推しとは仲良くできません

 「君たちのグループ名は、『Nexe1』です」

 六人の研究生が集められた会議室で、事務所の偉い人からその名が告げられた。
 研究生グループということなので、すぐにCDデビューが決まっているわけでも、大きな会場でライブができるわけでもない。
 それでも、俺たちだけのグループ名を与えられたあの日は、何者でもなかった六人が初めて同じ夢を背負った特別な日だった。
 集められたメンバーは、暁斗(あきと)光琉(ひかる)、海里、陸、琥珀、そして俺の六人。
 俺と陸はスカウトにより事務所へ入所し、その後すぐメンバーに選ばれた。
 一方で、他の四人は元々事務所に所属し、研究生としてレッスンを行っていたメンバーだった。

 「『Nexe1』という名前の由来は、Next(ネクスト)Excel(エクセル)。Nextは『次へ進む』、Excelには『超えていく』という意味がある。君たちには、今いる場所に満足せず、次のステージへ進み、その度に今の自分たちを超えていってほしい。そしていつか、誰も真似できないオンリー1のグループになってほしい」
 事務所の人から告げられたグループ名の由来。
 これを聞いた時、俺は「次へ進む」という言葉の先に、どんな景色が待っているのだろうと、胸を躍らせた。

 そして俺は「Nexe1」というグループ名のほかに、新たな名前をもらった。
 それが、「翔」という名前だ。
 Nexe1はメンバーが皆、下の名前を活動名にすることが決まっていた。
 俺の本名は「翔平」だが、他のメンバーがアイドルらしいかっこいい名前であるため、雰囲気を合わせたいということと、既に事務所の先輩グループに同じ名前の人がいるということで、俺の名前は翔平の「翔」をとり、「翔《かける》」に決まった。
 ちなみに陸も本名は「陸斗」なのだが、名前がやや暁斗と被っていることと、陸自身が「自分も活動名が欲しい」と言ったのがきっかけで、「陸」という名前になったという経緯がある。

 グループが結成して、ついにアイドルデビュー。
 ……というわけもなく、最初の数か月間はひたすら歌やダンスの練習に励んだ。
 特に、俺と陸は歌もダンスも未経験だったため、他のメンバー以上に練習時間を確保し、時には二人で居残りして遅くまで練習することもあった。
 そしてそんな俺たちに、時折他の四人のメンバーたちも付き合ってくれて、俺にとってこの五人はかけがえのない存在になっていった。

 こうして数か月の練習期間を経て、ついに俺たちはファンの前でお披露目されることとなった。
 最初はフリーライブをしても、客席は寂しいものだった。
 しかし、地道な努力が実を結んだのか、少しずつファンが増え、会場の風景が変わっていった。
 もっと頑張りたい。この六人でCDデビューをして、もっと大きく羽ばたきたい。
 しかし、アイドル活動はキラキラした側面がある一方で、その裏では苦しさや悔しさとも向き合わなければならなかった。
 ファンからの反応は肯定的なものばかりではない。特に、SNSでは顔が見えないのをいいことに、心無い言葉が投げつけられることもあった。
 そのたびに俺は、胸の中に重たい石を落とされたような感覚に陥り、気持ちがどんどん沈んでいった。
 しかし、そうした意見を無視していてはデビューなんてできない。
 「ダンスが下手」と言われるならダンスを練習すればいい。
 「ビジュがいまいち」と言われるならもっと自分を磨けばいい。
 俺はとにかく必死だった。
 そんな俺を、メンバーはいつも心配してくれた。
 「もう休んだ方がいいよ」
 そんな言葉をかけられて、初めて俺は自分が無理をしていることに気づいた。

 ある時、急に糸がぷつっと切れたように、「自分は何でこんなに頑張っているんだろう」という疑問が頭に浮かんだことがあった。
 ちょうど、特典会が今から始まろうとしている、そのタイミングでのことだった。
 
 ――こんな状態で、どうファンと向き合えばいい?

