驚愕に満ちた顔を向けてきた。
「俺は君が、俺に向けたすべてを勘違いと思いたくないんだ」
血の気がサーっと引いていく。
走馬灯のように移りゆく貴也との記憶に、自分の態度と気持ちを確認していく。
ぐちゃぐちゃに混乱する中、おれは呆然と貴也の言葉を繰り返した。
「勘違い——」
おれは貴也を勘違いさせていたのか?
おれが?
定まらない視点の先に昔の自分の姿が見える。
好きだった人の意味深な態度に傷ついた過去。
目を閉じても昔のおれは消えてくれなかった。
『勘違いしたおれ』がずっと佇んでいる。
おれは貴也にあのときのおれと同じ思いをさせてるってことなのか?
「理……」
「勘違いさせて……た?」
「え?」
「わたしの態度が、あなたを勘違い……させてた?」
「——勘違いだと思いたくない」
貴也がより深く苦渋に満ちた目を逸らす。
どう答えたらいいんだろう?
勘違いだと伝えたら、貴也もおれのようにずっと傷ついたまま生きていくのか?
「勘違いじゃないと言ってくれ」
「……そんなこと言えない」
「どうして!」
声を荒らげる貴也にびくりと身が震えた。
今日の貴也はいつもの余裕さが皆無だ。
初めて貴也が怖いと思ってしまった。
あんなに余裕のある穏やかな貴也を、こんなにも苦しめてしまっていることに、胸が張り裂けそうになる。
「すまない……さっきから俺は——」
めずらしく狼狽える貴也が、ああっと激しく頭を掻きむしった。
ほんっとに脅かすのやめてくれ。心臓が持たないって。
いや、そんなふうにおれがさせているんだよな。
いい加減、覚悟決めなきゃ——
「あなたのこと——お客様以上に見てはいません」
「理都!」
真剣な眼差しをおれは真正面から受け止めた。
髪が乱れたまま貴也はその手を伸ばしてきたが、宙に浮かせたまま強く握りしめる。
「あなただけじゃない。もう誰も心を許す人は作らないと決めたんです」
もう傷つきたくない。
「昔……勘違いして……痛い目にあったんです」
覚悟したつもりだけど、声が震える。
てか、なんで貴也に打ち明けてるのかわからないんだけど。
ずっと深いことろに押し込めてたのに。誰にも言わずにしまい込んでいたのに。
どうしてかな……
「——勘違い……か」
ぽつりとつぶやいた貴也の言葉を飲み込んだ。
そう。勘違いから親友も、居場所も失った。
それからだ。現実で恋愛はしないって。
また怒涛のようにあのときの苦しみが押し寄せてきた。
心せず目をしかめる。
正直に謝ろう。
あのときのおれと同じ思いを貴也にさせてしまったんだ。
貴也ならおれみたいにトラウマにしたりしないと思うけど、それで謝らないのは違う気がする。
「勘違いさせてたならごめんなさい。同じ思いをさせたくなかったんですが……」
「——俺の勘がはずれるわけがないと思っていたが」
貴也が眉をぴくりと動かした。
突然いつもの悠然とした態度に戻った感じなんだけど、なんで?
「嫌われたのかと不安になっていたが、なるほど。そうではなかったか」
「あの——どういうことですか?」
「理都。顔に書いているの気づいてないんだな」
「顔?」
思わず頬を叩いた。おれ今どんな顔してんだ?
貴也がくすりと笑い、すぐに真剣な眼差しを向けてきた。
「今は勘違いでもいい。でも勘違いのまま終わらせる気はないよ」
ん? 終わらせない? ってどういうことだ?
狼狽えながらも、力強くも甘さが含んだ声に胸がぎゅっとなってしまう。
勘違いっておれが貴也を好きだと思わせたこと——だよなぁ……
それを——え……っと、ちょっと待て——それって、おれが? は?
気持ちなんて自分でもどうなるかわかんないのに、貴也を本当に好きになる? ——冗談だろ?
なんでこの人はこんなに自信たっぷりなんだ?
