ずっと、翔がアイドルを辞めた理由が気になっていた。
その理由を探る中で、グループの不仲のようなあり得ない可能性まで考えてしまった。
もし、本当に不仲が原因なら、翔を慰めようと思った。
サイトの告知文に書かれていたように、将来を考えた結果の決断なら、翔を応援しようと思った。
それ以外のどんな理由でも、俺は翔を勇気づける言葉をかけてあげたい。
そう思っていた。
でもいざ、本当の脱退理由を聞いた時。
俺はすぐに言葉が出なかった。
翔が今まで抱えてきた重すぎる葛藤に、僕なんかの薄っぺらい言葉は不釣り合いすぎると思ったから。
僕にすべてを話し終えた時、翔の手は小刻みに震えていた。
その時の僕にできたのは、その手を握り、彼を安心させるための言葉をかけるくらいだった。
そして僕は、翔の話を聞く中で、ふと気づいた。
翔はアイドルを辞めたくて、辞めたわけではない。
だとすると、本当はアイドルを続けたかったのではないか。
もし、僕が気持ちを伝えれば、その夢を諦めさせることになるかもしれない。
翔はこんなところで、僕の相手をしている場合ではないのではないか。
そんな考えが、ふと頭をよぎった。
僕は翔のことが好きだ。翔に恋をしている。
でも同時に、アイドルとして輝く翔のことも大好きだった。
これまで何度も胸の奥に押し込んだ恋心は、「またか」と呆れていることだろう。
それでも僕は、その恋心をもう一度しまい込んだ。
今度は二度と出てこられないよう、ずっと奥の奥へ。
2か月が経った。
あれから、僕は翔とほとんど話さなくなった。
本当ならあの話を聞いた後だからこそ、これまで通り接するべきだった。
翔を安心させるためにも……。
でも、翔と仲良くなればなるほど、僕は翔をアイドルの世界から遠ざけてしまうような気がして。それがどうしようもなく罪深いことのように思えた。
「何、お前ら喧嘩してんの」
関口が僕にそう聞く。
前から思っていたが、関口はやたらと僕と翔の様子を気にしている。
「喧嘩も何も……元々そこまで仲がいいわけじゃないし……」
「そう?仲良さそうに見えたけど」
「……そんなことないよ。僕とは、住む世界が違うんだから」
関口は「そうなんかねぇ」と呟き、翔の方に視線を向けた。
翔は相変わらず、加藤くんと西田くん、それに運動部の明るいクラスメートたちの輪の中で笑っている。
きっと関口は、「住む世界が違う」という僕の発言を、陽キャと陰キャの違いだと受け取ったのだろう。
僕はその誤解に対し特に口出しはせず、そっと彼らから目をそらした。
Nexe1のワンマンライブまであと1週間。
聡志さんからの「一緒に行かないか」との誘いを、結局僕は断った。
Nexe1の晴れ舞台を見たい気持ちはもちろんあった。
それでも、あの日。
翔に内緒でNexe1のイベントに行ったこと。翔に誤解をさせてしまったこと。
何より、翔を不安な気持ちにさせてしまったこと。
その罪悪感があの日からずっと、僕の心に居座っており、僕はライブに行くという決断ができずにいた。
学校からの帰り道。
関口と別れた僕は、いつものように駅の前を通過し家への道を歩く。
「りっくん」
後ろから声をかけられ振り向くと、予想外の人物がそこにいた。
「陸!?」
何故陸がここに?
状況がのみこめず、僕がぽかんと口を開けていると、陸が僕に駆け寄る。
「ごめん、急に。一瞬話せる?」
「え、あ、えっと」
「人気のないところに移動しよう」
僕は陸に促されるまま、駅の高架下まで移動した。
「ワンマンライブに来てほしい」
陸は僕の目をまっすぐに見ながらそう言った。
「ごめん……僕、ライブには行かないつもりで。チケットもとってないし」
「チケットはまだ余ってる。あ……なんかこの言い方だと、チケットをさばくために声かけてるみたいに聞こえるな」
陸は苦笑いを浮かべる。
「俺が言いたいのはそうじゃなくて、翔をつれて、来てほしいんだ」
「えっ」
翔を?予想外の言葉に僕は戸惑う。
「ワンマンは、俺らの目標の一つだったんだ。翔もずっと目指してた。翔と一緒に舞台に立てないのは寂しいし、翔の気持ちも……分かってる。それでも、見に来てほしい」
「翔くんに直接連絡すればいいんじゃないの?」
「したよ。俺も、他のメンバーも。でも、既読はつくのに返信がない。あいつ、迷ってるんだと思うんだ」
「僕が言っても、断られる気がする」
僕らは今、気まずい状況にある。一緒にライブになど行ってくれないだろう。
「頼むよ、りっくん」
陸がすがるような目を僕に向けてくる。
「……陸はさ、翔くんに、またグループに戻ってきてほしいの?」
「え?」
「いや……そうなのかなって。だって、翔くんが脱退したのは、本人にとっても、メンバーにとっても、本望だったわけじゃないでしょ」
「……翔から、全部聞いたんだね」
陸が悲しげな表情を浮かべる。
「僕、翔くんはまだアイドルを続けたいんじゃないかって思って。だから……最近、翔くんとは必要以上に関わっちゃいけないような気がして」
「……りっくんは、また翔にアイドルに戻ってほしい?」
「もし、翔が……翔くんが望んでるなら」
「りっくんは優しいんだね。翔の気持ちを優先してる」
自分が優しいだなんて、考えたこともなかった。
推しの幸せを願うのは、ファンなら当たり前だと思っていたからだ。
「俺はね、正直なこと言うと、アイドルには戻らない方がいいと思ってるんだ」
「え?」
陸の口から放たれた予想外の言葉に、僕はつい顔をしかめる。
けれど、その声に冷たさは感じられなかった。
むしろ、翔を思う温かな気持ちが滲んでいるように思えた。
「翔は、すごく努力家で、誰よりもグループを思って活動してきた。もちろん、ファンのことも凄く大事に思ってた」
それは、ファンである僕にも伝わっていた。
「だからこそ、グループをもっと大きくしようと、ファンをもっと喜ばせようと、毎日頑張ってたよ。必死なほどにね」
陸はそこで言葉を切ると、苦しそうな表情を浮かべる。
「翔が前に言ってたんだ。『自分は、誰かのために頑張るのが好きだ』って。でもそれって、自分のことを後回しにしちゃうってことなんじゃないかって……。翔はさ、頑張りすぎるあまり、自分の身体に鞭打って、無理しすぎてしまうところがあった」
僕は、陸の言葉に静かに頷く。
翔がグループにいたころ、彼は縁の下の力持ちのような役割を担っていた。
自分が前へ出る、というよりも、どうすれば他のメンバーが輝けるか、どうすればグループのバランスがよくなるかなど、常に”自分以外”のことを考えていた印象だった。
それは、Nexe1の動画チャンネルに以前アップされた、ライブの裏側を撮影した動画を見て、僕が抱いた印象だ。
「翔が一度、倒れたことがあってね」
「え!?」
ショッキングな言葉に、僕は心臓が冷たくなる。
「あ、別に大きな病気とかじゃないよ。疲れが溜まってたんだろうって、お医者さんが。でもあいつ、次の日の特典会に無理言って出たんだよ。俺たちは全力で止めたんだけどね」
「そんな……」
「心配したよ。ファンの前で倒れたらどうするんだって。でもさ、いざ特典会が終わったらあいつ、なんか晴れやかな顔してんの」
「え?」
「同年代の、男の子のファンが来てくれたって言って、嬉しそうにしてた」
「それって……」
