絶対幸せにならないで!

「皆さん、お昼はしっかり食べましたか?午後一番の競技は応援団による紅白応援合戦です!ステージの方へ注目してください」

体育祭午前の部で出場する競技がなかった僕はずっとクラスごと並べられた椅子に座っていた。おかげで腰が痛い。お昼を挟み、これから始まる応援団のステージを一目見ようと集まる生徒を横目に、僕は優雅に座ってお茶を飲む。琥珀乃(こはくの)高校応援団は派手なパフォーマンスで人気らしい。もちろん僕は一度も見たことない。太鼓の音、掛け声。応援団が振ったであろう大きな旗が群衆の中にちらちら見える。

「次の競技は部活対抗リレーです。出場者の皆さんは整列お願いしまーす」

ステージから戻ってくる生徒たちが土埃を立て、僕は目を細めたのと同時に肩を叩かれた。

「そら!」

虹くんは黄色のハチマチを付けて笑う。黄色か、似合うな。瞬きしかできない僕に虹くんは背中を押して僕を応援ブースへと連れて行った。

「はいはい、これ持って!」
「メガホン……なんで?」
「部活対抗リレーでしょ!晴先輩はアンカーだってよ、ほらそこ!」

タスキをかけた晴先輩はもちろんサッカー部の後輩たちに囲まれ、応援ブースで目を輝かせるファンの女子たちに騒がれていた。こう見ると僕と晴先輩の関係が信じられないくらい、陽の気を最大限に吸収したような人だ。

「位置について!よーい、」

乾いたピストル音が響くとさすが運動部、ロケットの如くみんな走り出した。

「お、いいんじゃない?サッカー部がんばれー!」

熱狂的なファンに混じって虹くんはメガホンを取って叫ぶ。サッカー部と野球部は競り合っていて、どちらも負けられないプライドを背負って戦っていた。晴先輩の番は着々と迫っていて、僕は静かに祈った。晴先輩がスタンバイする。バトンを受け取った。

「アンカーにバトンが渡ります!野球部が一歩リードです!」

このままじゃ……

「行けー!晴先輩ー!」

僕の声はメガホンを通してグラウンドに響いた。
唾を飲み込む。ただ見守る。晴先輩は最後のカーブを曲がり、残り数10メートルの直線のところで野球部のアンカーを抜き、僅差でゴールテープを切った。

「おっ……」
「やったぁー!!」

会場は今日1番の盛り上がりを見せる。サッカー部の勝利が決まった瞬間、虹くんは勢いのまま僕に抱きつき、僕も興奮状態でそれに応えていた。しばらくしてから我に返って視線を逸らす。

「1位はサッカー部です!逆転優勝です!」

歓声は尋常じゃない。たかがリレー、それに他人の。ここまで熱くなったのは僕の人生で初めてのことだった。

「よーし、おれたちも次リレーだ、がんばろー」
「あ、そっか」
「5組には負けないからな!今からライバルだっ!」
「は、はは……がんばろ」

迫る現実に急に胃が痛くなる。




あー、一生順番が来ないでほしい……
昼休みは生徒会の準備と被る日が多く、練習にほとんど参加していなかった。前後の人もそういえばこの人だったな、とさっき確認したレベル。とにかく抜かすことも抜かされることもなくやり過ごせ。呼吸を整えると、僕の番がやってきた。

「ただ今、1位は5組です!追い上げる1組!さあ、レースは後半に差し掛かりました!」

なんで1位なんだ、僕は一気に冷や汗がでるのを感じた。落ち着かない気持ちで横見て、思わず二度見する。そこには長い髪をポニーテールした河内さんの姿があった。頭の整理がつかないうちに前の走者が迫ってくる。ギリギリまで引きつけて走り、後ろに手を伸ばしてバトンを受け取る。が、その手は空気を掴んだ。

「おい、なにやってんだよ!」

急いでバトンを拾い走るが、すでに3人に抜かされていた。それから最悪なことに後ろからも僕とは明らかに回転数の速い土を蹴る音が迫ってくる。

「もう終わりやん、マジか」
「はあ?マジで意味わかんないんだけど」
「これ優勝逃したくね?1位1組でしょ、多分」

僕の失態にクラスメイトは落胆と怒りの声を出す。僕は耳を塞ぎたくなって、代わりに体育座りしている膝に顔を埋めた。

「ねえ」

ツンツンと人差し指で肩を突かれ、顔を上げると河内さんが横にいた。固まる僕に、はい、と番号札を渡される。人数や順位把握のために走り終わった人に渡されるやつ。

「あ、ありがとう……」

しゅんとした僕に河内さんは僕の耳元に近づいた。

「あたしもね、抜かされちゃったー」

小さな声でそう言うと、すぐに友達の方へと走り去っていく。

「ちょっと結衣、なに抜かされてんのよ!」
「だって7組の山田くん速いじゃん〜」
「まあでもうちら今2位じゃない?もうすぐアンカーだよ!」

僕ら5組は8組中6位。僕のミスからいくらか巻き返したが、他の組も後半は運動部揃いで厳しい戦いだった。

「マジ佐藤ありえなくね?ヤバすぎ」

得点の高いリレーの順位が響き、優勝候補だった5組は結局、総合優勝を逃した。体育祭フィナーレの大太鼓の音が直接心臓を揺らすようだった。クラスの雰囲気は明らかに悪い、僕をみんな鋭い横目で見る。

