「てかさぁ!願いの欠片見つけたら誰が使う〜?」
5日目にログインした瞬間。
lovely♡catさんの甲高い声が耳に刺さった。
「え…見つけたら考える、じゃダメなんですかね?」
「わたぼー、それじゃ見つけた時に揉めんじゃん⁉」
控えめに差し込んだwatawataさんの言葉は、軽く弾かれる。
今でも揉めてるだろ、とは思ったが口には出さないでおいた。
「やっぱりレディーファーストがいいと思うんだよねー。ね、ゴーちん♡」
「…ああ」
goat.bさんは、やけに従順に答えた。
「いつもあたしが先陣切って戦ってるし貢献度も高いしね!次ゴーちんで、三番目がカナちんかなぁ?こんな感じが順当だと、アタシは思うわけぇ!」
「いや」
喚くような声に被せるように、彼方の凛とした声が響く。
「そもそも俺と未那都が見つけた欠片にあんたらが乗ってきたんだから、先に俺たちがもらうのが筋だろ?」
「んなっ!」
「それが嫌なら───ここでやるか?」
一瞬、空気が張り詰める。
「城から放り出してもいい」
「~~〜っ、わかったわかった!まあそもそも、見つかるかも、最上階行けるかもわかんないしねっ」
沈黙が落ちる。
俺は、小さく溜息を吐いた。
城の中は、ほとんどが戦闘だ。
階を上がるごとに敵は強くなって、回復の欠片も少なくなっていって、みんな消耗していく。
そのせいか進めば進むほど、ギルドの空気は悪くなっていった。
彼方とlovely♡catさん、goat.bさんがぶつかり合って、その間に俺とwatawataさんが入ってなんとか場を繋ぐ。
ずっと、そんな繰り返しだった。
───この時、ようやく理解した気がした。
この第一フィールド、〝フォールン・フェアリーズ・ユートピア〟の意味を。
最初は、ただ妖精たちが星となって地に堕ちた光景を指すのだと思っていた。
けど、その星の欠片は有限だ。
手に取るたびに数は減り、やがて奪い合いへと変わる。
城の前で〝解放の欠片〟を持つプレイヤーが群がられていたのも当然だ。
そして城の内側では、より希少な〝願いの欠片〟を巡って、争いはさらに深くなる。
気づけば俺たちは少しずつ、確実に〝堕ちて〟いく。ここは楽園なんかじゃない。
堕ちた妖精達の理想郷。
ここは、俺たち自身が堕ちていく場所なんだ。
「ちょっとお!アタシの方がHP低かったでしょお⁉なんで回復使うのよ!」
甲高い声が、張り詰めていた空気を乱暴に裂いた。
今は四階を抜けた直後。
HPは削られ、魔力も底が見え始めて。
回復手段である欠片も、底をつき始めていた。
階を上がる度にモンスターが強くなっていくのも、俺たちの消耗に拍車を掛けていた。
「な…っ!お前、さっき欠片でランクアップしただろ!別にいいだろが!」
「昨日ヤりたくないのにしてあげたでしょうが⁉何よその言い分!」
「はぁ…⁉お前みたいなブスとヤっても何も楽しくねえわ!」
「はああああ⁉なによそれえ⁉」
「ちょ、二人とも落ち着いて…!」
watawataさんが慌てて割って入るが、火に油を注ぐだけだった。
俺と彼方は、少し離れた位置でその様子を眺めていた。
最悪だ。
どちらからともなく、同時にため息が漏れる。
「ハァ…付き合いきれないな」
「…同感」
まさかあの二人がリアルで会っていたとは驚きだったが、今目の前にいるのは唯の不毛な男女だ。
同情の余地なんてない。
俺は一度、大きく息を吸った。
そしてパン、と手を叩いて声を張る。
「色々あるかもしれねえけど、ここクリアしないと意味ないだろ。次行くぞ、次!」
さっきまでの喧騒が嘘みたいに止んだ。
「「……」」
二人は何も言わず、気まずそうに黙り込む。
そんな横で、彼方がほんの少しだけ笑った気がした。
***
5階へと足を踏み入れた、その瞬間だった。
「…は?」
思わず、声が漏れる。
目の前にいたそれは、これまでのモンスターとは明らかに格が違った。
とにかく巨大。
人の何倍もある体躯。
全身は鈍く光る装甲に覆われていて、まるで生き物というより鎧そのものが動いているみたいだった。
《グルル…》
低く唸る声は低く、口から白い息を発している。
肩からは異様に発達した腕が何本も生え、先端には刃のような爪。
