サマー・エンド・プロトコル ― 幼馴染との最後の夏、僕らは秘密を共有した

中学3年の夏。

ある日、彼方が学校を休んだ。
あと少しで皆勤賞だったのに、休むなんて珍しい。
よっぽど具合が悪いのかな、と少し気にかかった。

そして次の日。
何事もなかったみたいに登校してきた彼方に、俺は声をかけた。

「休むなんて珍しいじゃん。なんかあった?」
「…少し熱出ただけ。もう大丈夫」

そう返す彼方は、やっぱりどこか元気がないように見える。

「そうか?こじらせたら大変だから、無理そうだったらすぐ保健室行けよ」
「ありがとう」

やっぱりなんか元気ないな、と思いながら。
俺たちはチャイムの音とともに、授業へ戻っていく。

そして気付けば、この日彼方が休んだことも、すっかり頭から抜けていた。

***

そのちょうど一ヶ月後。

夏休み何しようか、サッカーやめたから暇だな、なんて考えてた放課後。
家のチャイムが鳴った。

父さんも母さんもその時は居なくて、俺が出た。

「はいはーい…って、彼方?」
「よ」

そう短く言った彼方は、どこか緊張したような、不安なような、とにかく俺の前では見たことない顔をしてた。

「どうした?突然」
「あのさ…。ここじゃなんだから、俺んち来てくれない?」
「…うん」

いつもと違う物々しい様子に、俺は彼方に大人しくついていった。

榊家の門をくぐり、池の横を通って玄関へと入る。
ダイニングの木作りの机椅子に彼方が座って、俺もその横に腰を下ろした。

「…少し前に、じいちゃん死んだだろ?」
「…うん」

覚えてる。
脳裏に浮かぶ、池谷口の葬儀会館と、溢れる喪服の人々。

「で、前から未那都には話してけど。
うちの事業が上手くいかない事でじいちゃんが色々口出して、それで家族仲悪くて。
で、じいちゃんが居なくなって、これから父さん母さんと三人で仲良くなるかな、って思ったんだけど
…結局、ダメだったんだよね」

「……」

淡々と事実を語る彼方の口調は、平坦だった。
サッカーをやめてからは、彼方と話す機会も減ってた。
だから最近は家族についての話を聞いてなくて、てっきり状況は良くなったものだと思ってた。

俺は口を挟めず、ただただ話を聞いていた。

「不採算事業も一向に改善しないし。
銀行への返済も遅れる月もあるって、父さん、俺のせいだって自分を責めまくっててさ…。
俺がもっと上手くやってればって、じいちゃんから引き継いだ工場なのにどうすればって、そればっかりになっちゃって…母さんが必死にああすれば、こうすればって言うんだけど、聞く耳持たなくて…夜、酒ばっか飲んでたんだよね」

最後は声が震えてた。
ふと彼方を見ると、俯いた横顔は青白く、まるで消えていってしまいそうだった。

「…彼方、大丈夫か?」

声を掛けると、ぎこちなくこちらを見て頷く。
それでも浮かない表情の彼方は虚ろな、でもしっかりとした目でこちらを見て言った。

「…ちょっと、来てくれる?」
「…うん」

その言葉に席を立つ。
彼方も立って、無言のまま廊下を歩き出した。
俺もその後を追う。

障子の隙間から差し込む光は青く、廊下はすえた樟脳の匂いがした。
外は蒸し暑いはずなのに、家の奥へ進むほど、空気は逆に冷えていった。

辿り着いたのは、離れの脇にある土倉。
古い民家なんかにはよくある、農具とか道具を置いておく物置だ。

白い大きなそれの前で、彼方がぽつりと口を開く。

「…昔さ。じいちゃんと父さんに、ここに連れてこられたことあるんだよ。
今くらいの、まだそんなに暑くない時期に」

ぎい、と音を立てて扉が開く。
中から冷たい空気が流れ出てくる。
そのひやりとする中に入ると、カビと土の匂いが肺いっぱいに広がった。
俺は後ろ手にその重い扉を閉める。

