週明けの月曜日。
いつもと変わらぬ1週間が始まる。
相変わらず僕の心の中では、翔への気持ちが小さな嵐を巻き起こしていたが、厄介なことにそこにもう一つ僕を悩ませる要素が加わった。
それが、ワンマンライブの件だ。
翔はそのことについて、今のところ一切話題に出さない。
そもそも、学校にいる間、翔とゆっくり話せるタイミングがないので、話題が出ないのは当然と言えば当然なのだが。
だが、心なしか転校してきた当初よりも、翔が僕に声をかけてくる回数が減った気がする。
恐らく、仲の良い友達ができたことで、僕に話しかける必要がなくなったのだろう。
……と、虚しいことを考えてしまうネガティブな自分に嫌気がさす。
「はぁー今日バイトだる~」
隣の席の関口がそう言いながら机に突っ伏す。
「あれ、今日もバイト?めっちゃ連勤してない?」
「そう。ここ最近、立て続けに二人も辞めちゃって、人手不足なんだよ」
「へぇ、なんで辞めちゃったの」
「そりゃー、やっぱ人間関係じゃね?」
「あんまよくないの?」
「うーん、まぁ。なんか、リーダーみたいに勝手に仕切ってる人がいて、その人に嫌われると終わり的な雰囲気出ててさ。まあ俺はなんとか目つけられずにやってるんだけど。でも他にいいバイト先見つけたら辞めるかも」
「そうなんだ」
ふと、僕の頭の中に、ここ最近考えないようにしていた疑問が再び浮上してきた。
――翔がグループを脱退した理由。
僕は近くに翔がいないのを確認してから、関口に切り出す。
「あのさ、例えばの話なんだけど……」
「なによ、改まって」
「六人組のアイドルグループがいたとしよう」
「唐突だな」
「いいからいいから。そのうち一人が突然、何の前触れもなく脱退しました。はっきりした理由は明かしていません」
「ほう」
「そのメンバーは、なんで辞めたんだと思う?」
「これ何、心理テスト?」
「これでどんな心理が分かるんだよ。違うって。真面目に考えてほしい」
関口は「うーん」とうなりながら視線を宙に向ける。
「それはやっぱ、人間関係じゃないか?」
「……具体的には?」
「六人組グループだろ。そういうグループって、四六時中一緒にいるって言っても過言じゃないわけじゃん。友達同士でもない人たちがある日突然集められて、『君たちは今日から同じグループです』ってパターンもあるかもしれないわけだろ」
こいつ、意外とアイドルに対する解像度が高い……。
「そんな形で知り合ったメンバーが、常に一緒にいて、ずーっと仲良しこよしでいられる確証ってないわけよ。気が合わないメンバーがいたりもあるかもしれないし」
「……もしそうだとして、関口のバイト先みたいなことって、あると思う?」
「ん?どゆこと?」
「だから、その、いじめ的な……」
その単語を口にしながら、僕は胸がズキンと痛むのを感じた。
「うーん、どうだろうな……それは、何とも言えないかも」
関口は困ったように言葉を返す。
今まで、考えなかったわけではない。
職場でも学校でも、辞める原因や行きたくない理由として、人間関係を挙げる人はきっと多くいる。
いじめというものも、閉ざされた人間関係の中では生じうることだ。
でも、Nexe1に限ってそんなことはない。
そんなことあるわけないと信じたい気持ちがあって、僕はその可能性をずっと無視していた。
彼らの仲の良さに嘘偽りはない。僕は自信をもってそう言える。
……言える、のか?
ファンから見た彼らの関係性は確かに良好なものに思えた。
でもそれがうわべだけだったら?
裏での彼らの顔なんて、ファンには知るすべがない。
もし本当に、そんな悲しい理由で翔が脱退していたとしたら……。
ずっと目を背けてきた、翔の脱退理由。
でも、次第に僕の中で「本当の理由が知りたい」という思いが大きくなっていった。
土曜の朝。
僕は渋谷へと向かっていた。
Nexe1のインタビュー記事が掲載された雑誌を購入するためだ。
Nexe1が雑誌に載るのは、今回が初めてである。
記念すべき一冊だから手に入れたい、という気持ちはもちろんあった。
しかしそれ以上に、僕はインタビューの中で彼らが何を語るのかに興味があった。
どうやら記事の中では、結成から今までの活動を振り返りながら、かなり深いところまで語っているらしい。
その中で、彼らが翔の話題を口にしているのではないかと思ったのだ。
翔の話題を出さずして、グループの軌跡は語れない。僕はそう信じていた。
しかし、該当の雑誌が地元の本屋では軒並み売り切れていて、なかなか手に入れることが出来なかった。
恐らく、表紙が今話題のK-POPアイドルグループだからだろう。
通販で購入することも考えたが、いち早く手に入れたいという思いから、僕は思い切って渋谷へと足を運ぶことにしたのだった。
駅に着き、僕は目の前に現れた無数の看板やデジタルサイネージを眺める。
そこにはドラマや映画の宣伝や、人気アイドルの姿が映し出されていた。
Nexe1が今よりもっと人気になれば、いつかここに彼らの顔が並ぶ日が来るだろうか。
