さよならまたね、またいつか。 ~あの世とこの世のあいだご飯~

 カップ焼きそばの方は自分で作ってもらおうと、遼一に手渡す。
 すると遼一は、慣れた手つきで包装を剥がしながら「なー、カップ焼きそばを作る時の裏ワザ、知ってる?」と宗介の方を振り仰いだ。

「裏ワザですか?」
「そう。ほら、カップ焼きそばってさ、湯切りする時にかやくが蓋にくっついて鬱陶しいじゃん? だからさ、こうやって……」

 遼一はそう言いながら、かやくの袋をピリッと開ける。
 それから乾麺を少しだけ持ち上げると、かやくをその下に入れ込んだ。
 あとは普通にお湯を注ぐだけ、と遼一は笑う。

「ね、こうするとさ。湯切りする時に、かやくが蓋につかないわけよ。麺が、蓋とかやくの間にあるからさ」
「あっ、確かに! これ、よく思いつきましたね!?」
「へへっ、だろー?」

 思わず感嘆の声を漏らした宗介に、遼一は得意そうに胸を張る。

「俺の奥さんも、料理については詳しかったけどさ。多分こういうことは、知らなかっただろうなあ」
「教えてあげれば、こうやって感心してもらえたかもですね」
「ほんとそれなー」

 あいつにも教えてあげれば良かったわ、と遼一は苦笑して肩をすくめた。
 ひとまずはカップ焼きそばでも食べてもらいながら、宗介は袋麺の方のアレンジに取りかかる。
 さっそく包装を開けて、取り出した乾麺をまな板の上に置いた。
 それから、麺を包丁の背で細かく砕いていく。

「えっ、麺、粉々にしちゃうの?」
 遼一が興味深そうに、カップ焼きそばを啜りながら覗き込んでくる。
「まぁ、見ていてください」

 麺を砕き終われば、それを沸騰したお湯に投入する。
 表記より一分ほど短めに茹でて、ザルにあげて水気をよく切った。
 それをボウルに移し、そこへレンチンした白ごはんと、付属の粉末調味料、ごま油、チューブにんにく、刻んだ青ねぎを加えていく。
 しゃもじで全体をよく混ぜ合わせれば、胃袋を、食欲を直に殴りつけるようなジャンクな香りが辺りにふわっと広がった。
 最後によく混ぜ上がったそれを、手のひらでぎゅっぎゅっと握り込む。
 ラップ越しに三角の形を整えれば、あっという間にラーメンおにぎりの完成だった。

「なんか見たことない料理が出来あがったんだけど!」
「あはは。まぁ、まずは食べてみてください」

 一見むちゃくちゃな組み合わせに思えるけれど、これがなかなか癖になる味で、一口食べると手が止まらなくなる一品なのだ。
 実際、ごま油とにんにく、青ねぎの香りに、すっかり作り手の食欲も刺激されてしまったくらいだ。なので、宗介もひとつ食べることにする。

「「いただきます」」

 ダイニングテーブルに向かい合って座り、二人揃って手を合わせた。
 そして、おにぎりを頬張った瞬間。遼一が「うっま!」と声を上げる。

「やばいねこれ、背徳の味って感じ! パンチが効いててやみつきになるわ」
「でしょう? 夜中に食べると、罪悪感で二倍おいしいんですよね」
 遼一の絶賛に、宗介も得意げな笑みを浮かべる。

「……これ、母さんがたまに、作ってくれてたんです」
 宗介はそう呟いて、懐かしむように目を細めた。

 まだ幼い弟妹は、夜九時ごろまでには寝かしつけたい。
 だが、そうなると必然的に、夜ご飯の時間も早くなってしまう。
 ともなれば、試験勉強なんかで夜更かしをしていると、男子高校生の腹はすっかり減ってしまうのだ。
 そんな時、母が差し入れてくれるのがこのおにぎりだった。

「いいお母さんだったんだ」

 遼一はふっと目元を和ませて、宗介を見る。
 だから宗介も、胸を張って頷いた。
 離婚を機に、母はキャリア総合職に戻った。パリッとしたスーツを着こなして働く母は、息子の目から見ても格好よかったのだ。

