さよならまたね、またいつか。 ~あの世とこの世のあいだご飯~

 遼一は早速、マカロニのグラタンを大口で頬張る。
「はふ、あっふい……けど、うんまいっ! ミートソースもすっごい肉々しいし、マカロニももちもちっとしてて……うん、うまい!」
 はふはふと熱を逃がしながら、遼一は満面の笑みを浮かべる。
 その食べっぷりは、見ていてとても気持ちがいい。
 一方の朔はといえば、遼一そっちのけで、糸を引くように伸びるチーズに目を丸くしている。宗介は二人をにこにこと眺めながら、自分もグラタンへとスプーンを伸ばした。
 口に運べば、ホールトマトの酸味と甘み、それからたっぷり入ったひき肉の旨味が口いっぱいに広がる。我ながら満足のいく出来だった。

「これ、このミートソース。味が深いのは、たぶん肉の旨味だけじゃないよな?」
「あ、分かります? 実はソースを煮込むときに、赤ワインを入れたんです」
 遼一の質問に答えれば、朔が驚いたように目を瞬く。
「えっ、わいんって、()(くに)のお酒だったよね……? 八尋がきいたら『何て勿体(もったい)ないことをするんだっ』って言いそう、だね?」
「あはは、確かに言うかも。火にかける段階で酒精は飛んじゃうんだけど、おかげで味に深みが増すんだよな」
「ほへー……なるほどなぁ。それに、うん、こっちのカルボナーラもうまい」

 そうは言われるものの、味付けを失敗していないか気になってしまうのが、作り手の(さが)
 こちらも釣られるように、一口目を口に運べば。卵黄とチーズの混ざり合った濃厚なソースに、カリカリのベーコンの食感と塩気がいいアクセントになっている。
 個人的には、もう少し黒こしょうを効かせても良かったかもしれない。
 まぁ、初めて食べる朔もいるから、こちらは様子見で。
 物足りなければ、お好みで追い黒こしょうをしてもらおう。

「この外つ国の肉じゃがも、野菜があまくておいしいね」
「外つ国の肉じゃが、って……あー、まぁそう言えなくもないか」

 朔の感想に、宗介はくすりと小さく笑ってしまう。
 コンソメでじっくりと煮込んだポトフは、お肉としてはソーセージが入っているし、じゃがいもやにんじん、玉ねぎといった野菜は、確かに肉じゃがと共通する。
 違うのはキャベツが入っていることくらいで、まぁ、西洋風の肉じゃがと言えなくもない。

「これはね、ポトフっていうんだよ」
「ぽとふ……うん、ぽとふもおいしいね。ぼくこれ好き」

 ねぇ、これにしいたけが入ると、どうなるかな。
 そんなことを呟く朔に、宗介はぱちくりと目を瞬く。
 最近、朔は椎茸が好きなことを自覚したようだけれど、フランス料理に椎茸とは。
 自分ではなかなか思いつかない組み合わせだった。
 でも、ポトフはフランスの家庭料理だと聞くし、家庭料理の醍醐味は、何を入れても間違いではないところ。今度試してみようかと声をかければ、朔はこくこくと嬉しそうに頷く。

「それにしても宗介くん、ほんとに料理が上手いんだなぁ……それこそ、俺の奥さんとおんなじくらい。いや、これって俺の中じゃ、最上級の褒め言葉なんだけど」
「奥さん、料理が得意なんですか?」
「うん、そう。俺の奥さんもね、すんごい料理上手なの」

 宗介くんにだって負けないね。そう言って、遼一はへらりと笑う。
 それから、どこか遠くを見つめるように目を細めた。

「仕事もあった、奥さんもいた。明日もいつも通り、普通に生きていると思ったんだけどなぁ……人生、何があるか分かんないもんだね」

 遼一が独り言のように、そう呟く。
 その声音には、先ほどまでの陽気さとは打って変わって、しんみりとした響きがあった。

「……若くして死ぬってさ、もっと劇的っていうか、ドラマチックなものだと思ってたんだよな」
 遼一はぼんやりと宙を見つめながら、言葉を続ける。
「ほら、何かの記念日の前日だったり、奥さんとしょーもない喧嘩をして、それっきり──とかさ。こんな、何でもない日常の延長で、あっさり死ぬもんなんだなぁ……」
「鉄骨が落ちてくるっていうのは、けっこう劇的ではあると思いますけどね……」
「いや、そうなんだけど、そうじゃなくてさ……んー、もっとエモい感じっていうかさあ、泣けるドラマとか映画になりそうな感じっていうか。こう、伝わんない?」
「うーん、分かるような、分からないような……」

