翔への恋心を自覚してから、2週間が経過した。
あの後、僕と翔との関係に進展はない。
普段通り、翔は教室で話しかけてくれるし、僕もそれに何でもない風を装って応じている。
そう、何でもない風を装って……。
実際のところ、僕の心の中は常に台風が居座っているかのように、感情が暴れ回って収拾がつかない状態だった。
駅前で翔と会ったあの日。
卵1パックを片手に帰宅した僕は、自分の言動を激しく後悔した。
推しの恋愛事情を詳しく尋ねるなんて、ファンとしてあるまじき行為だ。
それに加え、僕は愚かなことに「翔が自分を好いてくれているのでは」なんて錯覚してしまった。
それ以前に、自分が推しに対し恋心を抱いてしまうこと自体、おこがましい。
「ガチ恋」という言葉があるように、ファンが推しに対し恋愛感情を抱くことは一般的にもよくある。僕はそれ自体を否定しているわけではない。誰が誰を好きになろうと、その人の自由だ。推しに迷惑さえかからなければ、その好意の種類が「人として好き」なのか「異性として好き」なのかは特に問題ではない。
しかし、僕自身の話となると別だ。
僕は自己肯定感が高い方ではない。そのため、冷静になった時にふと思ってしまったのだ。
「僕なんかに恋愛感情を向けられても、翔は迷惑なんじゃないか」と。
きっと翔は、僕が善良なファンだから優しく接してくれる。
それに、学校でも気さくに話しかけてくれるのは、僕が男だからというのもあるのだろう。
これは僕の勝手な想像だが、翔は僕の気持ちに恋愛感情なんて欠片もないと思っている。だからこそ、何の警戒もなく僕と仲良くしてくれているのだ。
しかし、そこに恋愛感情があると知られてしまったら……。
やはり、推しを好きになってはいけない。
だから僕は、翔とは今まで通り、微妙な距離を保ちつつ、関わろうと決めたのだった。
ある日の夕方。
学校から帰宅した僕は、スマホに通知が来ていることに気づいた。
そこに表示された『聡志』という名前に、僕は思わず目を丸くする。
聡志さんは、僕がNexe1の現場で出会った友人だ。
友人と言っても、数回現場で会ったことがあるだけで、特別仲が良かったわけではない。
だがNexe1はそもそも男性ファンが少ない現場ということもあり、仲良くなる前から僕と聡志さんはお互いのことをなんとなく認識していた。
そんなある日、たまたま整理番号が隣同士だったことで、聡志さんから声をかけてもらい、以来現場で会うたびに雑談を交わす仲になった。
その中で、聡志さんの方から「今度飯でも行こう」と誘ってもらい、連絡先を交換したのだった。
とはいえ、結局食事に行く約束は果たせないまま、僕はNexe1の現場を離れた。
そしてそれっきり、聡志さんと連絡をとることもなかった。
そのため僕は「何故今更聡志さんが?」と驚きつつも、メッセージを開く。
そしてそこに書かれた内容に、僕は思わず「え!?」とでかい声を上げてしまった。
『りっくん久しぶりー、元気?急にごめんだけど、Nexe1ワンマンライブ決まったね!』
――ワンマンライブ。
その単語に、僕の目は釘付けになる。
何故ここまで僕が驚いているのかと言うと、まず大前提として、Nexe1の活動は、ショッピングモールやCDショップのイベントスペースなどでのフリーライブ&特典会が中心だった。僕が散々言ってきた「現場」というのも、そういった場所でのイベントのことを指している。
ライブハウスやホールなどでのライブもやったことがないわけではないが、それらはすべて先輩グループの前座であったり、事務所の他グループと合同で行うライブだったりと、Nexe1単独での公演ではなかった。
そのため、ワンマンライブはNexe1にとって、初めての試みなのだ。
「お久しぶりです。ワンマンって、ほんとですか!?」
僕はすぐ、聡志さんに返信を送る。
『え、知らなかったの?SNS見た?』
「最近SNS絶ちしてて。今確認してみます」
僕は数か月ぶりに、自身のSNSアカウントにログインする。
何故数か月ぶりなのかと言うと、翔が脱退してから、ショックでSNSが見れなかったからだ。
というのも、脱退当初、翔の脱退についてはファンが思い思いの感情をSNSで呟いていた。
その中には、翔を非難するような内容もきっとあったはずだ。
僕はそれを絶対に見たくなかった。翔が悪く言われているなんて、想像するだけで辛い。
でも最近のSNSは残酷で、自発的に見ようとしなくても「おすすめ」として、関連のある投稿が大量に流れてくる。
だから僕は自衛のために、SNSアプリ自体を削除したのだ。
それから僕はすぐにNexe1の公式アカウントを開く。
するとそこには「重大発表」との文字と共に、ワンマンライブの告知が投稿されていた。
『重大発表!
