「のど渇いた……」
薄目を開ければ、障子越しに滲む月明かりが見える。
ひび割れたスマホで時間を確認すれば、まだ夜中の二時を過ぎたところだ。宗介はそろりと起き出して、台所に向かうことにした。
板張りの廊下に出れば、リビングは目と鼻の先だ。
ここに来たばかりの頃は、二階に上がるのすら億劫で、生活動線を一階にまとめてしまった。けれど、寝ぼけ眼のままでも、数歩も歩けばリビングに辿り着けるのだから、やっぱり一階にしておいて良かったと思う。
覚醒しきらないまま、ぺたぺたと裸足で廊下を歩き、リビングのドアを押しひらく。
だが、そこでぎょっと目を見開いた。
電気も点いていない暗がりの中、ダイニングチェアに腰掛ける人影があったからだ。
誰もいないと思い込んでいただけに、心臓に悪い。
「びっ、くりした……」
電気を点ければ、ようやく状況が見える。そこにいたのは遼一だった。
彼は何をするでもなく、ただぼんやりと椅子に座っていたらしい。
「どうしたんですか? こんな夜中に」
宗介が声をかけると、遼一は緩慢な動作でこちらを振り返る。
「……いやぁ、ちょっと寝付けなくてさ。ごめんね、起こしちゃった?」
「いえ、俺はのどが渇いただけなので」
宗介がそう答えれば、遼一は「そっか」とだけ頷く。
「二階の客間、……何か気になることでもありましたか?」
亡くなった人を食事に招くようになってから、鍵のかかる二階の部屋は客間として使っている。もちろん掃除は毎日しているけれど、何か見落としでもあっただろうか。
宗介がおずおずと問いかければ、遼一は「ううん、違う違う」と手を横に振ってみせた。
「部屋、すごく綺麗だったし、寝心地も全然問題なかったよ。ただ、なんか目が覚めちゃっただけ」
遼一はそう言って、へらりと笑う。
その笑みに、どこか翳りが見えたのは気のせいだろうか。
宗介が何と声をかけるべきか迷っていると、遼一はふっと視線を落とす。
「いつもならさ、腹が減って、これくらいの時間に目が覚めてたんだよね」
遼一は胃のあたりを軽く撫でながら苦笑する。
「だから多分、いつもの癖で起きちゃったんだわ。でも不思議とさ、腹は空いてないのよ……だから、あぁ、本当に死んじまったんだなって。なんか、ぼーっとしてた」
そう言って、遼一はまたへらりと笑う。
飲み物や食べ物をおいしいとは感じても、のどの渇きや空腹を覚えることはない。
それはつまり、彼の身体はもう、本質的にはそれらを欲さないということで。
それを必要とする肉体は、もう魂とは切り離されてしまったということで。
つい忘れがちではあるけれど、それは、宗介とは明確に異なる点だった。
思わず言葉に詰まった宗介に、遼一は困ったように眉尻を下げる。
「あー、その……ダメ元で聞くんだけどさあ。カップラーメンとか、袋麺とか。そういうの、あったりしねぇ……?」
「インスタント麺、ですか?」
「そう。夜食でも食って、いつものルーティーンこなしたら、ちゃんと寝られると思うんだけど……なーんてね。料理があんなに得意な子の住んでる場所に、そんなジャンキーなもの置いてるわけないよなぁ」
ちょっと言ってみただけ、と遼一はすぐに、取り繕うような笑みを浮かべる。
宗介はそんな遼一に、「ありますよ」と答えた。
「……え、マジで?」
「マジですよ、ほら」
宗介は遼一を台所に呼び寄せて、収納棚の戸を開けてみせる。
それはまだ、宗介が家族を見送ったばかりの頃。
すっかり自炊にやる気をなくしていた時期にため込んだものだった。
「最初の頃は、料理をする気も湧かなくて……とりあえず日持ちするものを、って」
「へぇ……なんか、意外。今の宗介くんからは、ちょっと想像つかないや」
宗介は遼一の言葉に、小さく苦笑する。
自分でもそう思う。あの頃は、もう何もしたくなかった。
それが、いつの間にか、また料理を楽しいと思えるようになっていた。
それはきっと、朔や八尋、そして亡くなってしまった人と関わるようになったおかげだ。
「色んなことがあったんです。色んな人に出会って、それで……」
そう言葉にすれば、遼一は「そっか」と短く呟いた。
「まぁ、そういうわけで。袋麺も、カップ焼きそばもあるんですけど、どうしますか?」
「じゃあ、どっちも……なんて欲張り、言っちゃってもいい? いつもそれぐらい食ってたんだよね」
遼一の遠慮がちな言葉に、宗介は小さく吹き出して「どうぞ」と答えた。
あの頃ため込んだインスタント麺は、もう宗介には必要ないものだ。
むしろ、遼一が食べてくれる方がありがたかった。
「よかったら、袋麺の方は俺にアレンジさせてもらってもいいですか? お腹に溜まるレシピ、ひとつ知ってるんです」
たとえもう、物理的な空腹を覚えることはなくても。
きっと満腹になる感覚は、心を満たしてくれるだろうから。
宗介の申し出に、遼一は目を丸くしてから、すぐに笑って頷いた。