その一つ一つが鋭く銀に光り、振るわれるだけで致命傷になるのがわかる。
胸の中央には、青白く光る核のようなもの。
まるでそこだけが不気味に脈打っている。
そしてその巨体が、ゆっくりとこちらを見下ろした。
「…こんなの、アリかよ」
誰かが呟く。
威圧だけで、足がすくむ。
「い、いきますよ!」
watawataさんが無理やり声を張り、魔法陣を展開する。
「アタシも行くわよ!アクアティックトルネード───」
「フレイム・ブラスト!」
lovely♡catさんが続き、goat.bさんも前に出る。
詠唱、発動。水色の光が弾ける、炎の柱が立ち上る───だが。
「…え?」
直撃したはずの魔法は、装甲の表面で弾かれた。
傷一つついていない。
「は?ちょ、なんで…!」
次の瞬間。
巨大な腕が振り下ろされた。
「きゃっ…」
lovely♡catさんの身体が、軽々と吹き飛んだ。
グシャ、と地面に叩きつけられる音。ピーという音と共に《lovely♡catさんが意識不明となりました》と通知が飛ぶ。
「おい…!」
それにgoat.bさんが叫ぶが、モンスターはその隙を逃さなかった。
もう一撃。
鈍い衝撃音とともに、goat.bも崩れ落ちる。
《goat.bさんが意識不明となりました》
「…っ」
早すぎる。
強いとか、そういうレベルじゃない。
勝てない。
本能がそう告げていた。
「みんな、下がれ!」
彼方の声。
だが、敵は止まらなかった。
次の標的は─── watawataさんだった。
怯えたように立ち尽くすその前に、影が落ちる。
───間に合え!
考えるより先に、身体が動いていた。
「…っ!」
モンスターと小さい人影の間に割り込む。
振り下ろされる一撃を、正面から受ける。
衝撃で全身が震えた。
「…ゔ…っ」
HPが一気に削られ、視界が揺れる。
それでも、踏みとどまる。
その一瞬で十分だった。
「…そこだ」
低い声。
彼方が、すでに懐に潜り込んでいた。
次の瞬間、鋭い一閃が走る。
彼方の手にあったのは、小振りの斧。
───パリィンッ!
一直線に胸の核を穿ったその瞬間、鏡が砕けたような音がした。
青白い光が弾け、巨体が大きく揺れる。
そして崩れ落ちた。
ズン、と重い音とともに怪物は床に沈む。静寂と、荒い呼吸だけが空間に響いた。
「…は…は…」
俺は思わずその場にへたり込む。
あまりの迫力に腰が抜けた。
その時、視界の端で淡く光るものが見えた。
床に転がる、紅く光る小さな欠片。
〝願いの欠片〟だ。
彼方がそれを拾い上げる。
だが彼方はそれを気に留める様子なく、俺の方に近寄ってきた。
「未那都、大丈夫か」
「…なんとか…」
息を整えながら答える。
まだ全身が震えていた。
それでもアイツを倒した。
そしてwatawataさんも守れた。
俺はそれだけで十分だった。
「何やってんすかぁ…!俺なんか庇って…!」
watawataさんは泣きそうな声でこちらに走り寄ってきた。
仮想現実なのに本気で心配そうな様子に、思わず笑みが溢れる。
「いや、watawataさんいっつも仲介役やってくれてたしさ。
こんなところでやられてほしくないと思ったら…身体が勝手に」
「もお…!無理しないでください!」
自分も結構大変なのに、俺を心配するwatawataさんに心が温かくなる。
そんな様子の俺に、彼方は黙って〝回復の欠片〟を使った。
淡い光が弾けて、身体の奥にじんわりと熱が広がる。
重かった四肢がすっと軽くなった。
「彼方も、ありがと」
「無理すんなって…本当に」
そう、彼方が苦々しげに言った時。
ギィ、と奥の扉が開いた。
「っ⁉」
「は…⁉またモンスターっすか⁉」
そして───暗がりの奥から現れたそれを見た瞬間。
俺はまた言葉を失った。
「…嘘だろ」
三つの頭を持つ、巨大な犬だった。
ケルベロス。
それぞれが違う方向を睨みつけ、鋭い牙を剥き出しにしている。
灰色の硬質な皮膚の隙間から、赤い筋のようなものが脈打っていた。
《ウウウ…》
喉の奥から漏れる唸り声が、床を震わせる。
「またこのレベルですか…⁉」
watawataさんの声が震える。
さっきの戦闘でみんなもう限界に近い。
それでも、考える暇もなく三つの首が一斉に動いた。
───速い!