Nexe1初のワンマンライブ開催決定!!
会場はLUMINA HALL☆
チケット先行の詳細はURLをチェック!
ご応募お待ちしております』
「ルミナホール…」
僕はすぐにその会場名を検索する。
東京に昨年できたばかりのホールで、キャパシティは1500人ほど。
アイドルがライブをする会場としては小さ目に感じる人もいるだろうが、Nexe1がライブをすることを考えると、1500人というキャパは挑戦ともいえる規模だった。
呆然と画面を見つめる僕を現実に引き戻すかのように、聡志さんからのメッセージの通知が来る。
『見た?ルミナでライブとかやばくない?凛空くん行く?ていうか行こうよ!連番しない?』
僕はその誘いに即答することができなかった。
翔が脱退して以降、僕はNexe1を離れた。
別にNexe1を嫌いになったわけではないし、翔が抜けたことでNexe1に対する興味を失ったというわけでもない。
何故なら、Nexe1というグループ自体にも確かな魅力があったからだ。
彼らの明るく元気なパフォーマンス、そしてファンたちのコールやペンライト。それらが一体となって作り上げられたライブが僕は大好きだった。
だからこそ、僕は彼らに対し、申し訳なさのようなものを感じていた。
あれだけ大好きなグループだったのに、推しが脱退したからという理由であっさり彼らから離れてしまった。
あの頃の僕は、いじけていたのだ。
今思えば、あの頃のNexe1は翔を失い、大変な状況だったはず。
だからこそファンが彼らを応援し、支えなくてはならなかった。
しかし、僕はその役割を拒み、翔を、そしてNexe1を忘れようとさえしていた。
そんな僕が再び現場に顔を出すなんて……恥知らずもいいところである。
「ちょっと考えさせてください」
僕はそう返信した。
しかし1分も経たずに、聡志さんから予想外の返事が返ってくる。
『りっくん、今度ご飯いかない?約束してたのに、結局果たせてないじゃん。それにりっくんと話したいことも色々あるし』
話したいこと……。
きっと、僕がNexe1の現場に来なくなったことを、聡志さんは心配してくれているのだろう。
僕は少し悩んだ末に、食事の誘いを承諾した。
僕としても、今のNexe1がどのような状況なのか、少し知りたい気持ちがあったからだ。
土曜日。
待ち合わせ場所であるファミレスの前で待っていると、青いスポーツカーが駐車場に停まった。
「りっくーん!」
聡志さんは車から降りると、最後に会った時と変わらぬ笑顔を僕に向けた。
「お久しぶりです」
「久しぶり。変わってないね」
「聡志さんも。……あっ」
僕は聡志さんが持っていたバッグに目線を奪われる。
そこにはキーホルダー型の定期入れのようなものがついているが、よく見るとそこに入っていたのは定期の類ではなく、小さい写真のようだった。
「あ、気付いた?海里のトレカ!この間のイベントでランダムトレカが発売されてさ、他のオタクと交換して海里のゲットしたんだ」
海里というのは聡志さんの推しだ。メンバーカラーは青。
聡志さんが青い車に乗っているのは、海里のメンカラだからである。
「Nexe1、そんなグッズが出てるんですか」
「今出てるのは生写真とトレカだけだけどね。でも今度のワンマンではアクスタとかアクキーとか、もっと色んなグッズが出るんじゃないかな」
僕がNexe1を推していた時は、生写真セットしかグッズと呼べるものがなかった。
ただ聞いた話によれば、僕がNexe1にハマるより前に、ライブグッズとしてメンバーの名前が印字されたタオルが販売されたことがあるらしいが、残念ながら僕はそれを手に入れられなかった。
もしも翔がまだNexe1に在籍していたら、僕はきっと、翔のグッズを片っ端から買い集めていただろう。
そうなっていたら、僕の周りは翔のメンカラであるオレンジ一色になっていたかもしれない。
テーブル席に通され、僕たちは各々好きなものを注文する。
聡志さんが「俺のおごりだから好きなもの食べな」と言ってくれたが、僕は遠慮して一番安いランチを注文した。
聡志さんは僕より二つ上の大学生で、元々Nexe1の先輩グループのファンだった。
その先輩グループのライブの前座で、Nexe1のことを見て興味を持ち、以来先輩グループと掛け持ちでNexe1を推し始めたらしい。
「にしてもほんと久しぶりだね。いつぶり?」
「えーと、所沢のフリーライブとか、ですかね」
「あーそうかも!最近はもうめっきり?」
