さよならまたね、またいつか。 ~あの世とこの世のあいだご飯~

 陽葵(ひまり)と名乗った少女を、宗介はとりあえずリビングのソファに座らせる。
 改めて見ると、陽葵は本当に痩せていた。彼女の死因は分からないけれど、相手が生きている人間なら、おかゆ以外のものを食べさせることが不安になるほどの細さだ。
 すぐ後ろに(たたず)む朔を、宗介は振り返る。

「確認なんだけど……ここにきた人はみな、健康体に戻ってるって認識でいいのかな」

 初めてこの河原で目を覚ました時、宗介の体に傷はひとつもなかった。
 舟で渡って行った家族たちもまた、目に見える怪我は負っていなかったように思う。
 臨死体験をしたり、死んでしまうほどの事故に遭ったというのに、外傷がないというのはさすがにあり得ないだろう。
 だから、この場所に来れば、死ぬことになった要因はリセットされるのではないかと考えたのだ。宗介の問いに、朔はこくりと頷く。

「そうだよ。黄泉(よみ)にきた亡者はもう、死ぬことがないから」
「じゃあ、急にお腹いっぱい食べたとしても、体を壊したりしないかな」
「うん、だいじょうぶ」
「そっか」

 だとすれば、料理の選択肢もだいぶ広がるだろう。
 陽葵に確認を取れば、アレルギーの類もないと言うので、宗介はほっと息を吐く。

「朔くんも、ソファに座っててくれていいよ」
「……朔でいいよ」
「え?」
「くん、はいらない」
 素っ気ない訂正に、宗介は少し目を瞬く。
「……わかった。じゃあ、朔も座ってて」

 そう言って台所へ向かいかけると、背中に気配がついてくる。
 振り返れば、朔が数歩うしろに立っていた。

「……座らないの?」
「……うん」

 それきり何も言わず、朔はじっとこちらを見ている。
 なんとなく落ち着かない気分になるが、気に留めないふりをして台所へ向かった。
 ひとまずお米を洗い、時短モードで炊飯器にセットする。

 さて、何を作ったものだろうか。
 宗介は冷蔵庫を開けて、中身とにらめっこをする。
 なけなしの理性で、肉類は冷凍庫に放り込んでおいたので、解凍すれば食べられそうだ。
 葉物野菜は(いた)んでいるものが多そうだけれど、根菜類なら使えなくはないだろう。
 あとは、卵だ。ほとんど手付かずのパックが残っている。賞味期限もギリギリだ。
 宗介は振り返って、それぞれの顔を順に見る。

「二人は、嫌いな食べ物とかある?」

 すると朔は、少し考えるように首を傾けてから「……たぶん、ないと思う」と呟く。
 一方で陽葵は「にんじん。絶対にいれないでよね」と、つんけんした口調で即答だ。
 その言い切り方があんまりにも(いさぎよ)くて、宗介は思わず笑ってしまった。

「……俺の弟も、にんじんが嫌いだったな。妹はトマト」

 ふいに口をついて出た家族の話に、自分でも驚いて目を瞬く。
 ソファの陽葵は、少女はふんと鼻を鳴らした。

「ふぅん。ならやっぱり、好き嫌いをしたら大きくなれないなんて、嘘っぱちよね。好き嫌いをしたって、大きくなれる子はいるんだもの」

 宗介の年齢から、その弟妹もある程度は大きいだろうと踏んだのだろう。
 けれど、あいにくと宗介の弟は八歳だったし、妹に至ってはまだ五歳だった。
 その二人も「大きくなれたか」と問われれば、答えは否だ。
 宗介は思わず返答に(きゅう)してしまい、微妙な間が開いてしまう。

「……なによ」
「いや……まぁ、俺の弟妹も、死んじゃってはいるんだけど」
「それは……えっと、ごめんなさい」

 途端に陽葵は、ばつが悪そうに視線を逸らす。
 気まずい沈黙が流れたあと、陽葵はぽつりと小さく呟いた。

「…………やっぱり、好き嫌いをする子は、大きくなれないのかしら」

 その声には、先ほどまでの威勢のよさは感じられない。
 大人びた口調のくせに、こういうところは年相応だと苦笑する。
 陽葵はなんだか、とてもアンバランスな女の子だった。

「……とりあえず、作るね」

 それだけ言って、宗介は冷蔵庫へと向き直った。


      ◇◆◇

 玉ねぎと解凍した鶏肉を、まな板の上で刻んでいく。
 規則的に刻む音が台所に響くと、足元から気配と視線を感じた。
 案の定、朔が宗介の手元をじっと見上げている。包丁の動きに合わせ、三白眼ぎみの瞳がぱちぱちと瞬くので、なんだか猫みたいだ。
 弱めの中火で熱したフライパンにバターを溶かし、じゅわりと香りが立ったところへ、鶏肉と玉ねぎを投入。それぞれ色が変わっていくのを見守りながら、塩コショウを振る。
 頃合いを見て白ご飯を加えたら、切るようにしてほぐしていく。ぱらりと炒めたところでトマトケチャップを加え、全体に馴染ませればチキンライスが完成だ。
 お次はボウルに、卵を割りほぐしていく。そう、完成品はオムライスだ。
 少しおませな女の子と、表情に乏しい男の子。
 そんな彼らも、頬張ればきっと可愛らしい絵面になるに違いない。
 問題は卵だ。宗介はどっちにしようかな(・・・・・・・・・)、と思案する。

 基本に忠実な、薄焼き卵でチキンライスを包む形にしてもいい。けれど、余った卵を一気に消費するチャンスでもある。どうせなら、卵を大量に使える方がいいだろうか。
 宗介はそこで、よしと思い立つ。
 卵の真ん中をカットすると、とろふわと割れていく、あの作り方にしてみよう。

