サマー・エンド・プロトコル ― 幼馴染との最後の夏、僕らは秘密を共有した

待ちに待った夏休み初日。
俺たちは早々にそれぞれの家へ戻り、届いていた荷物を広げていた。
待ちに待ったVR機器。

今日は〝サマー・エンド・プロトコル〟のチュートリアルの日だ。

「まずは……電源入れて、ゴーグル装着……っと」
『コントローラー、先に接続しといた方がいいよ』
「わかってるって」

イヤホン越しに世話を焼く声が返ってくる。
俺は彼方と通話を繋ぎながら準備を進めていた。
二人用チュートリアルだから、上手くすれば途中からゲームの方で話せるはず。
ゴーグル、左右のグローブとコントローラー、接続用のケーブル。
あと足首にも取り付ける器具があった。
それでも思っていたより構造はシンプルで、説明書通りに進めれば迷うことはない。
ゴーグルを装着すると『接続完了』の表示が出ていた。

「入るぞ」
『ああ』

目の前の《LOGIN》の表示を見つめた。
いよいよか、とワクワクしながらコントローラーのボタンを押す。
すると────

「わ、っ」

ピッ、という軽い電子音と同時に、視界いっぱいに光が弾けた。
視界が一瞬、真っ白に塗り潰される。
遅れて、ブルルッと機器を取り付けた場所に振動が走る。
重力がふっと抜けるような違和感。
視界が開けると共に足元の感覚が曖昧になる。

「……うわ」

思わず立ち上がる。呟いた声が、少し遅れて自分の耳に返ってきた。
そして────床も、壁も、天井も。
そこには無く、限りなく青い空が広がる空間に俺は〝浮かんで〟いた。
まるで空中浮遊しているかのような感覚に、不安と興奮が入り混じる。

「すげ……」

思わず自分の手を見下ろす。
そこにあるはずの現実の手と、少しだけ滑らかで透明な光を帯びた3Dモデルの手が、重なって見えた。

『「どう?入れた?」』

彼方の声が、今度は耳元ではなく空間の中から響いた。
振り向くと、そこに〝彼方〟が立っていた。
俺と同じく学校帰りのままログインしたのか、白シャツの制服姿もそのままだ。
その姿は俺の手と同じ質感の3Dモデルで再現されていたが、現実にそこにいるみたいだった。

声が二重に聞こえるので、通話の方を俺は切る。

「……マジでいるじゃん」
「そりゃいるだろ」

少しだけ笑う声。話す姿まで現実とほとんど変わらない。
本当にリアルだ。
その時、視界の端に半透明のウィンドウが滑り込んできた。

《WELCOME TO SUMMER END PROTOCOL》
《チュートリアルを開始します》

機械音声でも、人間でもない中性的な声が響く。

「来たな」
「やっとって感じだな」

《まずは基本操作の確認を行います》
《右手を前に出し、トリガーを引いてください》

言われるままにコントローラーを取って手を動かす。
引く。
カチッ。
空間が歪むように揺れて、そこに一本の剣が出現した。

「……え?」

思わず息を飲む。
手に重みがある。
現実ほどじゃないけど、確かに持っている感覚がある。

「うわ、俺銃出た」
「は?」

振り向くと、彼方の手には黒い銃が握られていた。

「武器ランダムか、これ」

彼方は銃を眺めながら言った。

《武装は個人適性に応じて初期付与されています》
《以降、任意で切り替え・収納が可能です》

「適性ってなんだよ……」

よく分からない、と思いながら俺は呟く。

《武器の収納を行います》
《手元の武器を〝離す〟イメージをしてください》

半信半疑で力を抜く。すると剣は粒子になって霧散した。

「……消えた」

《次に、ステータスの確認を行います》

視界の左下に、小さなアイコンが点灯する。

《Aボタンで表示されます》

「Aボタン……?あ、左のコレか」

左手でカチ、とボタンを押した瞬間。
ウィンドウが開いた。

NAME:MINATO
CLASS:???
HP:100
STAMINA:100
SKILL:LOCKED

「うわ……ゲームだな、完全に」
「こっちも出た」

彼方が自分のステータスを確認しながら呟く。
その時、床が低く振動した。

「……?」

《最終チュートリアルに移行します》

その声と同時に、空が音もなく崩れ落ちた。
光が弾ける。
視界が開ける。
そこに広がっていたのは、岩石に覆われた荒れた大地と、焼けるように紅い空。
遠くで何かが爆発する音がした。
風が吹き、砂が舞う。
さっきまでの空間は跡形もなく消えていた。

