推しとは仲良くできません

 土曜日。
 ついに翔との疑似デートイベント当日を迎えた。
 昨夜、一睡もできなかったのは言うまでもない。
 この日のために購入した新品の服に着替えた僕は、鏡に映る平凡な自分の顔を見て、「こんな自分が翔の横を歩いていいのか」とぼんやり考える。
 いや、ダメだ。何思いあがっているのだ。翔は「疑似デートイベント」とか意味の分からないことを言っていたが、今回はあくまで、ただの友人として一緒に出掛けるというだけだ。そこに深い意味はない。あるはずがない。
 深い意味を付与しようとする自分の脳にそう言い聞かせ、僕は朝の支度を済ませる。

 この日は翔の提案で、動物園と遊園地が一体となったテーマパークに行くことになっていた。聞けば、翔は動物が好きなのだという。
 初耳の情報に、僕はまだ翔のことを何も知らないんだなと思い知らされる。

 パークの入り口にある時計は、11時30分を指していた。
 翔とは「12時に現地集合して、お昼を食べてから園内を回ろう」と打ち合わせしていた。
 つまり、僕は30分も早く現地に到着してしまったことになる。
 「いくらなんでも浮かれすぎだろ……」
 そう独り言をつぶやきながら、僕は高鳴る胸に手を置き、必死に心を落ち着かせようと努めた。
 「凛空くん!」
 不意に聞こえたその声に、心臓が大きく跳ねる。
 振り向くとそこには、こちらに手を振りながら駆けてくる翔の姿があった。
 「おはよう!早いね」
 「いや、翔くんこそ」
 「あぁ。なんか、楽しみすぎて。つい早く来ちゃった」
 翔は照れ臭そうに言う。
 「……僕も」
 「ほんと?同じじゃん!俺ら張り切りすぎ」
 翔が楽しそうに笑うのにつられ、僕も思わず笑ってしまう。
 翔が楽しみにしていたのは、きっと僕とのデートというより、テーマパークへ行けることなのだろう。
 それでも構わなかった。
 こうして、翔の笑顔をすぐそばで見ていられる。
 それだけで、この一日はきっと特別なものになる。そんな予感がしていた。

 入り口のゲートをくぐると、僕たちはまず園内レストランへと向かった。
 翔はカレーライス、僕はラーメンを注文した。
 「俺ホワイトタイガー見たい!あと、ふれあい広場も行きたいなー。あ、あとでソフトクリームも食べようよ!」
 食事をしている間も、翔はひっきりなしに話しかけてきた。
 その一つひとつの言葉から、今日を心から楽しみにしていたことが伝わってきて、可愛すぎる推しの姿に、僕は終始頬が緩みまくりだった。
 そしてきっと翔も、そんな僕の緩みきった表情に気づいていたのだろう。時折こちらを見ては、いたずらっぽく口元を緩めていた。

 食事を終えると、僕たちはまず動物園エリアへ向かった。
 翔は初めてこのテーマパークに来たらしく、ライオンやゾウ、そしてお目当てのホワイトタイガーを見て目を輝かせていた。
 一方僕はと言うと、幼い頃に何度か来た記憶はあるものの、当時のことはほとんど覚えていない。
 だからだろうか。気づけば翔につられるように、僕も夢中になって園内を見て回っていた。

 それから僕たちはふれあい広場に移動する。
 ウサギやモルモットなどの小動物を触りながら翔は終始「可愛い、可愛い」と言っており、僕は内心で「可愛いのはお前だ」とツッコミを入れる。

 その後、動物園エリアを出た僕たちは遊園地エリアへと向かった。
 遊園地と言えば、やはり定番はジェットコースターだろう。僕自身も絶叫系は嫌いではないので、遊園地に来ると必ず一度は乗る。
 そのため、僕は自然とジェットコースターがある方面へ歩みを進めるが、そんな僕を翔が引き止めた。
 「凛空くん、観覧車乗ろう」
 「うん、いいけど……ジェットコースターの方がこっからだと近いし、先こっちからでも」
 「いや……」
 「……苦手、だっけ?」
 だっけ?と聞いたのは、この時、頭の中で必死に翔のプロフィールや、様々な媒体での翔の発言内容を思い出していたからだ。
 しかし、僕の頭の中に「翔は絶叫系が苦手」というデータは存在せず、これもまた「動物好き」と同じく、初耳情報であることに気づく。
 「ごめん……」
 「いいよ、僕も別にどうしても乗りたいわけじゃないし。翔くんが乗りたいやつ乗ろう」
 「ありがとう。あ、あれならいけるかも」
 そう言って翔が指さす方向にはコーヒーカップがあった。