「はい……現場には全く、行ってないです」
「やっぱり、翔が……」
聡志さんは言葉を選んでいるようだった。
きっと気を遣わせている。
思えば聡志さんは、翔の脱退が発表された時も、あえて僕に連絡してくることはなかった。
あの時もきっと、なんて声をかければいいのか分からなかったのだろう。
「最近のNexe1、どうですか?」
僕は話題を変える。
「あー、うん。頑張ってるよ。聞いてよ、最近琥珀の歌唱力がめきめき上がってて」
琥珀はグループ最年少メンバーだ。
特別歌唱力が高い印象はなかったが、負けず嫌いな性格のため、きっとあれからボイトレを頑張っているのだろう。
「海里の特典会にも参加してるんですか?」
「もっちろん!あ、写真あるよ、見る?」
特典会では、お渡し会のほかに、2ショット撮影会というものも存在する。
ファンのスマホで、推しとの2ショット写真を撮影してもらえるというものだ。
ちなみに、僕は参加したことがない。
推しの写真に、僕まで写る必要はないと考えているからだ。
仮に撮ったとしても、推しのとなりでにやけ顔をかます自分の顔など、醜くて見れたものではないだろう。
聡志さんがスマホに海里との2ショット写真を表示させる。
海里の隣に写る聡志さんは満面の笑みで、幸福感が画面を通して伝わってきた。
「いいですね」
「でしょ?」
変わらず推し活を楽しんでいる聡志さんを見て、羨ましく思う。
……が、冷静に考えれば僕も僕で「推しとデートをする」などというとんでもないことをしているわけで。もし聡志さんがそれを聞いたら、驚きのあまり今飲んでいるアイスコーヒーを盛大に吹き出してしまうことだろう。
だが、僕は聡志さんにそんな無様な真似をさせる気はさらさらなかった。
それ以前に、僕は翔が同じ学校に通っていること自体、明かすつもりはない。
もうアイドルは辞めているとはいえ、ファンにプライベートな情報を教えるのはモラルに反すると思ったからだ。
「それでさ、りっくんはライブ行かないの?」
聡志さんが一呼吸おいてから、本題を切り出す。
「ワンマンライブですよね。えっと……どうしようかなと思ってます」
「それは……翔がいないから?」
「いや……翔がいなくても、Nexe1のことは今でも好きです。でも、ここしばらく現場に全く行けてないし、なんか、僕なんかが行ってもいいのかなと」
「何言ってんの。全然行こうよ!ていうか、メンバーも言ってるんだけどさ。ほら、今回キャパでかいじゃん?これ、事務所としても結構一か八かの試みらしくて」
「え……」
「その、翔が抜けてからさ、ちょっとグループ的に混乱してた時期があって。パフォーマンスも上手くいかなかったり。あと、ファンも結構離れちゃったりとかで」
僕はグサリと胸を刺されるような感覚を覚える。
Nexe1の活動に支障が出ていたこともそうだし、その「離れたファン」の中に僕が入っていることも、罪悪感を増幅させた。
「そんなわけだったから、正直ファンたちも心配してたんだ。でも、あれからメンバーも必死に頑張ってさ。それで決まったワンマンライブよ。事務所的にも、勢いづけたいと思ったんだろうね」
「そうなんですね……」
僕たちの間の重たい空気をかき消すように、ウェイターが明るい声で「お待たせしました、ハンバーグランチです」とテーブルに料理を置く。
聡志さんはすぐに明るい調子を取り戻し、「さあ食べようか」と僕に笑いかけた。
食事を終え、僕がグラスの中のコーラを飲み切ろうとしている時、聡志さんが「そうそう」と何やらいたずらっぽい笑みを浮かべ話を切り出した。
「俺がなんで今日、りっくんを誘ったかわかる?」
「え、Nexe1の話をするためですよね?」
「じゃなくて、なんで“今日”なのか、ってこと」
「え……お互い学校が休みだから」
「それもあるけどぉ!実は今日、Nexe1が都内でビラ配りをするらしい」
「え!?」
「SNSでね、運営が逐一場所のヒントを投稿してんの。今からの時間だと多分、恵比寿だと思う」
聡志さんが差し出したスマホの画面を見ると、Nexe1の公式アカウントが「ビラ配り場所のヒント」として、海老の絵文字つきの投稿をしていた。海老だから恵比寿か。なんて安直なんだ。
「だからさ、今から行こうよ!」
「い、今から?」
「久しぶりにメンバーに会ったら、ライブ行きたいって気持ちが湧いてくるかもよ」
聡志さんからのサプライズに、僕の中には戸惑いと気まずさのようなものが湧き上がっていたが、結局勢いに押され、僕は聡志さんの車に乗り込み恵比寿へと向かうことになった。