 一瞬、パニックに陥った俺の前に現れた、同年代の男の子。

 「は、初めまして!」

 それが、凛空くんとの出会いだった。
 凛空くんは俺に話す暇を与えないくらい、ひたすらに俺への思いを伝えてくれた。
 早口ではあったが、その言葉一つひとつが俺の心にしみわたり、俺の中には先程の問いへの答えが浮かんだ。

 ――俺のことを好きでいてくれる人たちがいるから、頑張れるんだ。

 凛空くんが俺への気持ちを言い終えて、ブースを出ていく頃には、俺の心は落ち着きを取り戻していた。
 俺を支えてくれるメンバーのため、俺を好きでいてくれるファンのため、そしてグループをもっと大きくするため、もっと頑張らなければ。
 俺は改めて、その決意を固くした。

 しかしそんな矢先、俺を絶望の淵に突き落とす出来事が起きた。

 この日、事務所へ向かうと、先に来ていたメンバーたちが何やらざわついていた。
 そして海里が俺の姿を見るなり「あっ」と短い声を漏らす。
 その目は困惑に満ちていた。
 さらにその声につられるように、俺の姿を視認した他のメンバーたちも俺を見ながら困ったような顔を浮かべる。
 五人の手にスマホが握られているのを見て、俺は嫌な予感を覚えた。
 「どしたの?」
 動揺を押し隠しながら、俺は何でもないように五人に尋ねる。
 しかしその声は俺の意思に反して、かすかに震えてしまっていた。
 すると、リーダーの暁斗が意を決したように俺の方に向かってきて、スマホの画面をそっと差し出した。
 そこに写っていたのは、制服を着た二人の男子生徒が手をつなぐ後ろ姿。
 そのうちの一人が、隣を歩く相手へ顔を向けているため、その横顔だけははっきりと写っていた。
 「……これ、翔?」
 俺は全身が冷えていくのを感じた。
 その写真に写るのは、間違いなく中学時代の俺。
 そして隣を歩くのは……当時、好意を寄せていた先輩だった。
 俺が何も言えないのを見て、暁斗はそれを肯定の意味に捉えたのか、「そっか」と小さくうなずく。
 「……なんで」
 かろうじて絞り出した声は、ひどくか細く、自分の声ではないみたいだった。
 「実は、SNSの一部で、この写真と翔のことが話題になってて」
 そう切り出したのは、海里だった。
 「大きく拡散されてるわけじゃないよ。中には別人だって反論してる人もいる」
 続けて琥珀が焦ったように話を補足する。
 「……っ、これは、別に付き合ってたわけじゃっ……!」
 つっかえて、上手く言葉が出てこない。
 そんな俺の肩に、暁斗がそっと手を置く。
 「翔、落ち着いて。別に責めてるわけじゃない。この写真自体は何の問題もない」
 「でも、ネットで話題になってるって……!」
 「それは……」
 「貸して!」
 俺は暁斗のスマホを強引に奪う。
 そこに並んだ数々の書き込みに、俺は全身の血の気が引き、頭が真っ白になった。

 『翔ってゲイなの?まじ?』
 『中学一緒だった人から聞いたけど、女子の告白全部断ってたらしい。それって男が好きだったからなのか』
 『翔リアコ勢息してる?』
 『翔に彼女がいるよりは彼氏がいるって方がマシかも』
 『え、これ最近の写真?手つなぎ放課後デートエグいwww』

 そこからの記憶はおぼろげだった。
 その日のレッスンは俺だけ休むことになった。
 別室に呼ばれ、今回の流出についてマネージャーから何か言われた気がするが、正直何も覚えていない。
 そのまま俺は、自宅へ帰ることになった。
 茫然自失の俺のことを、家族は心配しているようだったが、話す気にはなれなかった。