「りっくんのこと。君が一瞬でも、翔の心を救ったんだと思う。……ちょっと嫉妬する」
「嫉妬?なんで?」
「俺じゃダメなんだ、って。同じ”りく”なのに、翔がりっくんのこと呼ぶ時と、俺を呼ぶ時、声のトーンが明らか違うの。むかつく」
陸は一瞬、不機嫌な表情を浮かべた後、すぐに元の調子に戻る。
「それで俺ら少しは安心したんだけど。でも、Nexe1に新しい仕事が決まったり、ファンが増えたり、グループが少しずつ大きくなっていくにつれ、あいつだけはどんどん余裕をなくしていってて。そんな考えすぎることないのにって思うけど。きっとそれがあいつの癖なんだろうね。良くも悪くも」
「……だから、アイドルには戻らない方がいいって?」
「別に、アイドルが向いてないって言ってるわけじゃない。むしろ、あいつほどアイドルが似合う人間はいないと思うし。でも、それはそれとして、やっぱり心配が勝っちゃって……。翔にとっての幸せって何だろうって考えた時に、一度全部、背負ってた荷物を降ろして、普通の高校生として生きる時間があってもいいんじゃないかと思ったんだ。これは、メンバーの総意。もし、アイドルを辞めて、普通の生活に戻ることで、翔が余計なことに苦しまずに済むなら……。幸せな人生を送れる可能性があるなら、俺たちはその背中を押したいと思ったんだ」
陸の思いを聞き、胸に熱いものがこみあげてくる。
「ねえりっくん。翔は今……普通の高校生に戻って、幸せそう?」
その問いに、僕は翔の姿を思い出す。
学校で、たくさんの友達に囲まれて笑う姿。
僕に、人懐っこい笑顔で話しかけてくる姿。
一緒に行ったテーマパークではしゃぐ姿。
僕は、陸の問いに頷いた。
陸はそれを見て、安心したように微笑む。
でもその微笑みには、少しの寂しさも混ざっているように見えた。
「あ、そうだ。この前は陸のこと……メンバーのこと、疑ってごめん。不仲とか、そんなわけないのに」
「いいよ。気にしてない」
「ん……?でもさ、ならなんで、陸は僕に近付いたの?」
「えっ?」
「いや、てっきり、陸は翔への嫌がらせのために、『俺に推し変して』みたいなことを僕に言ってきたのかなって思ってたんだけど」
「え……あー……」
「まさか、本当に僕を好きってわけでもないだろうし」
「あはは……それはバレてたんだ」
「流石に分かるよ。陸が僕に興味を示す理由がないから」
陸は困ったように目を泳がせる。
そして一度、宙を仰ぐと、小さくため息をつき、観念したように口を開いた。
「俺さ……翔が好きなんだ」
「え!?」
予想外の告白に、思わず大きな声が出てしまう。
「こっ、これは誰にも内緒で!……だから、その、心配で」
「心配?」
「だってアイドル辞めて、普通の高校生に戻ったのに、同じクラスにファンがいるなんて、新しい人生を始めるには最悪じゃん」
「それは……そうだね」
「それに、もしりっくんが翔に言い寄ってたらどうしようって思って」
「い、言い寄ってたら?」
「だって、推しが同じクラスにいるんだよ?見て見ぬふりできないでしょ」
見て見ぬふりしてたんだよなー……と転校初日のことを思い出す。
「実際、俺二人が一緒にいるところ見たし。驚いたよ。しかも、なんかいい感じの雰囲気だったし。もしかして、付き合ってるのかなって思って」
「……嫉妬してた?」
「そ、それは……!それも、あるけど……あいつにはもう、傷ついてほしくなかったっていうのがあって」
陸は寂しげに目を伏せる。
きっと陸は、翔がアイドルを辞めた後も、ずっと翔を心配していたのだ。
以前、陸が高校の最寄り駅に来たことがあったのも、翔の様子を見るためだったのだろう。
「それに、もしまた、誰かに写真とか撮られたらさ。悲しい思いをするのは翔なんだよ。どこにファンがいるかもわからないし。りっくんだって、多少はファンたちの間で顔が割れてるかもしれないし」
「僕が?」
「男のファンは珍しいでしょ。意外と女の子たち、見てるかも」
僕は会場での、女性たちの視線を思い出す。
「それがまたSNSにでも晒されたら……って思うと、いてもたってもいられなくて。それで、りっくんに近付いた」
「え。じゃあまさか、コンタクト落とした時、近くにいたのは……」
「いや!それは偶然!ほんとに!……まあでも、その偶然が後押ししたってのはある。それで、とりあえずりっくんと仲良くなって、翔から、りっくんの気持ちを逸らすことにした」
「その方法が……あれ?」
「“あれ”って言うな。俺なりに頑張って考えたんだよ」
僕は思わず笑ってしまう。
クールに見えていた陸の印象は、今では完全に真逆になっていた。
「でも、全然りっくん、俺にときめかないんだもん」
「そりゃそうでしょ。僕は翔が好きだし」
「俺も翔が好き。二人とも翔しか見えてないんじゃ、そりゃ上手くいくわけないよね」
僕たちは笑い合った。
それからひとしきり笑ったあと、陸は改めて真剣な顔を僕に向ける。
「あらためてお願い。翔と一緒にライブを見に来てほしい。絶対に後悔させない」
陸の力強い言葉に呼応するように、僕ははっきりと頷いた。
次の日。
僕は昼休みに、翔を非常階段に呼び出した。
一番最初に、翔と話をしたあの非常階段だ。
「Nexe1のワンマン、一緒に行こう」
僕の言葉に、翔は戸惑った様子を見せた。
「ごめん、凛空くん。俺、ライブに行くつもりはなくて」
「行こう」
「え、いや……でも」
「もうチケットとった。二人分」
「えっ」
「二階席の後ろだから、そんな人目は気にならないかもしれないけど、しっかり変装はしていった方がいいと思う」
「ちょ、ちょっとストップ!聞いてた?俺、行かないって」
「行こう。絶対、行くべきだと思う」
僕は力強く言う。陸が「絶対に後悔させない」と言ってくれた、あの熱量を引き継ぐように。
「……考えさせて」
翔はそう言うと、僕の返事を待たず、足早にその場を去っていった。
結局、その後どれだけ待っても、翔からの返事は得られなかった。学校でも、僕が話しかけようとすると、逃げるようにどこかへ行ってしまう。
そうして、あっという間にライブ当日を迎えることとなった。
僕は起きてすぐ、翔にメッセージを送る。
『開演の30分前には、会場に着いてる予定。会場のすぐそばの時計台の前で待ってる』
送ったメッセージを数秒眺めた後、僕はもう一通、メッセージを追加した。
『絶対来て。後悔させない』
開演1時間前。
開場と同時に、ファンたちが会場へ流れ込んでいく。
予定よりだいぶ早く到着した僕は、その光景をぼんやりと眺めていた。
Nexe1のファンって、こんなに多かったっけ。
いや、きっと翔が脱退した後も、残されたメンバーたちが必死に前を向き、グループを育ててきたのだろう。
その積み重ねが、ここにいるファンの数に繋がっているのだ。
そして今日のライブにも、彼らの努力の結果が反映されている。
そんな予感がした。
開演30分前。
僕が翔に送った時間。
しかし、会場前で待つファンの中に、翔の姿はない。
開演15分前。
会場前で待つファンの数が少しずつ減っていく。
翔に送ったメッセージは、未読のままだ。
開演5分前。
……そう、だよね。
翔は来ない。
分かっていたはずなのに、胸の奥が少しだけ痛んだ。
僕は静かに会場の入り口に向かって歩き出す。
その時だった。
「凛空くん!」
背後から聞こえたその声に、僕は思わず勢いよく振り返る。
