翔と一緒にNexe1のワンマンライブに行った日から、約一年が経った。
高校三年生になった僕らは、卒業後の進路も決まり始め、各々が未来に向かって準備を進めていた。
そんな中で、僕は無事東京の大学に合格し、そして翔も、僕と同じ大学への進学が決まった。
これは二人で示し合わせたわけでも、どちらかが相手に合わせたわけでもない。
僕は高校二年生の頃からなんとなく、その大学に行きたいと思っていた。
そして一方の翔もまた、学びたいと思っていた分野がそこで学べることを知り、受験を決めたらしい。
学部は違うが、春からも翔と同じ場所に通えるというのはとても嬉しい。
「なぁ、凛空は4月から東京に住むの?」
卒業式を間近に控えたある日の午後。
僕は関口と共に、近所のファミレスにいた。
特に何か目的があったわけではない。お互い暇だったため、だべっていただけだ。
ちなみに、関口は地元の大学に進学が決まっている。
「しばらくは実家から通うかな。通えない距離じゃないし。一人暮らしするかはその後に考える」
僕は関口の問いに対しそう答える。
「え、お前ら同棲するんじゃねえの?」
「……ん?」
関口の問いに、僕は一瞬思考が停止する。
「せっかく同じ大学なのに、もったいないじゃん」
「ん?んんん?ちょ、ちょっと待って、待って待って待って!?」
僕はパニックになりながら、慌てて関口の口をおさえるジェスチャーをする。
「な、なに?え、え、え、な、何を言って……」
「いやだからぁ、凛空と、佐々山」
「え……」
「あ、翔くんって言った方がいいか」
関口の言葉に、僕の頭は一瞬で真っ白になった。
だが、気持ちを落ち着かせ、なんとか正気を取り戻す。
「……知ってたの?」
「知ってた」
「……どこまで?というか、どこから?」
「どこから、か。えーと、まずお前がアイドルオタクで」
「そこから!?」
「隠してるつもりだったんだろうけど、バレバレだっつの。で、推してたアイドルが脱退して」
「それも!?」
「で、そのアイドルが佐々山、と。はい。まずこれが“どこから?”の答えな」
思った以上にすべてを知られていることに、頭が追いつかない。
でも、詰めの甘い僕のことだ。いくら必死に隠していたつもりでも、いつも一緒にいる関口には、これまで何度も見抜かれていたのだろう。
「で、次に“どこまで?”の答えだけど。まぁ……これは端的に。お前たちは付き合っている」
「えっ」
「ん?付き合ってるんだろ?」
「いや……」
「え?付き合ってねえの!?」
「こ、声でかい!」
関口が目を丸くして驚く。
どうやら関口は、去年のあの時期、僕たちの間に流れる微妙な空気感を察していたらしい。
一時は気まずい時期もあったものの、その後また話すようになったため、あのタイミングで僕たちが付き合い始めたのだと思っていたそうだ。
ちなみにそのタイミングというのは、ちょうど僕らが一緒にライブに行った直後。
僕と翔が、それぞれの思いを伝えあった頃だ。
……だが、僕たちはまだ付き合ってはいない。
「お前ら両思いなんじゃねえの?」
「そうだけど……」
「じゃあなんでよ?」
「それは……まだ、そのタイミングじゃない、というか」
「いや、お互い好きだって分かったら、それが付き合うタイミングなんじゃ……え、まだ告白自体してないとか?」
「それはしたよ」
「した!?したのに付き合ってない!?」
「だから声でかいって!」
僕たちが「付き合う」という選択肢をとらなかった理由――。
あの後、僕たちの関係についてどうすべきか、翔と話し合った。