 ようやく思考がクリアになり始めたころ、暁斗から電話が来た。
 「翔。大丈夫?」
 「……俺、どうなっちゃうの?」
 その言葉を口にした瞬間、張りつめた糸が切れたように、涙があふれ出した。
 「大丈夫、大丈夫だから。別に、翔の過去の写真を誰かが流出させて、それに一部のファンがあることないこと書き込んでるだけ。何も問題じゃない。……あれは、中学の頃の写真?」
 「……そう。中学の時、先輩と帰ってた時の。撮られてるなんて知らなかった」
 「当時の同級生が、いたずら心で撮ったのかもね」
 「でもほんとに付き合ってはなかったんだ。あの時は、たまたま……」
 当時の記憶がよみがえる。
 中学一年の頃。入部したバスケ部で、先輩と出会った。
 当時、大人しくて周りと馴染めなかった俺を、先輩は誰よりも気にかけてくれた。
 俺が先輩を好きになるまでに時間はかからなかった。
 結局俺は、人間関係に疲れてバスケ部を退部することになる。
 とはいえ、先輩は廊下ですれ違えば声をかけてくれて、退部後も交流は続いた。
 それから時は経ち、俺が中二、先輩が中三になった頃。
 部活を引退した先輩とは、放課後に二人で帰るのが、いつしか当たり前になっていた。
 一緒にいる時間が増えるほど、先輩への思いが膨らんでいく。そして先輩もまた、俺をただの後輩として見ているわけではないのだと、自然に気付き始めていた。
 公園のベンチに座り、たわいもない会話をしていると、先輩が俺の手にそっと自分の手を重ねてくる。
 そんなことが、一度や二度ではなかった。
 それでも俺たちは、「付き合う」という一線だけは超えようとしなかった。きっと、お互いに同じことを考えていたのだろう。
 当時中学生だった俺たちは、ただ周りの目が怖かった。
 「付き合う」という形をとった瞬間、自分を取り巻く世界が一変してしまうような気がしていたのだ。
 結局先輩とはその後も変わらぬ関係を保ったまま、三月の卒業式で別れを迎えた。卒業後もしばらくは連絡を取ってはいたものの、その頻度は少しずつ減り、やがて自然と途絶えた。
 こうして先輩との日々は、誰にも触れられることのない、大切な思い出になった。

 ……はずだったのに。

 「今回の件は、事務所もそこまで大事にはとらえてないみたいだし、ファンたちもすぐ忘れると思う。だから大丈夫」
 暁斗の言う通りだ。
 俺が男を好きであることも、先輩と手をつないでいたことも、その写真が流出したことも、はたから見ればたいしたことではないかもしれない。
 この件をきっかけに、離れていくファンもいるだろう。でもそれは仕方がないこととして、未来を見据えて突き進むしかない。
 暁斗はそう伝えたかったのだと思う。
 でも俺は、誰より未来を見据えているからこそ、今回の出来事を見過ごすことが出来なかった。
 このまま活動を続ければ、今回の一件がまた足を引っ張ることになるかもしれない。
 ネットに投稿された情報は、この先もずっとネットの海を漂い続ける。そして、悪意を持った者が、最高のタイミングでその情報を再びネットに投稿し、注目を集めることとなる。
 もしこの先、Nexe1がデビューしたとして、その時にこの情報が流出したら。
 何も知らない俺のファンが失望するかもしれない。
 Nexe1は同性愛者がいるグループだと、好奇な視線を浴びるかもしれない。
 グループ内で俺が誰を好きなどと、あらぬ噂が立つかもしれない。

 その後、俺は事務所にグループ脱退、および退所の申し出をした。
 メンバーやマネージャー、事務所の人たちは俺を必死に引き止めてくれたが、俺の決意が変わらないと分かると、皆それ以上、何も言わなくなった。
 誰一人として、納得した顔はしていない。
 それでも、最後には何も言わず、俺の決断を受け入れてくれた。

 こうして俺は、「将来を考え、別の道を歩みたいと思った」という建前のもと、グループを脱退し、同時に芸能界から引退した。

 それから俺は、元々通っていた東京の高校から、埼玉の男子校に転校する運びとなった。
 東京出身である俺が、何故わざわざ埼玉の高校を選んだのか。
 それは、地元から離れたい気持ちがあったからだ。
 アイドルを辞めた以上、できれば俺を知っている人がいない環境で、新しい生活を送りたかった。
 地元の高校に通えば、中学の同級生と顔を合わせる可能性が高い。
 俺は中学三年の時にスカウトを受け、活動を始めたこともあり、同級生の間では、俺がアイドルをしていたことがそれなりに知られていた。
 そのため、家からは多少距離があるものの、埼玉の片田舎にある高校を選んだのだ。
 また、男子校を選んだのは、女子がいない分、俺のことを知っている人に出会う確率も低いと思ったからだ。
 もっとも、Nexe1は大手事務所に所属していたとはいえ、結成されたばかりの研究生グループ。
 知名度を考えれば、そこまで心配する必要はないのかもしれない。
 また、幸い、俺は本名を一切明かさず「翔」という名前で活動していた。
 そのため万が一「佐々山翔平」という名前で検索されたとしても、アイドル時代の俺に辿り着くことはない。

 そう、高をくくっていたのだが――。

 転校初日。
 教室に入った俺は、生徒たちの前で自己紹介をする。
 数百人を前にライブをしていた自分にとって、数十人を前に話すことなど、朝飯前だった。
 しかし、教室の一番後ろ、中央の席。
 そこに座る生徒の顔が目に入った瞬間、俺の思考は止まった。

 凛空くん……!?