「もちろん、勘違いとは思ってないが」
貴也は不敵に笑う。
「あの。わたしの感情は無視ですか?」
貴也が呆れたように顔を背けた。
「理都はもっと自分を理解した方がいい」
「どういう意味ですか」
なんかムカつくな。
わかってるから恋愛を避けてきたんだ。
「いいよ、今はそれで。もっと理都の知らない理都を俺が見つけてあげるから」
「その言葉、たくさんの人に言ってこられたんでしょう? 耳元で、ささやくように」
ほんとに平気でよく、そんなこと言えるな。
まあ、おれも不覚にも全身の血がざわざわと駆け巡ってしまった。
「理都、俺は本気だよ」
顔を寄せ耳元にささやかれた声に思わず突き飛ばした。
ほんとに、驚かせるなって。
「と、とりあえず、今日はお帰りください」
貴也はくすりと笑い紙袋からマフラーを取り出した。
「ああ、そうしよう」
チャコールグレーのマフラーをきっちりと巻くと貴也は自分で扉を開いた。
「また来るよ」
「ありがとうございました。お気をつけて」
外の冷たい風が、火照った体に心地よくまとわりついた。
最後のお客様を見送り店を閉めようと振り返ると、目の前の扉が勢いよく開いた。
びっくりした——
驚いて変な顔になったけど、ちゃんと対応したことを褒めてあげよう。
けれど、さっき帰ったばかりの貴也が鋭い目つきで歩み寄ってくるのを見て、それどころじゃないと身構えた。
「あ、あの……」
「理都——」
目の前に貴也が立ち尽くす。
あのいつも余裕のある男が、めずらしく声をつまらせている。
言葉を選んでる、の方が合ってるのかも。
なにか言おうとしてやめて、目を伏せる。何度かそれを繰り返して、やっとその口を開いた。
「理都は、俺をどう思っている?」
唐突な質問に首を傾げた。
「お客様です……ね」
貴也の目が飛び出そうなほど見開き驚愕している。
——なにか間違ったこと言った?
息を止めてたのか、荒い呼吸を繰り返すと、大きくため息をついた。
「理都。俺は、そうは、思ってはない」
ドクンと胸が跳ねた。
待って。それはどういう意味だ?
「バーテンダーと客という関係に収まるつもりはない」
「お客様ではない……と? 関係? それはどういう……」
貴也はそれには答えず、おれの頭の中を探るようにじっとみつめてくる。
「理都。本当は俺を意識してるだろう?」
一瞬、記憶が飛んだ。
ヤバい。うまく笑えているか自信がない。
「意識なんて、してません」
目の前に迫る貴也の口元がくいっと上がった。
「——なるほど」
なにが「なるほど」なのかわからないんだけど。
妙に納得してうなずいてるけど、不気味でしかない。
すっと目が細められ、貴也が甘くささやく。
「俺にとって理都は特別だよ。理都もそうであってほしい」
「え……」
震える喉から掠れた息が漏れた。ちゃんと声が出ない。
いつもみたいに冗談で躱せばいいのに、喉がカラカラで息苦しい。
あぁ、笑えない……無理だ。
「理都」
動けずにいると貴也が腕をつかんだ。
おれは思わずその手を払いのけてしまった。
弾かれた手を貴也は驚いて見つめているのを、ただ茫然と眺めていた。
「理都……」
「す、すみません……やめて、ください——」
絞り出した言葉に、また貴也は目を見張る。
「すまない、怖がらせてしまった」
後ずさりする貴也を見て、深く息を吸い込んだ。
「申し訳ありません……あなたにそんな感情は……ありません」
驚愕に満ちた顔を向けてきた。
「俺は君が、俺に向けたすべてを勘違いと思いたくないんだ」
血の気がサーっと引いていく。
走馬灯のように移りゆく貴也との記憶に、自分の態度と気持ちを確認していく。
ぐちゃぐちゃに混乱する中、おれは呆然と貴也の言葉を繰り返した。
「勘違い——」
おれは貴也を勘違いさせていたのか?
おれが?
定まらない視点の先に昔の自分の姿が見える。
好きだった人の意味深な態度に傷ついた過去。
目を閉じても昔のおれは消えてくれなかった。
『勘違いしたおれ』がずっと佇んでいる。
おれは貴也にあのときのおれと同じ思いをさせてるってことなのか?
「理……」
「勘違いさせて……た?」
「え?」
「わたしの態度が、あなたを勘違い……させてた?」
「——勘違いだと思いたくない」
貴也がより深く苦渋に満ちた目を逸らす。
どう答えたらいいんだろう?