「体育祭はこれにて終了です。保護者の皆様は北側の駐車場で入場許可証を返却してください。生徒の皆さんは片付けの後、後夜祭を行います」




「おい、佐藤」

忘れ物をして1人教室に戻ったのがいけなかった。外の椅子を教室に運ぶ作業を終えたところで足音に嫌な予感がした。クラスを仕切る不真面目トリオ、高山、小林、高田が詰め寄ってきて、全身が震え上がる。

「な、なに……」

黒板に背中をつくと逃げ道を失い、僕は小さくなるしかなかった。外では体育祭終わりの独特な興奮状態でガヤガヤとしていて、この空間とのコントラストが切ない。

「お前のせいで優勝できなかったんだぞ、わかってんのか」
「あ……うん、ごめん」

謝るしかない。申し訳ないとは思うが、正直わざとではないので謝る必要はないけれど、謝るしかない。

「マジでさ、なんなん?栗田さん泣いてたぞ。お前が全然練習参加してくれなかったって」

僕を責めるためにクラスの女子の名前を出すその意地汚さにスンと震えが止まる。高田のポケットにあるスマホを見て、僕は彼がどっかのクラスの不良と優勝するかしないかの賭けをしていたことを思い出した。

「おい!聞きてんのかよ、マジで」
「生徒会の手伝いをしてて……練習日と被っててあんまできなかったんだ」
「は?」
「……ん?えっと、だから生徒会の……」
「チッ、マジでムカつくなお前!謝れよ!」

掴みかかろうとする高田の手を押さえると、怒りのボルテージが限界突破したのか高田の拳が頬を直撃する。肉のぶつかる鈍い痛みがあとからジンと姿を現した。

「ふざけんなよ、お前!」

胸ぐらを掴まれ、なす術もない。10発くらい殴られれば解放してくれるだろうか。高田が再び拳を振り上げたときだった。

「おい、なにやってんだよ!」

ハッと息を呑む。その声はよく通る、聞き慣れた声。

「虹くん……?」
「そら!」

見たこともないくらい目を大きくして虹くんは僕の方へと近づいてきた。サッと高山と小林の間をすり抜け、高田の脇の下をくぐる。

「なんだよチビ!どけ!」
「ちょっと待てよ、なにしようとしてた?いじめだぞ」
「あー、うっぜぇ。マジキモい」
「とにかく暴力はやめよ?な?」

虹くんの物言いは不良の神経を逆撫でした。助けたくても動けない。高田は僕を後ろの二人に預け、虹くんに掴みかかった。襟元の伸び具合からかなり怒っているように見える。次の瞬間、高く拳を振り上げた。

「やめろー!!」

僕は叫ぶ。虹くんだけはダメだ。

「うわぁ!!」

ジャージ同士が擦れる音とともに叫び声が響く。だけどその声は虹くん、じゃなかった。ゆっくりと目を開けると、虹くんはよくわからない関節技を高田に決め、高田は苦しそうに腕を身体を捻らせている。

「に、虹くん?」

虹くんは戦闘力を削がれた高田をパッと放し、唖然とする高山と小林の隙をついて、僕の両腕を掴んでいた2人の手を離す。そして即座にその腕を練り上げた。うめき声を上げる2人を睨んでからすぐに僕の手を引き、走り出す。

「はやくいこう、そら」

この時ばかりは僕も不良集団と同じ気持ちだ。なんだ、こいつ。風を切って走り、掴まれた腕と虹くんの背中、ハァハァと息切れる声。喉から心臓が飛び出るくらい全身が騒がしかった。

「巻いたかな。ていうか、追いかけてきてないか」

虹くんは膝に手をついて息を整える。いつのまにか階段を降りて保健室付近まで来ていた僕らはなんとか危機を脱したらしい。

「大丈夫だった?」
「うん、ありがとう……」

ん、と虹くんは僕の顔を見る。

「やっぱほっぺ赤いよ、ちょっと待ってて」

虹くんはバタバタと保健室から保冷剤を持ってきて僕の頬に当てる。痛さすら感じる冷たさに歯を食いしばった。

「痛いだろうけど我慢してね」
「に、虹くんって強いんだね……」

僕はいまだにさっきの光景が信じられなかった。

「強い……?ああ、違うよー」

虹くんはのんきにポケットからスマホを取り出してある画面を僕に見せた。

「明日から使える、初心者向け護身術講座……?」

誰でも簡単!と大きな字で書いてある。ある格闘家のYouTubeチャンネルだ。

「ちょっと前にたまたま観てたんだよー。意外と使えるんだねこれ!おれもびっくりした!」

さっきの不良を睨みつける凄みのある虹くんと、今隣で誇らしく鼻を鳴らす無邪気な虹くんと。僕の脳はショートしそうだ。

「後夜祭始まるよ、晴先輩の司会のステージ最前列で観ないと!行こー」

僕がどんなに追いかけても、きっとこの子には敵わない、追いつかない。その背中を見て、僕はそう思った。




「体育祭、お疲れ様でしたー!勝ったクラスも負けたクラスも精一杯戦ったのなら、みんな優勝です」
「キャー、晴先輩ー!」
「かっこいい〜」
「佐々木ー、こっち向けー!」