 予想外の人物の姿に一瞬動揺したものの、その動揺を顔に出すことなく、俺は自己紹介をそつなく終えた。
 アイドル時代、「何があっても、ステージ上で動揺した姿を見せるな」と口酸っぱく言われていた言葉が、まさかこんなところで役に立つとは。
 それから教師に指定された席に着く。場所は、凛空くんと同じ一番後ろの席。
 一番端の窓際の席なので、一人の生徒を挟んだ先に凛空くんがいる。
 まさか、こんなところで会うなんて……。
 学校で俺のことを知っている人間なんていないだろう。
 そんな楽観的な考えは一瞬で打ち砕かれた。
 知っている人間どころか、そこにいたのは俺のファンだった。
 アイドル時代から、もちろん凛空くんのことは認知していた。最初に俺に光を与えてくれたあの日から、凛空くんは何度も特典会に足を運んでくれたからだ。
 同い年と知り、ふと「もしこの子と、アイドルとファンとしての関係ではなく、普通の友達としての関係だったらどんな感じなのだろう」と考えたことがある。
 凛空くんはとてもまっすぐで、でも少し不器用で、そして優しい人だ。もしこんな子が友達にいたら、きっと毎日楽しいだろうな。
 そんな、実現するはずのない妄想をしていたことを思い出す。
 それが今、実現しようとしている。
 そう思うと落ち着かなくなり、俺は授業中、チラチラと彼に視線を送った。
 しかし、凛空くんは一度もこちらを見ず、授業の合間の休憩時間も右隣の友人とずっと会話をしていた。
 凛空くんが俺に気づかないわけがない。
 ……わざと無視している?
 そうとしか思えなかった。

 しかし、皆転校生が珍しいのか、授業終了のチャイムが鳴るたび、俺の机の周りには小さな人だかりができていたため、結局昼休みが始まるまで、凛空くんと話をすることは叶わなかった。

 昼休みの時間になると、俺は凛空くんに話しかけようと決心した。
 そして、一緒にお昼を食べないかと誘ってくれたクラスメートに断りを入れ、凛空くんの席をちらりと見る。
 しかし、そこに凛空くんはいなかった。
 そこで、凛空くんの友達と思しき関口くんという生徒に、凛空くんの行方を尋ねる。
 すると、どうやら凛空くんは昼休みが始まった途端、「別の場所でお昼を食べるから」と光の速さで出ていったらしい。
 「あいつ、俺以外友達いないのに」
 と関口くんが言うのを聞き、俺は凛空くんが行きそうな場所に心当たりはないか尋ねる。
 「あんま人がいる場所はあいつ苦手だろうし……あ、非常階段とか。あいつ一年の時、友達ができるまでそこで飯食ってたことあるらしくて」
 俺は関口くんの案内で、その場所まで向かうことにした。
 その道中、関口くんが「あのさ」と口を開く。
 「佐々山って、アイドルしてたの?」
 「えっ」
 心臓が飛び跳ねる。
 何でバレた?隠していたはずなのに。まさか、俺の本名までネットに流出していたのか?
 最悪の想像が頭の中をぐるぐる駆け巡る。
 しかし、そんな俺の不安を打ち消すように、関口くんは朗らかな笑みを見せながら話を続けた。
 「凛空さ、あいつ、俺にアイドルが好きってこと隠してるつもりなんだろうけどバレバレで。たまに幸せそうに推し?のアイドルの画像とかじっと見てるときがあんの。俺がスマホの画面覗き込んでるのも気付かないくらい、自分の世界に入り込んでさ。で、そのアイドルの顔が、佐々山そっくりだから。それに今日の凛空、明らかに様子おかしいし」
 「あー……」
 そういうことか。
 俺はひとまず安堵した。
 同時に、凛空くんが現場以外でも俺のことを思ってくれている事実が嬉しくて、思わず口角が緩む。
 「なんでアイドル辞めたの」
 関口くんの問いに、俺は緩みかけていた表情が固まる。
 「凛空がさ、ここ何か月も元気なくて。でも、今日やっと腑に落ちた。ここに転校してきたってことはアイドル辞めたんだよね?」
 「それは……」
 俺が言い淀んでいると、関口くんは立ち止まり「あの扉の先だよ」と、非常階段に続く扉を指さした。
 「まあ、理由はいいや。でも、あいつずっと落ち込んでて、俺がどんな冗談言ってもだめで。だから佐々山、あいつのこと頼むわ」
 「えっ」
 「あいつを元気にできるの、佐々山だけだと思う」
 俺は、扉を開け、非常階段を覗き見る。
 そこに、凛空くんはいた。