「付き合わない」
その選択を告げたのは僕の方だった。
翔は一般人に戻ったとはいえ、たった数か月前まではアイドルとして活動していたのだ。
そんな翔と付き合うことに、僕は罪悪感を覚えた。
それに、万が一このことがファンに知られたら、「翔はアイドルを辞めてすぐ恋人を作った」とか「恋愛をするためにアイドルを辞めた」とか、あらぬ噂を立てられるかもしれない。
そんなことになれば、傷つくのは翔だ。
だから僕はあの日、翔に「今は付き合えない」と伝えた。
そして翔はその言葉をすんなりと受け入れた。
恐らく翔の中にも、僕と似たような思いがあったのだろう。
翔は誰よりもファン思いだ。ファンに対する誠意として、「アイドルを辞めたばかりの今は、恋人を作るべきではない」と思ったのかもしれない。
実際、僕にキスをした後も、翔は誰かに見られていないかと、異常なほどに気にしていたくらいだ。
「……まぁ、気持ちは分かるけどさ、じゃあお前らいつ付き合うんよ」
「それは……えーと……」
「もう一年……佐々山がアイドル辞めてからだともっと経つじゃん。しかももうすぐ卒業だぜ?」
「でも、離れ離れになるわけじゃないし!大学が同じなんだからいつでも会える」
「あのなぁ、その油断が命取りなんだぞ?」
「へ?」
「大学生になることで環境だって変わる。たくさんの出会いがある。佐々山はあの顔に性格だぜ?モテないわけがない」
「……確かに」
そこまで考えが及んでいなかった。翔はこの先も、ずっと僕を好きでいてくれるものだとばかり思っていた。
実際、高校三年生になってクラスが分かれても、翔は僕に会うため、頻繁に僕の教室に顔を出してくれた。
お互い「好き」と言葉を伝え合うことはなかったが、それでも、翔の行動や表情、ふとした目線からは、僕を特別に思ってくれていることが伝わってくる。
それが嬉しくて、僕の翔に対する気持ちもまた、どんどんと膨らんでいった。
だからこそ、僕は翔がこの先もずっと、同じ熱量で僕を思い続けてくれると思い込んでいた。
でも、大学生になって、僕よりも魅力的な人に言い寄られでもしたら……。
翔に限って、他の誰かに目移りすることなんてない、と信じる気持ちは勿論ある。それでも、自分の中で不安が芽生え始めていることもまた事実だった。
「誰かにとられる前に、自分のものにしろよ」
「僕の……」
「もう、遠慮してる場合じゃねえってこと」
翔を、自分だけのものに――。
そう思った瞬間、またしても僕の頭の中に「推しと特別な関係になるのはいけない」という考えが過る。
けれど、僕はすぐその考えを振り払った。
翔はもう、アイドルではない。
普通の高校生として、新たな人生を歩んでいる。
それにNexe1のメンバーたちは、翔の幸せを願って、送り出してくれたはずだ。
翔が僕といることで幸せになれるのなら、僕も翔の隣にいたい。
これからは、翔の幸せを願うだけじゃなく、その幸せを一緒に作っていける人になりたい。
そのためには、今の関係のままじゃだめなんだ。
迎えた卒業式の日。
式も最後のホームルームも、思っていたよりあっけなく終わった。
教室ではいつもと変わらないような、でもどこか浮ついた空気が漂っている。
友達同士で写真を撮ったり、先生に最後の挨拶をしたり。
そして僕もクラスメートと別れの言葉を交わし、最後にもう一度だけ教室を眺めた後、席を立った。
向かう先は、翔のクラスだ。
二つ隣の教室に着いた僕は、中を見渡す。
しかし、そこに翔の姿はない。
――まさか、もう帰ってしまった?
