絶対幸せにならないで!

「ねえ、何やってんのあの人」

「なんか……見てる?」

「うえー、やばそう。ちょ、早く行こう」

ドン引きの感情を乗せた言葉。僕はそれをBGMのように聞き流し、3階の廊下の窓に身を乗り出す。両肘をつき、両手を頬に添えて中庭をじっと見つめていた。

昼休み。中庭は主にカップルが弁当を食べる人気スポットと化している。その一角にどこからどう見ても初々しいカップルが1組。僕はバレないようにそのうち1人を凝視する。
虹くんは河内さんと隣に座って彼女の話にうんうんと優しく頷いていた。河内さんが止まることなく話し続ける様子を見て、僕は眉間に皺を寄せる。

少しは虹くんの話も聞けよな。

あれから河内結衣について知った。虹くんの隣のクラスでおそらく数学のクラスで知り合った。
あの様子じゃ、告白は河内さんからだろうか。

河内さんがカメラを構え、虹くんと自撮りをする。虹くんがさりげなく河内さんの腰に手を回したところで僕は急ぎくるりと体を捻って歩き出した。




「はい、6組の授業始めるぞー。新体力テストが終わって今日からバドミントンだ!」

焦茶の床に包まれる体育館にいかにも体育教師のアツい声が響き渡る。熱血系教師のテンションが苦手な僕はため息をつく。

「お前ら気合い入れろ!前期の成績にガッツリ入るぞぉこれは!」

「いち、にー、さん!」

音楽に合わせ準備体操をしていると、なにかが光った気がした。

「あっ……」

どこにいてもすぐに見つけられる。1対1でパスの練習をしている虹くんだ。
そっか、5組も体育……サッカーか。

必死にボールを目で追っている虹くんを僕は目で追う。体を翻す度に体育着の「九条」という名前が揺れていた。

「佐藤!集中しろ!」

「あ、すいません」

「いち、にー、さん!」

「よん、ごー、ろく!」

先生の号令に僕たちが合わせる。耳が痛くなりそうなこだまに僕は頭を振った。

「まずは2人組ー!5分くらい肩慣らしでラリーなー」

きたよ。2人組を作らせる先生が僕は嫌いだ。余る生徒はいつだって僕で毎度のこと公開処刑されるのが鉄板だからだ。

「おい佐藤!ペアは?」

「……あー、まだです」

「そこ!佐藤入れてやれ」

「えー、あー、はい」指差された2人組は隠すことなく嫌そうに僕を迎え入れる。3人で打ち始めても僕はまるで蚊帳の外。2人の会話とラリーを眺めているだけだった。いつもこんな感じだからもう慣れたけど。




放課後。僕は出し忘れた日本史のワークを出しに職員室にいた。

「遅れてすいませんでした」

言いつつ差し出すノートをなかなか受け取らない歴史担当の若林先生に僕は疑問の眼差しを向けた。

「名前がないが」

僕は真っさらなノートの表紙をみて慌てて手を引っ込めた。

「あっ、すいません。今書きます」

先生にペンを借り、佐藤空、と書く。

「お願い、します……」

「うむ」白髪の混じったおじいちゃん先生はゆっくりとそれを受け取って僕を見上げた。

「君……友達いるか?」

「……はい?」

唐突な質問に僕は自分の耳を疑った。

「昼休みはなにしてる?」

「うーんと、」

「もし暇なら生徒会の手伝いをしないか?」

「はあ……え?」

せ、生徒、会!?

「いやいや、暇じゃないんで」

「いつも窓の外を見て黄昏れていると目撃情報があるのだが、違うのか?」

「別に黄昏れているわけでは……」

「人手が足りなくて困っているんだ、頼むよ」

「ええ……」

有無を言わせぬ先生の皺だらけの手が肩に置かれる。トントンと軽く叩かれるともう断る選択がなかった。

「……わかりました」

「明日の昼休みから頼む、生徒会室に行けばいい」

「明日、ですか」

「そこに佐々木という奴がいてな。3年生の生徒会副会長だ。そいつに仕事教えてもらってくれ。優秀な先輩だから失礼のないようにな」

はい、と答えて帰路に着く。朝より足が重くて、僕は深くため息をついた。

「生徒会……佐々木先輩……昼休み……」

夕日がダイレクトに目に刺さる。めんどくさいことになったぞ。

「そら!」

前言撤回。

「あ、虹くん」

僕を見つけて走ってきたらしい。軽く息切れした虹くんを見て、体から邪念がすべて吹き飛んでしまった。

「今から帰るの?」

「あー、うん」

「そう!俺は塾!だるいなー」

「ははっ、頑張ってね」

「お、ちょっと待って」

虹くんの顔が突然近づく。僕の体は石みたいに固まって、心拍だけが速度を上げて波打った。

な、なに?これは、どういう……?

ぴたりと止まったと思えば、虹くんは僕の頬をちょいと摘んでさっと離れた。

「見てこれ、まつ毛ついてた」

ははは、と笑う顔に緊張が解けて、同時に止まっていた呼吸に気づいて息が切れる。
触れられた点が熱を帯びていた。

「じゃ、また明日ねー」電動自転車に電源を入れ、ビューッと飛び出す虹くんに手を振る。

心が浄化された気分だ。虹くんは投げかけられた侮蔑の視線や言葉を僕の心から連れ去っていく。虹くんと話せた今日はいい日だ。

「……がんばろっかな」

だるい生徒会の手伝いも退屈なクラスもやってやる。羽のように軽く僕は自転車を漕ぐ足に力を入れた。