「駅周辺だと思うんだけど」
コインパーキングに車を停めたあと、僕らは恵比寿駅へ向かった。
聡志さんがファンたちの投稿を確認したところ、駅付近でビラ配りをしているとの情報が見つかったらしい。
「あ、いた!」
聡志さんが声を上げる。
その視線の先を見ると、そこには見知ったイケメンたちの姿があった。
心臓がバクバクと音を立て始める。
メンバーの姿を見るのは数か月ぶりだった。
もちろん、翔を除いてだが……。
それから聡志さんに促されるまま、僕はメンバーたちの元へ向かう。
「お願いしまーす。Nexe1ってアイドルグループやってます!」
けなげに通行人に声をかける彼らの姿を見て、僕は胸の奥がじんと熱くなるのを感じた。
「お願いしま……あっ」
メンバーの一人、海里が聡志さんを見て、小さく声を上げた。
「ありがとうございます!」
海里が聡志さんにビラを手渡す。
特別な対応をするわけではないが、その笑顔は先程まで通行人たちに向けていた笑顔とは全く違い、心から安心しきったような感情がうかがえた。
そして聡志さんはと言うと……
「あ、あの……ワンマン行きます、頑張って……!」
聡志さんは、海里の前だとまるで別人のように話せなくなる。
本人曰く、推しの前ではどうしても緊張してしまうのだそうだ。
そのため、特典会でマシンガントークで推しに思いを伝える僕のことを、聡志さんはしばしば「羨ましい」と口にしていた。
「ねぇ、翔の……」
聡志さんと海里の姿を微笑ましく見ていた僕は、不意にかけられた声に、はっと我に返った。
メンバーの一人、陸が僕に話しかけてきたのだ。
陸は僕と同じ名前だが、僕とは正反対のキリッとした中性的な顔立ちをしたイケメンだ。
クールで、どこか掴みどころのないキャラクターが、女性ファンたちから支持を集めている。
「あ、えっと」
僕が返事に困っていると、陸がさらに言葉を続ける。
「翔のファンの子だよね」
「あ……はい」
他メンバーにまで認知されていたのか、という驚きで、僕は思わず言葉に詰まった。
「ファン降りたのかと思った」
「え?あ……す、すみません」
つい謝ってしまった僕に、陸はフッと笑みをこぼす。
「いや、全然。ワンマンライブやることになったから、よかったら来てね」
「あ、はい」
僕は陸からビラを受け取る。
「俺に推し変してくれてもいいし」
「えっ」
「名前一緒だし」
名前までバレているのか……。
思えば、特典会で翔と陸のレーンはいつも隣同士だったため、僕たちの会話が陸にも筒抜けだったのかもしれない。
「僕は、推し変はしないので……」
「なんだ、残念」
陸は表情を変えずに言う。
なるほど、クールそうに見えてこういう一面もあるのか。
それは女子たちもメロメロになるだろうな、と納得した。
無事ビラを受け取ることに成功した僕たちは、駅を離れ車へと戻る。
聡志さんは「やばい手が震える」と言いながら、海里から受け取ったビラを大事そうにクリアファイルにしまっていた。
「ライブ、絶対来なよ!連番したかったらいつでも連絡して!」
「はい。今日はありがとうございました」
聡志さんが、海里のメンバーカラーのスポーツカーで颯爽と去っていく。
翔のいないNexe1のライブ――。
見るのが怖い、そう思ってしまう自分がいることに気づいた。
まるで翔がいないのが当然のように、ステージで輝く五人の姿。
そして、それを何の疑いもせず受け入れるファンたちの姿をつい想像してしまう。
その想像上の光景は、まるで「翔なんていなくたっていい」そう言っているようだった。
もし、Nexe1のライブに行くと翔に言ったら、翔はどんな反応を返すだろうか。
そもそも翔は、ワンマンライブの告知を見て何を思ったのか。
僕はそんなことを考えながら、受け取ったビラをかばんにしまう。
『俺に推し変してくれてもいいし』
陸の声が頭の中に響く。
僕はNexe1と、そして翔と、どう向き合っていけばいいのだろうか。
心の底からまたNexe1を応援することができるのだろうか。
陸の言葉によって、心を乱されている自分がいることに気づく。
そしてこの時の僕はまだ、陸とあんなことになるとは、思ってもいなかった。
あの後、僕と翔との関係に進展はない。
普段通り、翔は教室で話しかけてくれるし、僕もそれに何でもない風を装って応じている。
そう、何でもない風を装って……。
