サマー・エンド・プロトコル ― 幼馴染との最後の夏、僕らは秘密を共有した

昼1時、岡山駅。

照りつける真夏の太陽の下、桃太郎像は勇ましげな出立ちで鈍く光っている。
俺はといえば、Tシャツにズボンというラフな格好でソワソワと立っていた。

(大学っていってもそんな堅苦しい格好じゃなくて良いよな?
てかシンヤさん、話してる分には優しそうだけど、実際はめちゃ変な人だったらどうしよう…)

信哉さん、という名前の漢字もラインで先ほど知ったばかりだ。
リアルで会うことの重みを今更ながらヒシヒシと実感していた、その時。

「あの、未那都くん…ですか?」
「!はい!…!」

ここ数日聴き慣れた声に顔を上げて───ビックリした。
信哉さんは、ネット越しに想像していた通りの、柔らかくて優しげな雰囲気の人だった。
だけどそれだけじゃなかった。

すらりとした長身に、無造作に整えられた真ん中分けの黒髪。

シンプルなのにどこか洗練された服装が妙に様になっていて、まるで雑誌に載っていそうな雰囲気すらある。
整った温和な顔立ちに、少し目を細めて微笑むその表情は、優しそう、という第一印象にそのまま「イケメン」と「オシャレ」が上乗せされたような感じ。

一瞬、言葉が出てこなくなる。
そんな俺に信哉さんは、優しく微笑んで言った。

「なんか、ゲームで話してるイメージ通りでビックリした。いい意味で」
「俺も…ビックリしてます。その…カッコ良すぎて…」

言ってからかぁっと顔を赤くする。

「あ!でも別に悪い方を想像してた訳じゃなくて、その」
「あはは、ゲームしてるから根暗なオタクだろうなってみんな思うよね。
だから俺も少し構えてたんだけど、未那都くんの場合ではそれでもいいかなって思ってたんだよね」
「え?」

目を瞬かせる俺に、信哉さんはにこやかに続けた。

「言動もすごい素直だしさ、普通に仲良くなりたいなって。
絶対いい子だろうから純粋にそう思ったっていうか…でも今実際会ってみても納得。
少年っぽいっていうか、イメージ通りだった」
「そ、そうすか…」

そう言われて少し照れる。
なんて言っていいかわからない。
そんな俺を見て、信哉さんはくすっと笑う。

「じゃ、行こうか」

***

「すげー!岡大、やっぱキレイですね!」

夏休みの大学は授業はなくてもサークルや部活動に生徒が来ていて、それなりに賑やかだった。
俺は目をキラキラさせて辺りを見渡す。

教育学部とか文学部の入る一般教育棟を見た後、俺たち二人はカフェテリアに入りコーヒーを飲んでいた。

「俺はもう毎日見慣れた大学って感じだけど、外から来る人にとっては新鮮で面白いよね」

横で信哉さんが眩しそうに笑った。

「なんか、大学って感じでいいですね」

語彙のない感想しか出てこないのに、それでもキョロキョロと視線があちこちに吸い寄せられてしまう。
そんな俺を見て、信哉さんが楽しそうに言った。

「学生生活は自由だし、楽しいよ。時間割も自分で組めるしさ。バイトしたり、遊んだり。みんな彼氏彼女作ったりね」
「へえ…」

なんとなく相槌を打つと、信哉さんがこちらを見て聞いた。

「未那都くんはいないの?かわいい感じの顔してるし、いそうだけど」

未だかつて言われてこなかった類の言葉を聞いて、俺はビックリした。

「え…⁉いないですよ!それに、俺なんて普通の普通だし」
「え?そんなことないと思うけどな」

そんなふうに言ってくれる信哉さんは優しいな、と思いつつ、矛先を変えるべく俺は聞いた。

「信哉さんは?付き合ってる人とかいないんですか?」

聞き返すと、信哉さんは少しだけ間を置いてから、肩をすくめた。

「俺もいないよ。半年前くらいに別れたから」
「あ…そうなんですね」

それ以上は踏み込めなくて、会話がそこで途切れる。
さっきまでの軽い空気が少しだけ静かになった。
何か話した方がいいのか、それともこのままでいいのか分からないまま、しばらく無言が続く。

その沈黙を破るように、信哉さんがふと思い出したように口を開いた。

「そうだ。俺の家に授業のテキストあるけど、見に来る?」
「え?」

俺は思わずキョトンとした声を上げる。
だが信哉さんはいつもの調子で続けた。

「さっき言ってたやつ。時間割とかも一緒に見せられるし、実際どんな感じか分かりやすいと思うよ」

一瞬だけ迷ったけど、申し出はありがたくて俺は頷いた。

「じゃあ、お願いします」
「オッケー。じゃあ行こっか」

そうして俺たちは、カフェテリアを立った。

******

信哉さんの家は、岡大近くのアパートの一室だった。

「お邪魔します…」
「あまり整理はできてないけど」

そうは言ってたけど、俺の目には十分キレイに整頓されていた。
キッチンに冷蔵庫、リビングにはベッドと小さな机が配置されている。
一人暮らしのワンルームの男の部屋。
まさにそんな感じだった。