 ようやく凛空くんと話せたことで、避けられていたわけではないと分かった。
 アイドルだった俺に気を遣い、あえて距離を置いていただけだったのだ。
 アイドルじゃなくなった俺を、嫌いになったんじゃないか。
 そんな不安は、ただの杞憂だった。
 凛空くんの俺への接し方を見れば分かる。今も変わらず、俺を思ってくれているって。
 だけどその一方で、凛空くんは俺に気を遣うあまり、自分との間に壁を作っているようだった。
 俺は、その壁を壊したいと思った。
 特典会で見せてくれた、キラキラした笑顔。
 限られた時間の中で、精一杯伝えたいことを話してくれる姿。
 去り際、幸せそうに笑いながら、手を振ってくれたこと。
 あの頃みたいに、俺の前で心から笑う凛空くんを、もう一度見たかった。
 そして、そんな純粋な思いと共に、俺の心の中には「罪を償いたい」という思いもあった。
 それは、凛空くんを悲しませてしまった罪。
 関口くんも言っていたとおり、きっと俺のせいで凛空くんはこの数か月、悲しい思いを抱えていたはずだ。

 ――あいつを元気にできるの、佐々山だけだと思う

 関口くんの言葉が、頭の中でリフレインする。
 凛空くんに、元気を取り戻してほしい。
 とはいえ、アイドルではなくなった俺に、果たして凛空くんの笑顔を取り戻せるだろうか。
 それ以前に、凛空くんは急にアイドルを辞めた俺に対し、不信感を抱いているかもしれない。
 俺は意を決して凛空くんに、「俺がアイドルを辞めたこと、どう思ってる?」と聞こうとした。
 しかし、その答えを聞く勇気がなく、結局その質問を口にすることはできなかった。

 こうして、色々と不安を抱えながらも、俺はまず凛空くんと「友達」として距離を縮めようとした。
 その結果、凛空くんは少しずつ俺と話をしてくれるようになった。
 体育の授業でのハプニングは驚いたが、俺に頬を触られ「接触禁止だ」なんて真剣に言う姿はあまりにおかしくて、笑ってしまった。
 それと同時に、それほどまでに俺を大切に思ってくれていたのだと伝わってきた。
 アイドルだった俺に対して、これまでもずっとこんなふうに一歩引いて接してくれていたのだろう。
 そう思った瞬間、胸が熱くなった。

 幼少期から引っ込み思案であったことに加え、中学三年から芸能活動を始めたこともあり、今まで友達とテーマパークに遊びに行くなどという経験がなかった俺は、意を決して凛空くんを誘った。
 まだまだ凛空くんとの間の壁は厚く、口説き落とすのに苦労はしたが、「疑似デートイベント」という我ながら意味の分からない口実でなんとか約束を取り付けることに成功した。

 当日。
 凛空くんは最初こそ緊張していたものの、気付けば俺と一緒に動物たちを見てはしゃいでいた。
 一緒にいる間、凛空くんの視線を感じることが何度もあった。
 ちらっと横目で見ると、凛空くんは嬉しそうに笑みを浮かべている。
 そして俺の視線に気づくと、慌てて目をそらす。
 その反応がおかしくて、俺は笑いをこらえるのに必死だった。
 観覧車に乗ろう、と提案したのは、俺が絶叫系に乗れず、唯一乗れそうなものとしてその時目についたのが観覧車だったからだ。
 そして、”2人きりの空間”であることの重大さに気づいたのは、ゴンドラに乗り込んですぐのことだった。
 こんなシチュエーション、間違いなく、凛空くんを緊張させてしまう。
 そこで俺は、「デート型特典会」とかいう謎のイベントを即興で作り上げ、凛空くんの緊張をなんとか解こうとした。
 凛空くんはまっすぐに、俺への思いを伝えてくれた。
 でも、その瞳は、アイドル時代の特典会で俺を見つめてくれた時の、キラキラと輝くまなざしとは違った。
 悲しさや、もどかしさを抱えた、どこか苦しそうな瞳だった。
 最初から気付いていた。
 凛空くんはきっと、ずっと俺に「何故アイドルを辞めたのか」と聞きたかったはずだ。
 それでも俺を気遣って、その言葉を何度も飲み込んでいたのだろう。
 そして今。
 目の前にいる凛空くんの瞳は、何よりも雄弁だった。
 「どうして」と、答えを求める思いが痛いほど伝わってくる。
 でも、だめだ。伝えられない。
 本当のことを伝えれば、凛空くんを失望させてしまうかもしれない。
 それか、「そんなことで辞めたのか」と責められるかも。
 俺は凛空くんの目に訴えかけた。「それ以上聞かないで」と。