実際のところ、僕の心の中は常に台風が居座っているかのように、感情が暴れ回って収拾がつかない状態だった。
駅前で翔と会ったあの日。
卵1パックを片手に帰宅した僕は、自分の言動を激しく後悔した。
推しの恋愛事情を詳しく尋ねるなんて、ファンとしてあるまじき行為だ。
それに加え、僕は愚かなことに「翔が自分を好いてくれているのでは」なんて錯覚してしまった。
それ以前に、自分が推しに対し恋心を抱いてしまうこと自体、おこがましい。
「ガチ恋」という言葉があるように、ファンが推しに対し恋愛感情を抱くことは一般的にもよくある。僕はそれ自体を否定しているわけではない。誰が誰を好きになろうと、その人の自由だ。推しに迷惑さえかからなければ、その好意の種類が「人として好き」なのか「異性として好き」なのかは特に問題ではない。
しかし、僕自身の話となると別だ。
僕は自己肯定感が高い方ではない。そのため、冷静になった時にふと思ってしまったのだ。
「僕なんかに恋愛感情を向けられても、翔は迷惑なんじゃないか」と。
きっと翔は、僕が善良なファンだから優しく接してくれる。
それに、学校でも気さくに話しかけてくれるのは、僕が男だからというのもあるのだろう。
これは僕の勝手な想像だが、翔は僕の気持ちに恋愛感情なんて欠片もないと思っている。だからこそ、何の警戒もなく僕と仲良くしてくれているのだ。
しかし、そこに恋愛感情があると知られてしまったら……。
やはり、推しを好きになってはいけない。
だから僕は、翔とは今まで通り、微妙な距離を保ちつつ、関わろうと決めたのだった。
ある日の夕方。
学校から帰宅した僕は、スマホに通知が来ていることに気づいた。
そこに表示された『聡志』という名前に、僕は思わず目を丸くする。
聡志さんは、僕がNexe1の現場で出会った友人だ。
友人と言っても、数回現場で会ったことがあるだけで、特別仲が良かったわけではない。
だがNexe1はそもそも男性ファンが少ない現場ということもあり、仲良くなる前から僕と聡志さんはお互いのことをなんとなく認識していた。
そんなある日、たまたま整理番号が隣同士だったことで、聡志さんから声をかけてもらい、以来現場で会うたびに雑談を交わす仲になった。
その中で、聡志さんの方から「今度飯でも行こう」と誘ってもらい、連絡先を交換したのだった。
とはいえ、結局食事に行く約束は果たせないまま、僕はNexe1の現場を離れた。
そしてそれっきり、聡志さんと連絡をとることもなかった。
そのため僕は「何故今更聡志さんが?」と驚きつつも、メッセージを開く。
そしてそこに書かれた内容に、僕は思わず「え!?」とでかい声を上げてしまった。
『りっくん久しぶりー、元気?急にごめんだけど、Nexe1ワンマンライブ決まったね!』
――ワンマンライブ。
その単語に、僕の目は釘付けになる。
何故ここまで僕が驚いているのかと言うと、まず大前提として、Nexe1の活動は、ショッピングモールやCDショップのイベントスペースなどでのフリーライブ&特典会が中心だった。僕が散々言ってきた「現場」というのも、そういった場所でのイベントのことを指している。
ライブハウスやホールなどでのライブもやったことがないわけではないが、それらはすべて先輩グループの前座であったり、事務所の他グループと合同で行うライブだったりと、Nexe1単独での公演ではなかった。
そのため、ワンマンライブはNexe1にとって、初めての試みなのだ。
「お久しぶりです。ワンマンって、ほんとですか!?」
僕はすぐ、聡志さんに返信を送る。
『え、知らなかったの?SNS見た?』
「最近SNS絶ちしてて。今確認してみます」
僕は数か月ぶりに、自身のSNSアカウントにログインする。
何故数か月ぶりなのかと言うと、翔が脱退してから、ショックでSNSが見れなかったからだ。
というのも、脱退当初、翔の脱退についてはファンが思い思いの感情をSNSで呟いていた。
その中には、翔を非難するような内容もきっとあったはずだ。
僕はそれを絶対に見たくなかった。翔が悪く言われているなんて、想像するだけで辛い。
でも最近のSNSは残酷で、自発的に見ようとしなくても「おすすめ」として、関連のある投稿が大量に流れてくる。
だから僕は自衛のために、SNSアプリ自体を削除したのだ。
それから僕はすぐにNexe1の公式アカウントを開く。
するとそこには「重大発表」との文字と共に、ワンマンライブの告知が投稿されていた。
『重大発表!