「……わっ」
「おい、これ」

彼方の声が、少しだけ緊張を帯びる。

《ここは第零フィールド:スカーレット・グラウンド》
《実戦形式で操作を習得してください》

遠くに影が動く。何かが、こちらを見ている。

《戦闘を開始します》

荒れた大地の向こうで、影がゆっくりと形を持つ。
大きな、犬に近い。
けど、どこか歪んでいる。
ゆらゆら揺れながら近付いてくる黒色の犬。
目だけが赤く光る姿は、動きもどこか不自然だった。

「……なんだ、あれ」
「敵、だろうな」

彼方の声が、少しだけ低くなる。

《ターゲットを確認》
《チュートリアル:戦闘》
《対象を排除してください》

「排除って……」

影がこちらに気づく。ゆらり、と揺れて────

「っ、速────!」

次の瞬間、距離を詰めてきた。
反射的に一歩引く。
足はちゃんと動く。
でも、慣れない感覚に動作はワンテンポ遅れる。

「来るぞ!」

彼方の声と同時に、銃声が弾けた。
乾いた音。
光の軌跡が一直線に伸びて、敵の前足を掠める。
だが────

「効いてない……?」
「浅い。弱点あるタイプだな」

もう一体、影が地面から湧く。

「は?」

《複数敵を確認》
《状況判断能力を評価します》

「評価とか今いらねえだろ!」

気づけば、最初の一体が目の前まで迫っていた。
腕が振り上げられる。

「っ」

とっさに、右手を振る。
何もないはずの手の中に、意識を集中させる。
────出ろ!そう思った瞬間。
粒子が集まり、剣が形を成す。

「……っ!」

そのまま振り抜いた。
鈍い手応え。
剣が、敵の体を斜めに裂く。
だが、浅い。

「まだ……!」

敵が怯む。
けど、倒れない。
腕をもう一度振り下ろす。
それでも敵はまだ立ち上がった。

「くそ、しぶといな…っ」

さっき、彼方が言っていた弱点。
探るように視線を走らせると、首元にわずかに光っている部分があった。

「そこか…!」

踏み込む。
今度は、自分の身体の遅れも気にせず勢いで押し切った。

「っ、らぁ!」

剣を思い切り振り下ろす。
鈍い手応え。
今度は、確かに刺さった。
一瞬の静止。
次の瞬間────敵が、内側から崩れるように砕けた。
粒子になって散る。

「……は……」

息が漏れる。────倒した!

《対象撃破を確認》
《戦闘行動を記録しました》

その声に、遅れて現実感が戻ってくる。

「やるじゃん」

横から彼方の声がした。
見ると、彼の足元にも同じように砕けた粒子が散っている。

「そっちも?」
「まあな。思ったより簡単だったな」
「……いや、普通に怖かったんだけど」

正直な感想だった。
現実じゃないはずなのに、敵の攻撃は当たれば痛そうで、近づかれると反射で逃げてしまう。

「それがVRだろ」

彼方が軽く言う。
その時、地面が再び低く唸った。

「……まだ来るのか?」

《チュートリアル完了条件を更新》
《残り対象数:3》

「は?」
「……おいおい」

彼方の声が、少しだけ笑う。

「まあ、時間制限なくやれるのは今日だけだし」

地面が、ゆっくりと盛り上がる。
影が次々と生まれる。
さっきよりも数が多い。

「……マジかよ」

剣を握り直す。
さっきより自然に構えられた。

《プレイヤーの適応速度を測定しています》
《戦闘を継続してください》

風が吹く。
砂が舞う。
彼方が、銃を構える。

「行くぞ」
「ああ」

さっきより、自然と身体が動く。
砂煙の向こうから現れた残りの犬影も、さっきと同じように歪な形をしていた。────けれども。

「さっきより、見えるな」

動きが、間合いが。
どこを狙えばいいか。

「慣れてきたな」
「そっちもだろ」

軽く言い返す余裕がある。
さっきまでの、怖いだけの感覚はもうなかった。
敵が踏み込んでくる。
今度は逃げない。
横に一歩ずれて、振り下ろされる腕をかわす。
そのまま、体勢の崩れた首元へ。