 結局、凛空くんから言葉で問いただされることはなかった。

 「大好きです」

 ゴンドラの中での特典会。
 その最後に、凛空くんが俺にそう告げた。
 「ありがとう」
 本当の特典会さながら、俺は当たり障りのない言葉を返す。
 今までにも凛空くんは何度も俺に「大好きです」と伝えてくれた。
 それはもちろん、”推しとして”大好きだという意味だった。
 だけど、この日の「大好きです」は違った。
 言葉は同じなのに、その声も、表情も、俺を見つめる瞳も、まるで違う。
 そこに特別な思いが込められていることに気づいた瞬間、俺は心臓がドクンと大きく揺れた。
 それでも俺は、動揺を悟られないよう笑顔を保つ。
 何があっても表情を崩さない。アイドル時代に培ったスキルだった。

 テーマパークを後にし、別れ際。
 凛空くんが俺に「好きだよ」と伝えてきた。

 俺も――。

 つい、そう答えそうになった。
 自分が凛空くんに対し抱いている気持ちが、凛空くんと同じものなのかは分からない。
 それでも、凛空くんを大切に思う気持ちが、前よりも強くなったことは確かだった。
 しかし、凛空くんの気持ちにこたえる勇気がどうしても出なかった。
 俺は元アイドルで、凛空くんはファン。
 その肩書が、俺の気持ちの邪魔をしていた。
 ここで初めて、推しである俺に壁を作っていた凛空くんの気持ちが分かった。
 それだけじゃない。
 もし凛空くんと交際をすれば、もしかしたら凛空くんを傷つけてしまう未来があるかもしれない。
 俺は隠し撮りされた中学時代の写真と、それに対する数々の書き込みを思い出す。
 そもそも、凛空くんが好きなのはアイドルである俺なのだ。
 交際する中で素の俺を知り、失望することもあるかもしれない。
 様々な不安や、起こるかどうかも分からない未来の光景が頭の中を駆け巡る。
 こうして俺は、凛空くんへの気持ちに蓋をした。

 週明けの月曜日。
 加藤くんと西田くんの恋バナに巻き込まれた俺は、「彼女がいたことはあるのか」という質問に、思わず言葉が詰まる。
 「彼女」という単語を「恋人」に置き換えた瞬間、脳裏に先輩の姿が浮かんだからだ。
 俺は、後ろを歩く凛空くんに目を向ける。
 凛空くんは窓の外を見ながら歩いているが、きっと話の内容は聞こえているだろう。
 「いや……ないよ」
 俺はそう答えた。
 その答えは間違っていない。
 脳裏に浮かんだ先輩の面影を、俺は無理やり頭の隅へ追いやった。

 しかし、その後、別の場面での会話で、俺はつい先輩の話を二人に滑らせてしまうこととなる。
 もちろん性別については伏せたが、根掘り葉掘り聞かれたせいで、色々喋りすぎてしまったかもしれない。

 放課後。
 帰宅途中の駅で、他校の女子に声をかけられた。
 一瞬、ファンに見つかったのかと肝を冷やしたが、どうやらただ一目惚れしただけらしい。
 こういうことは、アイドルになる前から時々あった。だから驚くこともなく、俺は連絡先を教えてほしいという頼みをやんわりと断った。
 ただ、その直後、凛空くんと遭遇したのは想定外の事態だった。

