体育祭は明後日に迫っている。僕は生徒会室でハチマチの数の確認をし、各クラス分を束にまとめていた。
「じゃあさっそく先輩」
なんだ、と晴先輩は資料から目を離さない。
「廊下を走ってください」
「は?」
「全力疾走でお願いします」
「なんで?怒られるぞ」
「虹くんは3組です、できればその付近を走っていただければ、いずれ虹くんとぶつかると思います」
完全に不審者だろ、と晴先輩はため息をついた。
「ぶつかれば付き合えるか?もっとマシな方法を……」
「運命の出会いってやつですよ」
「その状況を人工的に作ろうとしてる時点で運命じゃねぇよ」
うーん、と僕は顎に手を当てる。
「じゃあ目の前でハンカチ落としてみるとか!」
「なんだそのありがちな展開は」
「これを見てください」
言いながら全面キラキラピンクで彩られた本を開いてみせた。かなり年季が入っていて色が変わってしまっている。
「それ少女漫画な。しかも20年前の」
晴先輩は持っていた資料を僕に渡してきた。
「そんなことより……九条はライン引き担当だってよ、明日の前日準備」
「え!?僕と一緒だ」
しおりにはライン引き担当が3組男子と5組男子という不自然な分担に人の作為を感じ。思わず晴先輩を見た。先輩はフッと笑う。なにか手回ししたな、絶対。虹くんと一緒……無意識にニヤける口元に気づきすぐに唇を噛む。
「先輩は?」
「全体の指揮だからいろんな部署を回る感じだ。佐藤んとこ来たら声かけるから」
大きく胸を張る。いよいよ始まるんだ。天を仰ぐとグラウンドから熱の入った声援が聞こえてくる。体育祭の大目玉であるリレーの練習は盛り上がっているようだ。
「じゃあ明日よろしくな、佐藤」
「うん」
僕は込み上がる高揚感に胸を躍らせた。
「まずはメジャー持ってる人ー、縦100メートル測ってくださーい」
「誰かそっち持って引っ張ってー」
体育祭前日は全校生徒が各担当に分かれ準備を行う。ここメイングラウンドではライン担当の僕らの他に、テント設営のクラスがテントを張っていたり、応援団とチアガールが演舞の練習を行なっていた。
「軍手ねぇのー、素手はマジで無理なんですけど」
「美術準備室に予備の軍手あるので使う人は取り行って!」
「雑草は根っこから抜かないとまた生えてくるよ」
「お前はほんとうるせぇな、いいんだよ」
「うわっ!草を投げるな、この!」
ははは、と笑い合う男女を友達以上恋人未満の仲だと僕は勝手に予想をして、そのじゃれあいをしばらく眺めていた。この時期が1番楽しいと聞く。恋人でない、でも確実に両想いの期間。
「そーらっ!」
背中から飛んできた声に咄嗟に振り向くと、重そうな茶色の紙の袋を抱えた虹くんが立っていた。
「それ、粉入ってるー?」
「こ、粉?」
「ライン引きの粉。石炭入ってないでしょ!」
さっき持ったら軽かったもーん、と虹くんは石炭の入った袋を開け出した。
「そら、そこの蓋開けて」
言われるがままライン引きの側面の留め具を緩めて蓋を開けると、虹くんは粉をサーっと満タンまで入れた。舞い上がる粉に2人して咳き込む。
「お、ちょうどピッタリ終わった!捨ててこよー」
「ちょっと虹くん」
なんでも全力なんだから。
「ジャージ真っ白になってる」
石炭の粉を頭から被ったのかと思うほど虹くんのジャージは汚れていた。
「うわ、ほんとだ。最悪ー。ちょっ、空さ、背中払って」
雪が夏の午後に舞う。きれいだ。ありがとう、と言って虹くんはゴミ捨て場へと消えてった。
「おい、佐藤。ライン引き持ってるならそこ立て」
メジャー係が終わったようだ。僕はクラスメイトが指差したところへ素直にライン引きを構え、指示を待つ。
「はいはいまっすぐねそこ!曲がってるじゃないか!」
「すいません……」
生真面目すぎる体育委員のせいでかなりの精神的体力を消耗した。精密に距離を測り、一寸のズレもないようラインを引いて、終わる頃にはすでに作業を始めて1時間半が経過していた。