「────っ」

一閃、光が走った。
敵が音もなく崩れる。

《対象撃破》
《残り対象数:2》

「あと二体」
「右任せていい?」
「いいけど、ちゃんと外すなよ」
「失礼だな」

短いやり取り。
その間にも、次の一体が距離を詰めてくる。
彼方の銃声が響く。
正確に弱点を撃ち抜く音。
一体が弾ける。
残り一体。
ほぼ同時に、互いの視線が向いた。

「これ、競争する?」

一瞬の間。
彼方の方を見ると、悪戯っぽく笑う目と目があった。

「……いいけど」

次の瞬間、二人同時に動いた。
踏み込み、砂を蹴る。
視界の端で、銃口が向けられるのが見えた。
俺はそれよりわずかに早く、間合いに入る。

「────っ」

剣を振り抜く。
手応えがあって、敵の身体が砕ける。
途端、光り輝く粒子が舞った。

《対象撃破》
《チュートリアル戦闘を完了しました》

「よし!」
「うわ、負けた」

俺が満足げに言って、彼方が少しだけ笑った、その時。
視界にウィンドウが開く。

《チュートリアル進行状況:COMPLETE》
《基礎操作・戦闘行動の習得を確認》
《本日のチュートリアルは終了可能です》

「終わりか」
「まあ初日だしな」

緊張がゆるく解ける。
剣を消すと、手の中の重みもふっと消えた。
それでも、触れていた感覚はまだ少し残っている。

「……なんか、変な感じだな」
「わかる。でも面白いね」
「ああ」

二人笑い合って短く同意した、その時。
遠くで微かに声がした。

「────ご飯よー」
「……あ」

一瞬、どこから聞こえているのかわからなかった。

「やべ、呼ばれてる」
「もうそんな時間?」
「うん、多分」

視界の端に、ログアウトのアイコンが浮かぶ。

「とりあえず今日はここまでだな」
「わかった。明日からはもう本番だけど、大丈夫?」
「まあなんとかなるだろ。っていうか、今日は二人チュートリアルでやったけど。明日からは別々な」
「え⁉一緒にやろうって言っただろ⁉」

途端に彼方が不満そうに声を上げる。
俺はそれに少したじろいだ。

「ま、まあ…」
「じゃあこの時間でやろ。また」
「あー、それはいいけど」

思わず了承してしまう。
なんだかんだ俺は、彼方に頼まれると弱い。
それに彼方は満足そうに頷いた。

「よし、じゃあ夕方5時から7時で。ちょうど二時間だし、ちょうどいいかもね。夜にも話せるし」

ふと考える。
たしかにゲームした後に夕飯を食べて、夜に次の日の戦略とかも話せる丁度いい時間帯かもしれない。

「まあ、そうだな」
「よし。じゃ、また明日!」
「おー。じゃあな」

ゴーグルを外すと、いつもの自分の部屋だった。
機械の内側にほんのりと熱がこもっている。
ぼんやり見渡すと、現実がやけに平坦に見えた。

「……すげえな、これ」

小さく呟く。
さっきまで、あそこにいたはずなのに。
思わず手を見る。
当然、何も持っていない。
でも確かに、そこに剣があった感触が少しだけ残っていた。

「未那都ー、冷めるよー!」

余韻に浸っていると階段下から母さんの声がした。

「あー、今行く!」

俺は慌ててゴーグルや装備していたVR機器一式を、その場に置いて立ち上がる。
…足が、軽い。
さっきまでの重力の感覚がまだ抜けきっていなかった。
ドアを開けると、階下から母さんが料理を作る音が聞こえて、夕飯のにおいがふわりと漂ってくる。
いつものうちの音に、いつものうちの匂い。

「……」

思わず振り返って、置いたままのVR機器を見る。

「…また明日、だな」

小さく呟いて、部屋を出た。
顔には小さく笑みが浮かぶ。
楽しい夏休みになりそうだ、と思っていた。

────この時までは。