 「好きな子いるの?」

 凛空くんからの問いかけに、心臓が大きく跳ねた。

 ――いるよ。
 凛空くんが好きだよ。

 そう伝えそうになるのを、必死にこらえた。
 普段の俺だったら、きっと上手いこと話をそらしていただろう。
 でも、この時はそれが出来なかった。
 好きだという思いを抑えるのに必死で、代わりの言葉が何も思い浮かばない。
 その後俺は、凛空くんのスマホにかかってきた母親からの電話に助けられる形で、その場から逃げるように立ち去った。

 Nexe1のワンマンライブが決定したことは、暁斗からの連絡で知った。
 メンバーとは脱退後も、時折連絡を取っている。
 例えば暁斗からは、今回のようにグループの近況報告。
 光琉からは、「海里にモバイルバッテリーパクられた」などのしょうもない報告。
 海里からは、メンバーと一緒にご飯に行ったという報告が画像と共に送られてくる。
 陸からは、あまり連絡は来ない。元々用事がある時以外は連絡をとらない主義のようなので、通常運転だ。でも、そういえば一度「どこの高校に通うことになったの?」という連絡を交わした気がする。
 最年少の琥珀は、ダンスの動画を送ってきて、アドバイスを求めてくる。生意気なところもあるが、実はとてもまじめで誰より負けず嫌いなのだ。

 「ライブを見に来ないか」

 暁斗からの誘いを、俺はずっと保留にしている。
 自分がいないNexe1を見るのが怖かった。
 いきなりグループを辞めた俺が、こんなことを思う資格はないのかもしれない。

 それでも――。

 五人で歌い踊るNexe1。
 そしてその姿を、当たり前のように受け入れ、応援するファンたち。
 俺のメンカラのオレンジのペンライトが、一本もないライブ会場。
 まるで、「翔は最初からそこにいなかった」と突きつけられるような気がしてしまい、俺はライブへ足を運ぶ勇気がわかなかった。
 きっと、俺を推してくれていた凛空くんも、同じことを考えているのでは。
 そう思っていた矢先。俺は偶然、街中で凛空くんを見かけた。その隣にいる男性に、俺は見覚えがあった。
 たしか、海里のファンの人。
 高頻度でNexe1のイベントに足を運んでくれていたので、自然と顔を覚えてしまった。
 一瞬、「何故今さら凛空くんが海里ファンの人と?」という疑問が頭をよぎる。
 凛空くんはもうNexe1の現場には通っていないはずだ。
 しかし、すぐに俺は「Nexe1関係なしに、友達として遊んでいるだけではないか」という可能性に行き着く。
 だからこの時は、多少引っかかりつつも、そこまで深くは考えなかった。

 それから数日後。
 凛空くんが西田くんたちと話している場面が目に入った。
 珍しい組み合わせに、俺はつい聞き耳を立てる。どうやら、雑誌の貸し借りの話をしているようだった。
 「てか基村って、K-POP好きだったんだ!」
 西田くんの発言に、俺は耳を疑う。
 凛空くんはその言葉に対し、困ったような笑みを返していた。

 俺はすぐに、凛空くんたちが言っていた雑誌を検索した。
 その今月号に、Nexe1が載っているという情報を見た時、俺の中に言葉にはしがたい暗い感情が生まれた。
 やはり凛空くんは、今のNexe1を推し始めたのではないか。
 俺のいない、Nexe1を――。

 俺はいてもたってもいられなくなり、凛空くんに確かめてみることにした。
 しかし、直接聞く勇気はない。
 それから、来週の土曜日にNexe1のフリーライブと特典会が開催されることを知った俺は、「土曜日に会えないか」と凛空くんを誘ってみることにした。
 凛空くんならきっと承諾してくれる。
 そう信じていた。信じたかった。
 しかし、返ってきたのは「ごめん」という言葉。

 ――あ、Nexe1に会いに行くんだ。

 そう思った瞬間、胸の奥にひびが入るような鋭い痛みを覚えた。

 迎えた土曜日。
 やめておけばいいものを、俺の足は自然とNexe1のイベントが行われる会場へと向かっていた。
 俺が会場に到着した頃、ちょうどフリーライブが始まった。
 メンバーの表情が見えないくらい遠い位置から、こっそりと彼らの姿を見る。
 曲のイントロが流れる。これまで、幾度となく歌ってきた曲だ。
 でも、フォーメーションはあの頃と違っていた。
 俺が歌っていたパートは、メンバーが交代で歌っている。
 その光景を見て、途方もない寂しさに襲われた俺は、ついステージから目を背けた。
 その瞬間。
 見覚えのある後ろ姿が目に入り、思わず息をのんだ。