きっと翔がいた頃だったら、渋谷の街を彩る六人の姿がはっきり想像できていた。
でも、今は……。
五人のNexe1に対する僕の解像度が低いせいで、その光景を思い描くことが難しかった。
目についた一番大きな本屋で、僕は無事雑誌を購入することに成功した。
もう少し渋谷をぶらぶらしても良いのだが、この日は風が強く、肌寒い。
どこかカフェにでも入って、温かい飲み物でも飲みたいな。
そう思っていた時だった。
「痛っ……!」
突如、目に衝撃を覚える。
どうやら、舞い上がった砂埃が目に入ったらしい。
僕は目をしばしばさせながら、痛みが去るのを待つ。
しかしその際、コンタクトがぽろっと目から落ちてしまった。
急いで地面を見回すが、片目しか見えないせいで視界がひどくぼやけている。
しかも、片方のレンズを探すことに必死になるあまり、もう片方の目が乾燥してしまったのか、そちらのコンタクトレンズまでぽろりと外れてしまった。
僕の視力は著しく悪い。
それは数か月前、転校してきた翔の顔を一目では判別できなかったことからもお分かりだろう。
この状態で出歩くのは危険だ。そう判断した僕は地面にしゃがみ込み、必死にコンタクトを探す。
「どこかの店で新しいコンタクトを買う」などという代替案は、焦った僕の頭には思い浮かばなかった。
そこそこの人通りがある道だったせいで、行き交う人たちの足がしゃがみこむ僕の体に当たる。
何人かは「すみません」と謝ってくれたが、ほとんどの人は無視して通り過ぎて行った。
僕はひどく惨めな気持ちになり、もうこのまま帰ろうかと決意する。
その時。
「大丈夫ですか?」
後ろから声をかけられた。
しゃがんだまま振り返ると、若い男性の足元が見える。
心配した通行人が声をかけてくれたらしい。
「あ、コンタクトを落としてしまって……」
僕がそう伝えると男性は僕の隣にしゃがみ込み、地面を凝視した。
「うーん……」
「あの、大丈夫です。多分もう見つからない気がするので、帰ろうと思ってたとこで」
「ほんとに大丈夫?」
「……はい」
……と、答えたものの、両目がぼやけたこの状態では、駅の案内表示や電光掲示板もまともに見えない。
下手をしたら、まったく見当違いの電車に乗りこみ、気付けば見知らぬ土地に辿り着いていた……なんてことになりかねない状況だった。
「家どこ?近いの?」
そう聞かれた僕は地元名を答える。
電車を乗り継いでおよそ50分。近いとは言い切れない距離だ。
「送ろうか」
予想外の申し出に、僕は「えっ」と声が裏返る。
ここで僕はようやく目の前の男性の顔を見た。
黒いキャップを目深にかぶり、グレーのマスクをしていて、顔はよく見えない。
恐らく同年代か、やや年上くらいだろうか。
「暇だし、送るよ」
「いや、でも……」
「じゃあ一人で帰る?帰り道何があっても知らないけど」
心配してくれてるん……だよな?
声のトーンは単調で、言い回しは少し素っ気ない。
でも、無理に優しく見せようとしているわけではないからこそ、この人は信頼できるのではないかと思えた。
「じゃあ、お願いしてもいいですか?」
「いいよ。つかまる?」
男性が腕を差し出す。
「いや、それは大丈夫です」
「あ、それともこっち?」
今度は手を差し出してきた。
おちょくられていると感じた僕は「結構です」と少し強めに返す。
男性の顔は帽子とマスクで隠れているのと、視界がぼやけているせいでよく見えないが、漏れ出すクスクスという声から僕の反応を面白がっているのがうかがえた。
僕はこの反応にふと既視感をおぼえるが、この時は目の前の彼について歩くのに必死で、既視感の正体を追求する余裕がなかった。
「渋谷に何しに行ってたの」
「えっと、雑誌を買いに」
「わざわざ?」
「地元に売ってなくて」
電車で隣の席に座った僕たちは、何気ない会話を交わす。
男性は雑誌が入った袋をのぞきこみ「ふーん」と小さく相槌を打った。
それから僕たちは電車を乗り継ぐ。
男性は乗換案内アプリを確認することなく、迷いのない足取りで僕の前を歩いた。
やがて、電車は僕の最寄り駅へと近づいていく。
「ねえ、この後時間ある?」
電車がゆっくりとスピードを落とし始めたそのタイミングで、男性が問いかけてきた。
「え、はい」
「近くにカフェとかある?ちょっとお茶でもしない?」
「あ、えーと、はい」
僕は戸惑ったが、ここまで送ってくれたお礼ができるなら……と思い了承することにした。
それから僕たちは駅の近くのカフェに入った。
席についてすぐ、男性がカバンをごそごそと漁り始める。
「コンタクト、度いくつ?」
「えっと……-4とかだったと思いますけど」
「ごめん、先に貸しとけばよかったね。ちょっと度弱いかもだけど、これ使う?」
そう言うと、男性はカバンから眼鏡ケースを取り出した。
「ずっと目がぼやけてる状態だと、疲れない?」
確かに、ぼやけた視界で注意深く行動していたこともあり、ちょうど疲れ始めていたところだった。
僕はお言葉に甘え、借りた眼鏡を装着する。