焦った僕は、扉の近くにいた生徒に、翔の行方を尋ねる。
すると、どうやら翔はホームルームが終わってすぐ、教室を出ていったらしい。
それを聞いた瞬間、僕は気付けば走り出していた。
校門を出ると、駅への道のりを無我夢中で走った。
翔がすでに帰路についているなら、途中で追いつけるはずだ。
しかし、翔と出会うことはなく、僕は駅へとたどり着いてしまった。
翔はもう電車に乗ってしまっただろうか。
呆然と立ち尽くす僕の頭は、「スマホで連絡する」という発想すら浮かばないほど焦っていた。
しかし、その時。
「凛空くん!」
僕は咄嗟に振り返る。
今まで何度も聞いてきた、大好きな人の声だった。
僕の方に向かって駆けてくるその姿を見た瞬間、張りつめていたものが一気にほどけた。
気付けば僕は、勢いのまま、翔の体に抱きついていた。
「凛空くん……」
翔が僕の体を同じ力で抱きしめる。
「もう帰っちゃったのかと思った」
「もしかして、俺のこと探してたの?」
「そうだよ。教室に行ったらもう帰ったって言われて。だから急いでここまで来て……」
「ごめんね」
ここで僕はようやく、今この場所が駅前であることを思い出し、翔の体から離れる。
幸い、周りに人はいないようだった。
「ていうか、帰ったんじゃなかったの?」
「うん。実はこのあと、凛空くんを呼び出そうとしてたんだけど、手間が省けたな」
「え?」
すると翔は、カバンから何かを取り出す。
綺麗にラッピングされた、包み紙のようだった。
「これ」
「え、くれるの?」
「うん」
「……開けていい?」
翔がうなずく。
僕は丁寧にラッピングをほどき、中のものを取り出した。
それは、オレンジ色に輝く石が埋め込まれた、キーホルダーだった。
「いや、その……指輪とかネックレスとか、多分凛空くんあんま身につけないだろうし。そもそも、アクセサリー類は重いかなと思って……キーホルダーなら、普段からつけられるかなって」
「……ありがとう。だけど、えっと、なんで?」
何のプレゼントなのか、全く思い当たらない。
そのため、嬉しいよりも先に、「どうして?」という疑問が僕の頭を埋め尽くした。
「えっとー……オレンジって、アイドル辞めた今でも、俺にとって特別な色で」
「メンカラだもんね」
「うん。だから、そのオレンジを凛空くんにずっと身に着けててほしくて」
「それって……」
独占欲みたいだ。
そう言いかけた口を、僕は慌ててつぐんだ。
何を考えているんだと、僕は脳内で自分をぶん殴る。
一方、目の前の翔は、僕の言葉の続きを待っているようだった。
「それって、なんか、僕のこと……すごい好きみたい」
代わりに、マイルドな言葉を選んだつもりだった。
けれど、口に出してから気付く。これはこれで、かなり恥ずかしいことを言っているんじゃ……。
「好きだよ」
しかし翔は、まるで何でもないことのようにそう言った。
「すごい好きだよ。だから、ずっと俺のこと好きでいてほしいって思って、そのキーホルダーを用意したんだ」
その言葉に、僕は既視感を覚える。
ふと、僕の頭の中に、先日のファミレスでの光景がよみがえった。
「誰かにとられる前に、自分のものにしろよ」という関口の言葉。
あの時、自分の中に生まれた「翔を自分だけのものにしたい」という気持ち。
――そうか、翔も同じ気持ちだったんだ。
僕は、翔の目をまっすぐに見つめる。
「ずっと好きだよ。当たり前に好き。もしキーホルダーを失くしたとしても、変わらず好きでいる」
「失くさないでよ」
「失くさないよ」
僕はそう言いながら笑う。
そして翔も、つられたように笑い返した。
「凛空くん、俺と付き合ってほしい」
僕は翔の言葉に頷いた。
もう僕の中に、「推しだから」という言葉に縛られていた頃の迷いはなかった。
翔がもう一度僕を抱きしめた。翔の心臓の鼓動が伝わる。