そこには、僕の元へ走ってくる翔の姿があった。
ずっと待ち望んでいた、翔の姿が。
「ごめん、遅くなって。行こう!」
「あ、う、うん!」
帽子とマスクで変装した翔は僕の手をとると、走ってきたままの勢いで、会場入り口に向かっていく。
そうしてチケットに記された席に着いたのは、開演ギリギリの時間だった。
やがて、会場がゆっくりと暗転する。
翔とはほとんど話ができないまま、ついにライブは幕を開けた。
聞きなじみのあるイントロと共に、五人がステージに現れる。
この曲はNexe1が結成後、最初にもらった曲だ。
眼下を、ペンライトの海が広がる。
二階席の後ろということで、その光景は圧巻だった。
しかし、そこにオレンジのペンライトはない。みんな、赤、黄、青、紫、白のペンライトを各々振っていた。
僕は、横の翔をちらっと見る。
翔は真剣な顔で、その光景を、そしてステージを見つめていた。
ライブでは、グループの持ち曲に加え、事務所の先輩グループの曲のカバーも歌われた。
また、持ち曲の中には僕の知らない曲もあり、この数か月の間に出た新曲なのだろうと気付いた瞬間、少し寂しくなった。
僕がこれまで、幾度となく通っていたフリーライブとは違い、次から次へとたくさんの曲が歌われる。
しかし、違うのはそれだけではない。
メンバーの一人ひとりのパフォーマンス力が、明らかに向上していた。
歌も、ダンスも、僕が見ていた頃と比べ物にならない。
翔が脱退したことで縁の下の力持ちを失い、バランスを崩したNexe1。あの日から、きっと何度も壁にぶつかってきたのだろう。
それでも、五人は立ち止まらなかった。
翔が抜けたことを、言い訳にしないために。
翔を安心させるために。
その思いが、痛いほど伝わってきた。
ライブ開始から数十分。
メンバーたちが息を整えながら、ステージ中央に集まる。
MCの時間だ。
「皆さん、楽しんでますかー!」
暁斗の呼びかけに、ファンたちが歓声で応える。
「本日は、僕たちNexe1のワンマンライブにお越しいただき、ありがとうございます。それでは、メンバー一人ずつ自己紹介をさせてください」
「はい!メンバーカラー黄色の光琉です!今日はおまつ、おあつ、お集まりいただき……」
「噛みすぎだろ」
暁斗の突っ込みに、会場は笑いに包まれる。
「すみません!めっちゃテンション上がってます!よろしく!」
「勢いでごまかしたな。じゃあ次、海里」
「はい!メンバーカラー青の海里です。青のペンライト、ちゃんと見えてるよー!」
海里推しのファンたちが一斉にペンライトを振る。この中に聡志さんもいるのだろう。
「今日はみんな楽しもうねー!」
「海里ありがとう。じゃあお次は、陸!」
「はい。メンバーカラー紫、陸です。みんな、今だけペンライト紫に変えてくださーい」
その呼びかけに応じ、ファンたちがペンライトの色を変える。
それにより、会場が紫の光に包まれた。
「これでみんな俺推しだね」
「えっ、ずるい何それ!」
「ねえそれ俺もやりたかったー!!」
光琉の一言をきっかけに、メンバーたちが次々と自分のメンバーカラーへの変更を呼びかける。
そのたびにファンたちは息ぴったりにペンライトの色を変えていった。
赤、黄、青、紫、白。
会場は順番に、五人のメンバーカラーに彩られていった。
「ていうか、今自己紹介中だからね!?じゃあ次、琥珀」
「この流れで自己紹介するの嫌なんだけど。えっと、メンバーカラー白、最年少の琥珀です。ワンマンライブは、僕たちにとって本当に夢だったので、……」
琥珀の言葉が止まった。
メンバーたちが琥珀の顔を覗き込む。
「あれ?琥珀泣いてる?」
「感極まっちゃった?」
「泣くの早くなーい?」
「うるさい、いいから、もう!今日は楽しみましょう!」
客席から大きな拍手と歓声が巻き起こる。
僕も琥珀の涙には胸が熱くなり、気付けば手のひらが痛くなるほどの拍手を送っていた。
ふと、隣の翔に目を移す。
翔は琥珀と、そんな琥珀をからかうメンバーたちの姿を静かに見つめていた。
マスクで表情は分からないものの、その目は過去を懐かしむように穏やかだった。
「じゃあ最後、リーダー!」
「はい!メンバーカラー赤、リーダーの暁斗です!今日は初のワンマンライブということで、みんなを精一杯楽しませます!みんな、楽しむ準備できてますか!」
ファンたちが先程よりも大きな声援で応える。
「それでは、引き続き盛り上がっていきましょう!」
暁斗の掛け声を合図に、ライブの後半戦がスタートした。
僕は改めて実感した。
Nexe1は、数か月前とは比べ物にならないくらい成長している。
パフォーマンス力だけではない。
MCも、以前のように会話が途切れることはなくなり、一人ひとりが自分の言葉で話せるようになっている。
そして何より、ステージ上で話している彼らが、楽しそうなのが伝わってくる。
その後も、会場の熱気は冷めることなく、僕も気付けばこの場を心から楽しんでいた。
そうして、いよいよ最後の曲を迎えた。
「この曲は、僕たち五人が作詞に関わりました。これからも大切なメンバー、そしてファンのみんなと一緒に、前へ進んでいきたいという思いを込めた曲です。聞いてください。『Next.』」
静かなピアノの音から、イントロが始まる。
どこか儚く、切なさを感じさせるメロディーに乗せて、メンバーが一人ずつ歌を繋いでいく。
しかし、サビに近づくにつれて、少しずつテンポが上がり、曲は明るさを帯びていった。
静かに始まった曲は、いつしか、前へ進んでいくような、力強い曲へと姿を変えていた。
そしてサビに入った瞬間、僕は思わず息を呑んだ。
耳に飛び込んできた歌詞に、翔の姿が浮かんだからだ。
『君らしい君でいて 僕らはそんな君が一番好きだから
君らしく輝いて 君には幸せでいてほしいから
寂しさなんて感じる暇ないくらい 僕らが君に光を差し続けるよ
だから前を向いて 僕たちのことを見ていて この先もずっと』
この歌詞を聞いた瞬間、僕は、陸が言っていた「翔には幸せになってほしい」という言葉を思い出していた。
この歌詞に描かれた「君」は、ファンのことを指しているのだろう。
でも、それと同時に、きっと翔のことでもあるのだと思った。
こうして、最後の曲が終了し、メンバーがステージの中央に集まる。
「改めて、本日はご来場いただきありがとうございます」
暁斗がファンたちへの感謝を述べる。
「僕たちは、元々六人のグループでした」
その言葉を聞いた瞬間、隣にいる翔の身体が、ほんのわずかに強張るのが伝わった。
「長年、研究生として活動してきたメンバーもいれば、事務所に入ってすぐグループに属することになった、ダンスや歌の経験のないメンバーもいて。正直、最初の内は、不安しかありませんでした。それは、経験の浅いメンバーがいることの不安じゃありません。みんなが一生懸命頑張っているのは分かってて。それなのに、なかなか結果に繋がらない。頑張ってるのに、外野から『もっと頑張れ』って言われる。これ以上どう頑張ればいいんだっていう、そんな悔しさからくる不安です」
アイドルという仕事は過酷だ。僕は以前からそう思っていた。
常に笑顔を振りまき、ファンたちを楽しませる。
その裏に、血のにじむような苦労や、悔しさがあるのは想像していた。