晴先輩のクラスは普通に優勝していた。閉会式で代表としてトロフィーを受け取っていたその佇まいは堂々としていて、男女関係なくモテるというのも頷ける。ステージでは生徒会によるダンスの余興や有志による出し物で盛り上がった。僕と虹くんは晴先輩が何か話すたび、体育祭の記念タオルを振ってアピールをした。

「最後はいよいよ、後夜祭大目玉の打ち上げ花火です。今年のテーマは『疾走』、夏祭りのヨーヨーをイメージした色とりどりの花火をぜひ、ご覧ください」

期待のこもった歓声が上がり、一気に人が入り乱れる。みんな体育祭という非日常に踊らされ、好きな人と花火を観ようと躍起になっていた。

「そら、おれ西グラウンドの階段辺りに行くけど、そらは……」
「あー、僕は大丈夫」
「そう?わかった、じゃあおれ行くね」

僕が邪魔するわけにはいかない。虹くんに手を振る。誰かに電話している虹くんを見つめ、僕はタオルを首にかけた。

「あと3分です、みなさん、あと3分ですよー」

放送席で晴先輩が呼びかける。紺色に染まった空は早く光をくれと待ち侘びているようだった。

「西グラウンド……」

僕は西グラウンドの階段を歩いた。有名スポットだからかに人がひしめき合っていて、必死に虹くんの姿を探す。

「あ……」

体を寄せ合い、今か今かと待つカップルたちの中に虹くんと河内さんを見つけた。夜空にネオンの花が咲く。バチバチと鼓膜を揺らす音にドンと胸を震わす轟音。僕も思わず、上を見上げたままその迫力に言葉を失った。

「みなさん、体育祭、後夜祭とありがとうございましたー!いよいよフィナーレです!」

晴先輩のアナウンスとともに打ち上げられた最後の花火、何発もの光が夜を一層輝かせる。虹くんの姿だけが僕の目には照らされた。同時に、世界が無音になる。
表情はわからない。ポニーテールの影に虹くんのシルエットが近づく。一瞬、重なった影はすぐに離れ再び上を見上げた。
キス……したのか?
僕は立ち上がる。花火が終わる前に、みんなが夢から覚める前に僕はとぼとぼと歩き出した。コンクリートに転がる石ころを思いっきり蹴るとつま先が痛い。

「みなさん以上で後夜祭を終わります!各自解散です!ありがとうーございましたー!」

無意識に握っていた拳は爪が食い込んでいた。




「悪いな佐藤。片付けまで手伝ってもらっちゃって」

テントや本部の机の片付けなどは今日のうちに終わらせるらしい。後夜祭の後、帰る生徒の波に揉まれていた僕の元に晴先輩からLINEが届いて駆けつけた次第だ。

「いえ……むしろこうしてた方がいいです」

祭りの後の静かな夜。ライトに虫が集まっていた。

「ん、どういうことだ?」

晴先輩は首を傾げた。

「そういえばさっき九条から写真が送られてきたぞ。昼に撮ったやつ」

昼休み、晴先輩にできた写真撮影の長蛇の列に僕と虹くんも便乗して並んでいた。

「いい感じに仲良くなっ、」

僕は司会用の長机に拳を叩きつけた。

「おお、怖っ。なに?」
「先輩、わかってるんですか?先輩がグスグスしているうちにライバルにありえないほど差がつけられているんですよ」

机を水拭きする。晴先輩はテントの紐をほどく。

「……まさか後夜祭でなにか?」
「してたんですよ」
「なに、を……?」
「キス」

紐を持つ晴先輩の手が止まる。

「まじ?」

まじ、と僕は言った。あの一部始終は嫌なほど目に焼きついて消えない。望んでなくても何度も再生される。

「晴先輩」
「ん?」
「付き合って3、4ヶ月でキスって普通ですか?」

虹くんと河内さんはそう、たしかそのくらいだった。キスの基準は僕にはわからない。

「いやー、それは人それぞれなんじゃ……」
「晴先輩にとっては?」
「ええー?俺は、ど、どうだろ……」
「龍一の時はどうだったんですか!龍一の時は!」
「ばっか!お前、静かに!!」

晴先輩がひとつ咳払いをした。

「……まあ普通なんじゃないか、後夜祭だし九条だけじゃなくカップルは結構してるだろ」
「あーもう!ダメですね先輩、作戦会議ですよ!」
「へ?」

不利すぎる、この状況。