それから翔は体を離すと、僕の顔を見つめた。
その目線が、僕の唇の方へとそれていく。
僕は、それにつられるように目を閉じた。
翔の顔が近づいてくるのを感じる。
しかし、唇になんの感触も伝わらず、代わりに翔の「あっ」という声が耳に入る。
思わず目を開けると、翔は焦った顔で別の方向を見ていた。
「人が……」
翔の視線の先を見ると、駅に向かって歩いてくる高校生たちの姿があった。
僕は翔と顔を見合わせる。
「……流石に、ね」
「また撮られたら洒落にならないから」
「そのネタ笑えないんだけど」
自虐ネタを口にする翔に、僕は思わず突っ込みを入れる。
それから僕たちは、人気のない場所へ移動した。
「そうそう。言い忘れてた。実は一足先に教室を出たのは、理由があって」
「ああ、そういえば。プレゼント渡すだけなら学校でもできるもんね?」
「実はこれ以外にも用意してたものがあって。でも、プレゼントに気を取られすぎて家に忘れちゃってさ……姉に駅まで届けてもらったんだ。本当は学校まで届けてもらおうと思ったけど、卒業式ってこともあって、学校の周りに車停められなさそうだったから」
「え、まだ何かあるの?」
すると翔は「じゃーん」と言いながら、黒く四角い物体を取り出した。
「それは……?」
「チェキを撮るカメラ」
「あぁ!でもなんで?」
「凛空くんと撮りたいと思って。だって凛空くん、2ショット会一度も来てくれなかったでしょ」
翔の言う通り。
僕は推しが写る写真なら何枚でも欲しいが、推しの写真に自分が写るなんておこがましいと思うタイプの人間なので、2ショット撮影会には今まで一度も参加したことがなかった。
「でも写真撮るなら、スマホでいいんじゃないの?」
「ううん、それじゃスマホの裏に挟めないじゃん」
そういえば、スマホの裏側に推しのトレカやチェキなどを挟む文化があるらしい。
僕は、人に見られて突っ込まれるのが嫌なので、そういう文化とは無縁なのだが。
「でも僕、そういうのはしないし……ていうか、普通のカップルだって、2ショットチェキをスマホに挟んだりはしないよね?」
「そう、だけどさ……」
翔は僕の正論アタックに、しょんぼりした様子を見せる。
「なら、スマホの裏に挟まなくたっていいよ。財布の中とか、パスケースとか、こっそり中に入れて持ち歩いてくれるだけでもいい。……形になるものが欲しいんだ。スマホの写真なんて、消そうと思えば1タップで消せる。でもチェキみたいに形のあるものって、簡単に捨てられなかったりするでしょ」
翔の言葉に、僕は思わずドキッとした。
常に俺をそばに置いてほしい。
絶対に自分を捨てさせない。
そんな、並々ならぬ愛情を感じたからだ。
もしかしたら、僕の想像していた以上に、翔が僕に対して抱いている愛は重いのかもしれない。
「そういうことだから。こっち来て」
そう言うと、翔は強引に僕を引き寄せた。
肩と肩が密着する距離。翔の体温が、肩を通して伝わってくる。
「はい、チーズ」
翔の掛け声に合わせて、僕は慌ててカメラのレンズと思しきところに目線を合わせた。
そしてシャッターを切られるのと同時に、頬に柔らかな感触を覚える。
「え?」
慌てて翔の方に顔を向けると、翔は僕の方を見てニヤニヤと笑っていた。
「ちょっと、何……」
問いかける僕をよそに、小さな写真が手元の機械からゆっくりと吐き出されていく。
翔がそれを手にとり、僕たちはしばらく写真が現像されるのを待った。
やがて、白かった写真に少しずつ色が浮かび上がってくる。
「……え!?」
そこに写っていたものを見て、僕は思わず声を上げた。
写真の中には、明らかに撮られ慣れていないぎこちない表情を浮かべる僕がいる。
そしてその隣には、僕の頬にキスをする翔が写っていた。
「ちょっ、何これ!?」
焦る僕を見て、翔が面白そうに笑う。