彼方はそのまま、小窓から細い光だけが差し込む暗い中を、奥へと進んだ。

「ここに立たされてさ」

壁の前で立ち止まる。

一見、ただの土壁。
けれど、わずかに継ぎ目のような線が見える。

彼方はそこに手を置いたまま、少しだけ目を伏せた。

「じいちゃんが、こう言ったんだよ。
榊の人間はその名に恥じぬよう、弱さを見せることなどあってはならんって。
だから一族の面汚しはここに入ることになる。
お前も見て、知っておけ───って」

彼方がぐ、と力を込める。
ギギ、と鈍い音とともに、壁が動いた。
暗い通路が口を開ける。

彼方はその辺にあった懐中電灯を手に取って、電気をつけた。

「その時はよくわかんなかったんだけど。
後で父さんが『昔は一族におかしくなった人が出たら、他の人にも迷惑がかかるからここに入ってもらったんだよ』って教えてくれた」

平坦な声で言いながら、彼方は暗い中を進み始める。
俺は何も言えず、先を行く彼方の後を追う。

通路は狭く、湿っていた。
懐中電灯の光だけが頼りだった。
奥に行くに連れて土の匂いが濃くなって、外の気配が消えていく。

やがて、奥に小さな空間が見えた。
それは土壁で囲まれた四角い部屋。
そしてその空間の中央にある、木の枠で囲まれたそこはまるで───

(…檻?)

空気は重く、淀んでいるのがわかる。彼方がその中へ入る。
俺も続こうとして───懐中電灯の光の先。

木の枠の中に〝それ〟を見つけた。

「…え?」

最初は人形かと思った。
それにしては大きい。

それに気付いた時、まさか、と思った。

心臓が早鐘を打つ。ひくり、と喉が震えた。

「…っ」

一歩、後ずさった。
それでも懐中電灯の光の先。
目線は〝それ〟から剥がせない。
そして気付いてしまった。
それは───力なく壁にもたれかかって、皮膚は乾き、黒ずみ、ところどころが白く蝋のように変色していた───人だった〝それ〟は。

以前から目にしていた、彼方のお父さんだってことに。

「……」

言葉が出なかった。
目の前の光景が信じられない。
おじさんの頬は落ち、目は窪み、口元はわずかに開いたまま固まっている。

「うわ……あ、あ……」

声が漏れる。
でもこの異様な空間のせいか、恐怖に脚がすくんでも大声で叫ぶことは出来なかった。
目の前の光景は時間が止まったようで現実味がない。

それでも、ぴくりとも動かない、服だけが綺麗なままのその姿は、もうおじさんが生きてはいないことを如実に語っていた。

「…父さんだよ」

彼方の声が、静かに落ちた。
ひっ、と、喉の奥で声にならない声が出た。
俺はその場にへたり込む。

「大丈夫?」

その声に弾かれたように振り向いた。
彼方を凝視する。
懐中電灯の光の照り返しを受けた彼方は、平坦な顔をしていた。

俺はその瞬間、叫んだ。

「だ、大丈夫じゃねえよ⁉お父さん…なんで、こんな⁉そ、そうだ…警察!あと、お母さんに、知らせなきゃ…!」

彼方はその瞬間、俺の両腕を強い力で掴んだ。
カラン、と音を立てて懐中電灯が落ちる。

俺たち二人は、暗闇に沈んだ。

「ダメだよ」

彼方が冷静な、だが断固とした声で言った。

「な…なんで…」
「父さんを見つけたの…一ヶ月前なんだよ」

その言葉に思い出す。
彼方が学校を休んだ日。

「最初は俺も…知らせなきゃ、って思った。
実は父さん、いなくなったの半年前でさ…。『暫く家を留守にします。心配しないでください』って書き置きがしてあったんだよ。
工場の引き継ぎも、源さんにしてあった」

源さんとは、工場の実質ナンバーツーを担っている男性だ。
彼方のお父さんとも仲が良かった。

「源さんも、なんか様子が変だなとは思ってた、とは言ってたけど…母さんもさ、大ごとにはしたくない、書き置きもあるわけだし私達はあの人が帰ってくるまで工場を守りましょうって…なんかさ、変な話、父さんがいた頃よりも母さん、今…生き生きして幸せそうなんだよ」