「っ、散れ!」
彼方の声と同時に、左右に飛ぶ。
だが一瞬、遅れた。
「───あ」
牙が、振り抜かれる。グシャ、と鈍い音。
watawataさんの身体が、弾き飛ばされた。
「…っ、watawataさん!」
地面に叩きつけられ、そのまま動かない。
HPゲージが、一気にゼロまで落ちる。
《watawataさんが意識不明の状態になりました》
「くそ…!」
俺は歯を食いしばる。
残ったのは、俺と彼方だけ。
さっきより状況は最悪だ。
三つの視線が、こちらに集中する。
逃げ場はない。
「未那都」
彼方が短く呼ぶ。
その声だけで理解する。
(アレを、やるしかない)
俺は彼方を見て頷く。
同時に踏み込む。
一つの首がこちらを狙ってくる。
それをギリギリで躱し、懐に潜る。
だが、残り二つが横から迫る。
「っ…!」
捌ききれない。その瞬間。
───パァン!
乾いた銃声がした。
それと同時に、闇を纏った弾丸が一つの頭部を貫く。
「行って、未那都!」
彼方の声。
その一瞬の隙。
俺は剣を構える。
風が集まる。
光を帯びた刃が、唸りを上げた。
「行くぞ!」
「ああ!」
彼方の銃口が、真っ直ぐに中央の核を捉える。
闇が収束する。
俺の刃に、風と光が渦巻く。
二つの力がぶつかり合い、混じっていく。
───《アビス・テンペスト》!
銃弾が放たれた瞬間。
闇の弾丸が核を穿つ。
その軌道をなぞるように、風の刃が一気に収束する。
闇で拘束し、風で断ち切る。
そして、交錯する瞬間───三つの首が二つに引き裂かれた。
一瞬の静寂───巨体が大きく揺れ、崩れる。
重い音を立てて、ケルベロスは地に沈んだ。
俺たちの荒い呼吸だけが、城の部屋に残っていた。
「…は…」
膝に手をつき、なんとか立っている。
視界の端で、光が瞬いた。
床に落ちた、小さな欠片。
二つ目の〝願いの欠片〟だ。
───今度こそ、本当に手に入れた!
「やったね、未那都…!」
「ああ!えっと、次は最上階に行くんだよな…?」
そう思って、ふと振り返る。
そこには倒れているwatawataさんの姿があった。
俺は黙って、彼を背負い階段を上がり始める。
「ちょっと、彼はもう…」
彼方が声をかけてくる。
「いいんだって。
watawataさん、最後は俺を庇ってくれただろ。
だからせめて…上まで一緒に行きたい」
「…そうだね」
彼方はそれだけ言って、もう止めなかった。
***
最上階へと続く階段を上りきった先は、静かだった。
広い城の、ロビーのような場所。
ただ広い空間の中央にぽつんと、青銅の棺が置かれているだけ。
鈍く光るその表面は、まるで触れてはいけないもののような重たい気配を纏っていた。
「…ここか」
思わず声を潜める。
その時だった。
パンパカパーン、という場違いな音が、空間に響き渡る。
《おめでとうございます。ここではゲットした〝願いの欠片〟を使用できます。
願いメニューはこちらです》
淡々としたガイド音声。
目の前に、光のウィンドウが展開される。
《以下のメニューから、一つだけ選択してください》
目の前に展開されたウィンドウに、項目がずらりと並ぶ。
《願いメニュー》
・棺を開け、女王の加護を受ける
(※フィールドクリアに関わる可能性があります)
・レベルを三十上昇させる
・現在装備している武器を五段階強化する
・任意のスキルをSランクまで引き上げる
・HPおよび魔力の最大値を二倍にする
・希少アイテムをランダム三つ獲得する
・〝意識不明者〟を一人蘇生する
スクロールしてもまだ続いている。
どれも強い選択肢だ。
普通なら迷う。
どれも、この先の攻略を圧倒的に有利にするものばかりだったから。
それでも俺の指は、迷わず一つの項目に触れていた。
「……」
そしてwatawataさんの身体は、光に包まれ───
「…あれ…?」
ゆっくりと、瞼が開いた。
焦点の合わない目が、こちらを捉える。
「ええ…⁉俺負けたんで設定チェックしてたんですけど…え、なんで…?」
よく状況を理解していない彼に、俺は説明する。
「俺たちがあのモンスター倒して、最上階まで来たんです。で…今俺が〝願いの欠片〟で、watawataさん復活させました」
微笑みながら俺が状況を説明すると、watawataさんの顔がぱっと明るくなった。
「ありがとうございます…!