「だって、俺たち付き合ってるんでしょ?」
「そ、そうだけど」
「これ凛空くんにあげる」
そう言って、翔が僕にチェキを差し出す。
もらったところで、流石にこの写真を持ち歩くのは気が引ける。
それ以前に、これからこの写真を見るたびに、悶え苦しむことが容易に想像できた。
「それは凛空くんの分だから、俺の分も撮ろう」
そう言って翔は再びカメラを構える。
「はい、チーズ」
翔がその掛け声を言い終わらないうちに、僕は翔の腕を強く引き寄せた。
「えっ」
驚いた翔が、僕の顔を見る。
そのまま、翔の唇にキスをした。
――パシャッ。
それと同時に、シャッターが切れる音が静かに響いた。
END
高校三年生になった僕らは、卒業後の進路も決まり始め、各々が未来に向かって準備を進めていた。
そんな中で、僕は無事東京の大学に合格し、そして翔も、僕と同じ大学への進学が決まった。
これは二人で示し合わせたわけでも、どちらかが相手に合わせたわけでもない。
僕は高校二年生の頃からなんとなく、その大学に行きたいと思っていた。
そして一方の翔もまた、学びたいと思っていた分野がそこで学べることを知り、受験を決めたらしい。
学部は違うが、春からも翔と同じ場所に通えるというのはとても嬉しい。
「なぁ、凛空は4月から東京に住むの?」
卒業式を間近に控えたある日の午後。
僕は関口と共に、近所のファミレスにいた。
特に何か目的があったわけではない。お互い暇だったため、だべっていただけだ。
ちなみに、関口は地元の大学に進学が決まっている。
「しばらくは実家から通うかな。通えない距離じゃないし。一人暮らしするかはその後に考える」
僕は関口の問いに対しそう答える。
「え、お前ら同棲するんじゃねえの?」
「……ん?」
関口の問いに、僕は一瞬思考が停止する。
「せっかく同じ大学なのに、もったいないじゃん」
「ん?んんん?ちょ、ちょっと待って、待って待って待って!?」
僕はパニックになりながら、慌てて関口の口をおさえるジェスチャーをする。
「な、なに?え、え、え、な、何を言って……」
「いやだからぁ、凛空と、佐々山」
「え……」
「あ、翔くんって言った方がいいか」
関口の言葉に、僕の頭は一瞬で真っ白になった。
だが、気持ちを落ち着かせ、なんとか正気を取り戻す。
「……知ってたの?」
「知ってた」
「……どこまで?というか、どこから?」
「どこから、か。えーと、まずお前がアイドルオタクで」
「そこから!?」
「隠してるつもりだったんだろうけど、バレバレだっつの。で、推してたアイドルが脱退して」
「それも!?」
「で、そのアイドルが佐々山、と。はい。まずこれが“どこから?”の答えな」
思った以上にすべてを知られていることに、頭が追いつかない。
でも、詰めの甘い僕のことだ。いくら必死に隠していたつもりでも、いつも一緒にいる関口には、これまで何度も見抜かれていたのだろう。
「で、次に“どこまで?”の答えだけど。まぁ……これは端的に。お前たちは付き合っている」
「えっ」
「ん?付き合ってるんだろ?」
「いや……」
「え?付き合ってねえの!?」
「こ、声でかい!」
関口が目を丸くして驚く。
どうやら関口は、去年のあの時期、僕たちの間に流れる微妙な空気感を察していたらしい。
一時は気まずい時期もあったものの、その後また話すようになったため、あのタイミングで僕たちが付き合い始めたのだと思っていたそうだ。
ちなみにそのタイミングというのは、ちょうど僕らが一緒にライブに行った直後。
僕と翔が、それぞれの思いを伝えあった頃だ。
……だが、僕たちはまだ付き合ってはいない。
「お前ら両思いなんじゃねえの?」
「そうだけど……」
「じゃあなんでよ?」
「それは……まだ、そのタイミングじゃない、というか」
「いや、お互い好きだって分かったら、それが付き合うタイミングなんじゃ……え、まだ告白自体してないとか?」