「はぁー」
深いため息もグラウンドの喧騒にかき消されていく。
「そらお疲れー、終わった?」
「うん!さっきは粉ありがとう、虹くん」
「終わった人は草むしりか石拾いだってさー、リレーのコースに躓きそうな石があったら取り除けって、さっきの体育委員様が」
しゃがんで石を探す。とはいっても時間までの暇つぶしのようになっていた。
「あれそらが作ったんでしょ、あの得点板」
ふいに虹くんが階段の上に掲げられた得点板を指差す。
「まあ、でも作ったっていうか色塗っただけだけど」
改めて見ると意外に形になっていた。
「すごー、そらって器用だよなぁ」
そんなことないよ、と言う僕に虹くんは嘘つけー、と軽く肩を押す。
「佐藤、どうだーってもう終わってるか」
しばらくして晴先輩がやってきた。大縄の数が足りずトラブっていたらしく遅くなったらしい。
「また会ったな、九条くん」
僕を挟んで隣にいる虹くんに晴先輩は話しかけた。
「晴先輩ですよね?お疲れ様です!」
疲れをも飛ぶような笑顔を向けた後、虹くんは大きな石を見つけたらしく少し先へ手を伸ばしていた。僕は晴先輩の耳元に小声で言う。
「ちょ、先輩。もっとなにか話しかけてくださいよ」
「なにかってなんだよ、いきなり馴れ馴れしくしたら不自然だろ」
「虹くんは超鈍感なんで大丈夫ですって!」
「佐藤、お前サポートしてくれるんじゃなかったのかよ。繋げてくれよ話を」
「えっとー、じゃあこっちきたら僕が体育祭の、」
「そらー?」
虹くんの呼ぶ声に肩がビクッと反応する。
「は、はい!?」
「バケツバケツ!持ってきてー」
「先輩、バケツですって」
僕は晴先輩にバケツを押し付けた。
「いや、佐藤に言ってただろ」
「いいからいいから」
「おい、待たせてるって……あーもう!一緒に行こう一緒に」
結局小さなバケツを二人で持って行くと、虹くんはなにやってるの、とケラケラ笑って石を入れる。ポトンとプラスチックの音がした。
「晴先輩は明日なに出るんですか?」
虹くんは僕らのことはつゆ知らず呑気に聞く。
「あー、クラスリレーと大縄と部活対抗リレーかな。あと生徒会の応援セレモニー」
「多いですね〜」
「最後の体育祭だしな。なるべく勝ちたくてたくさん立候補したんだ」
「部活対抗リレーかー。サッカー部と野球部の対決は毎年盛り上がりますよね、みんなどっちが勝つかって賭けたり」
そうだったのか。僕は体育祭の勝ち負けなど全く興味がなかった、いや、今もない。体育祭はいつも、いかに目立たないか、どうやって無難にやり過ごすかだけを考えていた。非日常の学校行事はいつもより無駄に神経を使う憂鬱なイベント、そんなイメージ。
「晴先輩がいるなら今年はサッカー部に賭けます、そらと応援行きますね!」
「え」
一瞬、肩を組まれて固まる。なあ、そら?と顔を覗き込む虹くんの瞳に僕の驚き顔が映っていた。
「うん」頬に感じる熱は長時間外にいたせいだと信じたい。
「……2人が応援してくれるなら頑張らなきゃだな!」
よし、と手を叩いて気合を入れる晴先輩。3人でしばらく石拾いに没頭していると、体育委員らしい人の声が拡声器を通して聞こえてきた。
「スプリンクラーするのでみなさん隅の方に避けてくださーい」
キャーキャー言いながら早足で避ける人たち。僕らも立ち上がって端っこへ寄るが、いた場所がグラウンドの真ん中付近だったために逃げ遅れてしまった。
「おい、はやいって!ちょっと待ってくれ」
「ちょ、タイムタイム」
「うわー、濡れる!」
体育委員はせっかちか。僕ら3人は見事にずぶ濡れ、スプリンクラーの餌食になってしまった。僕はため息をつく。最悪だ、絶対帰りまでに乾かな……
「うわぁ、気持ちいー!」
「え?」
弾む声に思わず横を見ると、虹くんは髪を振りながら楽しげに言う。
「びしょ濡れだー、ははっ」