彼方の顔が、ふと笑みを作った。
泣いているような、笑みだった。

「そんな中でさ。
前にじいちゃんと父さんに連れてこられたここを思い出して来てみたら…父さんが、いた」
「………」

ゆっくりと、目の前のおじさんを見る。
おじさんは俺も見慣れた、工場の作業着を着たままだった。

「それで俺…思ったんだよね。
父さん、ここに自分から来たんじゃないか、って。
誰にも知られたくなかったけど、俺だけに知ってほしかったんじゃないかな、ってさ…。
母さんも、周りも。自分がいない方が上手く回るって、わかっちゃってたから…そう、したんじゃないかって」

その言葉に俺は、弾かれたように顔を上げた。

「そんなのわかんねえだろ⁉
それに…誰にも知らせないで、ここにおじさんを、このままにしておけないだろ⁉
警察に知らせて、お母さんにも…っ」

「俺だって考えたよ!」

大きな声で彼方が言う。
ハッとした顔で見た彼方の顔は、苦しそうに歪んでいた。

「でも、そうしたらさ。警察だって来るだろ?
それで母さんも、源さんも事情聴取されるし。
工場で働いてる人にも、当然噂にもなる。
今でもあんなに人間関係で気を揉んでる母さんに、そんなの耐えられる訳ない」

ハッ、と彼方のお母さんのことを思い出した。
前から争いの渦中にいて、気を揉んでいた彼方のお母さん。

それ以外でも───「母さんは噂とか気にし過ぎなんだよ」と、彼方は前から心配してた。

「父さんも、そんなこと望んでるのかな…って。
書き置きもあったし、あれが全てなんじゃないかな…って思う。
それが父さんなりの…家族の守り方なんじゃ、ないのかなって。

だから俺はそれを───尊重したい」

そして彼方は、強い目で俺に向き合った。

「本当は…俺だけが知ってればいい事だって、思った。でも…ふとした時に、思い出して…」

震える彼方の言葉を聞き終わる前に、俺は目の前の彼方を抱きしめていた。

「馬鹿…」

「え……」

「…一ヶ月も、一人で抱えてたことがだよ。馬鹿、ほんと…馬鹿…っ」

喉の奥が詰まる。
男が泣くなんて、みっともない。
そう思って、もう長いこと泣いてなんかなかったのに。
一度溢れたものは止まらなかった。

この檻に、一体何人が入ったのだろう。おじさんはどんな思いでここに辿り着いたのだろう。
彼方は一体どんな思いでそれを目の当たりにして、一人で抱え込んでいたんだろう。
───全てが哀しくて、苦しくて。

気付いたら俺は声を上げて、泣いてた。

「う…うっ、う……うわ、うわぁぁぁーーー」

「………」

それを彼方は、じっと見ていた。
どのくらいの時間が経っただろう。
涙も枯れた頃に、俺は彼方に言った。

「俺、誰にも何も言わないから、ここのこと。……だからもう、彼方もここには来んな。
もし、また来たくなったら……俺に言えよ。その時は……」

一瞬、言葉が途切れる。
彼方を見ると、彼方も黙ったまま俺を見ていた。

「二人でここに、来よう」
「……うん」

小さく、彼方が頷いた。

こうして俺たちの間に二人だけの秘密がひとつ、できたのだった。

***

あれからずっと考えていた。

あの時の選択が、本当に正しかったのか。
けれど、あれはきっとお母さんの気持ちや、色んなことを考えた末に彼方が出した結論なんだと思った。
だから俺に出来ることは、何も言わずにいることだけ。

……それと、もう一つ。

考えていたことがある。

いつか彼方が、ここにある全てのものから離れていくことが、あいつにとって良いことなんじゃないか───って事だ。

***

「未那都……」

掠れた声で名前を呼ばれ、俺は小さく息をつく。

ベッドで一糸纏わぬまま、俺たちは乱れた呼吸を落ち着かせながら暫く動けずにいた。
篭った吐息で、さっきまでの熱だけがまだ部屋に残っているようだった。
身を起こして後片付けをしようとすると、不意に彼方が腕を回して俺を引き寄せた。