確かに、普段の僕の度数と比べるとやや低いようだったが、先程までの視界とは見違えるほど見やすくなった。
「どう?大丈夫そう?」
「はい、ありが……」
僕は思わず息を呑んだ。
目の前の男性がキャップとマスクを外す。
その顔には見覚えがあった。いや、見覚えがあったどころの騒ぎではない。
「あっ、え、な、なんで」
「気付くの遅いんだけど」
それは紛れもなく、Nexe1の陸だった。
え?え?え?としか言えない語彙力を失った僕に対し、陸は呆れたようにため息をつく。
「いくら目が見づらいからって、声とかで気付かない?」
「あーいや……すみません……」
「いいけど。もしこれが翔だったら、声だけでも気付いたんですかねー」
「それはまぁ……あ、いや、すみません!」
思わず正直な言葉が口から漏れ出してしまい、僕は慌てて謝罪する。
しかし陸は特に気にしていない様子でメニュー表を眺め始めた。
それから僕らはそれぞれ飲みたいものを注文し、改めて向き直った。
「えっと、これは、どういう状況ですか……?」
「そのままの状況だよ。君が渋谷でコンタクトを落として困ってるのを、俺がたまたま発見。それで声かけて、最寄りまで送ってあげた。以上」
「僕だって気付きましたよね?」
「気付いた。君は気付かなかったみたいだけど」
「すみません」
根に持つタイプなのだろうか……。
「いや、てか、この状況良くないですよ。僕、Nexe1のファンなのに、アイドルがファンに対してこんな……」
「あそこで放っておくわけにもいかないでしょ。例えば、目の前で溺れてる人がいたとして、その人が俺のファンだったら見捨てなきゃいけないってこと?」
「いや、そ、そうですよね、すみません」
それにしても、おかしな状況だ。
Nexe1のメンバーと一緒にカフェでお茶をしているなんて。
……と言っても、よく考えたら、僕は推しとお茶どころか一緒にデートをしたことがあるのだが……。
ここ最近特殊な状況に見舞われすぎて、僕は頭がくらくらするのを感じた。
「あの、送ってくれたことについては本当にありがとうございました。でも、その……アイドルと一緒にこういう場所にいるの落ち着かないし、陸くんからしても、ファンと一緒にこういうのって良くないんじゃないかなって」
「凛空くんは、今も俺らのファンなの?」
「あ……えっと」
即答できない自分に嫌気がさした。
Nexe1への熱が冷めたわけではない。
ただ、しばらくの間彼らから距離を置いていた、そのことが後ろめたさに繋がり、明確に「ファンだ」と名乗れなくなっていた。
「なら、一旦いいでしょ。俺らは友達同士で会ってるってことにしよう、一旦ね」
「はぁ……」
「ねぇ、お互い”リクくん”だと呼ぶときややこしい」
「え、いや、そんなこと言われても」
「俺のことは陸でいいよ。俺はりっくんって呼ぶ。その方が呼びやすいし」
「あ、はい、じゃあそれで」
「あと敬語やめて。同い年だよね」
「あ、はい……いや、うん」
前回のビラ配りの時も思ったが、陸は思いのほかよく喋る。
クールな印象を抱いていたのは、僕が陸のことを知らな過ぎたからだろうか。
それとも、ファンの前ではクールに振る舞っており、実は今のこれが素だったりするのだろうか。
そしてそんな僕と対照的に、陸は僕のことを何故かよく知っている。
顔を覚えられている上に、名前だってそうだ。あと、同い年という情報はどこで知ったのだろう?
ウェイターが飲み物を運んでくる。僕はメロンソーダに口を付けた。
「翔と一緒の学校通ってるんでしょ」
陸の言葉に、僕は思わずメロンソーダを吹き出しそうになる。
すんでのところでこらえたが、気管に入ったようで、ゲホゲホとせき込んでしまった。
「なっ……!な、んで、知って……」
息も絶え絶えに尋ねる僕に対し、陸はそのままの調子で答える。
「偶然ね、知っちゃって。推しと一緒の学校に通ってるってどういう気分?」
「いや……え……」
なるほど、翔と僕が同じ学校に通う同級生だということを知っているから、さっき「同い年」という言葉が出てきたのか。
いや、そうだとしても、「偶然知っちゃって」ってなんだ。
それはどうやって知ったんだ。……頭が混乱する。
「答えづらいか。じゃあ答えやすい質問から。クラスは一緒?別?」
「い、一緒」
「よく話すの?」
「えっと……学校では、特別よく話すというわけでは」
「学校では、ね。学校の外では?」
「あの、これ僕尋問されてる?」
「二人は付き合ってるの?」
「は!?」
予想だにしない質問に、僕は思わず大きな声を上げてしまう。
他の席にいた客が、ちらっと僕たちの席を見るのを視界の隅で確認した僕は、思わず手で自分の口をふさいだ。
「き、急に何……!?」
「ごめん。実はね、二人が一緒にいるとこ見ちゃって」
「え、いつ?どこで?」
「さっき降りた駅の前。噴水のとこ」
駅。噴水。
そのワードで、僕の頭の中に、いつかの思い出したくない記憶がよみがえる。
そう、翔に「好きな人はいるのか」などと質問して困らせてしまったあの日だ。
待て……まさかあの場面を陸に見られていたのか?