横の晴先輩はなにも言わず濡れたジャージを見て唖然。僕は困惑。スプリンクラーを作動したらしい体育委員が焦ったように走ってきて勢いよく頭を下げた。
「すいません先輩!あ、えっと、どうしたら、」
「だ、大丈夫だ、気にするな」
晴先輩は1年生と思わしき体育委員を慰める。
「佐藤、九条、お前らも大丈夫だよな?」
「はい!暑かったからちょうどよかったよ!」
虹くんは体育委員にグーサインを送る。僕はなにも言えず頷くしかできなかった。
「もう終わるらしいし制服に着替えるか」
僕ら3人はとりあえず校舎へ戻ることにした。
「虹くんは明日なに出るの?」
更衣室で着替え中、外ではまだ準備が続いている。
「借り物競走とクラスリレーだけ。体育はやるより応援する方が好きなんだー」
「佐藤は?」
「僕はクラスリレーだけですね」
「ははっ、そらも応援派かー」
いや別に応援もしない派ですとは言えず、ははは、と軽く流す。
「晴先輩はたしか後夜祭の方がメインの担当なんですよね?」
虹くんはパンフレットの実行委員のページを見たらしい。
「ああ、実はな」
「ステージと花火、去年もめっちゃ綺麗だったし楽しみだなぁ」
斜め上を見上げる虹くんの笑顔は僕の胸を鋭く刺した。暖かかった身体が中心から一気に冷やされるように、僕の体温はみるみる下がっていく。体育祭、文化祭、修学旅行。あらゆる学校行事には恋愛に関するジンクスがつきものだ。
「花火……」
後夜祭で好きな人と花火を一緒に見ると、そのカップルは結ばれる。恋愛に疎い僕もそのくらいは知っている。
河内さんと見るのだろうか。
「放送委員会です。皆さん、本日は体育祭の前日準備のご協力ありがとうございました。終わった組から順次解散で構いません。明日は全力で楽しみましょう、さようなら」
さようならー、と虹くんは小声でスピーカーに挨拶を返した。
「生徒会、体育委員、放送委員の皆さんは本部で最終確認を行いますので至急外グラウンドへ集まってください」
「佐藤、九条、今日はありがとな。呼ばれたから行くよ」
先輩は慌ただしく荷物を持つ。
「先輩ー、また明日ー!」
虹くんが手を振る後ろで僕も小さく手を振った。
「おう!またな!」
扉が閉まると一瞬の静寂に息を呑む。
「晴先輩ってかっこいいよなー」
「え?」
「さすが生徒会ってかんじ。憧れるよねー」
こんなにも早く虹くんと晴先輩は親しくなった。それは喜ぶべきことだと僕は思う。
「そ、そうなんだよ!手伝いした時もほんっとに頼りになって、サッカーも上手いらしいし、頭もいいし!モテるし!か、完璧人間だよね!」
「ははっ、そらベタ褒めじゃんっ!」
虹くんは濡れたジャージをビニール袋に入れていた。
「あ……いや、だってほんとのことだから。僕はその、なんか2人が仲良くなってくれるとさ、う、うれしい、なって思って……」
無理やりすぎただろうか。早口とやや気の抜けた語尾に言ったそばから反省する。
「あれ?ん?」
僕の話を聞いていないのか、虹くんは首を傾げながらカバンの中を漁っていた。すると突然、あった!と僕になにかを差し出す。
「はい」
塩分チャージのタブレット。
「そらも完璧だよ?」
「……え?」
「あ、やべ!電話が来てた、そらごめん、先帰るね!」
また明日ー、と手を振る虹くんを同じく手を振って見送る。
2人を失った更衣室は薄暗くなって埃が目立つ。塩分チャージの包装を開ける音だけが無音の空間を切り裂いた。
「しょっぱ……」
塩分なのだから当然か。奥歯で噛むと舌に塩とレモンの風味が広がって口を窄める。
窓の外を見ると、虹くんが駐輪場まえで河内さんと落ち合って並んで歩き出し、奥のグラウンドでは晴先輩がステージを指差しながら数人の後輩に指示を出していた。
こんなにも遠い2人。
握っていた塩分チャージの包装紙を更衣室のゴミ箱に捨てるか一瞬悩んで、僕は結局それをポケットに入れて帰った。明日は体育祭、今日は早く寝よう。