 それはかつて、テレビを見た弟妹たちにねだられて覚えたやり方だった。
 母には「いったいどこまで極めるつもりなのやら」と苦笑された一品でもある。
 結局、卵の消費量が多すぎてコスパが悪いからと、平時にはお蔵入りさせていたそれ。
 だが今回ばかりは、卵が山ほどあるのだから、久しぶりに作ってしまってもいいだろう。

 宗介はボウルに割り入れた卵を、菜箸でちゃかちゃかと手早く混ぜ合わせていく。
 本当は生クリームか牛乳を入れたいところだけれど、ないので水溶き片栗粉で代用する。
 念の為、加える片栗粉は控えめに。消化に悪いので、片栗粉を生で食べるのはあまり推奨されないからだ。
 とはいえ、少量であれば問題ないだろう。大福にまぶされているのだって生の片栗粉だ。
 多少のとろみがつけばいいのだから、そんなにたくさん入れる必要もない。
 とろみがつくぶん、火を通しすぎても多少はごまかしが利くのも好都合だ。

 溶いた卵液を、バターをたっぷりと溶かしたフライパンに一気に流し込み、強火で半熟になるまでかき混ぜていく。いい感じに火が通ったら、フライパンを持ち上げて手首を叩き、クルッと丸める。素早く境目を無くして半月状の楕円(だえん)に形を整え、チキンライスの上にそっと乗せれば一皿めが完成だ。
 だが、一皿めはとろみを加味しても、少し火が通り過ぎてしまったかもしれない。
 これは自分用にしようと脇によける。けれど、おかげで感覚が戻ってきたので、二皿め以降はまずまずの仕上がりになった。

「運ぶの、手伝ってくれる?」

 足元に声をかけると、朔はこくりと頷いて、宗介の手から皿を受け取った。
 完成品は、卵を崩す前の状態だと、なんともぼてっとした間抜けな見た目と言っていい。
 盛り付けたチキンライスの上に、まあるい楕円の卵が乗っかっている様は、何だか黄色いリーゼントみたいだ。案の定、朔は不思議そうな表情を浮かべている。
「おかしな形ね」
 テーブルについた陽葵も、怪訝(けげん)そうに眉を寄せる。

「まあ、ちょっと待って。まだ最後の仕上げがあるからさ」

 宗介はそう言って、卵の真ん中にそっと切れ目を入れた。
 すると、楕円はぱかりと割れて、とろふわの半熟卵がチキンライスの上へと広がり落ちていく。バターの(かぐわ)しい香りと湯気が、ふわりと立ち昇った。
「わぁ……!」
 声を上げたのは陽葵だった。
 先ほどまでのつんとした態度もすっかり忘れたように、身を乗り出して目を輝かせている。
 その隣では、朔が静かに目を丸くしていた。声にこそ出さないけれど、いつもの無表情がほんの少しだけ崩れて、大きく見開かれた目がオムライスに釘付けになっている。

「好きに絵を描いていいよ」

 そう言って、宗介はケチャップをテーブルの上に置いた。
 デミグラスソースも作れなくはないけれど、やっぱり子どもに人気なのはケチャップだ。
 陽葵はすぐにケチャップを手に取って、迷いなく卵の上に線を引き始めた。器用な手つきで描かれたのは、四葉のクローバー。
 対して朔は、陽葵から手渡されたケチャップを手に、じっと固まってしまった。

「何を描いてもいいんだよ」
「…………あなたが描いて」

 朔は小さく眉を寄せ、ケチャップを戻してくる。
 どうやら、何を描けばいいのかわからないらしい。宗介は少し迷ってから、朔のオムライスの上に猫を描いた。
 三角の耳と、丸い顔と、ひげ。我ながら、なかなかの出来だと思ったのだけれど。

「……あなた、絵は下手なのね」
 陽葵が隣からのぞき込んで、呆れたように言った。
「う……絵心なくて悪かったな」
 そこは、心の目で見てくれないと。
 朔はといえば、オムライスの上の猫を、じっと見下ろしていた。何を思っているのかは、よくわからない。

「いただきます」
 三人で手を合わせて、それぞれスプーンを手に取る。
 宗介はひと口食べて、ちゃんと味がすることにこっそり胸を撫で下ろした。
 ケチャップの酸味とバターのコクに、半熟卵のまろやかさ。少なくとも、自分のためだけに作ったものを食べていた時のような、砂を噛む感覚はない。
 朔はひと匙すくってじーっと眺めたあと、それをぱくりと口に含んだ。途端に、再びその目が見開かれる。以降は黙々と食べ進めていく様子に、思わず口元がほころんだ。どうやら口にあったらしい。
 陽葵の方はというと、おそるおそる、ひどく慎重に、ほんの小さなひと口ぶんを口に運ぶ。嚥下(えんげ)するまでの間が、やけに長い。キュッと口を引き結び、何度も何度も丁寧に咀嚼(そしゃく)したあと、ようやくその喉が上下する。

「……ほんとうに、食べれるのね」
 陽葵はぽつりと呟いた。
「こういう、形のある食べ物、もう二度と食べられないと思ってた……」
 それから少し間を置いて、独り言のように続ける。

「……久しぶりに、お水とお薬以外のものを食べたときには、ぜんぶ吐いちゃったのよね」

 ヨーグルトも栄養ゼリーも、舌で小さく潰して、ものすごく慎重に呑み込んだのに。
 それだって、たった数口しか食べていないのに。
 吐いて、吐いて、吐き気止めの点滴を入れてもらっても、それでも気持ち悪さは収まらなかったのに、と。

「……わたしね、神経芽腫(しんけいがしゅ)で死んだの」

 陽葵はそう言って、またひと口、オムライスを口に運んだ。