俺もラスボス倒して〝願いの欠片〟見つけられるよう、頑張りますから!」
「はは、その勢いなら大丈夫そうですね」
俺はwatawataさんの言葉に肩の力が抜けた。
女王さまは助けられなかったけど、不思議と後悔はなかった。
そして、静まり返った空間の中。
青銅の棺の前で、彼方が立ち止まる。
その手には、淡く光るもう一つの〝願いの欠片〟。
「…未那都」
静かに、名前を呼ばれる。
振り返ると、彼方はそれをこちらに差し出していた。
「これ、使っていいよ」
「…え?」
「俺の〝願いの欠片〟。棺を開けるのに使って。そうしないと順位、上に行けないだろ」
当たり前みたいな顔で言う。
まるで最初から決めてたみたいに。
迷いも、躊躇もない声だった。
「…」
少しだけ、その紅い光を見つめる。
手を一瞬伸ばしかけて、止まる。
───まただ。
何か引っかかる。
ずっと、ずっと前から。
「…いらない。…そういうとこだよ」
俺は、喉から声を絞り出した。
小さく、首を振る。
言葉が勝手に零れた。
「俺、お前のそういうところ嫌い」
俺は彼方をまっすぐ見て言った。
彼方は表情を変えなかった。
俺たちは図らずも見つめ合う。
「…そういうところって?」
問い返されて、俺は少し視線が揺れる。
それでも、また目を合わせて言った。
「手に入れたものをさ、なんでもないみたいにあっさり俺に譲ろうとするところ。
前から…本当に嫌だった。
俺が欲しくてたまらないものなのに。
お前は簡単に手に入れて、なんでもないみたいに俺に差し出すよな。
…本当に、それが、嫌だった」
静寂が落ちる。
重く、息苦しい沈黙。
その中で、彼方は小さく息を吐いた。
「…うん。知ってる」
彼方の口元が僅かに緩む。
それはどこか、諦めたみたいな一言だった。
「え…」
思わず声が漏れる。
彼方はほんの一瞬だけこちらを見て、すぐに逸らした。
言葉が出ないまま時間だけが過ぎる。
それでも次の瞬間、彼方は何事もなかったみたいに視線をwatawataに向けて言った。
「じゃあ、俺が使うけど。いい?」
「…はい!助けてもらってここまで来れたんで、あとは一人でなんとかします!」
力強く頷くその声が、やけに遠く感じた。
「…そっか」
彼方は短くそう言って、棺へと向き直る。
俺は何だかその光景に、息が詰まりそうだった。
願いの欠片が輝く。
光が集まり、彼方の指が空中をタップした。
刹那。
ギィィ、と重苦しい音を立てて棺が開く。
俺は彼方の横へと並び、中を覗いた、その瞬間。
「───ッ」
息が止まりそうになった。
そこにいたのは、美しいドレスを着て花に囲まれた───骸骨だった。
ブロンドの髪は色褪せ、その頭部には輝く王冠が載せられている。
ただの骨となって朽ち果てた骸が女王だと示すのは、その装飾品と棺だけだった。
「………」
俺たちは、言葉もなくその光景を見つめていた。だが次の瞬間。
突然〝あの時〟がフラッシュバックした。
彼方と二人、湿った地下へ降りていく階段。
饐えた匂い。
叫ぶ声。
あの時の激情が押し寄せて───
「……ッ、彼方!」
俺は思わず声を上げ、彼方の腕を掴もうとした。
そんな時。
頭上からピーッと電子音が聞こえた。
《MINATO.S KANATA.S 二名が第一フィールドをクリアしました》
そして、突然視界は暗転した。
***
ある日、女王が死んだ。
それは来るべくして来る〝終わり〟だった。
死の前に、それでも自分の死を周囲に知られたくなかった女王は、魔法使いにだけ自分の死期を伝えた。
彼女と仲の良かった魔法使いも嘆き悲しんだ。
女王には、死を前にして思い残すことがあった。
妖精たちのことだ。
彼女が亡くなった事を知ったら、小さい彼らは嘆き悲しみ、楽園は崩壊する。
それを恐れた女王は魔法使いに頼んだ。
私が死んだら、自分を棺に閉じ込めて。
その死を誰にも悟られぬよう、闇の魔法で封じられたことにしてほしい、と。
「貴方には憎まれ役を頼んでしまうけど、ごめんなさい。後はよろしくね」
そう、女王は微笑んだ。
魔法使いは、その願いを聞き入れた。
そして妖精も、誰も、真実を解き明かすことのないように。
妖精を星に、女王を棺に。