 「……大丈夫?」
 あの後、僕たちはコーヒーカップに乗ったのだが、ぐるぐると回るコーヒーカップに翔は酔ってしまったらしい。
 そのため、今はベンチで休んでいるところだ。
 「速い乗り物全般が苦手なの?」
 「そうかも……俺、遊園地向いてないっぽい」
 「そんなことないよ。それに、動物園楽しめたんだから、いいんじゃない?」
 「うん、そうだね。あー、遊園地ロケとかなくてよかった」
 きっと、アイドル時代のことを言っているのだろう。
 確かに、遊園地ロケはアイドルのコンテンツとしては定番だが、Nexe1ではそのような企画はなかった。
 もしかしたら今後、そのような動画がアップされることはあるかもしれないが、その動画に翔はいない。
 「観覧車、乗る?」
 「乗る!やっぱ遊園地と言えば観覧車だよ」
 息を吹き返した翔の姿を見て、僕は少し安心する。
 「高いとこは大丈夫なの?」
 「全然平気。速くなければ余裕」
 「そうなんだ」
 観覧車の列に並びながら、僕たちは他愛もない話を交わす。
 やがて順番が回ってきて、僕たちはゆっくりとゴンドラへ乗り込んだ。

 ――個室で推しと2人きり。

 ここで僕はようやく、客観的に今いる状況を理解した。

 ゴンドラが上昇していくにつれ、地上のガヤガヤした喧騒が遠ざかっていく。
 静寂の中、僕は自分の鼓動がやけに大きく聞こえ、この音が翔に聞こえてしまうのではないかと気が気ではなかった。
 「……えー、デート型特典会のお時間です」
 「へ?」
 突然、翔が聞きなれない単語を口に出す。
 「疑似デートイベント、じゃなかった?」
 「疑似デートイベントの中の、デート型特典会っていうコーナーなの」
 「な、なるほど……?それは何なの?」
 僕は、とりあえず翔の話に乗ることにした。
 「観覧車に乗ってる間、自由に推しとお話しができます。あなたの思いを推しに伝えてください」
 「要はいつもやってる、特典会みたいな感じ?」
 「そう。ああ、でも話ができるだけじゃ物足りないか。お渡し会みたいに、何か渡せるもの持ってくればよかったな」
 恐らく、僕が緊張しているのを察して、翔なりに場を和ませようとしてくれているのだろう。
 僕はその厚意に甘えることにした。
 「じゃあ……分かった、やってみる」
 「よし!」
 翔はスイッチが入ったように、アイドルスマイルを僕に向ける。
 「凛空くん、今日は来てくれてありがとう」
 翔がお渡し会の時、いつも第一声でかけてくれる言葉だった。あの頃の記憶や感覚が蘇る。
 「……前も伝えたことあるけど、翔くんのパフォーマンス姿、特にダンスや歌の正確さ、あとは笑顔に一目ぼれしました。翔くんのことを応援しているうちに、翔くんのメンバー思いなとこ、ファン思いなとこ、運営さんにも気を遣う姿とか、そんな優しいところに……どんどん惹かれていきました」
 「うんうん」
 「ライブの舞台裏動画で、翔くんがメンバーに直接ダンスを教えたり、他のメンバーの魅力を引き立てるにはどうすればいいかとか、そういうのを率先して話し合ってるのを見て、凄く優しい人なんだと思った。でも、だからこそ……っていうのかな、自分のことを後回しにしがちなのかな、って思うこともあって。だから僕が、翔くんの魅力を誰よりも理解して、誰よりも直接伝えたいと思って、特典会に参加するようになりました」
 「……うん」
 「翔くんのおかげで僕は毎日頑張れたし、翔くんに会うために生きてるって言っても過言ではなくて……」
 「それは、過言じゃない?」
 そう言って照れ臭そうに笑う翔に、僕は全力で首を振る。
 「大袈裟じゃないよ。僕だけじゃない。多分、翔くんに会うために学校や仕事を頑張ってるって人たくさんいたと思う。どんなに疲れてても、翔くんに会えば疲れが全部吹っ飛ぶくらい、みんな翔くんが好きだった。……翔くんは?」
 「え?」
 「僕が……僕たちが、頑張る理由になってたかな、って」
 ファンは、次に推しに会える日を心の支えにして、日々のどんな辛いことだって乗り越えていける。
 でも、推しの方はどうなんだろう。
 前々から気になっていたことだった。
 きっとアイドルは大変な職業だ。僕はアイドルを世界一尊敬している。
 きっと僕の何百倍も努力して、苦労して、疲れている。
 そんなとき、何が彼らを癒してくれるのだろう?
 何が彼らのモチベーションになるのだろう?
 「……俺も、凛空くんや、ファンのみんながいたから頑張れてたよ」
 翔はそれだけ言って黙り込んだ。
 なら、なんで……。
 僕は、喉から出そうになった言葉を飲み込む。