「待って、なんでその時陸がそこにいたの?え、陸って家がこの近くとか?」
「いや。まぁ、その……用事?で。たまたまさっきの駅に降りる機会があって。その時に見ちゃったんだ。ただならぬ雰囲気だったから付き合ってるのかなって」
「ただならっ……!いやいやいや、誤解!誤解だから!僕たちはそういう関係じゃない!」
「そうなの?」
「そう!ただのクラスメート」
「じゃあ、翔のこと、そういう意味で好きってわけじゃないんだ」
「……う、うん」
嘘だ。翔のことは“そういう意味”で好きだ。
だが、メンバーに対して「推しにガチ恋してます」なんて言えるわけなかった。
「推しとしては?今でも好き?」
「……それは、まぁ……ずっと推してきたわけだから、特別な存在ではある、というか」
「ねぇ、これ飲み終わったらちょっと付き合ってよ」
急に話題が変わったことに上手く反応できず、僕は返事に詰まる。
「このへんに服買える店ある?」
「ふ、服?」
「今度の特典会、私服でやるらしいんだ。だから新しいの欲しいなって」
「あー、へぇ……服屋は知らないけど、ちょっとしたショッピングモールなら」
「じゃあ、そこ行こう」
「え、一緒に行くの?」
「そう。ここまで送ってあげたの誰だっけ?」
お、恩着せがましい……とはいえ、実際陸のおかげで助かったのは事実だ。
こうして僕は陸に言われるがまま、カフェを出てショッピングモールへと向かうことになった。
「これとこれだったらどっちがいいと思う?」
モール内の適当な服屋に入るなり、陸は手慣れた様子で服を手に取ると、色違いの二着を僕に見せてきた。
「えーと、どっちでも」
「雑すぎ。てか俺に興味なさ過ぎ」
「いや、そういうわけじゃ。僕、服のセンスないから分からなくて」
「センスとかじゃなくて、りっくんの好みで選んで」
「好み?僕は明るい色の方が好きだけど……」
「じゃあこっちだね。これ買ってくる」
「え、待って!そんなあっさり決めていいの?僕なんかの意見で」
「いいよ。りっくんの選んだ服がいい」
そう言ってレジに向かう陸の背中を見ながら、僕はただただ戸惑う。
翔以外のメンバーが僕を認知しているというだけで驚きなのに、今なぜか僕はメンバーの服選びに付き合わされている。
頭の中が疑問符で埋め尽くされ、パンクしそうだ。
「買ってきた。次あっち行こう」
「え、まだ何か買うの?」
「せっかく来たんだしいいじゃん」
陸が僕の手を引く。
声の調子はクールなのに、無邪気さを感じるその姿に、僕はただただ冷静に「これがギャップか」などと考えていた。
こうして陸に振り回されるがまま、僕は彼の買い物に付き合うこととなった。
「アイス、食べる?」
アイス屋の前で立ち止まった陸が僕に問いかける。
「え、あー、僕はいいかな」
「奢るよ。今日付き合ってくれたお礼」
「え!?いやいいよ。ていうか、助けてくれたお礼で買い物付き合ったのに、さらにそのお礼って、意味がわから……」
「めんどくさ」
「めっ……!?」
陸はため息をつきつつも、その顔は少し笑っていた。
「何がいい?俺はー、バニラか、イチゴ……あーでも抹茶もいいな」
「全部頼めば?」
「そんなに食べられないよ」
アイスのケースの前で陸が唸る。
ファンは陸のこんな姿、見たことないんだろうな。僕は顔も知らない陸推しのファンたちを思い浮かべ、勝手に申し訳ない気持ちになる。
「えーどうしよう、決められない。クッキークリームも食べたくなってきた」
「じゃあ。スモールサイズのダブルで、バニラとイチゴにすれば?僕抹茶とクッキークリームにするから、シェアすればいいよ」
「え、いいの?」
「うん」
僕の申し出に陸はパッと顔を輝かせる。
それから陸は、僕が言った注文内容をそのまま、店員さんに伝えた。
「バニラうま。イチゴも美味しい」
美味しそうにアイスを食べる陸に、僕は自分のカップを手渡す。
「ほら、これもどうぞ」
「ありがと。りっくんも、はい、あーん」
陸がスプーンを僕の口の前に持ってくる。
「いや、えっ」
「ん?」
陸が不思議そうに首を傾げながら、僕の顔を覗き込む。こんなあざといことをするような人だっただろうか?僕が知らないだけで陸は元々こういう人なのか?教えて、陸推しのファンたちよ……。
観念した僕は、陸の差し出したスプーンに口を付けた。
アイスを食べ終わると陸は満足したようで、僕たちは再び駅へ向かった。
「じゃあ、今日はありがと」
「いえいえ、こちらこそありがとうございました」
「かしこまった言い方やめてよ」
「ははは」
僕の乾いた笑いが面白かったのか、陸は小さく笑いながら僕の肩をどつく。
「ねえりっくん」
「ん?」
「またNexe1を応援してくれるなら、俺を推してよ」
「えっ……いや、それは、どうかな……」
翔以外を推すという選択肢が僕の中にはなかったため、曖昧な返事しかできなかった。
しかし陸はさっきのように笑ってくれず、その目は真剣だった。
「冗談じゃなくて。俺を好きになってよ」
「えっ」
「……じゃあ、また」
そう言うと陸は僕に背を向け、駅の中へと消えていった。
僕の中に戸惑いの感情が渦巻く。
何故、陸はあんなことを言ったんだ?