Nexe1初のワンマンライブ開催決定!!
会場はLUMINA HALL☆
チケット先行の詳細はURLをチェック!
ご応募お待ちしております』
「ルミナホール…」
僕はすぐにその会場名を検索する。
東京に昨年できたばかりのホールで、キャパシティは1500人ほど。
アイドルがライブをする会場としては小さ目に感じる人もいるだろうが、Nexe1がライブをすることを考えると、1500人というキャパは挑戦ともいえる規模だった。
呆然と画面を見つめる僕を現実に引き戻すかのように、聡志さんからのメッセージの通知が来る。
『見た?ルミナでライブとかやばくない?凛空くん行く?ていうか行こうよ!連番しない?』
僕はその誘いに即答することができなかった。
翔が脱退して以降、僕はNexe1を離れた。
別にNexe1を嫌いになったわけではないし、翔が抜けたことでNexe1に対する興味を失ったというわけでもない。
何故なら、Nexe1というグループ自体にも確かな魅力があったからだ。
彼らの明るく元気なパフォーマンス、そしてファンたちのコールやペンライト。それらが一体となって作り上げられたライブが僕は大好きだった。
だからこそ、僕は彼らに対し、申し訳なさのようなものを感じていた。
あれだけ大好きなグループだったのに、推しが脱退したからという理由であっさり彼らから離れてしまった。
あの頃の僕は、いじけていたのだ。
今思えば、あの頃のNexe1は翔を失い、大変な状況だったはず。
だからこそファンが彼らを応援し、支えなくてはならなかった。
しかし、僕はその役割を拒み、翔を、そしてNexe1を忘れようとさえしていた。
そんな僕が再び現場に顔を出すなんて……恥知らずもいいところである。
「ちょっと考えさせてください」
僕はそう返信した。
しかし1分も経たずに、聡志さんから予想外の返事が返ってくる。
『りっくん、今度ご飯いかない?約束してたのに、結局果たせてないじゃん。それにりっくんと話したいことも色々あるし』
話したいこと……。
きっと、僕がNexe1の現場に来なくなったことを、聡志さんは心配してくれているのだろう。
僕は少し悩んだ末に、食事の誘いを承諾した。
僕としても、今のNexe1がどのような状況なのか、少し知りたい気持ちがあったからだ。
土曜日。
待ち合わせ場所であるファミレスの前で待っていると、青いスポーツカーが駐車場に停まった。
「りっくーん!」
聡志さんは車から降りると、最後に会った時と変わらぬ笑顔を僕に向けた。
「お久しぶりです」
「久しぶり。変わってないね」
「聡志さんも。……あっ」
僕は聡志さんが持っていたバッグに目線を奪われる。
そこにはキーホルダー型の定期入れのようなものがついているが、よく見るとそこに入っていたのは定期の類ではなく、小さい写真のようだった。
「あ、気付いた?海里のトレカ!この間のイベントでランダムトレカが発売されてさ、他のオタクと交換して海里のゲットしたんだ」
海里というのは聡志さんの推しだ。メンバーカラーは青。
聡志さんが青い車に乗っているのは、海里のメンカラだからである。
「Nexe1、そんなグッズが出てるんですか」
「今出てるのは生写真とトレカだけだけどね。でも今度のワンマンではアクスタとかアクキーとか、もっと色んなグッズが出るんじゃないかな」
僕がNexe1を推していた時は、生写真セットしかグッズと呼べるものがなかった。
ただ聞いた話によれば、僕がNexe1にハマるより前に、ライブグッズとしてメンバーの名前が印字されたタオルが販売されたことがあるらしいが、残念ながら僕はそれを手に入れられなかった。
もしも翔がまだNexe1に在籍していたら、僕はきっと、翔のグッズを片っ端から買い集めていただろう。
そうなっていたら、僕の周りは翔のメンカラであるオレンジ一色になっていたかもしれない。
テーブル席に通され、僕たちは各々好きなものを注文する。
聡志さんが「俺のおごりだから好きなもの食べな」と言ってくれたが、僕は遠慮して一番安いランチを注文した。
聡志さんは僕より二つ上の大学生で、元々Nexe1の先輩グループのファンだった。
その先輩グループのライブの前座で、Nexe1のことを見て興味を持ち、以来先輩グループと掛け持ちでNexe1を推し始めたらしい。
「にしてもほんと久しぶりだね。いつぶり?」