「じゃあさっそく先輩」
なんだ、と晴先輩は資料から目を離さない。
「廊下を走ってください」
「は?」
「全力疾走でお願いします」
「なんで?怒られるぞ」
「虹くんは3組です、できればその付近を走っていただければ、いずれ虹くんとぶつかると思います」
完全に不審者だろ、と晴先輩はため息をついた。
「ぶつかれば付き合えるか?もっとマシな方法を……」
「運命の出会いってやつですよ」
「その状況を人工的に作ろうとしてる時点で運命じゃねぇよ」
うーん、と僕は顎に手を当てる。
「じゃあ目の前でハンカチ落としてみるとか!」
「なんだそのありがちな展開は」
「これを見てください」
言いながら全面キラキラピンクで彩られた本を開いてみせた。かなり年季が入っていて色が変わってしまっている。
「それ少女漫画な。しかも20年前の」
晴先輩は持っていた資料を僕に渡してきた。
「そんなことより……九条はライン引き担当だってよ、明日の前日準備」
「え!?僕と一緒だ」
しおりにはライン引き担当が3組男子と5組男子という不自然な分担に人の作為を感じ。思わず晴先輩を見た。先輩はフッと笑う。なにか手回ししたな、絶対。虹くんと一緒……無意識にニヤける口元に気づきすぐに唇を噛む。
「先輩は?」
「全体の指揮だからいろんな部署を回る感じだ。佐藤んとこ来たら声かけるから」
大きく胸を張る。いよいよ始まるんだ。天を仰ぐとグラウンドから熱の入った声援が聞こえてくる。体育祭の大目玉であるリレーの練習は盛り上がっているようだ。
「じゃあ明日よろしくな、佐藤」
「うん」
僕は込み上がる高揚感に胸を躍らせた。
「まずはメジャー持ってる人ー、縦100メートル測ってくださーい」
「誰かそっち持って引っ張ってー」
体育祭前日は全校生徒が各担当に分かれ準備を行う。ここメイングラウンドではライン担当の僕らの他に、テント設営のクラスがテントを張っていたり、応援団とチアガールが演舞の練習を行なっていた。
「軍手ねぇのー、素手はマジで無理なんですけど」
「美術準備室に予備の軍手あるので使う人は取り行って!」
「雑草は根っこから抜かないとまた生えてくるよ」
「お前はほんとうるせぇな、いいんだよ」
「うわっ!草を投げるな、この!」
ははは、と笑い合う男女を友達以上恋人未満の仲だと僕は勝手に予想をして、そのじゃれあいをしばらく眺めていた。この時期が1番楽しいと聞く。恋人でない、でも確実に両想いの期間。
「そーらっ!」
背中から飛んできた声に咄嗟に振り向くと、重そうな茶色の紙の袋を抱えた虹くんが立っていた。
「それ、粉入ってるー?」
「こ、粉?」
「ライン引きの粉。石炭入ってないでしょ!」
さっき持ったら軽かったもーん、と虹くんは石炭の入った袋を開け出した。
「そら、そこの蓋開けて」
言われるがままライン引きの側面の留め具を緩めて蓋を開けると、虹くんは粉をサーっと満タンまで入れた。舞い上がる粉に2人して咳き込む。
「お、ちょうどピッタリ終わった!捨ててこよー」
「ちょっと虹くん」
なんでも全力なんだから。
「ジャージ真っ白になってる」
石炭の粉を頭から被ったのかと思うほど虹くんのジャージは汚れていた。
「うわ、ほんとだ。最悪ー。ちょっ、空さ、背中払って」
雪が夏の午後に舞う。きれいだ。ありがとう、と言って虹くんはゴミ捨て場へと消えてった。
「おい、佐藤。ライン引き持ってるならそこ立て」
メジャー係が終わったようだ。僕はクラスメイトが指差したところへ素直にライン引きを構え、指示を待つ。
「はいはいまっすぐねそこ!曲がってるじゃないか!」
「すいません……」
生真面目すぎる体育委員のせいでかなりの精神的体力を消耗した。精密に距離を測り、一寸のズレもないようラインを引いて、終わる頃にはすでに作業を始めて1時間半が経過していた。