しかし、いざ暁斗の言葉を聞くと、自分の想像がいかに甘かったのかを実感した。
実際には、僕が想像していた何十倍もの苦労を味わってきたのだろう。
「そんな中で、中心にいたのが、今ここにはいないメンバーの翔です」
翔の名前が出た瞬間、僕の心臓はドクンと鳴った。
きっと、横にいる翔も同じだろう。
「翔は常にグループのことを考えて、グループをよりよくするために力を尽くしてくれました。今、僕たちがここに立っているのも翔のおかげです。翔が脱退した後も、僕らは翔の熱意を受け継いで、練習に励んできました。その成果を今日、皆さんにお見せするつもりで頑張ってきました」
僕はふと、あることに気づいた。
客席から、かすかにすすり泣く声が聞こえてくる。
一人や二人ではない。
きっと、翔がいた頃からNexe1を応援してきたファンたちが、それぞれに今までの思い出を振り返っているのだろう。
「僕たちはこれからも前を向いて、歩いていきます。だからみんなも、それぞれの場所で、自分らしく前を向いて生きてください」
その時、僕は客席を見て思わずはっとした。視界の端にオレンジの光を確認したからだ。
オレンジは、翔のメンバーカラーだった。
そして会場を見渡すと、先程までなかったはずのオレンジのペンライトがちらほら見受けられた。
さらに、オレンジ色のペンライトを灯すファンの肩に、「KAKERU」と書かれたタオルがかかっているのが見えた。
きっとあの子は、翔のファンなのだ。
翔を、この場所まで連れてきてくれたのだろう。
今まで、オレンジ色のペンライトが一つもなかったのは、翔が忘れ去られたからではない。きっと翔のファンたちは、今のNexe1を尊重し、そこに自分の色を持ち込むことをためらっていたのだ。
それはよく考えれば当然のことだ。普通なら、いないメンバーの色を灯すのは、空気を読めない行為とみなされる恐れがある。
翔のファンたちは、翔のことを大事に思っているからこそ、空気を読んでいたのだろう。
だが、翔の話題が出たことにより、客席のあちこちでオレンジ色の光が一つ、また一つと灯り始める。
「それでは、今日は皆さん、ありがとうございま……」
「ちょっと待って!」
暁斗がライブを締めくくろうとするのを、光琉が遮った。
きょとんとする暁斗の横で、光琉が一歩前へ出る。
「みんな、ペンライトオレンジに変えて!」
その言葉を合図に、会場がオレンジの光に包まれた。
「すげー!綺麗!」
「夕焼け空みたい」
「写真撮って、翔に送ろう。ちょっとスマホとってくる」
メンバーたちは想定していなかった状況に気が緩んだのか、自由に言葉を交わし始める。
その表情はとても嬉しそうだった。
僕は目の前に広がるオレンジ色の景色と、そんなメンバーたちの姿を見ているうちに、自然と涙が頬をつたっていた。
その時。
翔の体が小刻みに震えていることに気づいた。
慌てて翔の顔を見る。
翔はうつむいており、その表情はよく見えない。
それでも、泣くのを必死にこらえていることだけは、すぐに分かった。
最後のMCが終わり、メンバーがステージから去っていく。
この後にアンコール曲があるのは分かっていたが、僕と翔は曲が始まる前に会場を出ることにした。
ライブを最後まで見て、ファンと同じタイミングで退場すれば、翔がここにいることに気付かれてしまう恐れがあるからだ。
その後、二人で会場から離れた場所まで移動する。
たどり着いたのは、都会の喧騒から少し離れた並木道だった。
昼間であれば、多くの人で賑わう場所だが、既に夜だということもあり、人の姿はほとんどない。
ここまで移動する間、翔との会話はなかった。
ライブの余韻に浸っていた、というのはもちろんある。
しかし何よりも、今僕が翔に伝えたいことは、行き交う車の音やすれ違う人混みの中で話せるほど、軽いものではなかった。
静かな場所で、ゆっくり話をしたい。
そう思っていた。
街灯の灯りが照らす道を、翔と共に歩く。
一本、二本、と街灯を通り過ぎるたび、僕の心臓の鼓動は速くなった。
どう話を切り出そう。
翔は今、何を考えている?
その時、四本目の街灯の下で、翔が足を止めた。
翔と僕は、自然と向き合う形になる。
少しの沈黙の後、先に口を開いたのは翔だった。
「今日は誘ってくれてありがとう」
「……行って、良かった?」
恐る恐る翔に尋ねる。
すると僕の問いに、翔はマスクを外して微笑んだ。
「うん。良かった。本当に」
「そっか」
翔の言葉に僕は安堵する。
「さっき歩きながら、色々考えてたんだ。今やっと考えがまとまった。聞いてくれる?」
「うん」
「最初はね、自分のいないNexe1を見るのが怖かった。五人のNexe1が、当たり前のように活動してる現状を、受け入れる勇気がなかったんだ」
僕は、翔の言葉を聞きながら、何度も頷いた。
自分も全く同じだったからだ。
「自分から辞めたのに、わがままだよな。でもなんか、もしライブを見ちゃったら、『あの場所に戻りたい』って思ってしまいそうで。そしたら、自分から脱退したのは何だったんだって、後悔してしまう気がした。自分の決断が間違ってたって、突きつけられる気がしてさ。怖かったんだ」
翔は、自分の中に渦巻く複雑な感情を、一生懸命僕に伝える。
「でもいざ見たら、悔しい感情とか、悲しい感情とか、全然湧かなかった。なんていうか……すごく、誇らしい気持ちになった。……正直、心配もあったんだ。俺が抜けて大丈夫だったかなって。でも全然、そんな心配いらなかった。五人のNexe1は、五人のNexe1として、全く新しいグループになってた」
「確かに、凄かったね」
僕はライブの光景を思い返す。
今日のライブは、僕がショッピングモールの特設ステージで見ていたものとは比べ物にならないくらい、洗練されていた。
「それに、ファンの子たちのことも心配してたんだ」
「翔くんのファン?」
「そう。俺が辞めて、きっと悲しい思いをしてたと思う。だって、具体的な理由も言わずに急に辞めたんだから」
「ほんとだよ」
僕は、公式サイトの告知文を見た瞬間の絶望を思い出す。
「その節はほんとごめん。でも、みんなもう前を向いてるんだって思った」
「翔くんのファンの子、いっぱいいたね」
「うん。オレンジのペンライト、嬉しかったよ。あと、タオルを身に着けてくれてる子もいた。俺がワンマンを夢として掲げてたの知ってて、埃をかぶってたグッズを引っ張り出して、あの場所に連れてきてくれたんだと思う」
翔は愛おしそうに目を細める。
きっと、オレンジ色の光に彩られた会場を思い出しているのだろう。
「でもね、前を向いてる子ばっかじゃないと思う。俺の脱退をきっかけに、Nexe1から離れた子もいるはず」
僕みたいにね、という相槌はここでは我慢した。
「そういう子たちには、本当に申し訳ないと思う。……でも、どうかそれぞれの場所で、幸せに過ごしててほしいって思う」
それから翔は真剣な表情になると、改めて僕に向き直る。
「アイドルとして過ごした日々は、今の俺にとって”戻りたい過去”じゃなくて、”かけがえない宝物”なんだって気付いた。それに気付けたのは、今日ライブに誘ってくれた凛空くんのおかげ。本当にありがとう」
「そんな……実は、陸から頼まれてて……」
「うん、そうかなって思った」
「あ、バレてた?」
「ていうか、陸と随分仲良くなってるじゃん」
あれ、嫉妬してる?