こうして理想郷は、造られたのだった。
5日目にログインした瞬間。
lovely♡catさんの甲高い声が耳に刺さった。
「え…見つけたら考える、じゃダメなんですかね?」
「わたぼー、それじゃ見つけた時に揉めんじゃん⁉」
控えめに差し込んだwatawataさんの言葉は、軽く弾かれる。
今でも揉めてるだろ、とは思ったが口には出さないでおいた。
「やっぱりレディーファーストがいいと思うんだよねー。ね、ゴーちん♡」
「…ああ」
goat.bさんは、やけに従順に答えた。
「いつもあたしが先陣切って戦ってるし貢献度も高いしね!次ゴーちんで、三番目がカナちんかなぁ?こんな感じが順当だと、アタシは思うわけぇ!」
「いや」
喚くような声に被せるように、彼方の凛とした声が響く。
「そもそも俺と未那都が見つけた欠片にあんたらが乗ってきたんだから、先に俺たちがもらうのが筋だろ?」
「んなっ!」
「それが嫌なら───ここでやるか?」
一瞬、空気が張り詰める。
「城から放り出してもいい」
「~~〜っ、わかったわかった!まあそもそも、見つかるかも、最上階行けるかもわかんないしねっ」
沈黙が落ちる。
俺は、小さく溜息を吐いた。
城の中は、ほとんどが戦闘だ。
階を上がるごとに敵は強くなって、回復の欠片も少なくなっていって、みんな消耗していく。
そのせいか進めば進むほど、ギルドの空気は悪くなっていった。
彼方とlovely♡catさん、goat.bさんがぶつかり合って、その間に俺とwatawataさんが入ってなんとか場を繋ぐ。
ずっと、そんな繰り返しだった。
───この時、ようやく理解した気がした。
この第一フィールド、〝フォールン・フェアリーズ・ユートピア〟の意味を。
最初は、ただ妖精たちが星となって地に堕ちた光景を指すのだと思っていた。
けど、その星の欠片は有限だ。
手に取るたびに数は減り、やがて奪い合いへと変わる。
城の前で〝解放の欠片〟を持つプレイヤーが群がられていたのも当然だ。
そして城の内側では、より希少な〝願いの欠片〟を巡って、争いはさらに深くなる。
気づけば俺たちは少しずつ、確実に〝堕ちて〟いく。ここは楽園なんかじゃない。
堕ちた妖精達の理想郷。
ここは、俺たち自身が堕ちていく場所なんだ。
「ちょっとお!アタシの方がHP低かったでしょお⁉なんで回復使うのよ!」
甲高い声が、張り詰めていた空気を乱暴に裂いた。
今は四階を抜けた直後。
HPは削られ、魔力も底が見え始めて。
回復手段である欠片も、底をつき始めていた。
階を上がる度にモンスターが強くなっていくのも、俺たちの消耗に拍車を掛けていた。
「な…っ!お前、さっき欠片でランクアップしただろ!別にいいだろが!」
「昨日ヤりたくないのにしてあげたでしょうが⁉何よその言い分!」
「はぁ…⁉お前みたいなブスとヤっても何も楽しくねえわ!」
「はああああ⁉なによそれえ⁉」
「ちょ、二人とも落ち着いて…!」
watawataさんが慌てて割って入るが、火に油を注ぐだけだった。
俺と彼方は、少し離れた位置でその様子を眺めていた。
最悪だ。
どちらからともなく、同時にため息が漏れる。
「ハァ…付き合いきれないな」
「…同感」
まさかあの二人がリアルで会っていたとは驚きだったが、今目の前にいるのは唯の不毛な男女だ。
同情の余地なんてない。
俺は一度、大きく息を吸った。
そしてパン、と手を叩いて声を張る。
「色々あるかもしれねえけど、ここクリアしないと意味ないだろ。次行くぞ、次!」
さっきまでの喧騒が嘘みたいに止んだ。
「「……」」
二人は何も言わず、気まずそうに黙り込む。
そんな横で、彼方がほんの少しだけ笑った気がした。
***
5階へと足を踏み入れた、その瞬間だった。
「…は?」
思わず、声が漏れる。
目の前にいたそれは、これまでのモンスターとは明らかに格が違った。
とにかく巨大。
人の何倍もある体躯。
全身は鈍く光る装甲に覆われていて、まるで生き物というより鎧そのものが動いているみたいだった。
《グルル…》
低く唸る声は低く、口から白い息を発している。
肩からは異様に発達した腕が何本も生え、先端には刃のような爪。