「はぁー」
深いため息もグラウンドの喧騒にかき消されていく。
「そらお疲れー、終わった?」
「うん!さっきは粉ありがとう、虹くん」
「終わった人は草むしりか石拾いだってさー、リレーのコースに躓きそうな石があったら取り除けって、さっきの体育委員様が」
しゃがんで石を探す。とはいっても時間までの暇つぶしのようになっていた。
「あれそらが作ったんでしょ、あの得点板」
ふいに虹くんが階段の上に掲げられた得点板を指差す。
「まあ、でも作ったっていうか色塗っただけだけど」
改めて見ると意外に形になっていた。
「すごー、そらって器用だよなぁ」
そんなことないよ、と言う僕に虹くんは嘘つけー、と軽く肩を押す。
「佐藤、どうだーってもう終わってるか」
しばらくして晴先輩がやってきた。大縄の数が足りずトラブっていたらしく遅くなったらしい。
「また会ったな、九条くん」
僕を挟んで隣にいる虹くんに晴先輩は話しかけた。
「晴先輩ですよね?お疲れ様です!」
疲れをも飛ぶような笑顔を向けた後、虹くんは大きな石を見つけたらしく少し先へ手を伸ばしていた。僕は晴先輩の耳元に小声で言う。
「ちょ、先輩。もっとなにか話しかけてくださいよ」
「なにかってなんだよ、いきなり馴れ馴れしくしたら不自然だろ」
「虹くんは超鈍感なんで大丈夫ですって!」
「佐藤、お前サポートしてくれるんじゃなかったのかよ。繋げてくれよ話を」
「えっとー、じゃあこっちきたら僕が体育祭の、」
「そらー?」
虹くんの呼ぶ声に肩がビクッと反応する。
「は、はい!?」
「バケツバケツ!持ってきてー」
「先輩、バケツですって」
僕は晴先輩にバケツを押し付けた。
「いや、佐藤に言ってただろ」
「いいからいいから」
「おい、待たせてるって……あーもう!一緒に行こう一緒に」
結局小さなバケツを二人で持って行くと、虹くんはなにやってるの、とケラケラ笑って石を入れる。ポトンとプラスチックの音がした。
「晴先輩は明日なに出るんですか?」
虹くんは僕らのことはつゆ知らず呑気に聞く。
「あー、クラスリレーと大縄と部活対抗リレーかな。あと生徒会の応援セレモニー」
「多いですね〜」
「最後の体育祭だしな。なるべく勝ちたくてたくさん立候補したんだ」
「部活対抗リレーかー。サッカー部と野球部の対決は毎年盛り上がりますよね、みんなどっちが勝つかって賭けたり」
そうだったのか。僕は体育祭の勝ち負けなど全く興味がなかった、いや、今もない。体育祭はいつも、いかに目立たないか、どうやって無難にやり過ごすかだけを考えていた。非日常の学校行事はいつもより無駄に神経を使う憂鬱なイベント、そんなイメージ。
「晴先輩がいるなら今年はサッカー部に賭けます、そらと応援行きますね!」
「え」
一瞬、肩を組まれて固まる。なあ、そら?と顔を覗き込む虹くんの瞳に僕の驚き顔が映っていた。
「うん」頬に感じる熱は長時間外にいたせいだと信じたい。
「……2人が応援してくれるなら頑張らなきゃだな!」
よし、と手を叩いて気合を入れる晴先輩。3人でしばらく石拾いに没頭していると、体育委員らしい人の声が拡声器を通して聞こえてきた。
「スプリンクラーするのでみなさん隅の方に避けてくださーい」
キャーキャー言いながら早足で避ける人たち。僕らも立ち上がって端っこへ寄るが、いた場所がグラウンドの真ん中付近だったために逃げ遅れてしまった。
「おい、はやいって!ちょっと待ってくれ」
「ちょ、タイムタイム」
「うわー、濡れる!」
体育委員はせっかちか。僕ら3人は見事にずぶ濡れ、スプリンクラーの餌食になってしまった。僕はため息をつく。最悪だ、絶対帰りまでに乾かな……
「うわぁ、気持ちいー!」
「え?」
弾む声に思わず横を見ると、虹くんは髪を振りながら楽しげに言う。
「びしょ濡れだー、ははっ」
