花芽病

 喫茶店での話から、およそ半年後。
 俺は黒いネクタイを締め、友人が眠る棺の前に立っていた。
 記憶の中にある血色の良かった彼の顔色がべったりとした死化粧の色に完全に上書きされる前に、俺は視線を周囲に向けた。

 赤、黄、紫、白、ピンク。

 色鮮やかな花たちが祭壇の他、会場の至る所に飾られている。
 使われているのは全て、彼の身体から育ったものだ。
 入院後、病室はさながら植物園の温室のように様々な種類の花を咲かせたという。
 息子の生きた証にしたかったのだと、彼の母親が事情を知る俺だけに教えてくれた。

 友人の身体を養分に成長した膨大な量の花を前に俺は怒りを覚えるのと同時に、ひとつひとつが彼の一部なのだと思うとその全てをこの手に抱え込んでやりたい衝動に駆られた。そんなことをしても、もう意味などないというのに。

「息子が、これを貴方にと」

 参列を終えて帰ろうとした俺に母親が渡してきたのは、病院の売店にありそうな茶封筒だった。
 帰宅した俺は、ネクタイも緩めずに真っ先に封を開ける。
 入っていたのは、メモ用紙に書かれた手紙と黒い小さな種だった。

『大切で、大好きな君へ』

 しめやかな音楽の流れる会場を場違いな程に彩っていた花の姿を思い出す。

 理不尽な不幸を呪いたかった。
 一年後の未来について話したかった。

 死ぬと分かっているからこそ、伝えられなかった。

 あの花たちは彼が言いたくても言えなかった、心の奥底に押し込めたであろうありったけの感情が形を変えたものだったのかもしれない。

 メモ用紙に並ぶ文字を、俺は心の中で何度も読み上げる。
 彼がこの種を俺に残した、その意味。

 自分のことを忘れないで欲しいという切実なものもあっただろう。
 でももしかすると彼は、この期に及んでもまだ吐き出すことの出来ない俺の想いと後悔を見越していたのかもしれない。

 『最期まで言葉に出来なかった気持ちが、君の中にもあるだろう』と言われている気がした。

 俺はグラスに水を注ぐと、ためらうことなく種を口に入れて流し込む。
 種はやがて俺の中に根を張り、感情という名の栄養を吸い上げながら、いつの日か皮膚を突き破って芽を出すのだろう。

 ベッドに横たわりながら、俺はいなくなってしまった彼の顔を、声を、仕草のひとつひとつを頭に描いていく。
 俺の想いは、どんな花となって現れるのだろうか。

 ――後悔の色など知らない。

 だから俺は、目を閉じて願うのだ。
 もし彼がここにいたならただひたすらに幸福な気持ちになるような、どこまでも艶やかで果てしなく美しい花でありますように、と。