サマー・エンド・プロトコル ― 幼馴染との最後の夏、僕らは秘密を共有した

「久しぶりだよな、来るの」

ぽつりと、俺が言う。

「そうだな」

彼方が小さく頷く。
───土倉の奥。
少し継ぎ目がある壁の前で、俺たちは立っていた。

俺の、最後の願い。
それは『あの地下の部屋に、また二人で行こう』というものだった。

それに彼方が応じて、今に至る。
ひんやりした空気。
外とは違う、ジメジメとした暗い匂い。
あの日と同じ壁。
正直言うと、怖い。
パンドラの箱を開けた先にあるものが。

地下にまた行った後、彼方のお父さんのことを警察に言うのか家族に言うのか、はたまたそれをどう伝えるのか───俺は全く考えがまとまってなかった。

「…本当はさ」

彼方が、壁に手をついたまま言う。
その声は思いの外、穏やかに聞こえた。

「俺も待ってたのかも。未那都が、こう言ってくれるの」
「え?」

思わず顔を上げる。
彼方は壁の方を見たまま、続けた。

「あの時もさ。本当に、あれで良かったのかって…俺もずっと考えてた。だから…」

一瞬、言葉が途切れる。

「まだどうするか、決めきれてないけど。
でも、なんか少しスッキリしてる。
ありがと、未那都」
「……」

彼方はこちらを見て、ぎこちなく微笑む。
そんな姿に、俺は返す言葉が出てこなかった。

「あの時、俺…実は泣けなかったんだよ。
父さんを見つけてから、ずっと」

あの日の光景が脳裏に蘇る。疲れ果てた、憔悴した顔で、俺をここに案内した彼方。
確かにあの時、彼方は悲しむことすら出来なかったのかもしれない。
それにまた胸が痛んだ。

「でも未那都は、あの時泣いてくれただろ?なんか…俺の代わりに、泣いてくれたみたいでさ。
あと、父さんの分も。
それ見て、俺…救われたんだよ」

彼方の声は柔らかく、優しかった。
思わず口を開く。

「…そんなの。俺、何もできてねえよ。本当に…」

そう言うと、彼方はゆっくり首を振った。

「そんなことないよ」

はっきりとした声。
そして、彼方は少しだけ照れたように笑った。

「未那都は、いつも俺を助けてくれてる。
本当、俺にとって未那都は祝福そのものだと思うよ」
「…もういいって。行くぞ」

なんだか照れくさくなって顔を逸らす。
そして誤魔化すみたいに、先を促した。

「…うん」

彼方が頷く。
そのまま手をかけると、ギギ、と鈍い音がして、壁が動いた。
暗い通路がゆっくりと口を開ける。俺たちは一瞬だけ顔を見合わせ、それから何も言わずに中へ足を踏み入れた。