「……俺もさぁ、いつもこんな風に、深夜にこっそり夜食を食べててさ」
 おにぎりを頬張りながら、遼一もぽつりぽつりと話し出す。

「俺の奥さん、けっこう少食なんだわ。俺のためだけに、夕飯の品数を増やしてもらうのも忍びなかったんだよな。奥さんはほとんど食べないであろう、もうひと品を作ってもらうのが、ちょっと申し訳なくてさ」

 ほんとバカだよな、と。
 遼一はそう言って、へにゃりと笑う。

「明日も明後日も、十年後も、爺さんになってもさ、いつでも当たり前に食べられると思ってたんだよ、あいつの手料理」
「だけど、こんなことになるならさぁ……遠慮なんかしてないで、もっと食べとけばよかったや」

 ぜーんぶ結果論なんだけどね、なんておどけてみせる遼一は、見ていてひどく痛々しかった。でもそれはきっと、遼一なりの強がりなのだろう。
 だから「宗介くんはさ、彼女とかいた?」と、露骨に話を逸らそうとする質問にだって、おとなしく乗ってあげることにする。

「中学の時に、一瞬だけ。でも、いつの間にか自然消滅してましたね」

 そう言って肩をすくめれば「あぁ、青春あるあるだ」といって遼一は笑う。
 告白されて、付き合ってみたら何か変わるかなと思って、案外何も変わらなくて。
 そうこうしているうちに、家のことがバタバタし始めて、気づけば自然消滅だ。
 あれが恋愛だったかといわれれば、首を傾げざるを得なかった。
 思えば、宗介は本気の恋など、まだしたことがなかったのだろう。
 遼一のように、本気で恋をして、愛して、赤の他人と家族になりたいとまで願う──宗介には想像のつかないことだった。
 宗介には、血が繋がっているはずの母方の祖父母でさえ、どこか他人に思えるくらいなのに。

「……俺って、薄情なんですかね」

 宗介はぽつりと、そう零していた。
 それは、ここのところずっと、胸の奥にわだかまっていた悩みだった。
 朔の手前、なかなか吐き出せなかった思い。
 それが、こんな夜更けに、些細なきっかけで、ふと口をついて出てしまう。

「……最近、血の繋がりってすごいなと思うことがあったんです」

 長年酷い扱いを受けながらも、それでも最期まで母の愛を欲していた誠二のことを思えば、『血は水より濃い』なんて言葉が頭をよぎる。
 だが、それでも。その祖父母のことを家族だとは、宗介にはどうしても思えなかった。

「会ったこともない、知らない人たちの一存で、延命治療を打ち切られるかもしれない……そんな考えがいつも頭の片隅にあるのは、どうにも落ちつかなくって」

 声に出してみると、それはますます実感を伴ってのしかかってくる。
 結局、家族のもとに行きたいなんて思っていても、いざ死ぬのは怖くて。
 血の繋がった祖父母を相手にも、他人に命を握られているような気がして怖い。
 まったくもって薄情な話だ。けれど、それが宗介の偽らざる本音だった。
 だが、宗介の呟きに、遼一は意外なほどあっさりと言葉を返した。

「え、それって普通じゃね?」
「……え?」
 思わず聞き返した宗介に、遼一は食べる手を止め、椅子の上にあぐらを組む。
「誰だって死ぬのは怖いよ。それに家族だって、血の繋がりが全てじゃないでしょ」
 遼一はそう言って、少し身を乗り出した。

「家族ってさ、最初は血の繋がってない二人から始まってくんだよ。ほら、俺は奥さんと血が繋がってないし、父親と母親も、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんだって、最初は赤の他人。だけど家族だよ。血の繋がりが全てだってんなら、そもそも家族なんて始まらないって」

 宗介は思わずぽかんと口を開ける。
 自分にとっての家族の枠組みは、母親や弟妹。認めたくはないが、百歩譲って父親くらいの認識で。もちろん結婚など意識したことのない宗介にとって、それは目からウロコの考え方だったからだ。

「そっか……言われてみれば当たり前のことなのに、家族の始まりなんて、あんまり意識したことなかった……」
「結局はさ、積み重ねた思い出とか、関わって築いた関係性だとか。そういうのが家族を作るんだと、俺は思うよ」

