さよならまたね、またいつか。 ~あの世とこの世のあいだご飯~

「村人たちに、怒りはないの?」

 宗介は、そう尋ねずにはいられなかった。
 肉じゃがを頬張って、頬袋をぱんぱんに膨らませた朔はぱちくりと目を瞬く。
 やがて、もぐもぐと口の中のものを飲み込んでから、朔は小さく首を横に振った。
 生贄として殺されたことも、祀りあげられたせいで、今なお魂が人の(ことわり)から外れたままでいることも。どちらも到底許せる話ではないはずなのに、朔は怒りを(あら)わにするどころか、少し困ったように笑っていう。

「だって、ぼくはみなしごだったから。仕方のないことだったんだよ」

 その言葉は、あまりにも物悲しいものだった。
 それなのに、朔はさらりと軽く言ってのけるものだから、宗介はぎゅっと拳を握りしめる。

「ぼくの(てて)さまや(かか)さまが生きてたらね、たぶん反対してくれたとおもうんだ。だけどいなかった。それだけだよ。それだけの話なんだ」

 何てことないように朔は言うけけれど、それがどれほどのことか。
 両親が生きていれば、(かば)ってもらえたかもしれない。けれど朔にはいなかった。
 たったそれだけのことが、朔の運命を決めてしまったのだ。

「それにね、飢饉(ききん)がおこるまでは、みんな優しかったんだよね。自分たちの子どもと同じくらい、村ぐるみで可愛がってくれてたとおもうんだ」
 朔はそう言って、どこか懐かしそうに目を細める。
「だけど──」
 宗介は言葉を続けようとした。それでもやはり、怒りを覚えてしまうからだ。
 たとえそれまでは優しかったのだとしても、最終的に殺されたことには変わりがない。
 その上、罪悪感から(まつ)りあげるだなんて、ひどく身勝手だと思ってしまう。
 けれど朔は、宗介の言葉を遮るように、「(うら)んでないよ」ともう一度静かに首を振る。

「あのね……村の今後を話しあう場にね、みんなの手におむすびが一つでもあったなら。だれかを生贄(いけにえ)にしようだなんて話は、でなかったんだよ」
「でも……そんなの、あたりまえの話だろ」

 食べ物があるのなら、そもそも口減らしなんて必要がない。
 けれど朔は「ううん、そうじゃない。あたりまえじゃないんだよ」と、ゆるりと首を振っていう。

「だって、どうしようもなくお腹がすいているとね、考えることも、眠ることも、だれかに優しくすることも、ぜんぶぜんぶできないんだ」

 目を伏せ、淡く笑みさえ浮かべながら、朔はゆっくりと言葉を(つむ)ぐ。
「ぼくだってそれを知ってるから、だから恨まないんだよ」と。
 幼さの残るあどけない顔には、けれどひどく大人びた表情が浮かんでいた。
 その声音は穏やかで、だからこそ深く宗介の胸を穿(うが)つ。
 だからこそ、宗介はもう何も言えなかった。言葉が見つからないというよりは、何を言っても朔の言葉の前には軽くなってしまう気がして、黙るほかないという方が正しいだろうか。
 そんな複雑な胸中を知ってか知らずか、八尋はからからと笑ってみせる。

「まっ、満たされた状態だからこそ、得られる心境もあるってことだよな。そういう意味じゃあ、亡者と食卓を囲むことにも、確かに意味はあるんだろうぜ」

 八尋はそう言って、宗介の背中をばしばしと叩く。
 気安いだけに、なかなかに痛い。宗介はその勢いにつんのめりつつ、小さく呟いた。

「……俺、朔や八尋さんにご飯を食べてもらうのも、川を渡りたがらない人に振る舞うのも、ぜんぶ自己満足だって思ってた」

 料理を振る舞うのは、自分がここにいる意味を見つけたいだけで、ただのエゴなのではないか、と。そんなことを、ずっと心の片隅で思っていたのだ。
 だが、八尋は人差し指を立てて、おもむろに言う。
「いやいや、自己満足ってのは存外、馬鹿にできないぜ?」と。