その一つ一つが鋭く銀に光り、振るわれるだけで致命傷になるのがわかる。
胸の中央には、青白く光る核のようなもの。
まるでそこだけが不気味に脈打っている。
そしてその巨体が、ゆっくりとこちらを見下ろした。
「…こんなの、アリかよ」
誰かが呟く。
威圧だけで、足がすくむ。
「い、いきますよ!」
watawataさんが無理やり声を張り、魔法陣を展開する。
「アタシも行くわよ!アクアティックトルネード───」
「フレイム・ブラスト!」
lovely♡catさんが続き、goat.bさんも前に出る。
詠唱、発動。水色の光が弾ける、炎の柱が立ち上る───だが。
「…え?」
直撃したはずの魔法は、装甲の表面で弾かれた。
傷一つついていない。
「は?ちょ、なんで…!」
次の瞬間。
巨大な腕が振り下ろされた。
「きゃっ…」
lovely♡catさんの身体が、軽々と吹き飛んだ。
グシャ、と地面に叩きつけられる音。ピーという音と共に《lovely♡catさんが意識不明となりました》と通知が飛ぶ。
「おい…!」
それにgoat.bさんが叫ぶが、モンスターはその隙を逃さなかった。
もう一撃。
鈍い衝撃音とともに、goat.bも崩れ落ちる。
《goat.bさんが意識不明となりました》
「…っ」
早すぎる。
強いとか、そういうレベルじゃない。
勝てない。
本能がそう告げていた。
「みんな、下がれ!」
彼方の声。
だが、敵は止まらなかった。
次の標的は─── watawataさんだった。
怯えたように立ち尽くすその前に、影が落ちる。
───間に合え!
考えるより先に、身体が動いていた。
「…っ!」
モンスターと小さい人影の間に割り込む。
振り下ろされる一撃を、正面から受ける。
衝撃で全身が震えた。
「…ゔ…っ」
HPが一気に削られ、視界が揺れる。
それでも、踏みとどまる。
その一瞬で十分だった。
「…そこだ」
低い声。
彼方が、すでに懐に潜り込んでいた。
次の瞬間、鋭い一閃が走る。
彼方の手にあったのは、小振りの斧。
───パリィンッ!
一直線に胸の核を穿ったその瞬間、鏡が砕けたような音がした。
青白い光が弾け、巨体が大きく揺れる。
そして崩れ落ちた。
ズン、と重い音とともに怪物は床に沈む。静寂と、荒い呼吸だけが空間に響いた。
「…は…は…」
俺は思わずその場にへたり込む。
あまりの迫力に腰が抜けた。
その時、視界の端で淡く光るものが見えた。
床に転がる、紅く光る小さな欠片。
〝願いの欠片〟だ。
彼方がそれを拾い上げる。
だが彼方はそれを気に留める様子なく、俺の方に近寄ってきた。
「未那都、大丈夫か」
「…なんとか…」
息を整えながら答える。
まだ全身が震えていた。
それでもアイツを倒した。
そしてwatawataさんも守れた。
俺はそれだけで十分だった。
「何やってんすかぁ…!俺なんか庇って…!」
watawataさんは泣きそうな声でこちらに走り寄ってきた。
仮想現実なのに本気で心配そうな様子に、思わず笑みが溢れる。
「いや、watawataさんいっつも仲介役やってくれてたしさ。
こんなところでやられてほしくないと思ったら…身体が勝手に」
「もお…!無理しないでください!」
自分も結構大変なのに、俺を心配するwatawataさんに心が温かくなる。
そんな様子の俺に、彼方は黙って〝回復の欠片〟を使った。
淡い光が弾けて、身体の奥にじんわりと熱が広がる。
重かった四肢がすっと軽くなった。
「彼方も、ありがと」
「無理すんなって…本当に」
そう、彼方が苦々しげに言った時。
ギィ、と奥の扉が開いた。
「っ⁉」
「は…⁉またモンスターっすか⁉」
そして───暗がりの奥から現れたそれを見た瞬間。
俺はまた言葉を失った。
「…嘘だろ」
三つの頭を持つ、巨大な犬だった。
ケルベロス。
それぞれが違う方向を睨みつけ、鋭い牙を剥き出しにしている。
灰色の硬質な皮膚の隙間から、赤い筋のようなものが脈打っていた。
《ウウウ…》
喉の奥から漏れる唸り声が、床を震わせる。
「またこのレベルですか…⁉」
watawataさんの声が震える。
さっきの戦闘でみんなもう限界に近い。
それでも、考える暇もなく三つの首が一斉に動いた。
───速い!