「……っ」

そのまま軽く、二度三度と、唇が重なる。

「未那都……」

口付けの合間に名前を呼ぶ声がどこか愛おしげで、思わず胸が高鳴る。
それを誤魔化すように、俺は彼方の胸をそっと押した。

「おい、先に片付けないと」

「……別にいいのに」

不満げな彼方の様子を意に介することなく、俺はティッシュで汚れたところを拭いた。
第二フィールドが終わってから俺は毎日、彼方の部屋に行く事になっていた。

「朝ごはん食べたらうちに来て。毎日ね」

その一言に律儀に従っているのは、事態を大ごとにしたくなくて彼方の言う事を聞いた手前があるからだろうか。
もう信哉さんの連絡先も消して、ゲームでも日常でも接点はなくなった。
別にもうあの時のことを通報されたりはしないとも思う。

それでも俺の足は、毎日彼方の家に向かった。
家に行くと、俺たちは言い訳みたいに少し宿題をする。
でも、どちらともなく目が合って、キスをしてからは───氷を入れた麦茶がすっかりぬるくなるまでエッチな事をする。

俺たち二人、そんな堕落した夏休みを過ごしていた。

「あ」

不意に彼方がゴムを外してゴミ箱に捨てるところを目撃して、俺は思わず声を上げる。

「それ…どっか別の場所に捨てとけよ」
「別に大丈夫だって」
「バレたらどう説明すんだよ」
「多分聞かれないよ」

そんな事を言って、彼方は悪びれる様子もなくこちらを見る。それに俺は何となくイライラして言った。

「前から思ってたけどさ。お前、彼女とか作んないの?」
「…え」
「モテるしさ、よく告白されてんじゃん。その中の一人と付き合おうとかなんないのかよ」
「……」

彼方が俯いて黙り込む。不穏な空気を感じて、俺は思わず彼方の方を向いた。

「彼方?」
「…やっぱ未那都ってさ。たまに酷いよね」
「え?」

問い返した瞬間、彼方の手がグッと俺の腕を掴んだ。強く、逃げ場を塞ぐように引き寄せられる。避ける間もなく、彼方の唇が重なった。

「……っ」

角度を変えられて、何回も。
さっきよりも強く、確かめるみたいに重ねられる。
深く、執拗に、何回も。
やっと俺を解放した時、彼方は言った。

「…俺、まず女の子に興味ないし」
「……」

もしかしたらそうかも、とは思ってた。
じゃないとあんなによりどりみどりの中で、彼女の一人も作らないことに説明がつかない。

「ていうか、男とか女とか、そういう問題じゃなくて…」

彼方は一度俯いて、何かを言いかけては口を閉じる。
それを何度か繰り返してから、ゆっくり顔を上げた。

「…とにかく。俺、他の人と付き合うとか出来ないんだよ。わかった?」
「…じゃあ、どうすんだよ。その、結婚とか…」

ハッ、と自分の言葉に話が飛躍しすぎてることに気付く。
でもそれは、どこか当たり前のように考えてた事だった。
彼方はいつか、しないといけないんじゃないかって。

彼方は俺の言わんとしたことがわかったらしく、目を逸らして言った。

「多分、出来ないんじゃない?…工場はまぁ、源さんとか、別の人がどうにかするよ」
「……」
「それとも、未那都が結婚してくれる?」
「は、はぁ?バカ言うなって…」

冗談ぽく言う彼方にそう返しながら、なんとなく俺はホッとしてた。
彼方は案外、この家に縛られてないのかもしれないと思ったから。

そんな俺の顔を、彼方は険しい顔で見てた。

「あー…なんか腹立ってきた。もう一回しよ」
「ちょ…っ」

そう言って覆い被さってくる彼方を、俺は拒むことはしなかった。

今度は、ちょっと激しかった。