***

地下通路は、相変わらず静まり返っていた。
足音が響いて、懐中電灯のか細い光が狭い通路を這う。
湿った空気が、じわりと肌にまとわりつく。

あの日と同じ。

何も変わっていないはずなのに、どこか違う気がするのは何故だろうか。

「…」

俺たちはただ、前へ進んだ。
やがて、あの檻の部屋へ辿り着く。
彼方が立ち止まる。

そして、懐中電灯の光を部屋の中へと投げ込んだ。

「…え」

その瞬間。思わず、声が漏れた。

───何も、ない。

あの場所にいたはずの彼方のお父さんが、どこにもいない。
床も、壁も、あの日のままなのに。
そこにいたはずのお父さんの姿だけが、きれいに消えていた。

「…なんで」

思わず言う。
彼方も暫く言葉を失っていたが、焦るように部屋の中を懐中電灯で照らした。

それでもどこにも、あの時の死体は無い。痕跡すら、どこにも無かった。

「…おかしいだろ」

かすれた声が出る。
彼方は、少し遅れて口を開いた。

「…わかんない、けど。俺以外の誰かが…ここの存在、知ってたのかも」
「……」
「それで、父さんをどこかに移動した…そう考えるしか、ないけど…」

言いながらも、自分でも納得していないような声音。
そして、彼方は続ける。

「でも…。もう死体もないから、警察とかに言おうと思っても…証拠も、何もないよな」

その言葉が、やけに重く落ちた。

俺も何も言えなかった。
ここに来れば、何かが変わると思っていた。

でも───今は何もない、ただ空っぽの部屋があるだけだった。

「……」

二人分の沈黙が落ちる。
湿った空気の中で、時間だけがゆっくりと流れていく。
やがて、俺はポツリと言った。

「…一旦、出るか」
「…うん」

これ以上、ここにいても意味があるとは思えなかった。二人で、来た道を引き返す。
足音だけが、また響く。

外に出ると、空気が一気に軽くなった。
土倉を囲む林の中。
静かに、涼しい風が吹き抜ける。
暫く、二人とも無言だった。

そして、俺はしばらくして言った。

「…あのさ。俺…もうこの事に縛られるの、やめようと思う」

彼方が顔を上げて、俺を見た。

「あれは俺たち二人だけが見た。
でも、もう…ここにお父さんはいない。
だから、どうしようもない。
過去は変えようが、ない」

彼方は俺の話を静かに聞いていた。俺は少し顔を上げて、彼方を見据えた。

「でもさ、未来は変えられるじゃん。
俺たちがどう思って、これからどうするか───ここにお父さんがいたことで、俺たちが何かを自由に選べなくなるなら……それこそお父さんが、あそこに最後に入って行った意味がないと思うんだ」

「───」

彼方が小さく、息を飲んだ気配がした。

「だから俺、もうここがどうとか彼方の家がどうとか思うのやめて、お前に言いたい事言う。
───俺、彼方に転校してほしくない」

「…えっ?」

彼方が驚いた声を上げる。
俺は一瞬俯いたが、すぐに顔を上げて、まっすぐ見返した。

「本当はさ。こんなとこから彼方は出てった方がいいと思う。工場とか、池谷口の地縁とか───こんなちっぽけなとこに縛られる器じゃねえよ、お前。
ていうかさ」

俺は言葉を切って、思ってたけど聞けなかったことを思い切って聞く事にした。

「あのゲーム…もしかして、発案者ってお前じゃないのか?」

俺の言葉に彼方は目を見張ったが、ゆっくりといつもの冷静な真顔になった。

「…よくわかったね。なんで?」
「…なんとなく」

そうは言ったものの、わかった理由はある。
第一フィールドの御伽話は地下牢を彷彿とさせるものだったし、呪縛や祝福のシステムも、なんだか彼方自身の生き方を反映したように思えたからだ。

彼方は種明かしをするように、話し始めた。

「発案って言っても、アイデア出しただけだよ。
VR会社の企画に応募しただけ。
細かいところは、ほとんど向こう任せ」
「最初から言えよ、それ…」

そう言うと、彼方は少しだけ照れたように笑った。

「…言うの、ちょっと恥ずかしかったんだよね。
未那都と、この夏……最後に思い出作るつもりで考えたから」
「最後…」

その言葉に胸が痛む。
少し俯いてから、俺はまっすぐに彼方を見た。

「ゲーム、めちゃくちゃ面白かった。
あんなの考えるの、すげえよ」

少し間を置いて、続ける。

「…転校した方がいいんじゃないかって、何度も思った。送り出すのが正解なんじゃないかって。でも」

息を吸う。

「俺は、まだお前と一緒にいたい。
俺の隣に彼方がいないなんて、考えられない。
だから……できるなら、転校しないでほしい。
それで、いつかもしここを出るなら───俺も一緒に連れてってほしい。
これが……俺の結論」

俺が一息に言うと、彼方は俯いた。
駄目か、と思ったその瞬間。

彼方は突然、こちらへ歩み寄り、強く抱きしめてきた。

「…彼方!?」
「…しない」

耳元で、震える声が落ちる。

「転校、しない。…ていうか、未那都がそう言ってくれるの、待ってた」

顔を上げた彼方は、泣きそうな顔で笑っていた。
少し俯き、また顔を上げる。

その表情には、かすかな緊張が滲んでいる。

「じゃあ俺も、言わせてもらう。
…俺、未那都が好き。
ずっと前から」

「…へっ⁉」

予想外の言葉に間の抜けた声が出ると、彼方はわずかに眉を寄せた。

「普通気づくでしょ…未那都、鈍すぎ」

小さく息を吐いてから、続ける。

「だから…俺と付き合ってほしい。
これからはただの幼馴染じゃなくて、その……」

言葉を濁し、彼方は目を伏せる。
やがて、期待するように───答えを待つように、こちらを見た。

バクバクと心臓が高鳴る。

どうしよう。全く想定外の彼方の言葉。混乱しながらも、俺は口を開いた。

「俺は───」

★END★