わざとらしく頬を膨らませる翔が可愛くて、思わず笑ってしまう。
「凛空くん」
「ん?」
「俺も前を向こうと思う。アイドルとしての人生もすっごく幸せだったけど、今はまた、別の幸せを見つけたから」
「うん」
その時、翔のスマホが鳴った。
翔は画面を確認すると、ふっと目を細める。そして、僕にスマホの画面を見せた。
そこに映っていたのは、一枚の写真。
オレンジ色の光に彩られた、今日の会場だった。
「これからは俺も、ファンとしてNexe1を支えていこうかな」
「うん、そうしよう」
僕たちは、夜の道を再び歩き出した。
その時、翔が「待って」と僕の手を引く。
「俺、凛空くんのことが好き」
翔がまっすぐ僕の目を見つめて言う。
その目には、確かな熱が宿っていた。
もう迷いもためらいもない。
僕を好きだという感情が、まっすぐに伝わってきた。
「僕も、好きだよ」
気付けば、自然と言葉がこぼれ出ていた。
もう翔への思いは止められなかった。
「うん、ありがとう」
「……えっと、ちゃんと伝わってる?」
翔が当然のように答えるのを聞いて、僕は少し不安になる。
いつかのデートの時のように、また「好き」を別の意味で捉えられているんじゃ……。
そこまで考えたところで、翔が僕の手をぐっと引き、距離を一気に縮める。
気付いた時には、僕の唇に、翔の唇が重なっていた。
「……伝わってるよ。こういう意味でしょ」
自分の身に何が起きたのか分からず、僕は固まったまま立ち尽くした。
けれど、しばらくして唇に残った感触が蘇ってくる。
その瞬間、顔が一気に熱くなった。
「ちょっ、なっ、だっ、……!!」
「ん?なんて?」
「推しとっ、こんなこと……だめだって!!!」
翔は真っ赤になりながらパニック状態に陥る僕を見て、楽しそうに笑っている。
けれど、街灯に照らされた翔の顔も、僕に負けないくらい真っ赤だった。
その理由を探る中で、グループの不仲のようなあり得ない可能性まで考えてしまった。
もし、本当に不仲が原因なら、翔を慰めようと思った。
サイトの告知文に書かれていたように、将来を考えた結果の決断なら、翔を応援しようと思った。
それ以外のどんな理由でも、俺は翔を勇気づける言葉をかけてあげたい。
そう思っていた。
でもいざ、本当の脱退理由を聞いた時。
俺はすぐに言葉が出なかった。
翔が今まで抱えてきた重すぎる葛藤に、僕なんかの薄っぺらい言葉は不釣り合いすぎると思ったから。
僕にすべてを話し終えた時、翔の手は小刻みに震えていた。
その時の僕にできたのは、その手を握り、彼を安心させるための言葉をかけるくらいだった。
そして僕は、翔の話を聞く中で、ふと気づいた。
翔はアイドルを辞めたくて、辞めたわけではない。
だとすると、本当はアイドルを続けたかったのではないか。
もし、僕が気持ちを伝えれば、その夢を諦めさせることになるかもしれない。
翔はこんなところで、僕の相手をしている場合ではないのではないか。
そんな考えが、ふと頭をよぎった。
僕は翔のことが好きだ。翔に恋をしている。
でも同時に、アイドルとして輝く翔のことも大好きだった。
これまで何度も胸の奥に押し込んだ恋心は、「またか」と呆れていることだろう。
それでも僕は、その恋心をもう一度しまい込んだ。
今度は二度と出てこられないよう、ずっと奥の奥へ。
2か月が経った。
あれから、僕は翔とほとんど話さなくなった。
本当ならあの話を聞いた後だからこそ、これまで通り接するべきだった。
翔を安心させるためにも……。
でも、翔と仲良くなればなるほど、僕は翔をアイドルの世界から遠ざけてしまうような気がして。それがどうしようもなく罪深いことのように思えた。
「何、お前ら喧嘩してんの」
関口が僕にそう聞く。
前から思っていたが、関口はやたらと僕と翔の様子を気にしている。
「喧嘩も何も……元々そこまで仲がいいわけじゃないし……」
「そう?仲良さそうに見えたけど」
「……そんなことないよ。僕とは、住む世界が違うんだから」
関口は「そうなんかねぇ」と呟き、翔の方に視線を向けた。
翔は相変わらず、加藤くんと西田くん、それに運動部の明るいクラスメートたちの輪の中で笑っている。
きっと関口は、「住む世界が違う」という僕の発言を、陽キャと陰キャの違いだと受け取ったのだろう。
僕はその誤解に対し特に口出しはせず、そっと彼らから目をそらした。
Nexe1のワンマンライブまであと1週間。
聡志さんからの「一緒に行かないか」との誘いを、結局僕は断った。
Nexe1の晴れ舞台を見たい気持ちはもちろんあった。
それでも、あの日。
翔に内緒でNexe1のイベントに行ったこと。翔に誤解をさせてしまったこと。
何より、翔を不安な気持ちにさせてしまったこと。
その罪悪感があの日からずっと、僕の心に居座っており、僕はライブに行くという決断ができずにいた。
学校からの帰り道。
関口と別れた僕は、いつものように駅の前を通過し家への道を歩く。
「りっくん」
後ろから声をかけられ振り向くと、予想外の人物がそこにいた。
「陸!?」
何故陸がここに?
状況がのみこめず、僕がぽかんと口を開けていると、陸が僕に駆け寄る。
「ごめん、急に。一瞬話せる?」
「え、あ、えっと」
「人気のないところに移動しよう」
僕は陸に促されるまま、駅の高架下まで移動した。
「ワンマンライブに来てほしい」
陸は僕の目をまっすぐに見ながらそう言った。
「ごめん……僕、ライブには行かないつもりで。チケットもとってないし」
「チケットはまだ余ってる。あ……なんかこの言い方だと、チケットをさばくために声かけてるみたいに聞こえるな」
陸は苦笑いを浮かべる。
「俺が言いたいのはそうじゃなくて、翔をつれて、来てほしいんだ」
「えっ」
翔を?予想外の言葉に僕は戸惑う。
「ワンマンは、俺らの目標の一つだったんだ。翔もずっと目指してた。翔と一緒に舞台に立てないのは寂しいし、翔の気持ちも……分かってる。それでも、見に来てほしい」
「翔くんに直接連絡すればいいんじゃないの?」
「したよ。俺も、他のメンバーも。でも、既読はつくのに返信がない。あいつ、迷ってるんだと思うんだ」
「僕が言っても、断られる気がする」
僕らは今、気まずい状況にある。一緒にライブになど行ってくれないだろう。
「頼むよ、りっくん」
陸がすがるような目を僕に向けてくる。
「……陸はさ、翔くんに、またグループに戻ってきてほしいの?」
「え?」
「いや……そうなのかなって。だって、翔くんが脱退したのは、本人にとっても、メンバーにとっても、本望だったわけじゃないでしょ」
「……翔から、全部聞いたんだね」
陸が悲しげな表情を浮かべる。
「僕、翔くんはまだアイドルを続けたいんじゃないかって思って。だから……最近、翔くんとは必要以上に関わっちゃいけないような気がして」
「……りっくんは、また翔にアイドルに戻ってほしい?」
「もし、翔が……翔くんが望んでるなら」
「りっくんは優しいんだね。翔の気持ちを優先してる」
自分が優しいだなんて、考えたこともなかった。
推しの幸せを願うのは、ファンなら当たり前だと思っていたからだ。
「俺はね、正直なこと言うと、アイドルには戻らない方がいいと思ってるんだ」
「え?」
陸の口から放たれた予想外の言葉に、僕はつい顔をしかめる。
けれど、その声に冷たさは感じられなかった。
むしろ、翔を思う温かな気持ちが滲んでいるように思えた。
「翔は、すごく努力家で、誰よりもグループを思って活動してきた。もちろん、ファンのことも凄く大事に思ってた」
それは、ファンである僕にも伝わっていた。
「だからこそ、グループをもっと大きくしようと、ファンをもっと喜ばせようと、毎日頑張ってたよ。必死なほどにね」
陸はそこで言葉を切ると、苦しそうな表情を浮かべる。
「翔が前に言ってたんだ。『自分は、誰かのために頑張るのが好きだ』って。でもそれって、自分のことを後回しにしちゃうってことなんじゃないかって……。翔はさ、頑張りすぎるあまり、自分の身体に鞭打って、無理しすぎてしまうところがあった」
僕は、陸の言葉に静かに頷く。
翔がグループにいたころ、彼は縁の下の力持ちのような役割を担っていた。