「っ、散れ!」
彼方の声と同時に、左右に飛ぶ。
だが一瞬、遅れた。
「───あ」
牙が、振り抜かれる。グシャ、と鈍い音。
watawataさんの身体が、弾き飛ばされた。
「…っ、watawataさん!」
地面に叩きつけられ、そのまま動かない。
HPゲージが、一気にゼロまで落ちる。
《watawataさんが意識不明の状態になりました》
「くそ…!」
俺は歯を食いしばる。
残ったのは、俺と彼方だけ。
さっきより状況は最悪だ。
三つの視線が、こちらに集中する。
逃げ場はない。
「未那都」
彼方が短く呼ぶ。
その声だけで理解する。
(アレを、やるしかない)
俺は彼方を見て頷く。
同時に踏み込む。
一つの首がこちらを狙ってくる。
それをギリギリで躱し、懐に潜る。
だが、残り二つが横から迫る。
「っ…!」
捌ききれない。その瞬間。
───パァン!
乾いた銃声がした。
それと同時に、闇を纏った弾丸が一つの頭部を貫く。
「行って、未那都!」
彼方の声。
その一瞬の隙。
俺は剣を構える。
風が集まる。
光を帯びた刃が、唸りを上げた。
「行くぞ!」
「ああ!」
彼方の銃口が、真っ直ぐに中央の核を捉える。
闇が収束する。
俺の刃に、風と光が渦巻く。
二つの力がぶつかり合い、混じっていく。
───《アビス・テンペスト》!
銃弾が放たれた瞬間。
闇の弾丸が核を穿つ。
その軌道をなぞるように、風の刃が一気に収束する。
闇で拘束し、風で断ち切る。
そして、交錯する瞬間───三つの首が二つに引き裂かれた。
一瞬の静寂───巨体が大きく揺れ、崩れる。
重い音を立てて、ケルベロスは地に沈んだ。
俺たちの荒い呼吸だけが、城の部屋に残っていた。
「…は…」
膝に手をつき、なんとか立っている。
視界の端で、光が瞬いた。
床に落ちた、小さな欠片。
二つ目の〝願いの欠片〟だ。
───今度こそ、本当に手に入れた!
「やったね、未那都…!」
「ああ!えっと、次は最上階に行くんだよな…?」
そう思って、ふと振り返る。
そこには倒れているwatawataさんの姿があった。
俺は黙って、彼を背負い階段を上がり始める。
「ちょっと、彼はもう…」
彼方が声をかけてくる。
「いいんだって。
watawataさん、最後は俺を庇ってくれただろ。
だからせめて…上まで一緒に行きたい」
「…そうだね」
彼方はそれだけ言って、もう止めなかった。
***
最上階へと続く階段を上りきった先は、静かだった。
広い城の、ロビーのような場所。
ただ広い空間の中央にぽつんと、青銅の棺が置かれているだけ。
鈍く光るその表面は、まるで触れてはいけないもののような重たい気配を纏っていた。
「…ここか」
思わず声を潜める。
その時だった。
パンパカパーン、という場違いな音が、空間に響き渡る。
《おめでとうございます。ここではゲットした〝願いの欠片〟を使用できます。
願いメニューはこちらです》
淡々としたガイド音声。
目の前に、光のウィンドウが展開される。
《以下のメニューから、一つだけ選択してください》
目の前に展開されたウィンドウに、項目がずらりと並ぶ。
《願いメニュー》
・棺を開け、女王の加護を受ける
(※フィールドクリアに関わる可能性があります)
・レベルを三十上昇させる
・現在装備している武器を五段階強化する
・任意のスキルをSランクまで引き上げる
・HPおよび魔力の最大値を二倍にする
・希少アイテムをランダム三つ獲得する
・〝意識不明者〟を一人蘇生する
スクロールしてもまだ続いている。
どれも強い選択肢だ。
普通なら迷う。
どれも、この先の攻略を圧倒的に有利にするものばかりだったから。
それでも俺の指は、迷わず一つの項目に触れていた。
「……」
そしてwatawataさんの身体は、光に包まれ───
「…あれ…?」
ゆっくりと、瞼が開いた。
焦点の合わない目が、こちらを捉える。
「ええ…⁉俺負けたんで設定チェックしてたんですけど…え、なんで…?」
よく状況を理解していない彼に、俺は説明する。
「俺たちがあのモンスター倒して、最上階まで来たんです。で…今俺が〝願いの欠片〟で、watawataさん復活させました」
微笑みながら俺が状況を説明すると、watawataさんの顔がぱっと明るくなった。
「ありがとうございます…!
