さよならまたね、またいつか。 ~あの世とこの世のあいだご飯~

 すりごまと()えたいんげんの緑に、卵焼きの黄色。
 白ごはんの上に散らしたしゃけの赤色と、唐揚げの茶色とコロッケのきつね色。
 それらを隙間なく詰め込んだお弁当は、色鮮やかで目にも楽しい。
 正真正銘、誠二のためだけを想って作った、手間暇かけたお弁当だった。

 蓋を閉じてしまう前に、宗介はそれをリビングへ運び、そっと差し出す。
 誠二は息を呑み、食い入るようにじっと覗き込んだ。
 しだいに瞳は揺らいで、表面張力の限界まで水をたたえていく。
 瞳に張った(まく)を決壊させまいと、誠二は何度も何度も瞬きを繰り返した。

「……こんなことが」
 誠二は(かす)れた声で、そう呟く。
「死んでから、こんな……こんなことが、許されるんでしょうか。こんな私が、死んでから幸せになることがあるなんて……」

 本当は、生きているうちに、幸せになるに越したことはないのだろう。
 だから宗介は、何も答えることはせず、ただお弁当に蓋をして布で包んでいく。
 キュッと結んで、それを再び差し出した。

「どうぞ」

 誠二は震える手でそれを受け取り、壊れ物でも扱うように、そっと胸に押し抱く。

「……人生で二回だけ、母の作った弁当を食べたことがあるんです。重箱のお弁当でした。兄と在学期間が被っていた小学校の二年間だけ、運動会の時だけは、兄と一緒に食べさせてもらえたんです」
「これは重箱なんて、上等なものじゃないですけどね」

 宗介は苦笑して肩をすくめる。
 豪勢なお重の弁当には程遠い、タッパーに詰めて布で包んだだけの小包み。
 けれどそれは(まぎ)れもなく、たった一人分の、これから死出の旅路をゆく誠二のためだけに作られたお弁当だ。

「本当に、ありがとうございます」
 誠二はそう言って、深々と頭を下げる。
「……もう、行きますね」
「見送ります。河原まで」
 宗介がそう申し出ると、誠二は慌てたように首を横に振った。
「いえ、それには及びません。どうか、ここまでで……」
「でも」
「本当に、大丈夫ですから」

 固辞する言葉には、これ以上世話をかけたくないという気持ちが伝わってくる。
 宗介はそれ以上食い下がることができず、仕方なく頷いた。

「……分かりました。それじゃあ、せめて庭先までは」
 その提案には、誠二も小さく頷いてくれた。
 三人で連れ立って、玄関から庭へと出る。雨上がりの、どこか青臭い匂いが鼻先をかすめた。湿った土と、草木の匂いが入り混じった、この季節特有の空気だ。
 庭の中央では、古木が重たげに葉を茂らせている。雨に濡れたせいか、いつもよりも緑が濃く見えた。宗介はふと、その木を見つめる。

「誠二さん。梅は、嫌いじゃないですか?」
「梅、ですか」
「はい。梅干しだったり、甘露煮だったり、そういう加工品なんですけど」
「えぇ、特に嫌いではないですが……それが?」

 不思議そうに首を傾げる誠二に、宗介は少しだけ言葉を選んで口を開く。

「……亡くなった人は、これから七日ごとに、十王の(さば)きを受けることになるそうです。それで……遺族の供養(くよう)の手厚さによっては、減刑されることもあるって」

 だよなと隣の朔を見下ろせば、こくりと頷かれる。

「遺族の……あぁ、でしたら安心してください。私が減刑されることはないでしょうから」
「……えぇ、そうでしょうね」

 そうだろう。彼の母親が、誠二を手厚く供養するとは思えない。
 だからこそ宗介は、意を決して誠二に向き直る。

「俺があなたのこと、供養します。この場所から」

 だって、宗介も遺族だ。被害者の──ではあるけれど。
 被害者遺族だって、遺族は遺族だ。

「あの事故のことで誰かに怒りを向けるとしたら、俺、誠二さんじゃなくて、あなたの母親に向けるって決めたんです」

 梅の加工品を(そな)えようと思ったのは、梅が唯一、この場所で採れたものだからだ。
 他の食材で作ったものだと、現世の鬼人が宗介に供えてくれたものを使うことになるから、なんだか横流し感が出てしまう。

「梅が嫌いじゃないのなら、よかった」

 宗介はそう言って、誠二に笑いかけた。
 きっと宗介は、四十九日までの七日ごとにも、まだこの場所にいたとしたら、一周忌にも、三回忌にだって。時間の許す限り、誠二の減刑を祈るだろう。
 どうかこの人に、優しい裁きが下りますように、と。

「どうして、そこまで……」

 誠二は震える声で、そう呟く。
 宗介は苦笑して口を開いた。

「だってもう、言葉を交わして、(えん)を結んでしまったから」

 同じ(かま)の飯を食う、なんて言葉があるけれど。きっと、そういうことなんだと思う。
 同じ食卓を囲んで、言葉を交わしてしまえば、縁がつながる。
 他人事じゃなくなる。情が移る。
 相手のことを知ってしまえば、知る前にはもう戻れない。

「俺はあなたのことを知って、そうしたいと思った。ただそれだけです」

 この場所でも出来ることがあるのなら、なおさら。
 やれることをやらないで、後悔するのは嫌だ。そう思ったから。

「繋がった縁は、大事にしたいんです。それがどんなに奇縁でも」

 誠二は、宗介の言葉にくしゃりと顔を歪ませて「ありがとうございます」と頭を下げた。

「……生きているうちに、きみと出会って、言葉を交わしてみたかったです。なんて、加害者の分際で、烏滸(おこ)がましいですね」

 泣き笑いのような表情で、誠二はぽつりとそう呟く。
 もしも別の場所で、もっと別の形で出会えていたら、どんな言葉を交わしていただろう。
 けれどそれは、意味のない空想だ。あの事故を介していなければ、こうして縁がつながることだってなかった。
 だからこそ、この出会いは必然で、そして奇跡だ。

「私を救ってくれて、ありがとうございました。おかげで心から満足して、あちらへ逝けます」
「……じゃあ、もう連れていくね」

 朔が誠二を(うなが)すように、そっと歩き出す。
 誠二は弁当を大事そうに抱えたまま、その後に続いた。
 深々と頭を下げ、何度も振り返って謝罪の言葉を口にしながら、誠二は河原へ続く小径(こみち)を下りてゆく。その背中が見えなくなるまで、宗介はずっとずっと見送っていた。