薄目を開ければ、障子越しに滲む月明かりが見える。
ひび割れたスマホで時間を確認すれば、まだ夜中の二時を過ぎたところだ。宗介はそろりと起き出して、台所に向かうことにした。
板張りの廊下に出れば、リビングは目と鼻の先だ。
ここに来たばかりの頃は、二階に上がるのすら億劫で、生活動線を一階にまとめてしまった。けれど、寝ぼけ眼のままでも、数歩も歩けばリビングに辿り着けるのだから、やっぱり一階にしておいて良かったと思う。
覚醒しきらないまま、ぺたぺたと裸足で廊下を歩き、リビングのドアを押しひらく。
だが、そこでぎょっと目を見開いた。
電気も点いていない暗がりの中、ダイニングチェアに腰掛ける人影があったからだ。
誰もいないと思い込んでいただけに、心臓に悪い。
「びっ、くりした……」
電気を点ければ、ようやく状況が見える。そこにいたのは遼一だった。
彼は何をするでもなく、ただぼんやりと椅子に座っていたらしい。
「どうしたんですか? こんな夜中に」
宗介が声をかけると、遼一は緩慢な動作でこちらを振り返る。
「……いやぁ、ちょっと寝付けなくてさ。ごめんね、起こしちゃった?」
「いえ、俺はのどが渇いただけなので」
宗介がそう答えれば、遼一は「そっか」とだけ頷く。
「二階の客間、……何か気になることでもありましたか?」
亡くなった人を食事に招くようになってから、鍵のかかる二階の部屋は客間として使っている。もちろん掃除は毎日しているけれど、何か見落としでもあっただろうか。
宗介がおずおずと問いかければ、遼一は「ううん、違う違う」と手を横に振ってみせた。
「部屋、すごく綺麗だったし、寝心地も全然問題なかったよ。ただ、なんか目が覚めちゃっただけ」
遼一はそう言って、へらりと笑う。
その笑みに、どこか翳りが見えたのは気のせいだろうか。
宗介が何と声をかけるべきか迷っていると、遼一はふっと視線を落とす。
「いつもならさ、腹が減って、これくらいの時間に目が覚めてたんだよね」
遼一は胃のあたりを軽く撫でながら苦笑する。
「だから多分、いつもの癖で起きちゃったんだわ。でも不思議とさ、腹は空いてないのよ……だから、あぁ、本当に死んじまったんだなって。なんか、ぼーっとしてた」
そう言って、遼一はまたへらりと笑う。
飲み物や食べ物をおいしいとは感じても、のどの渇きや空腹を覚えることはない。
それはつまり、彼の身体はもう、本質的にはそれらを欲さないということで。
それを必要とする肉体は、もう魂とは切り離されてしまったということで。
つい忘れがちではあるけれど、それは、宗介とは明確に異なる点だった。
思わず言葉に詰まった宗介に、遼一は困ったように眉尻を下げる。
「あー、その……ダメ元で聞くんだけどさあ。カップラーメンとか、袋麺とか。そういうの、あったりしねぇ……?」
「インスタント麺、ですか?」
「そう。夜食でも食って、いつものルーティーンこなしたら、ちゃんと寝られると思うんだけど……なーんてね。料理があんなに得意な子の住んでる場所に、そんなジャンキーなもの置いてるわけないよなぁ」
ちょっと言ってみただけ、と遼一はすぐに、取り繕うような笑みを浮かべる。
宗介はそんな遼一に、「ありますよ」と答えた。
「……え、マジで?」
「マジですよ、ほら」
宗介は遼一を台所に呼び寄せて、収納棚の戸を開けてみせる。
それはまだ、宗介が家族を見送ったばかりの頃。
すっかり自炊にやる気をなくしていた時期にため込んだものだった。
「最初の頃は、料理をする気も湧かなくて……とりあえず日持ちするものを、って」
「へぇ……なんか、意外。今の宗介くんからは、ちょっと想像つかないや」
宗介は遼一の言葉に、小さく苦笑する。
自分でもそう思う。あの頃は、もう何もしたくなかった。
それが、いつの間にか、また料理を楽しいと思えるようになっていた。
それはきっと、朔や八尋、そして亡くなってしまった人と関わるようになったおかげだ。
「色んなことがあったんです。色んな人に出会って、それで……」
そう言葉にすれば、遼一は「そっか」と短く呟いた。
「まぁ、そういうわけで。袋麺も、カップ焼きそばもあるんですけど、どうしますか?」
「じゃあ、どっちも……なんて欲張り、言っちゃってもいい? いつもそれぐらい食ってたんだよね」
遼一の遠慮がちな言葉に、宗介は小さく吹き出して「どうぞ」と答えた。
あの頃ため込んだインスタント麺は、もう宗介には必要ないものだ。
むしろ、遼一が食べてくれる方がありがたかった。
「よかったら、袋麺の方は俺にアレンジさせてもらってもいいですか? お腹に溜まるレシピ、ひとつ知ってるんです」
たとえもう、物理的な空腹を覚えることはなくても。
きっと満腹になる感覚は、心を満たしてくれるだろうから。
宗介の申し出に、遼一は目を丸くしてから、すぐに笑って頷いた。