僕は、陸の発言に意味深なものを感じてしまう。
しかし、陸が僕に興味を持つ理由なんてない。
ふと、頭の中に関口との会話がフラッシュバックする
『それはやっぱ、人間関係じゃないか?』
『だから、その、いじめ的な……』
『うーん、どうだろうな……』
深読みしすぎであってほしい。
ただ、ネガティブな僕はどうしてもいやな想像を膨らませてしまう。
翔推しである僕を自分になびかせることで、翔への嫌がらせをしようとしているのではないか。
陸が僕にかまう理由なんて、それ以外思い浮かばなかった。
いつもと変わらぬ1週間が始まる。
相変わらず僕の心の中では、翔への気持ちが小さな嵐を巻き起こしていたが、厄介なことにそこにもう一つ僕を悩ませる要素が加わった。
それが、ワンマンライブの件だ。
翔はそのことについて、今のところ一切話題に出さない。
そもそも、学校にいる間、翔とゆっくり話せるタイミングがないので、話題が出ないのは当然と言えば当然なのだが。
だが、心なしか転校してきた当初よりも、翔が僕に声をかけてくる回数が減った気がする。
恐らく、仲の良い友達ができたことで、僕に話しかける必要がなくなったのだろう。
……と、虚しいことを考えてしまうネガティブな自分に嫌気がさす。
「はぁー今日バイトだる~」
隣の席の関口がそう言いながら机に突っ伏す。
「あれ、今日もバイト?めっちゃ連勤してない?」
「そう。ここ最近、立て続けに二人も辞めちゃって、人手不足なんだよ」
「へぇ、なんで辞めちゃったの」
「そりゃー、やっぱ人間関係じゃね?」
「あんまよくないの?」
「うーん、まぁ。なんか、リーダーみたいに勝手に仕切ってる人がいて、その人に嫌われると終わり的な雰囲気出ててさ。まあ俺はなんとか目つけられずにやってるんだけど。でも他にいいバイト先見つけたら辞めるかも」
「そうなんだ」
ふと、僕の頭の中に、ここ最近考えないようにしていた疑問が再び浮上してきた。
――翔がグループを脱退した理由。
僕は近くに翔がいないのを確認してから、関口に切り出す。
「あのさ、例えばの話なんだけど……」
「なによ、改まって」
「六人組のアイドルグループがいたとしよう」
「唐突だな」
「いいからいいから。そのうち一人が突然、何の前触れもなく脱退しました。はっきりした理由は明かしていません」
「ほう」
「そのメンバーは、なんで辞めたんだと思う?」
「これ何、心理テスト?」
「これでどんな心理が分かるんだよ。違うって。真面目に考えてほしい」
関口は「うーん」とうなりながら視線を宙に向ける。
「それはやっぱ、人間関係じゃないか?」
「……具体的には?」
「六人組グループだろ。そういうグループって、四六時中一緒にいるって言っても過言じゃないわけじゃん。友達同士でもない人たちがある日突然集められて、『君たちは今日から同じグループです』ってパターンもあるかもしれないわけだろ」
こいつ、意外とアイドルに対する解像度が高い……。
「そんな形で知り合ったメンバーが、常に一緒にいて、ずーっと仲良しこよしでいられる確証ってないわけよ。気が合わないメンバーがいたりもあるかもしれないし」
「……もしそうだとして、関口のバイト先みたいなことって、あると思う?」
「ん?どゆこと?」
「だから、その、いじめ的な……」
その単語を口にしながら、僕は胸がズキンと痛むのを感じた。
「うーん、どうだろうな……それは、何とも言えないかも」
関口は困ったように言葉を返す。
今まで、考えなかったわけではない。
職場でも学校でも、辞める原因や行きたくない理由として、人間関係を挙げる人はきっと多くいる。
いじめというものも、閉ざされた人間関係の中では生じうることだ。
でも、Nexe1に限ってそんなことはない。
そんなことあるわけないと信じたい気持ちがあって、僕はその可能性をずっと無視していた。
彼らの仲の良さに嘘偽りはない。僕は自信をもってそう言える。
……言える、のか?
ファンから見た彼らの関係性は確かに良好なものに思えた。
でもそれがうわべだけだったら?
裏での彼らの顔なんて、ファンには知るすべがない。
もし本当に、そんな悲しい理由で翔が脱退していたとしたら……。
ずっと目を背けてきた、翔の脱退理由。
でも、次第に僕の中で「本当の理由が知りたい」という思いが大きくなっていった。
土曜の朝。
僕は渋谷へと向かっていた。
Nexe1のインタビュー記事が掲載された雑誌を購入するためだ。
Nexe1が雑誌に載るのは、今回が初めてである。
記念すべき一冊だから手に入れたい、という気持ちはもちろんあった。
しかしそれ以上に、僕はインタビューの中で彼らが何を語るのかに興味があった。
どうやら記事の中では、結成から今までの活動を振り返りながら、かなり深いところまで語っているらしい。
その中で、彼らが翔の話題を口にしているのではないかと思ったのだ。
翔の話題を出さずして、グループの軌跡は語れない。僕はそう信じていた。
しかし、該当の雑誌が地元の本屋では軒並み売り切れていて、なかなか手に入れることが出来なかった。
恐らく、表紙が今話題のK-POPアイドルグループだからだろう。