「それはしたよ」
「した!?したのに付き合ってない!?」
「だから声でかいって!」
僕たちが「付き合う」という選択肢をとらなかった理由――。
あの後、僕たちの関係についてどうすべきか、翔と話し合った。
「付き合わない」
その選択を告げたのは僕の方だった。
翔は一般人に戻ったとはいえ、たった数か月前まではアイドルとして活動していたのだ。
そんな翔と付き合うことに、僕は罪悪感を覚えた。
それに、万が一このことがファンに知られたら、「翔はアイドルを辞めてすぐ恋人を作った」とか「恋愛をするためにアイドルを辞めた」とか、あらぬ噂を立てられるかもしれない。
そんなことになれば、傷つくのは翔だ。
だから僕はあの日、翔に「今は付き合えない」と伝えた。
そして翔はその言葉をすんなりと受け入れた。
恐らく翔の中にも、僕と似たような思いがあったのだろう。
翔は誰よりもファン思いだ。ファンに対する誠意として、「アイドルを辞めたばかりの今は、恋人を作るべきではない」と思ったのかもしれない。
実際、僕にキスをした後も、翔は誰かに見られていないかと、異常なほどに気にしていたくらいだ。
「……まぁ、気持ちは分かるけどさ、じゃあお前らいつ付き合うんよ」
「それは……えーと……」
「もう一年……佐々山がアイドル辞めてからだともっと経つじゃん。しかももうすぐ卒業だぜ?」
「でも、離れ離れになるわけじゃないし!大学が同じなんだからいつでも会える」
「あのなぁ、その油断が命取りなんだぞ?」
「へ?」
「大学生になることで環境だって変わる。たくさんの出会いがある。佐々山はあの顔に性格だぜ?モテないわけがない」
「……確かに」
そこまで考えが及んでいなかった。翔はこの先も、ずっと僕を好きでいてくれるものだとばかり思っていた。
実際、高校三年生になってクラスが分かれても、翔は僕に会うため、頻繁に僕の教室に顔を出してくれた。
お互い「好き」と言葉を伝え合うことはなかったが、それでも、翔の行動や表情、ふとした目線からは、僕を特別に思ってくれていることが伝わってくる。
それが嬉しくて、僕の翔に対する気持ちもまた、どんどんと膨らんでいった。
だからこそ、僕は翔がこの先もずっと、同じ熱量で僕を思い続けてくれると思い込んでいた。
でも、大学生になって、僕よりも魅力的な人に言い寄られでもしたら……。
翔に限って、他の誰かに目移りすることなんてない、と信じる気持ちは勿論ある。それでも、自分の中で不安が芽生え始めていることもまた事実だった。
「誰かにとられる前に、自分のものにしろよ」
「僕の……」
「もう、遠慮してる場合じゃねえってこと」
翔を、自分だけのものに――。
そう思った瞬間、またしても僕の頭の中に「推しと特別な関係になるのはいけない」という考えが過る。
けれど、僕はすぐその考えを振り払った。
翔はもう、アイドルではない。
普通の高校生として、新たな人生を歩んでいる。
それにNexe1のメンバーたちは、翔の幸せを願って、送り出してくれたはずだ。
翔が僕といることで幸せになれるのなら、僕も翔の隣にいたい。
これからは、翔の幸せを願うだけじゃなく、その幸せを一緒に作っていける人になりたい。
そのためには、今の関係のままじゃだめなんだ。
迎えた卒業式の日。
式も最後のホームルームも、思っていたよりあっけなく終わった。
教室ではいつもと変わらないような、でもどこか浮ついた空気が漂っている。
友達同士で写真を撮ったり、先生に最後の挨拶をしたり。
そして僕もクラスメートと別れの言葉を交わし、最後にもう一度だけ教室を眺めた後、席を立った。
向かう先は、翔のクラスだ。
二つ隣の教室に着いた僕は、中を見渡す。
しかし、そこに翔の姿はない。
――まさか、もう帰ってしまった?