自分が前へ出る、というよりも、どうすれば他のメンバーが輝けるか、どうすればグループのバランスがよくなるかなど、常に”自分以外”のことを考えていた印象だった。
それは、Nexe1の動画チャンネルに以前アップされた、ライブの裏側を撮影した動画を見て、僕が抱いた印象だ。
「翔が一度、倒れたことがあってね」
「え!?」
ショッキングな言葉に、僕は心臓が冷たくなる。
「あ、別に大きな病気とかじゃないよ。疲れが溜まってたんだろうって、お医者さんが。でもあいつ、次の日の特典会に無理言って出たんだよ。俺たちは全力で止めたんだけどね」
「そんな……」
「心配したよ。ファンの前で倒れたらどうするんだって。でもさ、いざ特典会が終わったらあいつ、なんか晴れやかな顔してんの」
「え?」
「同年代の、男の子のファンが来てくれたって言って、嬉しそうにしてた」
「それって……」
「りっくんのこと。君が一瞬でも、翔の心を救ったんだと思う。……ちょっと嫉妬する」
「嫉妬?なんで?」
「俺じゃダメなんだ、って。同じ”りく”なのに、翔がりっくんのこと呼ぶ時と、俺を呼ぶ時、声のトーンが明らか違うの。むかつく」
陸は一瞬、不機嫌な表情を浮かべた後、すぐに元の調子に戻る。
「それで俺ら少しは安心したんだけど。でも、Nexe1に新しい仕事が決まったり、ファンが増えたり、グループが少しずつ大きくなっていくにつれ、あいつだけはどんどん余裕をなくしていってて。そんな考えすぎることないのにって思うけど。きっとそれがあいつの癖なんだろうね。良くも悪くも」
「……だから、アイドルには戻らない方がいいって?」
「別に、アイドルが向いてないって言ってるわけじゃない。むしろ、あいつほどアイドルが似合う人間はいないと思うし。でも、それはそれとして、やっぱり心配が勝っちゃって……。翔にとっての幸せって何だろうって考えた時に、一度全部、背負ってた荷物を降ろして、普通の高校生として生きる時間があってもいいんじゃないかと思ったんだ。これは、メンバーの総意。もし、アイドルを辞めて、普通の生活に戻ることで、翔が余計なことに苦しまずに済むなら……。幸せな人生を送れる可能性があるなら、俺たちはその背中を押したいと思ったんだ」
陸の思いを聞き、胸に熱いものがこみあげてくる。
「ねえりっくん。翔は今……普通の高校生に戻って、幸せそう?」
その問いに、僕は翔の姿を思い出す。
学校で、たくさんの友達に囲まれて笑う姿。
僕に、人懐っこい笑顔で話しかけてくる姿。
一緒に行ったテーマパークではしゃぐ姿。
僕は、陸の問いに頷いた。
陸はそれを見て、安心したように微笑む。
でもその微笑みには、少しの寂しさも混ざっているように見えた。
「あ、そうだ。この前は陸のこと……メンバーのこと、疑ってごめん。不仲とか、そんなわけないのに」
「いいよ。気にしてない」
「ん……?でもさ、ならなんで、陸は僕に近付いたの?」
「えっ?」
「いや、てっきり、陸は翔への嫌がらせのために、『俺に推し変して』みたいなことを僕に言ってきたのかなって思ってたんだけど」
「え……あー……」
「まさか、本当に僕を好きってわけでもないだろうし」
「あはは……それはバレてたんだ」
「流石に分かるよ。陸が僕に興味を示す理由がないから」
陸は困ったように目を泳がせる。
そして一度、宙を仰ぐと、小さくため息をつき、観念したように口を開いた。
「俺さ……翔が好きなんだ」
「え!?」
予想外の告白に、思わず大きな声が出てしまう。
「こっ、これは誰にも内緒で!……だから、その、心配で」
「心配?」
「だってアイドル辞めて、普通の高校生に戻ったのに、同じクラスにファンがいるなんて、新しい人生を始めるには最悪じゃん」
「それは……そうだね」
「それに、もしりっくんが翔に言い寄ってたらどうしようって思って」
「い、言い寄ってたら?」
「だって、推しが同じクラスにいるんだよ?見て見ぬふりできないでしょ」
見て見ぬふりしてたんだよなー……と転校初日のことを思い出す。
「実際、俺二人が一緒にいるところ見たし。驚いたよ。しかも、なんかいい感じの雰囲気だったし。もしかして、付き合ってるのかなって思って」
「……嫉妬してた?」
「そ、それは……!それも、あるけど……あいつにはもう、傷ついてほしくなかったっていうのがあって」
陸は寂しげに目を伏せる。
きっと陸は、翔がアイドルを辞めた後も、ずっと翔を心配していたのだ。
以前、陸が高校の最寄り駅に来たことがあったのも、翔の様子を見るためだったのだろう。
「それに、もしまた、誰かに写真とか撮られたらさ。悲しい思いをするのは翔なんだよ。どこにファンがいるかもわからないし。りっくんだって、多少はファンたちの間で顔が割れてるかもしれないし」
「僕が?」
「男のファンは珍しいでしょ。意外と女の子たち、見てるかも」
僕は会場での、女性たちの視線を思い出す。
「それがまたSNSにでも晒されたら……って思うと、いてもたってもいられなくて。それで、りっくんに近付いた」
「え。じゃあまさか、コンタクト落とした時、近くにいたのは……」
「いや!それは偶然!ほんとに!……まあでも、その偶然が後押ししたってのはある。それで、とりあえずりっくんと仲良くなって、翔から、りっくんの気持ちを逸らすことにした」
「その方法が……あれ?」
「“あれ”って言うな。俺なりに頑張って考えたんだよ」
僕は思わず笑ってしまう。
クールに見えていた陸の印象は、今では完全に真逆になっていた。
「でも、全然りっくん、俺にときめかないんだもん」
「そりゃそうでしょ。僕は翔が好きだし」
「俺も翔が好き。二人とも翔しか見えてないんじゃ、そりゃ上手くいくわけないよね」
僕たちは笑い合った。
それからひとしきり笑ったあと、陸は改めて真剣な顔を僕に向ける。
「あらためてお願い。翔と一緒にライブを見に来てほしい。絶対に後悔させない」
陸の力強い言葉に呼応するように、僕ははっきりと頷いた。
次の日。
僕は昼休みに、翔を非常階段に呼び出した。
一番最初に、翔と話をしたあの非常階段だ。
「Nexe1のワンマン、一緒に行こう」
僕の言葉に、翔は戸惑った様子を見せた。
「ごめん、凛空くん。俺、ライブに行くつもりはなくて」
「行こう」
「え、いや……でも」
「もうチケットとった。二人分」
「えっ」
「二階席の後ろだから、そんな人目は気にならないかもしれないけど、しっかり変装はしていった方がいいと思う」
「ちょ、ちょっとストップ!聞いてた?俺、行かないって」
「行こう。絶対、行くべきだと思う」
僕は力強く言う。陸が「絶対に後悔させない」と言ってくれた、あの熱量を引き継ぐように。
「……考えさせて」
翔はそう言うと、僕の返事を待たず、足早にその場を去っていった。
結局、その後どれだけ待っても、翔からの返事は得られなかった。学校でも、僕が話しかけようとすると、逃げるようにどこかへ行ってしまう。
そうして、あっという間にライブ当日を迎えることとなった。
僕は起きてすぐ、翔にメッセージを送る。
『開演の30分前には、会場に着いてる予定。会場のすぐそばの時計台の前で待ってる』
送ったメッセージを数秒眺めた後、僕はもう一通、メッセージを追加した。
『絶対来て。後悔させない』
開演1時間前。
開場と同時に、ファンたちが会場へ流れ込んでいく。
予定よりだいぶ早く到着した僕は、その光景をぼんやりと眺めていた。
Nexe1のファンって、こんなに多かったっけ。
いや、きっと翔が脱退した後も、残されたメンバーたちが必死に前を向き、グループを育ててきたのだろう。
その積み重ねが、ここにいるファンの数に繋がっているのだ。
そして今日のライブにも、彼らの努力の結果が反映されている。
そんな予感がした。
開演30分前。
僕が翔に送った時間。
しかし、会場前で待つファンの中に、翔の姿はない。
開演15分前。
会場前で待つファンの数が少しずつ減っていく。
翔に送ったメッセージは、未読のままだ。
開演5分前。
……そう、だよね。
翔は来ない。
分かっていたはずなのに、胸の奥が少しだけ痛んだ。
僕は静かに会場の入り口に向かって歩き出す。
その時だった。
「凛空くん!」
背後から聞こえたその声に、僕は思わず勢いよく振り返る。