通販で購入することも考えたが、いち早く手に入れたいという思いから、僕は思い切って渋谷へと足を運ぶことにしたのだった。
駅に着き、僕は目の前に現れた無数の看板やデジタルサイネージを眺める。
そこにはドラマや映画の宣伝や、人気アイドルの姿が映し出されていた。
Nexe1が今よりもっと人気になれば、いつかここに彼らの顔が並ぶ日が来るだろうか。
きっと翔がいた頃だったら、渋谷の街を彩る六人の姿がはっきり想像できていた。
でも、今は……。
五人のNexe1に対する僕の解像度が低いせいで、その光景を思い描くことが難しかった。
目についた一番大きな本屋で、僕は無事雑誌を購入することに成功した。
もう少し渋谷をぶらぶらしても良いのだが、この日は風が強く、肌寒い。
どこかカフェにでも入って、温かい飲み物でも飲みたいな。
そう思っていた時だった。
「痛っ……!」
突如、目に衝撃を覚える。
どうやら、舞い上がった砂埃が目に入ったらしい。
僕は目をしばしばさせながら、痛みが去るのを待つ。
しかしその際、コンタクトがぽろっと目から落ちてしまった。
急いで地面を見回すが、片目しか見えないせいで視界がひどくぼやけている。
しかも、片方のレンズを探すことに必死になるあまり、もう片方の目が乾燥してしまったのか、そちらのコンタクトレンズまでぽろりと外れてしまった。
僕の視力は著しく悪い。
それは数か月前、転校してきた翔の顔を一目では判別できなかったことからもお分かりだろう。
この状態で出歩くのは危険だ。そう判断した僕は地面にしゃがみ込み、必死にコンタクトを探す。
「どこかの店で新しいコンタクトを買う」などという代替案は、焦った僕の頭には思い浮かばなかった。
そこそこの人通りがある道だったせいで、行き交う人たちの足がしゃがみこむ僕の体に当たる。
何人かは「すみません」と謝ってくれたが、ほとんどの人は無視して通り過ぎて行った。
僕はひどく惨めな気持ちになり、もうこのまま帰ろうかと決意する。
その時。
「大丈夫ですか?」
後ろから声をかけられた。
しゃがんだまま振り返ると、若い男性の足元が見える。
心配した通行人が声をかけてくれたらしい。
「あ、コンタクトを落としてしまって……」
僕がそう伝えると男性は僕の隣にしゃがみ込み、地面を凝視した。
「うーん……」
「あの、大丈夫です。多分もう見つからない気がするので、帰ろうと思ってたとこで」
「ほんとに大丈夫?」
「……はい」
……と、答えたものの、両目がぼやけたこの状態では、駅の案内表示や電光掲示板もまともに見えない。
下手をしたら、まったく見当違いの電車に乗りこみ、気付けば見知らぬ土地に辿り着いていた……なんてことになりかねない状況だった。
「家どこ?近いの?」
そう聞かれた僕は地元名を答える。
電車を乗り継いでおよそ50分。近いとは言い切れない距離だ。
「送ろうか」
予想外の申し出に、僕は「えっ」と声が裏返る。
ここで僕はようやく目の前の男性の顔を見た。
黒いキャップを目深にかぶり、グレーのマスクをしていて、顔はよく見えない。
恐らく同年代か、やや年上くらいだろうか。
「暇だし、送るよ」
「いや、でも……」
「じゃあ一人で帰る?帰り道何があっても知らないけど」
心配してくれてるん……だよな?
声のトーンは単調で、言い回しは少し素っ気ない。
でも、無理に優しく見せようとしているわけではないからこそ、この人は信頼できるのではないかと思えた。
「じゃあ、お願いしてもいいですか?」
「いいよ。つかまる?」
男性が腕を差し出す。
「いや、それは大丈夫です」
「あ、それともこっち?」
今度は手を差し出してきた。
おちょくられていると感じた僕は「結構です」と少し強めに返す。
男性の顔は帽子とマスクで隠れているのと、視界がぼやけているせいでよく見えないが、漏れ出すクスクスという声から僕の反応を面白がっているのがうかがえた。
僕はこの反応にふと既視感をおぼえるが、この時は目の前の彼について歩くのに必死で、既視感の正体を追求する余裕がなかった。
「渋谷に何しに行ってたの」
「えっと、雑誌を買いに」
「わざわざ?」
「地元に売ってなくて」
電車で隣の席に座った僕たちは、何気ない会話を交わす。
男性は雑誌が入った袋をのぞきこみ「ふーん」と小さく相槌を打った。
それから僕たちは電車を乗り継ぐ。
男性は乗換案内アプリを確認することなく、迷いのない足取りで僕の前を歩いた。
やがて、電車は僕の最寄り駅へと近づいていく。
「ねえ、この後時間ある?」
電車がゆっくりとスピードを落とし始めたそのタイミングで、男性が問いかけてきた。
「え、はい」
「近くにカフェとかある?ちょっとお茶でもしない?」
「あ、えーと、はい」
僕は戸惑ったが、ここまで送ってくれたお礼ができるなら……と思い了承することにした。
それから僕たちは駅の近くのカフェに入った。
席についてすぐ、男性がカバンをごそごそと漁り始める。
「コンタクト、度いくつ?」
「えっと……-4とかだったと思いますけど」
「ごめん、先に貸しとけばよかったね。ちょっと度弱いかもだけど、これ使う?」
そう言うと、男性はカバンから眼鏡ケースを取り出した。
「ずっと目がぼやけてる状態だと、疲れない?」