焦った僕は、扉の近くにいた生徒に、翔の行方を尋ねる。
すると、どうやら翔はホームルームが終わってすぐ、教室を出ていったらしい。
それを聞いた瞬間、僕は気付けば走り出していた。
校門を出ると、駅への道のりを無我夢中で走った。
翔がすでに帰路についているなら、途中で追いつけるはずだ。
しかし、翔と出会うことはなく、僕は駅へとたどり着いてしまった。
翔はもう電車に乗ってしまっただろうか。
呆然と立ち尽くす僕の頭は、「スマホで連絡する」という発想すら浮かばないほど焦っていた。
しかし、その時。
「凛空くん!」
僕は咄嗟に振り返る。
今まで何度も聞いてきた、大好きな人の声だった。
僕の方に向かって駆けてくるその姿を見た瞬間、張りつめていたものが一気にほどけた。
気付けば僕は、勢いのまま、翔の体に抱きついていた。
「凛空くん……」
翔が僕の体を同じ力で抱きしめる。
「もう帰っちゃったのかと思った」
「もしかして、俺のこと探してたの?」
「そうだよ。教室に行ったらもう帰ったって言われて。だから急いでここまで来て……」
「ごめんね」
ここで僕はようやく、今この場所が駅前であることを思い出し、翔の体から離れる。
幸い、周りに人はいないようだった。
「ていうか、帰ったんじゃなかったの?」
「うん。実はこのあと、凛空くんを呼び出そうとしてたんだけど、手間が省けたな」
「え?」
すると翔は、カバンから何かを取り出す。
綺麗にラッピングされた、包み紙のようだった。
「これ」
「え、くれるの?」
「うん」
「……開けていい?」
翔がうなずく。
僕は丁寧にラッピングをほどき、中のものを取り出した。
それは、オレンジ色に輝く石が埋め込まれた、キーホルダーだった。
「いや、その……指輪とかネックレスとか、多分凛空くんあんま身につけないだろうし。そもそも、アクセサリー類は重いかなと思って……キーホルダーなら、普段からつけられるかなって」
「……ありがとう。だけど、えっと、なんで?」
何のプレゼントなのか、全く思い当たらない。
そのため、嬉しいよりも先に、「どうして?」という疑問が僕の頭を埋め尽くした。
「えっとー……オレンジって、アイドル辞めた今でも、俺にとって特別な色で」
「メンカラだもんね」
「うん。だから、そのオレンジを凛空くんにずっと身に着けててほしくて」
「それって……」
独占欲みたいだ。
そう言いかけた口を、僕は慌ててつぐんだ。
何を考えているんだと、僕は脳内で自分をぶん殴る。
一方、目の前の翔は、僕の言葉の続きを待っているようだった。
「それって、なんか、僕のこと……すごい好きみたい」
代わりに、マイルドな言葉を選んだつもりだった。
けれど、口に出してから気付く。これはこれで、かなり恥ずかしいことを言っているんじゃ……。
「好きだよ」
しかし翔は、まるで何でもないことのようにそう言った。
「すごい好きだよ。だから、ずっと俺のこと好きでいてほしいって思って、そのキーホルダーを用意したんだ」
その言葉に、僕は既視感を覚える。
ふと、僕の頭の中に、先日のファミレスでの光景がよみがえった。
「誰かにとられる前に、自分のものにしろよ」という関口の言葉。
あの時、自分の中に生まれた「翔を自分だけのものにしたい」という気持ち。
――そうか、翔も同じ気持ちだったんだ。
僕は、翔の目をまっすぐに見つめる。
「ずっと好きだよ。当たり前に好き。もしキーホルダーを失くしたとしても、変わらず好きでいる」
「失くさないでよ」
「失くさないよ」
僕はそう言いながら笑う。
そして翔も、つられたように笑い返した。
「凛空くん、俺と付き合ってほしい」
僕は翔の言葉に頷いた。
もう僕の中に、「推しだから」という言葉に縛られていた頃の迷いはなかった。
翔がもう一度僕を抱きしめた。翔の心臓の鼓動が伝わる。
それから翔は体を離すと、僕の顔を見つめた。
その目線が、僕の唇の方へとそれていく。
僕は、それにつられるように目を閉じた。
翔の顔が近づいてくるのを感じる。
しかし、唇になんの感触も伝わらず、代わりに翔の「あっ」という声が耳に入る。
思わず目を開けると、翔は焦った顔で別の方向を見ていた。