そこには、僕の元へ走ってくる翔の姿があった。
ずっと待ち望んでいた、翔の姿が。
「ごめん、遅くなって。行こう!」
「あ、う、うん!」
帽子とマスクで変装した翔は僕の手をとると、走ってきたままの勢いで、会場入り口に向かっていく。
そうしてチケットに記された席に着いたのは、開演ギリギリの時間だった。
やがて、会場がゆっくりと暗転する。
翔とはほとんど話ができないまま、ついにライブは幕を開けた。
聞きなじみのあるイントロと共に、五人がステージに現れる。
この曲はNexe1が結成後、最初にもらった曲だ。
眼下を、ペンライトの海が広がる。
二階席の後ろということで、その光景は圧巻だった。
しかし、そこにオレンジのペンライトはない。みんな、赤、黄、青、紫、白のペンライトを各々振っていた。
僕は、横の翔をちらっと見る。
翔は真剣な顔で、その光景を、そしてステージを見つめていた。
ライブでは、グループの持ち曲に加え、事務所の先輩グループの曲のカバーも歌われた。
また、持ち曲の中には僕の知らない曲もあり、この数か月の間に出た新曲なのだろうと気付いた瞬間、少し寂しくなった。
僕がこれまで、幾度となく通っていたフリーライブとは違い、次から次へとたくさんの曲が歌われる。
しかし、違うのはそれだけではない。
メンバーの一人ひとりのパフォーマンス力が、明らかに向上していた。
歌も、ダンスも、僕が見ていた頃と比べ物にならない。
翔が脱退したことで縁の下の力持ちを失い、バランスを崩したNexe1。あの日から、きっと何度も壁にぶつかってきたのだろう。
それでも、五人は立ち止まらなかった。
翔が抜けたことを、言い訳にしないために。
翔を安心させるために。
その思いが、痛いほど伝わってきた。
ライブ開始から数十分。
メンバーたちが息を整えながら、ステージ中央に集まる。
MCの時間だ。
「皆さん、楽しんでますかー!」
暁斗の呼びかけに、ファンたちが歓声で応える。
「本日は、僕たちNexe1のワンマンライブにお越しいただき、ありがとうございます。それでは、メンバー一人ずつ自己紹介をさせてください」
「はい!メンバーカラー黄色の光琉です!今日はおまつ、おあつ、お集まりいただき……」
「噛みすぎだろ」
暁斗の突っ込みに、会場は笑いに包まれる。
「すみません!めっちゃテンション上がってます!よろしく!」
「勢いでごまかしたな。じゃあ次、海里」
「はい!メンバーカラー青の海里です。青のペンライト、ちゃんと見えてるよー!」
海里推しのファンたちが一斉にペンライトを振る。この中に聡志さんもいるのだろう。
「今日はみんな楽しもうねー!」
「海里ありがとう。じゃあお次は、陸!」
「はい。メンバーカラー紫、陸です。みんな、今だけペンライト紫に変えてくださーい」
その呼びかけに応じ、ファンたちがペンライトの色を変える。
それにより、会場が紫の光に包まれた。
「これでみんな俺推しだね」
「えっ、ずるい何それ!」
「ねえそれ俺もやりたかったー!!」
光琉の一言をきっかけに、メンバーたちが次々と自分のメンバーカラーへの変更を呼びかける。
そのたびにファンたちは息ぴったりにペンライトの色を変えていった。
赤、黄、青、紫、白。
会場は順番に、五人のメンバーカラーに彩られていった。
「ていうか、今自己紹介中だからね!?じゃあ次、琥珀」
「この流れで自己紹介するの嫌なんだけど。えっと、メンバーカラー白、最年少の琥珀です。ワンマンライブは、僕たちにとって本当に夢だったので、……」
琥珀の言葉が止まった。
メンバーたちが琥珀の顔を覗き込む。
「あれ?琥珀泣いてる?」
「感極まっちゃった?」
「泣くの早くなーい?」
「うるさい、いいから、もう!今日は楽しみましょう!」
客席から大きな拍手と歓声が巻き起こる。
僕も琥珀の涙には胸が熱くなり、気付けば手のひらが痛くなるほどの拍手を送っていた。
ふと、隣の翔に目を移す。
翔は琥珀と、そんな琥珀をからかうメンバーたちの姿を静かに見つめていた。
マスクで表情は分からないものの、その目は過去を懐かしむように穏やかだった。
「じゃあ最後、リーダー!」
「はい!メンバーカラー赤、リーダーの暁斗です!今日は初のワンマンライブということで、みんなを精一杯楽しませます!みんな、楽しむ準備できてますか!」
ファンたちが先程よりも大きな声援で応える。
「それでは、引き続き盛り上がっていきましょう!」
暁斗の掛け声を合図に、ライブの後半戦がスタートした。
僕は改めて実感した。
Nexe1は、数か月前とは比べ物にならないくらい成長している。
パフォーマンス力だけではない。
MCも、以前のように会話が途切れることはなくなり、一人ひとりが自分の言葉で話せるようになっている。
そして何より、ステージ上で話している彼らが、楽しそうなのが伝わってくる。
その後も、会場の熱気は冷めることなく、僕も気付けばこの場を心から楽しんでいた。
そうして、いよいよ最後の曲を迎えた。
「この曲は、僕たち五人が作詞に関わりました。これからも大切なメンバー、そしてファンのみんなと一緒に、前へ進んでいきたいという思いを込めた曲です。聞いてください。『Next.』」
静かなピアノの音から、イントロが始まる。
どこか儚く、切なさを感じさせるメロディーに乗せて、メンバーが一人ずつ歌を繋いでいく。
しかし、サビに近づくにつれて、少しずつテンポが上がり、曲は明るさを帯びていった。
静かに始まった曲は、いつしか、前へ進んでいくような、力強い曲へと姿を変えていた。
そしてサビに入った瞬間、僕は思わず息を呑んだ。
耳に飛び込んできた歌詞に、翔の姿が浮かんだからだ。
『君らしい君でいて 僕らはそんな君が一番好きだから
君らしく輝いて 君には幸せでいてほしいから
寂しさなんて感じる暇ないくらい 僕らが君に光を差し続けるよ
だから前を向いて 僕たちのことを見ていて この先もずっと』
この歌詞を聞いた瞬間、僕は、陸が言っていた「翔には幸せになってほしい」という言葉を思い出していた。
この歌詞に描かれた「君」は、ファンのことを指しているのだろう。
でも、それと同時に、きっと翔のことでもあるのだと思った。
こうして、最後の曲が終了し、メンバーがステージの中央に集まる。
「改めて、本日はご来場いただきありがとうございます」
暁斗がファンたちへの感謝を述べる。
「僕たちは、元々六人のグループでした」
その言葉を聞いた瞬間、隣にいる翔の身体が、ほんのわずかに強張るのが伝わった。
「長年、研究生として活動してきたメンバーもいれば、事務所に入ってすぐグループに属することになった、ダンスや歌の経験のないメンバーもいて。正直、最初の内は、不安しかありませんでした。それは、経験の浅いメンバーがいることの不安じゃありません。みんなが一生懸命頑張っているのは分かってて。それなのに、なかなか結果に繋がらない。頑張ってるのに、外野から『もっと頑張れ』って言われる。これ以上どう頑張ればいいんだっていう、そんな悔しさからくる不安です」
アイドルという仕事は過酷だ。僕は以前からそう思っていた。
常に笑顔を振りまき、ファンたちを楽しませる。
その裏に、血のにじむような苦労や、悔しさがあるのは想像していた。
しかし、いざ暁斗の言葉を聞くと、自分の想像がいかに甘かったのかを実感した。
実際には、僕が想像していた何十倍もの苦労を味わってきたのだろう。
「そんな中で、中心にいたのが、今ここにはいないメンバーの翔です」
翔の名前が出た瞬間、僕の心臓はドクンと鳴った。
きっと、横にいる翔も同じだろう。
「翔は常にグループのことを考えて、グループをよりよくするために力を尽くしてくれました。今、僕たちがここに立っているのも翔のおかげです。翔が脱退した後も、僕らは翔の熱意を受け継いで、練習に励んできました。その成果を今日、皆さんにお見せするつもりで頑張ってきました」
僕はふと、あることに気づいた。
客席から、かすかにすすり泣く声が聞こえてくる。
一人や二人ではない。
きっと、翔がいた頃からNexe1を応援してきたファンたちが、それぞれに今までの思い出を振り返っているのだろう。
「僕たちはこれからも前を向いて、歩いていきます。だからみんなも、それぞれの場所で、自分らしく前を向いて生きてください」