「えーと、所沢のフリーライブとか、ですかね」
「あーそうかも!最近はもうめっきり?」
「はい……現場には全く、行ってないです」
「やっぱり、翔が……」
聡志さんは言葉を選んでいるようだった。
きっと気を遣わせている。
思えば聡志さんは、翔の脱退が発表された時も、あえて僕に連絡してくることはなかった。
あの時もきっと、なんて声をかければいいのか分からなかったのだろう。
「最近のNexe1、どうですか?」
僕は話題を変える。
「あー、うん。頑張ってるよ。聞いてよ、最近琥珀の歌唱力がめきめき上がってて」
琥珀はグループ最年少メンバーだ。
特別歌唱力が高い印象はなかったが、負けず嫌いな性格のため、きっとあれからボイトレを頑張っているのだろう。
「海里の特典会にも参加してるんですか?」
「もっちろん!あ、写真あるよ、見る?」
特典会では、お渡し会のほかに、2ショット撮影会というものも存在する。
ファンのスマホで、推しとの2ショット写真を撮影してもらえるというものだ。
ちなみに、僕は参加したことがない。
推しの写真に、僕まで写る必要はないと考えているからだ。
仮に撮ったとしても、推しのとなりでにやけ顔をかます自分の顔など、醜くて見れたものではないだろう。
聡志さんがスマホに海里との2ショット写真を表示させる。
海里の隣に写る聡志さんは満面の笑みで、幸福感が画面を通して伝わってきた。
「いいですね」
「でしょ?」
変わらず推し活を楽しんでいる聡志さんを見て、羨ましく思う。
……が、冷静に考えれば僕も僕で「推しとデートをする」などというとんでもないことをしているわけで。もし聡志さんがそれを聞いたら、驚きのあまり今飲んでいるアイスコーヒーを盛大に吹き出してしまうことだろう。
だが、僕は聡志さんにそんな無様な真似をさせる気はさらさらなかった。
それ以前に、僕は翔が同じ学校に通っていること自体、明かすつもりはない。
もうアイドルは辞めているとはいえ、ファンにプライベートな情報を教えるのはモラルに反すると思ったからだ。
「それでさ、りっくんはライブ行かないの?」
聡志さんが一呼吸おいてから、本題を切り出す。
「ワンマンライブですよね。えっと……どうしようかなと思ってます」
「それは……翔がいないから?」
「いや……翔がいなくても、Nexe1のことは今でも好きです。でも、ここしばらく現場に全く行けてないし、なんか、僕なんかが行ってもいいのかなと」
「何言ってんの。全然行こうよ!ていうか、メンバーも言ってるんだけどさ。ほら、今回キャパでかいじゃん?これ、事務所としても結構一か八かの試みらしくて」
「え……」
「その、翔が抜けてからさ、ちょっとグループ的に混乱してた時期があって。パフォーマンスも上手くいかなかったり。あと、ファンも結構離れちゃったりとかで」
僕はグサリと胸を刺されるような感覚を覚える。
Nexe1の活動に支障が出ていたこともそうだし、その「離れたファン」の中に僕が入っていることも、罪悪感を増幅させた。
「そんなわけだったから、正直ファンたちも心配してたんだ。でも、あれからメンバーも必死に頑張ってさ。それで決まったワンマンライブよ。事務所的にも、勢いづけたいと思ったんだろうね」
「そうなんですね……」
僕たちの間の重たい空気をかき消すように、ウェイターが明るい声で「お待たせしました、ハンバーグランチです」とテーブルに料理を置く。
聡志さんはすぐに明るい調子を取り戻し、「さあ食べようか」と僕に笑いかけた。
食事を終え、僕がグラスの中のコーラを飲み切ろうとしている時、聡志さんが「そうそう」と何やらいたずらっぽい笑みを浮かべ話を切り出した。
「俺がなんで今日、りっくんを誘ったかわかる?」
「え、Nexe1の話をするためですよね?」
「じゃなくて、なんで“今日”なのか、ってこと」
「え……お互い学校が休みだから」
「それもあるけどぉ!実は今日、Nexe1が都内でビラ配りをするらしい」
「え!?」
「SNSでね、運営が逐一場所のヒントを投稿してんの。今からの時間だと多分、恵比寿だと思う」
聡志さんが差し出したスマホの画面を見ると、Nexe1の公式アカウントが「ビラ配り場所のヒント」として、海老の絵文字つきの投稿をしていた。海老だから恵比寿か。なんて安直なんだ。
「だからさ、今から行こうよ!」
「い、今から?」
「久しぶりにメンバーに会ったら、ライブ行きたいって気持ちが湧いてくるかもよ」