 だからこそ、そういう蓄積がないのなら、家族だと思えなくても仕方ないって、と。
 遼一はそう言って、肩をすくめる。

「お盆や正月を一緒に過ごした思い出があるのなら、祖父母だって家族だしさ。じゃあ、生まれてすぐ里子に出された子どもと、その産みの親が家族かっていうと、多分そうじゃない」
 要は時間だよ、と遼一はいう。
 家族って時間の積み重ねなんだ、と。

「会ったこともない人に命を握られてる状況って、普通に怖えよ」
「そう、ですかね……」
「うん、怖い。そこに血が繋がってるとか関係ないって」
 むしろ普通だよ、と遼一はあっけらかんと笑っていう。

「あぁ、だけど、それってさ──」
 そう続けようとする遼一に、宗介も頷く。
「……うん、遼一さんの言いたいこと、今ちょっと分かるかも」

 だってそうだ。明日なにがあるかなんて、本当は誰にも分からない。
 マンションから鉄骨が降ってくるかもしれないし、車の事故に遭うかもしれない。
 通り魔に刺されるかもしれないし、眠ったきり目覚めないかもしれない。
 自死でも選ばない限り、いつ死ぬのかなんて、きっと誰にも分からない。
 本当はみんな不確かな日々の中を生きているのに、誰も意識していないだけなのだ。明日は必ず来るものと、盲目的に信じ切っているだけで。
 でも、たぶん、生きるってそういうことだ。
 何が起こるか分からない明日を、誰もがそうして生きている。
 遼一だってそうだった。宗介だって、みんなみんな同じなのだ。
 明日、延命治療を打ち切られるかもしれない。
 それだって、蓋を開けてみれば、きっと同じことだ。

「宗介くんはさ、まだちゃんと、生きてんだね」
「……はい。そうみたいです」

 宗介が頷くと、遼一はへらりと気の抜けるような笑みを浮かべた。
 しばらくの沈黙のあと、遼一は「……本当は、さ」と小さく呟く。

「……晩飯の時にさ、奥さんが幸せになれるんなら、俺のこと忘れてくれたっていい、って言ったじゃん。だけどあれ、本当はちょっとだけ見栄張ってた」
「でもやっぱり、物分かりよく悟ったフリして格好つけるのも、みっともねえよなって」
 遼一は自嘲するように、へにゃりと眉尻を下げる。

 忘れてほしいかもしれない。
 忘れないでほしいかもしれない。
 どっちも本音なんだ、と遼一はいう。

 愛した相手に、幸せになってほしいのは本心で。
 俺のことを忘れることで、幸せになれるのなら、本当に忘れてほしいんだ。
 だけど、俺を忘れることで、不幸せになると思ってくれるのなら。
 本当はこの先もずっと、俺のことを想い続けていてほしい。
 本音では、そっちの方がずっと嬉しいと思ってるんだよ。
 むしろ、そうであってほしいとまで願ってる。

 勝手だよな。俺はもう、あいつを幸せにはしてやれないのに。
 あいつの人生は、これからだって長く続いてくのに。
 ずっと忘れないでほしいだなんて、先に死んじまったくせに、どの面下げてって話だろ。
 あぁ、ちゃんと頭じゃ分かってんのにな、心ってままならないもんだなぁ。

 遼一の独白が、(かす)れて震える。

 あぁくそ、俺が幸せにするって誓ったのに、嘘になっちまった。
 だって、死が二人を(わか)つ時ってやつが、こんなに早く来るなんて思わなかったんだ。
 バカだよな。もっともっと、ずっと先の話だろって思ってたんだ。
 そんな保証なんて、どこにもなかったのに。

「あぁくそ、死にたくなかったなあ……!」
「なんで俺なんだよ、なあ……っ!」

 その叫びは、誰かに向けられたものではなかった。
 そして、答えを求めての言葉でもない。
 ただ、行き場のない本音が、(せき)を切ったように溢れ出しただけだった。
 だから宗介は、何も言わなかった。
 ただ静かに、その声に耳を傾けていた。