その時、僕は客席を見て思わずはっとした。視界の端にオレンジの光を確認したからだ。
オレンジは、翔のメンバーカラーだった。
そして会場を見渡すと、先程までなかったはずのオレンジのペンライトがちらほら見受けられた。
さらに、オレンジ色のペンライトを灯すファンの肩に、「KAKERU」と書かれたタオルがかかっているのが見えた。
きっとあの子は、翔のファンなのだ。
翔を、この場所まで連れてきてくれたのだろう。
今まで、オレンジ色のペンライトが一つもなかったのは、翔が忘れ去られたからではない。きっと翔のファンたちは、今のNexe1を尊重し、そこに自分の色を持ち込むことをためらっていたのだ。
それはよく考えれば当然のことだ。普通なら、いないメンバーの色を灯すのは、空気を読めない行為とみなされる恐れがある。
翔のファンたちは、翔のことを大事に思っているからこそ、空気を読んでいたのだろう。
だが、翔の話題が出たことにより、客席のあちこちでオレンジ色の光が一つ、また一つと灯り始める。
「それでは、今日は皆さん、ありがとうございま……」
「ちょっと待って!」
暁斗がライブを締めくくろうとするのを、光琉が遮った。
きょとんとする暁斗の横で、光琉が一歩前へ出る。
「みんな、ペンライトオレンジに変えて!」
その言葉を合図に、会場がオレンジの光に包まれた。
「すげー!綺麗!」
「夕焼け空みたい」
「写真撮って、翔に送ろう。ちょっとスマホとってくる」
メンバーたちは想定していなかった状況に気が緩んだのか、自由に言葉を交わし始める。
その表情はとても嬉しそうだった。
僕は目の前に広がるオレンジ色の景色と、そんなメンバーたちの姿を見ているうちに、自然と涙が頬をつたっていた。
その時。
翔の体が小刻みに震えていることに気づいた。
慌てて翔の顔を見る。
翔はうつむいており、その表情はよく見えない。
それでも、泣くのを必死にこらえていることだけは、すぐに分かった。
最後のMCが終わり、メンバーがステージから去っていく。
この後にアンコール曲があるのは分かっていたが、僕と翔は曲が始まる前に会場を出ることにした。
ライブを最後まで見て、ファンと同じタイミングで退場すれば、翔がここにいることに気付かれてしまう恐れがあるからだ。
その後、二人で会場から離れた場所まで移動する。
たどり着いたのは、都会の喧騒から少し離れた並木道だった。
昼間であれば、多くの人で賑わう場所だが、既に夜だということもあり、人の姿はほとんどない。
ここまで移動する間、翔との会話はなかった。
ライブの余韻に浸っていた、というのはもちろんある。
しかし何よりも、今僕が翔に伝えたいことは、行き交う車の音やすれ違う人混みの中で話せるほど、軽いものではなかった。
静かな場所で、ゆっくり話をしたい。
そう思っていた。
街灯の灯りが照らす道を、翔と共に歩く。
一本、二本、と街灯を通り過ぎるたび、僕の心臓の鼓動は速くなった。
どう話を切り出そう。
翔は今、何を考えている?
その時、四本目の街灯の下で、翔が足を止めた。
翔と僕は、自然と向き合う形になる。
少しの沈黙の後、先に口を開いたのは翔だった。
「今日は誘ってくれてありがとう」
「……行って、良かった?」
恐る恐る翔に尋ねる。
すると僕の問いに、翔はマスクを外して微笑んだ。
「うん。良かった。本当に」
「そっか」
翔の言葉に僕は安堵する。
「さっき歩きながら、色々考えてたんだ。今やっと考えがまとまった。聞いてくれる?」
「うん」
「最初はね、自分のいないNexe1を見るのが怖かった。五人のNexe1が、当たり前のように活動してる現状を、受け入れる勇気がなかったんだ」
僕は、翔の言葉を聞きながら、何度も頷いた。
自分も全く同じだったからだ。
「自分から辞めたのに、わがままだよな。でもなんか、もしライブを見ちゃったら、『あの場所に戻りたい』って思ってしまいそうで。そしたら、自分から脱退したのは何だったんだって、後悔してしまう気がした。自分の決断が間違ってたって、突きつけられる気がしてさ。怖かったんだ」
翔は、自分の中に渦巻く複雑な感情を、一生懸命僕に伝える。
「でもいざ見たら、悔しい感情とか、悲しい感情とか、全然湧かなかった。なんていうか……すごく、誇らしい気持ちになった。……正直、心配もあったんだ。俺が抜けて大丈夫だったかなって。でも全然、そんな心配いらなかった。五人のNexe1は、五人のNexe1として、全く新しいグループになってた」
「確かに、凄かったね」
僕はライブの光景を思い返す。
今日のライブは、僕がショッピングモールの特設ステージで見ていたものとは比べ物にならないくらい、洗練されていた。
「それに、ファンの子たちのことも心配してたんだ」
「翔くんのファン?」
「そう。俺が辞めて、きっと悲しい思いをしてたと思う。だって、具体的な理由も言わずに急に辞めたんだから」
「ほんとだよ」
僕は、公式サイトの告知文を見た瞬間の絶望を思い出す。
「その節はほんとごめん。でも、みんなもう前を向いてるんだって思った」
「翔くんのファンの子、いっぱいいたね」
「うん。オレンジのペンライト、嬉しかったよ。あと、タオルを身に着けてくれてる子もいた。俺がワンマンを夢として掲げてたの知ってて、埃をかぶってたグッズを引っ張り出して、あの場所に連れてきてくれたんだと思う」
翔は愛おしそうに目を細める。
きっと、オレンジ色の光に彩られた会場を思い出しているのだろう。
「でもね、前を向いてる子ばっかじゃないと思う。俺の脱退をきっかけに、Nexe1から離れた子もいるはず」
僕みたいにね、という相槌はここでは我慢した。
「そういう子たちには、本当に申し訳ないと思う。……でも、どうかそれぞれの場所で、幸せに過ごしててほしいって思う」
それから翔は真剣な表情になると、改めて僕に向き直る。
「アイドルとして過ごした日々は、今の俺にとって”戻りたい過去”じゃなくて、”かけがえない宝物”なんだって気付いた。それに気付けたのは、今日ライブに誘ってくれた凛空くんのおかげ。本当にありがとう」
「そんな……実は、陸から頼まれてて……」
「うん、そうかなって思った」
「あ、バレてた?」
「ていうか、陸と随分仲良くなってるじゃん」
あれ、嫉妬してる?
わざとらしく頬を膨らませる翔が可愛くて、思わず笑ってしまう。
「凛空くん」
「ん?」
「俺も前を向こうと思う。アイドルとしての人生もすっごく幸せだったけど、今はまた、別の幸せを見つけたから」
「うん」
その時、翔のスマホが鳴った。
翔は画面を確認すると、ふっと目を細める。そして、僕にスマホの画面を見せた。
そこに映っていたのは、一枚の写真。
オレンジ色の光に彩られた、今日の会場だった。
「これからは俺も、ファンとしてNexe1を支えていこうかな」
「うん、そうしよう」
僕たちは、夜の道を再び歩き出した。
その時、翔が「待って」と僕の手を引く。
「俺、凛空くんのことが好き」
翔がまっすぐ僕の目を見つめて言う。
その目には、確かな熱が宿っていた。
もう迷いもためらいもない。
僕を好きだという感情が、まっすぐに伝わってきた。
「僕も、好きだよ」
気付けば、自然と言葉がこぼれ出ていた。
もう翔への思いは止められなかった。
「うん、ありがとう」
「……えっと、ちゃんと伝わってる?」
翔が当然のように答えるのを聞いて、僕は少し不安になる。
いつかのデートの時のように、また「好き」を別の意味で捉えられているんじゃ……。
そこまで考えたところで、翔が僕の手をぐっと引き、距離を一気に縮める。
気付いた時には、僕の唇に、翔の唇が重なっていた。
「……伝わってるよ。こういう意味でしょ」
自分の身に何が起きたのか分からず、僕は固まったまま立ち尽くした。
けれど、しばらくして唇に残った感触が蘇ってくる。
その瞬間、顔が一気に熱くなった。
「ちょっ、なっ、だっ、……!!」
「ん?なんて?」
「推しとっ、こんなこと……だめだって!!!」
翔は真っ赤になりながらパニック状態に陥る僕を見て、楽しそうに笑っている。
けれど、街灯に照らされた翔の顔も、僕に負けないくらい真っ赤だった。
