絶対幸せにならないで!

週明けの月曜日、僕は登校して早々虹くんに出くわした。

「あ、虹くん……」

下駄箱で隠れて見えなかったが、虹くんはポニーテールの女子と向き合っていた。
……彼女だ。
下駄箱を盾にうまい具合に身を隠し、そっと見守る。木のザラザラした感触が少し嫌だ。

「話を聞いてよ結衣」
「なに?」
「土曜日はごめん。先に予定があったんだよ」
「私よりも大事な予定?」
「そういうことじゃなくて、友達と先に約束してたんだ。だから、」
「私彼女だよ?」

僕は無意識に人差し指を動かしていた。中身のない木の振動が指に伝わる。しばらくの沈黙の後、虹くんは河内さんの手を取った。

「うん……ごめん。これからはちゃんと結衣を優先するよ」

だから機嫌なおして、と繰り返し謝る。すると河内さんは怒っていたのが嘘のようにいつも通りの態度に戻った。

「私もメールとか無視してごめんね」
「ううん、結衣は悪くないんだし」

いや悪いだろ。

「じゃあ仲直りってことで!お昼さー、購買一緒に行こうよ!」

もちろん、と虹くんはホッとした顔になる。

「お詫びになんか奢ってもらおうかなー?」
「メロンパン?」
「ブッブー、今日はチョココロネの気分なんだー」
「うわ、また外した。結衣の好きなパン日替わりだからなー、当てるのむずいよ」

ははは、お昼楽しみー、と腕なんか組んじゃってる。
え?なんかいい感じに収まってるんですけど。遠くなっていく声を聞きながら僕はその場に立ち尽くしていた。カップルの喧嘩ってこんな茶番みたいなものなんだな。

「はぁ……」

気が抜けるようなため息。恋愛ってよくわからない。
登校時間のピークを迎えた下駄箱はいつのまにかザワザワとしてきて、僕は追い立てられるように1人教室へ向かった。ここまでは非常によくない。戦況は思わしくない。




昼休み、弁当を一瞬で食べ終わらせると、僕は3年生の階へ先輩を探しに行かなければならなかった。虹くんと先輩を付き合わせるという計画はまだ始まったばかり、できることはやろう。まずは晴先輩に虹くんを好きになってもらうことからだ。

「晴先輩」
「おー、佐藤どうした?今日の生徒会の仕事は放課後だけで、」
「行きましょう!」

どこへ、ときょとんとする晴先輩にいちいち説明するのはめんどくさくて、僕はとりあえず行きましょうか、話は後で、と手を引いて先輩を中庭へ連行した。

「おいおい、ちょ、放せって」
「いったんね、いったん。ここにしゃがんでください」

僕らは中庭の水道の影に隠れた。死角になってるから向こうからは見えないはずだ。中庭はいつも通り賑やかだったが、対する僕と先輩は身と声を潜め、完全に怪しい人になっている。

「おい、なんでこんな所に、」
「静かに!見てください、あれを」

晴先輩は目を細めて僕の指差す方向を素直に見た。

「ん……だれ?あのお弁当持ってる子?」
「はい、あれが虹くんです」
「うん……ん?」
「ちなみにあの薄ピンクのお弁当箱はお姉ちゃんのお下がりだそうです」

はあ、と先輩の気の抜けた返事に僕は焦った。

「隣にいるのは?女の子だけど」
「あー、彼女ですよ。喧嘩してたみたいだけど今朝方仲直りしてました」
「ああ、彼女……」

晴先輩はそれ以降なぜか黙りこくった。僕もしばらく映画を見ながらポップコーンを食べるように、菓子パンを片手に虹くんを見つめていた。

「虹じゃあねー、帰り下駄箱ね!」

僕たちは急いで隠れた。河内さんは虹くんに手を振り、校舎の中へと帰ってしまうと、残された虹くんも弁当箱をしまって立ち上がる。5時間目まであと20分は残っている、どこに行くつもりだろう。

「ん?……あれ、そらじゃん!」

言葉が出なかった。冷や汗をかいていたが、たまたま通りかかっただけです、そんな風を装って手を振ると虹くんは小走りでこちらにやって来た。

「なにしてるの?」
「あー、えっと、昼休みーだからちょっと、」

んんっ。咳払い後ろから咳払いが聞こえた。

「生徒会の手伝いをしてもらってたんだ」

背中がビクッと反応すると、晴先輩が隠れていた僕の後ろから顔を出していた。

「生徒会?」虹くんは首を傾げた。
「あっ、ああ、そう!今体育祭の作業を手伝ってるんだ。紹介するね、これは晴先輩」
「こんにちはー、そらの友達の九条虹です」そう言って胸元の名札を引っ張って見せる虹くん。あざとい。かわいい。
「はじめまして」
「うわー、背が高いですね。何センチなんですか?」
「ああ俺?178センチだよ」

いいなー、と虹くんは言った。

「ていうかそら、生徒会の手伝いなんてしてたんだね。言ってよー」
「あ、最近一緒に帰ったりしてなかったからタイミングがなくて」
「たしかにそれもそうか。塾の日以外は結衣送ってってるからなー」
「結衣って彼女さん?」
「はい、彼女は須原町(すはらちょう)の方なんで送るのは駅までですけどね」
「へぇー、九条くんは……」

僕は無意識に眉間に皺が入った。虹くんは自転車勢。学校から駅までほぼ毎日送っている?わざわざ?
気がつくと虹くんと先輩の話題は部活の話へと変わっていた。2人の会話は右耳から左耳へ流れていくばかりで僕は違うことを考えていた。駅まで送る……毎日……