 宗介は苦笑して、曖昧な相槌を打つ。言いたいことは、何となく理解できる気はするけれど、うまく言語化することはできなかった。すると朔が、隣でぽつりと呟く。

「……あなたは奥さんのことが、ほんとうに大好きだったんだね」

 だって、なにかの記念の日だとか、奥さんと仲直りをするまえに、って。
 それだったら、劇的だと思えるってことなんでしょ、と。

「きっとね、ぜんぶの中心に、奥さんがいるんだよ。だから、大好きなんだねって」

 朔の言葉に、遼一は目を瞬かせる。
 それから、へにゃりと眉を下げて笑った。

「……うん、そう。そうなんだよ。俺、奥さんのこと、大好きなの」

 少し照れくさそうに、けれどもどこか誇らしそうに、遼一は胸を張る。
 だから宗介も「じゃあ今日は、好きなだけ惚気(のろけ)ていってください」と冗談めかして言ってみた。
 すると遼一は「おっ? それじゃあ遠慮なく」と嬉しそうに笑う。
 それから彼は、水を得た魚のように語り始めた。


「これがね、まぁまぁ大恋愛だったのよ」
 遼一はカルボナーラにフォークに絡めながら、そう切り出す。
()()めはね、高二の体育祭。一緒に実行委員をやることになってさぁ。準備とか片付けとか、何かと顔を合わせる機会が多くってね」
「わぁ、青春だ……」
「でしょ? テント運びとか、放送機材のセッティングとか、細々した作業を一緒にやってるうちに、なんかこう、お互い意識するようになってさ」

 あれは楽しかったなぁ、と遼一は懐かしむように目を細める。

「体育祭が終わった後にさ、実行委員の打ち上げがあって。その帰り道、駅まで二人で歩いてる時にね、告白したの。あの時は緊張しすぎて、何しゃべったかもよく覚えてないや」
「あはは。それで、付き合うことになったんですか?」
 宗介が問いかけると、遼一はうんうんと頷いた。
「そ。あんなカッコ悪い告白、よくオーケーしてくれたと思うよ……でもさぁ、進学先は別々になっちゃってね。これがまた、遠いのなんのって」

 遼一は片眉をあげて、肩をすくめる。

「俺は地元の大学、あいつは県外の大学でさ。いわゆる遠距離恋愛ってやつ。学生の身分じゃ、そう頻繁には会えないわけよ」
「それは、寂しかったですね……」
「まぁねー。だからバイト代を貯めてさ、お互いの中間地点あたりで、月一とかで待ち合わせてデートしてたの。片道二時間くらいかけてたなぁ」

 今思うと、学生の身でよくやってたよ、お互いさ。
 そう呟く遼一は、けれど、とても幸せそうに笑っていて。
 きっと、そんな大変さも全部ひっくるめて、愛しい思い出なのだと分かる。

「就職してからも、しばらくは遠距離だったんだけど……交際七年目だったかな。やっとこさ結婚できました、ってね」
「「おーっ!」」
 朔と二人して、ぱちぱちと手を叩く。

「高校時代から付き合って結婚まで行くって、すごく珍しいですよね?」
 宗介が素直な感想を漏らせば、遼一は照れ臭そうに笑う。
「ま、そりゃあね。会社の同期連中からは、ファンタジーだって言われたな。『そんなの漫画の中だけの話だろ』ってさ。確かに、レア中のレアケースだとは思うよ」

 遼一はそこで一度言葉を切り、それからふっと目を細めた。
 それはまるで、もう手の届かないものを見つめるような眼差しで。
 その横顔に、宗介は思わずはっと息を呑む。

「……優しいし、料理もすげぇ上手だし。おまけに美人なんだよなぁ、俺の奥さん」

 その眼差しは穏やかで、愛おしげな光を(たた)えていた。
 大切な宝物をそっと(いつく)しむような、そんな視線だ。

「まだ若いし、引く手あまただと思うんだ、あいつ。幸せになれるんなら、俺のことを忘れてくれたっていいんだ」

 そんな言葉に、宗介と朔は顔を見合わせる。
 それほど愛した人なのに、どうしてそんなことが言えるのかと。
 だが遼一は、穏やかな笑みさえ浮かべて、こう言うのだ。

「だってさ、俺との思い出なんか、もうこれから先、ひとつも増えてかねぇんだぜ?」
「あいつの人生はこれからだって続くのに、この先ずっと俺のことを想ってくれだなんて、そんな贅沢なこと言えねえよ」

 それは、なんと哀しくて、愛に満ちた言葉だろう。
 自分の寂しさを飲み込んで、それでも相手の幸せを祈れる強さが、ただただ眩しい。

「優しいんだね」
「かっこいいですね、遼一さん」
 二人してそう呟けば、遼一はにししと笑って言った。
「だって俺、本当に奥さんのこと愛してるかんね」と。