「なにしろ、自己に満足できなけりゃ、いつまでたっても不満ってことだろう。心が満たされることはないといっていい。だが、自分が満足することで、ついでに他の誰かも満足してくれるってんなら、それに越したことはないとは思わないか?」

 その言葉に、宗介ははたと目を瞬いた。
 自己満足やエゴだとばかり思っていたものが、まさかそんな風に捉えられるとは。
 けれど、そうだったらいいと、素直に思えるから不思議だった。

 自己満足だとしても、料理を振る舞うことで、ついでに誰かを満たせるのなら。
 そうして誰かの心に、ちょっとした余裕を作り出してあげられるのなら。
 自己満足からの行いだって、そう悪いものではないのかもしれない。

 八尋からの言葉は、存在を肯定されるようで嬉しかった。
 胸の奥底にあった、どこか後ろめたかった感情がすうっと解けていくようで、宗介はようやく肩の力を抜けるような思いがする。

「……だけど、食べ物の好き嫌いをいえるっていうのは、ゆたかな時代の証だよね」

 ふいに呟いたのは朔だ。手元の箸には、肉じゃがのにんじんが(つま)まれている。
 思い出すのは、宗介が初めて見送った少女、陽葵(ひまり)のことだった。
 そりゃあそうだ。食べ物が豊富にある時代だからこそ、好き嫌いも生まれるし、食べ物に文句だって言えるのだ。
 飢饉という極限状態の中では、もちろん好き嫌いなど言っていられなかっただろうけれど。

「えっとね、前に嫌いなものを聞かれたときには、思いつかなかったんだけど……」
 朔がおずおずと、宗介を見上げる。
「さっき思い出したんだ。生でかじる(よもぎ)はね、しぶくてえぐみがあって、まずかったよ」
 あれはきらい。もう食べたくないかな。
 (わら)もきらい。口のなかに刺さるから。
 そう言って顔をしかめる朔に、宗介は思わず頭を抱えてしまう。
 それは、極限状態の中で草木を齧っていた頃のことだろうに。
 そんなものは、食べ物の好き嫌いとは言わない。

 けれど思えば、弟妹たちに好きな食べ物を尋ねてみても、キャビアやフォアグラなんて言葉は出てこなかった。その一方で、母さんなら言ったかも、と宗介は思う。
 結局のところ、食べたことのない食べ物は、好き嫌いの範疇(はんちゅう)には入らないのだ。
 味どころか、その存在すら知らないのだから仕方がない。

「じゃあ、食べたことのある中で、好きな物は?」
 改めてそう尋ねると、朔は少しの間、真剣な顔で考えてから小首をかしげた。
「宗介の作るものは、ぜんぶおいしくて、すきだよ?」

 その言葉は嬉しい。嬉しいのだけれど、作り手としてはいまいち物足りない。
 宗介はいつか朔に「これが一番好き」と言わせてみせよう、と心に決める。
 これは弟のにんじん嫌いを克服させるのと同じくらい、手強い戦いになりそうだ。
 けれど、当面の目標ができたのは大きい。宗介は一人、(ひそ)やかに笑う。

 手始めに、もう少し洋食や中華の献立も増やしてみようか。
 そんなことを考えながら、宗介は茶碗蒸しをひとすくい口に運ぶ。
 茶碗蒸しはまだほんのりと温かくて、優しい卵の味がした。

 早く家族のもとに行ってしまいたいと思う一方で、やりたいことも、し足りないことも、こうしている間に無限に広がっていく。
 だからまだ、今すぐには死にたくないかもしれない、なんて。
 なんとも相反する思いだけれど、どちらも本心だから、心というのは難しい。
 複雑だよなと、宗介は苦笑するばかりだ。