横の晴先輩はなにも言わず濡れたジャージを見て唖然。僕は困惑。スプリンクラーを作動したらしい体育委員が焦ったように走ってきて勢いよく頭を下げた。
「すいません先輩!あ、えっと、どうしたら、」
「だ、大丈夫だ、気にするな」
晴先輩は1年生と思わしき体育委員を慰める。
「佐藤、九条、お前らも大丈夫だよな?」
「はい!暑かったからちょうどよかったよ!」
虹くんは体育委員にグーサインを送る。僕はなにも言えず頷くしかできなかった。
「もう終わるらしいし制服に着替えるか」
僕ら3人はとりあえず校舎へ戻ることにした。
「虹くんは明日なに出るの?」
更衣室で着替え中、外ではまだ準備が続いている。
「借り物競走とクラスリレーだけ。体育はやるより応援する方が好きなんだー」
「佐藤は?」
「僕はクラスリレーだけですね」
「ははっ、そらも応援派かー」
いや別に応援もしない派ですとは言えず、ははは、と軽く流す。
「晴先輩はたしか後夜祭の方がメインの担当なんですよね?」
虹くんはパンフレットの実行委員のページを見たらしい。
「ああ、実はな」
「ステージと花火、去年もめっちゃ綺麗だったし楽しみだなぁ」
斜め上を見上げる虹くんの笑顔は僕の胸を鋭く刺した。暖かかった身体が中心から一気に冷やされるように、僕の体温はみるみる下がっていく。体育祭、文化祭、修学旅行。あらゆる学校行事には恋愛に関するジンクスがつきものだ。
「花火……」
後夜祭で好きな人と花火を一緒に見ると、そのカップルは結ばれる。恋愛に疎い僕もそのくらいは知っている。
河内さんと見るのだろうか。
「放送委員会です。皆さん、本日は体育祭の前日準備のご協力ありがとうございました。終わった組から順次解散で構いません。明日は全力で楽しみましょう、さようなら」
さようならー、と虹くんは小声でスピーカーに挨拶を返した。
「生徒会、体育委員、放送委員の皆さんは本部で最終確認を行いますので至急外グラウンドへ集まってください」
「佐藤、九条、今日はありがとな。呼ばれたから行くよ」
先輩は慌ただしく荷物を持つ。
「先輩ー、また明日ー!」
虹くんが手を振る後ろで僕も小さく手を振った。
「おう!またな!」
扉が閉まると一瞬の静寂に息を呑む。
「晴先輩ってかっこいいよなー」
「え?」
「さすが生徒会ってかんじ。憧れるよねー」
こんなにも早く虹くんと晴先輩は親しくなった。それは喜ぶべきことだと僕は思う。
「そ、そうなんだよ!手伝いした時もほんっとに頼りになって、サッカーも上手いらしいし、頭もいいし!モテるし!か、完璧人間だよね!」
「ははっ、そらベタ褒めじゃんっ!」
虹くんは濡れたジャージをビニール袋に入れていた。
「あ……いや、だってほんとのことだから。僕はその、なんか2人が仲良くなってくれるとさ、う、うれしい、なって思って……」
無理やりすぎただろうか。早口とやや気の抜けた語尾に言ったそばから反省する。
「あれ?ん?」
僕の話を聞いていないのか、虹くんは首を傾げながらカバンの中を漁っていた。すると突然、あった!と僕になにかを差し出す。
「はい」
塩分チャージのタブレット。
「そらも完璧だよ?」
「……え?」
「あ、やべ!電話が来てた、そらごめん、先帰るね!」
また明日ー、と手を振る虹くんを同じく手を振って見送る。
2人を失った更衣室は薄暗くなって埃が目立つ。塩分チャージの包装を開ける音だけが無音の空間を切り裂いた。
「しょっぱ……」
塩分なのだから当然か。奥歯で噛むと舌に塩とレモンの風味が広がって口を窄める。
窓の外を見ると、虹くんが駐輪場まえで河内さんと落ち合って並んで歩き出し、奥のグラウンドでは晴先輩がステージを指差しながら数人の後輩に指示を出していた。
こんなにも遠い2人。
握っていた塩分チャージの包装紙を更衣室のゴミ箱に捨てるか一瞬悩んで、僕は結局それをポケットに入れて帰った。明日は体育祭、今日は早く寝よう。