「その辺適当に座ってて」

そう言われて小さな机の座布団に座る。
そうしていると、信哉さんは何冊かテキストを持って俺の横に座った。

「ほら、これが教育総論のテキストで、こっちが…」
「へえ…」

パラパラとページをめくる。
思っていたよりも文字が多くて、内容も堅い。

「なんか…普通に難しそうですね」
「最初はね。でも慣れるとそうでもないよ」

そう言いながら、信哉さんは俺の手元を覗き込んできた。
距離が少し近くなって、思わず目が泳ぐ。

「ここ、児童文学のとこ。こういうのもやるんだよ」

指で示された箇所に目を落とすと、見覚えのあるタイトルが並んでいる。

「あ、これ知ってる…」
「でしょ?こういうのをどう読むかとか、どう教えるかとかさ」
「へえ…」

一つの教科書を二人で見ているからだろうか。
さっきからやけに近いな、と思ったけど、不思議と嫌ではなかった。

「未那都くん、こういうの向いてると思うけどな」
「え、そうですか?」
「うん。素直だし、人のことちゃんと見てるから。教師向いてそう」

不意にそんなことを言われて、言葉に詰まる。

「…いや、まだ全然わかんないですけど」
「まあね。でも、なんとなくそう思った」

そう言ってもらえるとどことなく嬉しくて、でもなんて言っていいかわからず俯く。

「あのさ。
さっき俺は普通の普通で、とか自分のこと言ってたけど。
未那都くんは、そんな卑下する必要ないと思う」
「え?」

顔を上げる。
すると少しだけ俺に顔を寄せて信哉さんは言った。

「俺は未那都くんは…人として魅力的だと思ってるから」
「え…」

言葉に詰まって顔を赤くすると、頭にポン、と手が置かれる。
少しビックリしていると、くい、と軽く引かれ、───事態を飲み込む前に、唇と唇が重なっていた。

「⁉」

驚きに固まっていると、それはすぐに離れた。
信哉さんの方を食い入るように見つめる。
彼はバツが悪そうな顔をしていた。

「ごめん。なんか我慢できなかった」
「が、我慢…?」

赤面しながら言うと、今度は信哉さんは頭を抱えて白状するように言った。

「俺、すごい未那都くんのこと、タイプだから…」
「へっ⁉」

まさかの返答に声が裏返る。
それにポツポツと信哉さんは話し出した。

「会いたい、って言ったのは単純に仲良くなりたかったからで、それは嘘じゃない。
でもその、少年ぽいっていうか…少し日に焼けた肌とか、ほっぺのほくろとか。
くるくる変わる表情とか、全部ひっくるめていいなって思ってるんだよね」
「その…男が好き、ってことですか?」

まだ状況が掴めず整理をする俺に、信哉さんはあっさり頷いた。

「うん。前の恋人も男だったし」
「…」

普通なら引く場面だと思う。
すぐさま逃げ出すのが正解なのかも、とも。
でも、信哉さんがいい人で、傷付けたくないからだろうか。
それとも、内面も外面も見た上で俺を褒めてくれたからだろうか。
とにかく俺はこの場から逃げることもせずに、ただ信哉さんを見つめていた。

不思議な好奇心に胸を疼かせながら。

すると不意に信哉さんは俺の頬に触れた。

「さっきの…嫌だった?」

その言葉に俺は、信哉さんが少し狡いと思った。
そんな聞き方されたら嫌だなんて言えない。
そう思って俺は、少し曖昧に口籠った。

「…分かんないです。前、同級生の男とそういう雰囲気になった時は…避けちゃって」

俺がそう言うと、信哉さんは少しだけ目を見開いた。

「じゃあ今、俺としたのが初めて?」
「……はい」

頷いた瞬間、すぐにもう一度唇が重なった。
今度はさっきよりも長く、深く。
触れ合うだけだったはずなのに、身体の奥まで熱が広がっていくような感覚に、頭がぼんやりしていく。

「……っ」

肩を抱き寄せられ、その温もりに包まれた。
唇が優しく喰まれるたび、不思議なくらい胸が苦しくなる。

「未那都くん」

耳元で囁かれ、頬に触れられる。
その手はとても優しくて、逃げようという気持ちはどこかへ消えていた。

「……こういうのも、初めて?」

問いかけに小さく頷くと、信哉さんは少し笑った。

「ごめん。……もう少しだけ」

そう言って再び唇が重なって───俺はそのまま身を委ねた。