確かに、ぼやけた視界で注意深く行動していたこともあり、ちょうど疲れ始めていたところだった。
僕はお言葉に甘え、借りた眼鏡を装着する。
確かに、普段の僕の度数と比べるとやや低いようだったが、先程までの視界とは見違えるほど見やすくなった。
「どう?大丈夫そう?」
「はい、ありが……」
僕は思わず息を呑んだ。
目の前の男性がキャップとマスクを外す。
その顔には見覚えがあった。いや、見覚えがあったどころの騒ぎではない。
「あっ、え、な、なんで」
「気付くの遅いんだけど」
それは紛れもなく、Nexe1の陸だった。
え?え?え?としか言えない語彙力を失った僕に対し、陸は呆れたようにため息をつく。
「いくら目が見づらいからって、声とかで気付かない?」
「あーいや……すみません……」
「いいけど。もしこれが翔だったら、声だけでも気付いたんですかねー」
「それはまぁ……あ、いや、すみません!」
思わず正直な言葉が口から漏れ出してしまい、僕は慌てて謝罪する。
しかし陸は特に気にしていない様子でメニュー表を眺め始めた。
それから僕らはそれぞれ飲みたいものを注文し、改めて向き直った。
「えっと、これは、どういう状況ですか……?」
「そのままの状況だよ。君が渋谷でコンタクトを落として困ってるのを、俺がたまたま発見。それで声かけて、最寄りまで送ってあげた。以上」
「僕だって気付きましたよね?」
「気付いた。君は気付かなかったみたいだけど」
「すみません」
根に持つタイプなのだろうか……。
「いや、てか、この状況良くないですよ。僕、Nexe1のファンなのに、アイドルがファンに対してこんな……」
「あそこで放っておくわけにもいかないでしょ。例えば、目の前で溺れてる人がいたとして、その人が俺のファンだったら見捨てなきゃいけないってこと?」
「いや、そ、そうですよね、すみません」
それにしても、おかしな状況だ。
Nexe1のメンバーと一緒にカフェでお茶をしているなんて。
……と言っても、よく考えたら、僕は推しとお茶どころか一緒にデートをしたことがあるのだが……。
ここ最近特殊な状況に見舞われすぎて、僕は頭がくらくらするのを感じた。
「あの、送ってくれたことについては本当にありがとうございました。でも、その……アイドルと一緒にこういう場所にいるの落ち着かないし、陸くんからしても、ファンと一緒にこういうのって良くないんじゃないかなって」
「凛空くんは、今も俺らのファンなの?」
「あ……えっと」
即答できない自分に嫌気がさした。
Nexe1への熱が冷めたわけではない。
ただ、しばらくの間彼らから距離を置いていた、そのことが後ろめたさに繋がり、明確に「ファンだ」と名乗れなくなっていた。
「なら、一旦いいでしょ。俺らは友達同士で会ってるってことにしよう、一旦ね」
「はぁ……」
「ねぇ、お互い”リクくん”だと呼ぶときややこしい」
「え、いや、そんなこと言われても」
「俺のことは陸でいいよ。俺はりっくんって呼ぶ。その方が呼びやすいし」
「あ、はい、じゃあそれで」
「あと敬語やめて。同い年だよね」
「あ、はい……いや、うん」
前回のビラ配りの時も思ったが、陸は思いのほかよく喋る。
クールな印象を抱いていたのは、僕が陸のことを知らな過ぎたからだろうか。
それとも、ファンの前ではクールに振る舞っており、実は今のこれが素だったりするのだろうか。
そしてそんな僕と対照的に、陸は僕のことを何故かよく知っている。
顔を覚えられている上に、名前だってそうだ。あと、同い年という情報はどこで知ったのだろう?
ウェイターが飲み物を運んでくる。僕はメロンソーダに口を付けた。
「翔と一緒の学校通ってるんでしょ」
陸の言葉に、僕は思わずメロンソーダを吹き出しそうになる。
すんでのところでこらえたが、気管に入ったようで、ゲホゲホとせき込んでしまった。
「なっ……!な、んで、知って……」
息も絶え絶えに尋ねる僕に対し、陸はそのままの調子で答える。
「偶然ね、知っちゃって。推しと一緒の学校に通ってるってどういう気分?」
「いや……え……」
なるほど、翔と僕が同じ学校に通う同級生だということを知っているから、さっき「同い年」という言葉が出てきたのか。
いや、そうだとしても、「偶然知っちゃって」ってなんだ。
それはどうやって知ったんだ。……頭が混乱する。
「答えづらいか。じゃあ答えやすい質問から。クラスは一緒?別?」
「い、一緒」
「よく話すの?」
「えっと……学校では、特別よく話すというわけでは」
「学校では、ね。学校の外では?」
「あの、これ僕尋問されてる?」
「二人は付き合ってるの?」
「は!?」
予想だにしない質問に、僕は思わず大きな声を上げてしまう。
他の席にいた客が、ちらっと僕たちの席を見るのを視界の隅で確認した僕は、思わず手で自分の口をふさいだ。
「き、急に何……!?」
「ごめん。実はね、二人が一緒にいるとこ見ちゃって」
「え、いつ?どこで?」
「さっき降りた駅の前。噴水のとこ」
駅。噴水。
そのワードで、僕の頭の中に、いつかの思い出したくない記憶がよみがえる。
そう、翔に「好きな人はいるのか」などと質問して困らせてしまったあの日だ。
待て……まさかあの場面を陸に見られていたのか?