 ――それ以上追及しないで。

 そう、翔の目が伝えていたから。

 気付けば、観覧車はとっくに頂上を過ぎ、ゆっくりと地上へ向かい始めていた。
 「……翔くん」
 「うん」
 「……今日は楽しかった、ありがとう」
 「こちらこそ、ありがとう」
 「……大好きです」
 僕たちの乗ったゴンドラが地上に到着した。
 翔のあとにつづいて、僕はゴンドラを降りる。
 足が震えていたが、翔には気付かれずに済んだようだった。

 「凛空くん、他に乗りたいものある?」
 「ううん、特には」
 「今日は何時くらいまで平気なの?」
 「えっと……6時くらいには家に帰るって、家族には伝えてるかな」
 「じゃあ、そろそろ解散しよっか」
 そう言うと翔は立ち止まり、僕の方に体を向ける。
 「今日はありがとう。すっごい楽しかった」
 「うん、僕も」
 翔との時間が終わってしまう。
 いつもの特典会だったら、翔と話す時間がたった数十秒だったとしても、それで満足していた。翔への思いを、その数十秒に必死に詰め込み、すべてを伝えられていたから。
 でも、今は違う。何時間も一緒にいたはずなのに、時間が足りない。
 まだ伝え足りない。
 観覧車の中では、翔の性格や、アイドルという仕事への向き合い方が好きだということを伝えた。
 でも、本当はそれだけじゃない。
 僕は翔の整った顔立ちも、屈託のない笑顔も好きだった。
 教室で、周りに人がいないタイミングを見計らって話しかけてくれるさりげない優しさも、本人は何の気なしにしている仕草や行動で僕をドキドキさせてくるところも、気づけば全部が愛おしく思えてしまう。
 今日だってそうだ。
 レストランでメニューを前にビーフカレーとチーズカレーのどちらにするか真剣に悩む姿も、大好きなホワイトタイガーに目を輝かせる姿も、ふれあい広場でヤギにぐいぐい迫られて情けない声を上げる姿も。
 格好いいところだけじゃない。そんな何気ない仕草や表情の一つひとつに、僕の心は何度も奪われていた。

 これが恋じゃなかったら、何なのか。

 「帰ろうか」
 翔がそう言って歩き出す。
 僕も隣に並んで歩き始めたものの、不思議と二人の足取りは少しずつゆっくりになっていく。
 初めて一緒に帰った日のことを思い出した。
 あの時も、こんな風に、別れが近づくほど歩く速さは自然と落ちていった。
 もう少しだけ、この時間が続けばいい。
 そんなことを願っているのは、きっと僕だけじゃない。翔も同じだったらいいのに。
 そう思わずにはいられなかった。

 それから僕たちは出口を出る。
 すると翔がスマホを取り出した。
 どうやら、翔の姉が働く会社がこの近くにあるらしく、帰りは車で迎えに来てくれるらしい。
 翔は「凛空くんも送ろうか」と提案してくれたが、流石に推しの家族に会うのは緊張するので、その申し出は断ることにした。

 「じゃあここでお別れかな」
 「うん……」
 「また学校でね」
 「あのさ、翔くん」
 「ん?」
 「……好きだよ」
 僕の言葉に、翔は少しだけ目を丸くした。
 けれど、それもほんの一瞬のことだった。
 「……ありがとう」
 翔はそう言って、ふわっと笑う。
 その笑顔は、僕が何度も見てきたものだった。
 特典会で、ファン一人ひとりに向ける、あの優しい笑顔。
 胸の奥が、少しだけ痛んだ。
 やっぱり伝わっていない。
 僕の「好き」は、きっと「推しとして好き」という意味で受け取られている。
 恋をしているからこその「好き」だなんて、翔は少しも思っていないのだろう。
 
 たった二文字なのに。
 その二文字に込めた本当の気持ちは、どうしてこんなにも伝わらないのだろう。