聡志さんからのサプライズに、僕の中には戸惑いと気まずさのようなものが湧き上がっていたが、結局勢いに押され、僕は聡志さんの車に乗り込み恵比寿へと向かうことになった。
「駅周辺だと思うんだけど」
コインパーキングに車を停めたあと、僕らは恵比寿駅へ向かった。
聡志さんがファンたちの投稿を確認したところ、駅付近でビラ配りをしているとの情報が見つかったらしい。
「あ、いた!」
聡志さんが声を上げる。
その視線の先を見ると、そこには見知ったイケメンたちの姿があった。
心臓がバクバクと音を立て始める。
メンバーの姿を見るのは数か月ぶりだった。
もちろん、翔を除いてだが……。
それから聡志さんに促されるまま、僕はメンバーたちの元へ向かう。
「お願いしまーす。Nexe1ってアイドルグループやってます!」
けなげに通行人に声をかける彼らの姿を見て、僕は胸の奥がじんと熱くなるのを感じた。
「お願いしま……あっ」
メンバーの一人、海里が聡志さんを見て、小さく声を上げた。
「ありがとうございます!」
海里が聡志さんにビラを手渡す。
特別な対応をするわけではないが、その笑顔は先程まで通行人たちに向けていた笑顔とは全く違い、心から安心しきったような感情がうかがえた。
そして聡志さんはと言うと……
「あ、あの……ワンマン行きます、頑張って……!」
聡志さんは、海里の前だとまるで別人のように話せなくなる。
本人曰く、推しの前ではどうしても緊張してしまうのだそうだ。
そのため、特典会でマシンガントークで推しに思いを伝える僕のことを、聡志さんはしばしば「羨ましい」と口にしていた。
「ねぇ、翔の……」
聡志さんと海里の姿を微笑ましく見ていた僕は、不意にかけられた声に、はっと我に返った。
メンバーの一人、陸が僕に話しかけてきたのだ。
陸は僕と同じ名前だが、僕とは正反対のキリッとした中性的な顔立ちをしたイケメンだ。
クールで、どこか掴みどころのないキャラクターが、女性ファンたちから支持を集めている。
「あ、えっと」
僕が返事に困っていると、陸がさらに言葉を続ける。
「翔のファンの子だよね」
「あ……はい」
他メンバーにまで認知されていたのか、という驚きで、僕は思わず言葉に詰まった。
「ファン降りたのかと思った」
「え?あ……す、すみません」
つい謝ってしまった僕に、陸はフッと笑みをこぼす。
「いや、全然。ワンマンライブやることになったから、よかったら来てね」
「あ、はい」
僕は陸からビラを受け取る。
「俺に推し変してくれてもいいし」
「えっ」
「名前一緒だし」
名前までバレているのか……。
思えば、特典会で翔と陸のレーンはいつも隣同士だったため、僕たちの会話が陸にも筒抜けだったのかもしれない。
「僕は、推し変はしないので……」
「なんだ、残念」
陸は表情を変えずに言う。
なるほど、クールそうに見えてこういう一面もあるのか。
それは女子たちもメロメロになるだろうな、と納得した。
無事ビラを受け取ることに成功した僕たちは、駅を離れ車へと戻る。
聡志さんは「やばい手が震える」と言いながら、海里から受け取ったビラを大事そうにクリアファイルにしまっていた。
「ライブ、絶対来なよ!連番したかったらいつでも連絡して!」
「はい。今日はありがとうございました」
聡志さんが、海里のメンバーカラーのスポーツカーで颯爽と去っていく。
翔のいないNexe1のライブ――。
見るのが怖い、そう思ってしまう自分がいることに気づいた。
まるで翔がいないのが当然のように、ステージで輝く五人の姿。
そして、それを何の疑いもせず受け入れるファンたちの姿をつい想像してしまう。
その想像上の光景は、まるで「翔なんていなくたっていい」そう言っているようだった。
もし、Nexe1のライブに行くと翔に言ったら、翔はどんな反応を返すだろうか。
そもそも翔は、ワンマンライブの告知を見て何を思ったのか。
僕はそんなことを考えながら、受け取ったビラをかばんにしまう。
『俺に推し変してくれてもいいし』
陸の声が頭の中に響く。
僕はNexe1と、そして翔と、どう向き合っていけばいいのだろうか。
心の底からまたNexe1を応援することができるのだろうか。
陸の言葉によって、心を乱されている自分がいることに気づく。
そしてこの時の僕はまだ、陸とあんなことになるとは、思ってもいなかった。