勘違いだと伝えたら、貴也もおれのようにずっと傷ついたまま生きていくのか?
「勘違いじゃないと言ってくれ」
「……そんなこと言えない」
「どうして!」
声を荒らげる貴也にびくりと身が震えた。
今日の貴也はいつもの余裕さが皆無だ。
初めて貴也が怖いと思ってしまった。
あんなに余裕のある穏やかな貴也を、こんなにも苦しめてしまっていることに、胸が張り裂けそうになる。
「すまない……さっきから俺は——」
めずらしく狼狽える貴也が、ああっと激しく頭を掻きむしった。
ほんっとに脅かすのやめてくれ。心臓が持たないって。
いや、そんなふうにおれがさせているんだよな。
いい加減、覚悟決めなきゃ——
「あなたのこと——お客様以上に見てはいません」
「理都!」
真剣な眼差しをおれは真正面から受け止めた。
髪が乱れたまま貴也はその手を伸ばしてきたが、宙に浮かせたまま強く握りしめる。
「あなただけじゃない。もう誰も心を許す人は作らないと決めたんです」
もう傷つきたくない。
「昔……勘違いして……痛い目にあったんです」
覚悟したつもりだけど、声が震える。
てか、なんで貴也に打ち明けてるのかわからないんだけど。
ずっと深いことろに押し込めてたのに。誰にも言わずにしまい込んでいたのに。
どうしてかな……
「——勘違い……か」
ぽつりとつぶやいた貴也の言葉を飲み込んだ。
そう。勘違いから親友も、居場所も失った。
それからだ。現実で恋愛はしないって。
また怒涛のようにあのときの苦しみが押し寄せてきた。
心せず目をしかめる。
正直に謝ろう。
あのときのおれと同じ思いを貴也にさせてしまったんだ。
貴也ならおれみたいにトラウマにしたりしないと思うけど、それで謝らないのは違う気がする。
「勘違いさせてたならごめんなさい。同じ思いをさせたくなかったんですが……」
「——俺の勘がはずれるわけがないと思っていたが」
貴也が眉をぴくりと動かした。
突然いつもの悠然とした態度に戻った感じなんだけど、なんで?
「嫌われたのかと不安になっていたが、なるほど。そうではなかったか」
「あの——どういうことですか?」
「理都。顔に書いているの気づいてないんだな」
「顔?」
思わず頬を叩いた。おれ今どんな顔してんだ?
貴也がくすりと笑い、すぐに真剣な眼差しを向けてきた。
「今は勘違いでもいい。でも勘違いのまま終わらせる気はないよ」
ん? 終わらせない? ってどういうことだ?
狼狽えながらも、力強くも甘さが含んだ声に胸がぎゅっとなってしまう。
勘違いっておれが貴也を好きだと思わせたこと——だよなぁ……
それを——え……っと、ちょっと待て——それって、おれが? は?
気持ちなんて自分でもどうなるかわかんないのに、貴也を本当に好きになる? ——冗談だろ?
なんでこの人はこんなに自信たっぷりなんだ?
「もちろん、勘違いとは思ってないが」
貴也は不敵に笑う。
「あの。わたしの感情は無視ですか?」
貴也が呆れたように顔を背けた。
「理都はもっと自分を理解した方がいい」
「どういう意味ですか」
なんかムカつくな。
わかってるから恋愛を避けてきたんだ。
「いいよ、今はそれで。もっと理都の知らない理都を俺が見つけてあげるから」
「その言葉、たくさんの人に言ってこられたんでしょう? 耳元で、ささやくように」
ほんとに平気でよく、そんなこと言えるな。
まあ、おれも不覚にも全身の血がざわざわと駆け巡ってしまった。
「理都、俺は本気だよ」
顔を寄せ耳元にささやかれた声に思わず突き飛ばした。
ほんとに、驚かせるなって。
「と、とりあえず、今日はお帰りください」
貴也はくすりと笑い紙袋からマフラーを取り出した。
「ああ、そうしよう」
チャコールグレーのマフラーをきっちりと巻くと貴也は自分で扉を開いた。
「また来るよ」
「ありがとうございました。お気をつけて」
外の冷たい風が、火照った体に心地よくまとわりついた。