「虹くんさ、」

2人の会話が止まった。

「ん?」
「また一緒に帰ろ」

重い感情が乗ったような言葉が出た。虹くんはもちろん晴先輩も目を開けて一瞬固まる。

「……ははっ、どうしたのそら」

虹くんは僕の肩に腕を回した。肩をポンと叩いて笑う。

「うん、もちろん。帰ろな」
「……あ、そういえば現文の課題やってないかも」
「え?」
「やばっ」

虹くんはじゃあまたね、と小走りで教室へと戻っていく。途中、急ブレーキのように足を止めて振り返ると、僕には手を振り、晴先輩にはちょこんと頭を下げて再びアクセルを踏んだみたいに走る。

「……ね?」

横にいた晴先輩はなにもわかってないようだった。

「ん?」
「かわいいでしょ?」
「え、あー、まあ?」
「好きになれそうですか?」
「……は?」
「顔はかわいいですけど、ああ見えて性格は結構かっこいいんですよ、前に、」
「ちょちょちょ、待って、一旦落ち着こう。好きになれそうって?」
「付き合ってくださいって、言ったじゃないですか」
「は!?おまっ、本気だったの!?」
「当たり前です」

晴先輩は信じられないといった表情だ。

「いいじゃん、先輩ゲイなんでしょ?」
「ちょ、お前声でかいって!」言いながら晴先輩は僕の口を塞いだ。
「それにゲイって言っても男なら誰でもいいわけじゃ……」

言葉尻がはっきりしない先輩を見て、僕はひとりでに小さくうなづいた。これは押せばいける。昼休みの終わりを告げる予鈴が鼓膜を揺らして、僕は先輩を見送った。




「副会長ー?前日練習の会議、30分後に第2会議室だってよ」

美優さんは生徒会室の入り口に顔を出し、それだけ言ってバタバタと去っていった。はいよー、という晴先輩の返事も聞こえていたのかわからない。体育祭まで残り1週間をきり、体育委員会と生徒会メンバーはかなり忙しくなってきた。が、僕は正式なメンバーじゃないし、晴先輩も現場の作業よりどちらかというも会議や資料作りが主な仕事だったため、生徒会室にいることが多い。

「佐藤って好きな人の前だとあんな感じなのな」

生徒会のメンバーはみんな別の作業で出払っていて、生徒会室には僕と晴先輩の2人きり。

「あんな感じとは?」
「ほら、さっき。なんか自然だったから」

意味がわからない。いつも不自然なのか僕は。

「よくわからないんだけど」

先輩は資料を読み込む顔を上げ、座り直して地べたに座る僕に目を合わせる。

「この前と昼に佐藤が言ったこと、正直今でも疑ってるんだ。だからその……もっとちゃんと話してくれないか?このままじゃ説明が足りなくてずっと冗談だと思うぞ、俺は」
「そうですよね、僕も一から話したいと思ってたんです」

限界まで息を吸った。どこから話せばいいのか、何から話せばいいのか全く整理がつかない。

「冗談じゃないです。僕は本当に先輩が虹くんと付き合ってほしいんです」

先輩は何も言わずに言葉の続きを待っていた。

「今すぐにってわけじゃなくて。将来的にってことです。今はにじくんには彼女がいる。だけど一生続くわけじゃないし、今から仲良く?してほしくて」
「あのさー、佐藤?」

先輩はため息混じりに声を漏らした。

「はい?」
「九条くんは彼女がいるの。気持ちはわかるけど、まずは応援しなきゃだろ」

応援……僕は立ち上がって窓の外を見る。虹くんはちょうど河内さんと手を繋いで校門をくぐっていた。

「……虹くんは人前で手を繋ぎたいタイプではありません」
「え?」
「学校とか塾が終わった後、ゆっくり歩きながら話をして帰るのは好きだけど、寄り道は好きじゃない。SNSは見る専で滅多に動かさない。自由人だけど人の気持ちに敏感で無意識に人を優先してしまう。それから……」

虹くんと僕の家の方向へと繋がる田んぼのあぜ道の風景を思い出す。

「悩みは根気強く聞かないと話してくれない」

ダメなんだ。ダメなんだよ。虹くんの心の中を、叫びを、葛藤をもっと聞いてあげられる人じゃないと。

「僕が先輩みたいにかっこよくて、誰からも認められる人だったらよかった。そしたら隣に立てたかもしれない。もちろん、虹くんがいいと言えばだけどね」

断られればそれまでだ。そしたら数日寝込んで、失恋を乗り越えていけばいい。ただ僕は告白して断られる権利もないほどに彼と同じ土俵に上がることはできない。観客席で虹くんの幸せを願うだけの群衆Aだから。
流れる雲を見て、僕は自虐混じりに笑う。時計の秒針の音がやけに大きく聞こえた。

「と、とにかく!先輩と虹くんはお似合いです!もし先輩が少しでも虹くんを好きになる見込みがあれば、僕は全力でサポートする所存で……」

無理やりテンションを高くしても空振りしているような気がした。晴先輩は難しい顔をして考え込み、やっとゆっくりと口を開く。

「佐藤はさ、なんでそこまでするんだ?好きなのはわかるけど、普通そこまでしないだろ」

普通などわからない。僕にとって虹くんは初恋でこれ以外の恋を知らないし、好きな人には幸せでいてほしいという思いは世間と大きくズレているとは思わない。だから代わりに昔話をしようと思った。

「僕は昔、不登校だったんです」