「待って、なんでその時陸がそこにいたの?え、陸って家がこの近くとか?」
「いや。まぁ、その……用事?で。たまたまさっきの駅に降りる機会があって。その時に見ちゃったんだ。ただならぬ雰囲気だったから付き合ってるのかなって」
「ただならっ……!いやいやいや、誤解!誤解だから!僕たちはそういう関係じゃない!」
「そうなの?」
「そう!ただのクラスメート」
「じゃあ、翔のこと、そういう意味で好きってわけじゃないんだ」
「……う、うん」
嘘だ。翔のことは“そういう意味”で好きだ。
だが、メンバーに対して「推しにガチ恋してます」なんて言えるわけなかった。
「推しとしては?今でも好き?」
「……それは、まぁ……ずっと推してきたわけだから、特別な存在ではある、というか」
「ねぇ、これ飲み終わったらちょっと付き合ってよ」
急に話題が変わったことに上手く反応できず、僕は返事に詰まる。
「このへんに服買える店ある?」
「ふ、服?」
「今度の特典会、私服でやるらしいんだ。だから新しいの欲しいなって」
「あー、へぇ……服屋は知らないけど、ちょっとしたショッピングモールなら」
「じゃあ、そこ行こう」
「え、一緒に行くの?」
「そう。ここまで送ってあげたの誰だっけ?」
お、恩着せがましい……とはいえ、実際陸のおかげで助かったのは事実だ。
こうして僕は陸に言われるがまま、カフェを出てショッピングモールへと向かうことになった。
「これとこれだったらどっちがいいと思う?」
モール内の適当な服屋に入るなり、陸は手慣れた様子で服を手に取ると、色違いの二着を僕に見せてきた。
「えーと、どっちでも」
「雑すぎ。てか俺に興味なさ過ぎ」
「いや、そういうわけじゃ。僕、服のセンスないから分からなくて」
「センスとかじゃなくて、りっくんの好みで選んで」
「好み?僕は明るい色の方が好きだけど……」
「じゃあこっちだね。これ買ってくる」
「え、待って!そんなあっさり決めていいの?僕なんかの意見で」
「いいよ。りっくんの選んだ服がいい」
そう言ってレジに向かう陸の背中を見ながら、僕はただただ戸惑う。
翔以外のメンバーが僕を認知しているというだけで驚きなのに、今なぜか僕はメンバーの服選びに付き合わされている。
頭の中が疑問符で埋め尽くされ、パンクしそうだ。
「買ってきた。次あっち行こう」
「え、まだ何か買うの?」
「せっかく来たんだしいいじゃん」
陸が僕の手を引く。
声の調子はクールなのに、無邪気さを感じるその姿に、僕はただただ冷静に「これがギャップか」などと考えていた。
こうして陸に振り回されるがまま、僕は彼の買い物に付き合うこととなった。
「アイス、食べる?」
アイス屋の前で立ち止まった陸が僕に問いかける。
「え、あー、僕はいいかな」
「奢るよ。今日付き合ってくれたお礼」
「え!?いやいいよ。ていうか、助けてくれたお礼で買い物付き合ったのに、さらにそのお礼って、意味がわから……」
「めんどくさ」
「めっ……!?」
陸はため息をつきつつも、その顔は少し笑っていた。
「何がいい?俺はー、バニラか、イチゴ……あーでも抹茶もいいな」
「全部頼めば?」
「そんなに食べられないよ」
アイスのケースの前で陸が唸る。
ファンは陸のこんな姿、見たことないんだろうな。僕は顔も知らない陸推しのファンたちを思い浮かべ、勝手に申し訳ない気持ちになる。
「えーどうしよう、決められない。クッキークリームも食べたくなってきた」
「じゃあ。スモールサイズのダブルで、バニラとイチゴにすれば?僕抹茶とクッキークリームにするから、シェアすればいいよ」
「え、いいの?」
「うん」
僕の申し出に陸はパッと顔を輝かせる。
それから陸は、僕が言った注文内容をそのまま、店員さんに伝えた。
「バニラうま。イチゴも美味しい」
美味しそうにアイスを食べる陸に、僕は自分のカップを手渡す。
「ほら、これもどうぞ」
「ありがと。りっくんも、はい、あーん」
陸がスプーンを僕の口の前に持ってくる。
「いや、えっ」
「ん?」
陸が不思議そうに首を傾げながら、僕の顔を覗き込む。こんなあざといことをするような人だっただろうか?僕が知らないだけで陸は元々こういう人なのか?教えて、陸推しのファンたちよ……。
観念した僕は、陸の差し出したスプーンに口を付けた。
アイスを食べ終わると陸は満足したようで、僕たちは再び駅へ向かった。
「じゃあ、今日はありがと」
「いえいえ、こちらこそありがとうございました」
「かしこまった言い方やめてよ」
「ははは」
僕の乾いた笑いが面白かったのか、陸は小さく笑いながら僕の肩をどつく。
「ねえりっくん」
「ん?」
「またNexe1を応援してくれるなら、俺を推してよ」
「えっ……いや、それは、どうかな……」
翔以外を推すという選択肢が僕の中にはなかったため、曖昧な返事しかできなかった。
しかし陸はさっきのように笑ってくれず、その目は真剣だった。
「冗談じゃなくて。俺を好きになってよ」
「えっ」
「……じゃあ、また」
そう言うと陸は僕に背を向け、駅の中へと消えていった。
僕の中に戸惑いの感情が渦巻く。
何故、陸はあんなことを言ったんだ?
僕は、陸の発言に意味深なものを感じてしまう。
しかし、陸が僕に興味を持つ理由なんてない。
ふと、頭の中に関口との会話がフラッシュバックする
『それはやっぱ、人間関係じゃないか?』
『だから、その、いじめ的な……』
『うーん、どうだろうな……』
深読みしすぎであってほしい。
ただ、ネガティブな僕はどうしてもいやな想像を膨らませてしまう。
翔推しである僕を自分になびかせることで、翔への嫌がらせをしようとしているのではないか。
陸が僕にかまう理由なんて、それ以外思い浮かばなかった。