俺もラスボス倒して〝願いの欠片〟見つけられるよう、頑張りますから!」
「はは、その勢いなら大丈夫そうですね」
俺はwatawataさんの言葉に肩の力が抜けた。
女王さまは助けられなかったけど、不思議と後悔はなかった。
そして、静まり返った空間の中。
青銅の棺の前で、彼方が立ち止まる。
その手には、淡く光るもう一つの〝願いの欠片〟。
「…未那都」
静かに、名前を呼ばれる。
振り返ると、彼方はそれをこちらに差し出していた。
「これ、使っていいよ」
「…え?」
「俺の〝願いの欠片〟。棺を開けるのに使って。そうしないと順位、上に行けないだろ」
当たり前みたいな顔で言う。
まるで最初から決めてたみたいに。
迷いも、躊躇もない声だった。
「…」
少しだけ、その紅い光を見つめる。
手を一瞬伸ばしかけて、止まる。
───まただ。
何か引っかかる。
ずっと、ずっと前から。
「…いらない。…そういうとこだよ」
俺は、喉から声を絞り出した。
小さく、首を振る。
言葉が勝手に零れた。
「俺、お前のそういうところ嫌い」
俺は彼方をまっすぐ見て言った。
彼方は表情を変えなかった。
俺たちは図らずも見つめ合う。
「…そういうところって?」
問い返されて、俺は少し視線が揺れる。
それでも、また目を合わせて言った。
「手に入れたものをさ、なんでもないみたいにあっさり俺に譲ろうとするところ。
前から…本当に嫌だった。
俺が欲しくてたまらないものなのに。
お前は簡単に手に入れて、なんでもないみたいに俺に差し出すよな。
…本当に、それが、嫌だった」
静寂が落ちる。
重く、息苦しい沈黙。
その中で、彼方は小さく息を吐いた。
「…うん。知ってる」
彼方の口元が僅かに緩む。
それはどこか、諦めたみたいな一言だった。
「え…」
思わず声が漏れる。
彼方はほんの一瞬だけこちらを見て、すぐに逸らした。
言葉が出ないまま時間だけが過ぎる。
それでも次の瞬間、彼方は何事もなかったみたいに視線をwatawataに向けて言った。
「じゃあ、俺が使うけど。いい?」
「…はい!助けてもらってここまで来れたんで、あとは一人でなんとかします!」
力強く頷くその声が、やけに遠く感じた。
「…そっか」
彼方は短くそう言って、棺へと向き直る。
俺は何だかその光景に、息が詰まりそうだった。
願いの欠片が輝く。
光が集まり、彼方の指が空中をタップした。
刹那。
ギィィ、と重苦しい音を立てて棺が開く。
俺は彼方の横へと並び、中を覗いた、その瞬間。
「───ッ」
息が止まりそうになった。
そこにいたのは、美しいドレスを着て花に囲まれた───骸骨だった。
ブロンドの髪は色褪せ、その頭部には輝く王冠が載せられている。
ただの骨となって朽ち果てた骸が女王だと示すのは、その装飾品と棺だけだった。
「………」
俺たちは、言葉もなくその光景を見つめていた。だが次の瞬間。
突然〝あの時〟がフラッシュバックした。
彼方と二人、湿った地下へ降りていく階段。
饐えた匂い。
叫ぶ声。
あの時の激情が押し寄せて───
「……ッ、彼方!」
俺は思わず声を上げ、彼方の腕を掴もうとした。
そんな時。
頭上からピーッと電子音が聞こえた。
《MINATO.S KANATA.S 二名が第一フィールドをクリアしました》
そして、突然視界は暗転した。
***
ある日、女王が死んだ。
それは来るべくして来る〝終わり〟だった。
死の前に、それでも自分の死を周囲に知られたくなかった女王は、魔法使いにだけ自分の死期を伝えた。
彼女と仲の良かった魔法使いも嘆き悲しんだ。
女王には、死を前にして思い残すことがあった。
妖精たちのことだ。
彼女が亡くなった事を知ったら、小さい彼らは嘆き悲しみ、楽園は崩壊する。
それを恐れた女王は魔法使いに頼んだ。
私が死んだら、自分を棺に閉じ込めて。
その死を誰にも悟られぬよう、闇の魔法で封じられたことにしてほしい、と。
「貴方には憎まれ役を頼んでしまうけど、ごめんなさい。後はよろしくね」
そう、女王は微笑んだ。
魔法使いは、その願いを聞き入れた。
そして妖精も、誰も、真実を解き明かすことのないように。
妖精を星に、女王を棺に。
こうして理想郷は、造られたのだった。