「人が……」
翔の視線の先を見ると、駅に向かって歩いてくる高校生たちの姿があった。
僕は翔と顔を見合わせる。
「……流石に、ね」
「また撮られたら洒落にならないから」
「そのネタ笑えないんだけど」
自虐ネタを口にする翔に、僕は思わず突っ込みを入れる。
それから僕たちは、人気のない場所へ移動した。
「そうそう。言い忘れてた。実は一足先に教室を出たのは、理由があって」
「ああ、そういえば。プレゼント渡すだけなら学校でもできるもんね?」
「実はこれ以外にも用意してたものがあって。でも、プレゼントに気を取られすぎて家に忘れちゃってさ……姉に駅まで届けてもらったんだ。本当は学校まで届けてもらおうと思ったけど、卒業式ってこともあって、学校の周りに車停められなさそうだったから」
「え、まだ何かあるの?」
すると翔は「じゃーん」と言いながら、黒く四角い物体を取り出した。
「それは……?」
「チェキを撮るカメラ」
「あぁ!でもなんで?」
「凛空くんと撮りたいと思って。だって凛空くん、2ショット会一度も来てくれなかったでしょ」
翔の言う通り。
僕は推しが写る写真なら何枚でも欲しいが、推しの写真に自分が写るなんておこがましいと思うタイプの人間なので、2ショット撮影会には今まで一度も参加したことがなかった。
「でも写真撮るなら、スマホでいいんじゃないの?」
「ううん、それじゃスマホの裏に挟めないじゃん」
そういえば、スマホの裏側に推しのトレカやチェキなどを挟む文化があるらしい。
僕は、人に見られて突っ込まれるのが嫌なので、そういう文化とは無縁なのだが。
「でも僕、そういうのはしないし……ていうか、普通のカップルだって、2ショットチェキをスマホに挟んだりはしないよね?」
「そう、だけどさ……」
翔は僕の正論アタックに、しょんぼりした様子を見せる。
「なら、スマホの裏に挟まなくたっていいよ。財布の中とか、パスケースとか、こっそり中に入れて持ち歩いてくれるだけでもいい。……形になるものが欲しいんだ。スマホの写真なんて、消そうと思えば1タップで消せる。でもチェキみたいに形のあるものって、簡単に捨てられなかったりするでしょ」
翔の言葉に、僕は思わずドキッとした。
常に俺をそばに置いてほしい。
絶対に自分を捨てさせない。
そんな、並々ならぬ愛情を感じたからだ。
もしかしたら、僕の想像していた以上に、翔が僕に対して抱いている愛は重いのかもしれない。
「そういうことだから。こっち来て」
そう言うと、翔は強引に僕を引き寄せた。
肩と肩が密着する距離。翔の体温が、肩を通して伝わってくる。
「はい、チーズ」
翔の掛け声に合わせて、僕は慌ててカメラのレンズと思しきところに目線を合わせた。
そしてシャッターを切られるのと同時に、頬に柔らかな感触を覚える。
「え?」
慌てて翔の方に顔を向けると、翔は僕の方を見てニヤニヤと笑っていた。
「ちょっと、何……」
問いかける僕をよそに、小さな写真が手元の機械からゆっくりと吐き出されていく。
翔がそれを手にとり、僕たちはしばらく写真が現像されるのを待った。
やがて、白かった写真に少しずつ色が浮かび上がってくる。
「……え!?」
そこに写っていたものを見て、僕は思わず声を上げた。
写真の中には、明らかに撮られ慣れていないぎこちない表情を浮かべる僕がいる。
そしてその隣には、僕の頬にキスをする翔が写っていた。
「ちょっ、何これ!?」
焦る僕を見て、翔が面白そうに笑う。
「だって、俺たち付き合ってるんでしょ?」
「そ、そうだけど」
「これ凛空くんにあげる」
そう言って、翔が僕にチェキを差し出す。
もらったところで、流石にこの写真を持ち歩くのは気が引ける。
それ以前に、これからこの写真を見るたびに、悶え苦しむことが容易に想像できた。
「それは凛空くんの分だから、俺の分も撮ろう」
そう言って翔は再びカメラを構える。
「はい、チーズ」
翔がその掛け声を言い終わらないうちに、僕は翔の腕を強く引き寄せた。
「えっ」
驚いた翔が、僕の顔を見る。
そのまま、翔の唇にキスをした。
――パシャッ。
それと同時に、シャッターが切れる音が静かに響いた。
END