 ――凛空くんだ。

 やっぱり、会場に来ていたんだ。
 脈打つ心臓をなだめつつ、俺はその後の特典会の様子も観察することにした。
 凛空くんは誰の列に並ぶのか。俺はその姿を遠目から追う。
 すると、凛空くんは、紫の服やアイテムを身に着けたファンたちの列に加わった。
 「陸……」
 絶望が、声となってこぼれる。
 凛空くんは、新たな推しを見つけたのだ。
 現実を受け止めた瞬間、不意に涙が出そうになったが、俺はそれをぐっとこらえた。
 凛空くんへの気持ちには、ずっと蓋をしてきた。
 でも、胸を締め付けるこの痛みが、その蓋を強引にこじ開ける。

 ――凛空くんが好きだ。
 
 もう、俺の凛空くんへの気持ちは、無視できないほど大きくなっていた。

 特典会終了後。
 俺は凛空くんに思いを伝えるため、彼の姿を探した。
 すると、凛空くんはしばらく会場にとどまっていたようだが、その後何やら急ぎ足でどこかへ向かおうとしているようだった。
 俺は慌ててその背中を追う。
 会場付近はファンの姿も多く、あまり目立つ行動はできない。
 そのため、気付かれないよう細心の注意を払いながら、凛空くんの後を追った。
 向かった先は、会場から少し離れたところにある公園。以前、Nexe1が動画の撮影をしたことのある場所だ。
 どうして、こんなところに?
 俺は凛空くんの目的が分からないまま、物陰に隠れて、しばらく様子をうかがった。
 すると、一人の男が凛空くんに歩み寄ってくる。
 帽子を目深にかぶっていたが、それでも誰なのかはすぐに分かった。

 ――陸だ。

 でも何故、陸とこんなところに?
 あまりに予想外の光景に、頭が追いつかない。
 二人は何か話をしているようだった。
 しかし、しばらく見ているうちに、その様子がおかしいことに気づく。
 何やら言い争いをしているようだ。それに、凛空くんが泣いている……?
 何が起きているのかは分からない。それでも、二人の間に流れる空気は、ただの推しとファンのそれとは到底思えなかった。
 気付けば、俺の足は自然と動き出していた――。

 *

 俺がグループを脱退し、アイドルを辞めた理由を知った凛空くんは、俯き、黙り込んだ。
 当然の反応だ。
 俺は、「グループのため」という建前を掲げながら、その本心は怖かっただけだ。
 これ以上、好奇の目にさらされるのが怖かった。
 起こりうる最悪の事態を勝手に想像して、逃げ出した臆病者だ。

 俺が脱退の旨を伝えた時、みんなはこう言ってくれた。
 「何と言われても、立ち向かおう」
 「何も悪いことはしてないんだから、堂々としていよう」
 でも、あの時の俺はその温かい言葉を受け止めることが出来なかった。
 その言葉を受け止める余裕もなければ、皆と活動を続ける覚悟も、ファンたちの声に耳を傾ける勇気も、あの頃の俺には何一つ残っていなかったのだ。

 凛空くんに思いを伝えるはずが、全く別の告白をしてしまった。
 話して正解だったのだろうか。後悔が頭の中を埋め尽くす。

 その時。
 凛空くんの手が俺の手を包み込む。
 その瞬間、初めて俺は自分の手が震えていることに気づいた。
 「話してくれてありがとう」
 「え……」
 凛空くんが俺の目をまっすぐ見る。
 「……僕は、ずっと翔くんを推してるから。きっとこれからも、翔くん以上の推しには出会えない」
 凛空くんの言葉に、嘘は一つも感じられなかった。
 穏やかな口調でありながら、その一言一言に込められた熱が、凛空くんの言葉は本心なのだと俺に信じさせた。

 帰り道。
 凛空くんとの会話はなかった。
 そして、何事もなかったかのように「また学校で」と手を振り別れる。

 ――アイドルと、ファン。

 凛空くんが伝えてくれた言葉は、「これからも、その関係のままでいよう」と告げているように聞こえた。
 俺はまた、凛空くんへの気持ちにそっと蓋をした。