さよならまたね、またいつか。 ~あの世とこの世のあいだご飯~

 八尋も遅れて合流すれば、珍しく亡者のいない晩餐(ばんさん)の始まりだった。
 テーブルを囲んで三人、いただきますと手を合わせる。

「茶碗蒸し、熱いから気をつけて食べてね」

 一言添えると、逆に興味をひいたのか、朔と八尋はそれぞれ箸やスプーンに手を伸ばした。
 茶碗蒸しは具を卵液の中には仕込まず、えびとまいたけと銀杏(ぎんなん)を出汁で煮て餡にしたものを、蒸しあがった卵にかけた。餡かけになっているおかげで冷めにくく、ふるふると揺れる卵の欠片(かけら)からは温かそうな湯気が立ちのぼっている。
 二人は何度も息を吹きかけてからそうっと口に運び、次の瞬間、ぱっと顔を(ほころ)ばせた。

「どう?」
「……なんだか、飲めそうだね」
「いや、飲むなよ!?」
「うん。もったいないから飲まないけど。でも、つるっと入っちゃうから」
「あぁ。出汁もきいてるし、えびも美味いなあ。こういうのも酒に合う」
「八尋さんは、なんだって酒に合うって言うじゃん」
「そうか? まあ、否定はしないが」

 八尋は涼しい顔でそう返して、片手に提げていた缶ビールのタブを引いた。
 この()(くに)の麦酒がどんな料理にも合うのが悪い、今まで飲まず嫌いだったことが惜しいぜ、などと最近は言っているが。ついこの間まで、缶の開け方が分からずじっと眺めていたのを宗介は知っている。
 最初に開け方を実演して見せた時には、至極まじめな顔で「人の子は面白いことを考えるなあ」などと目を丸くしていたくらいだ。
 宗介は苦笑して、自分も茶碗蒸しをひとすくい口に運ぶ。
 丁寧に()したおかげで、口当たりも滑らかだ。出汁の香りがふわりと鼻に抜けて、えびとまいたけの旨みがあとに続く。うん、上出来、と宗介はひとり頷いた。
 ちょっとした一手間で、茶碗蒸しは高級感のある仕上がりになるから面白い。

「この煮物も、中まで味が染みてて美味いなあ」

 八尋はじゃがいもに次いでにんじんを口に放り込み、満足げに目を細める。
 栗ごはんの方は、味付けは塩だけとシンプルだからこそ、栗の素朴(そぼく)な味わいとご飯の甘みが引き立つ。ほくほくとした栗をかじれば、口いっぱいに秋の味覚が広がって嬉しい。
 朔は小さな口で栗をいっぱいに頬張って、栗鼠(りす)のように一生懸命に咀嚼(そしゃく)していた。
 目論(もくろ)み通りの可愛らしい絵面に、宗介は密かに満足する。

「そういえば、栗の皮の硬い部分は〝鬼皮〟って呼ぶらしいね」
「うん、そうだよ。ぼくたちといっしょだね」
「鬼のように硬いたぁ、ちょいと大袈裟(おおげさ)な気もするんだが」

 鬼皮、そして鬼人。
 二人と当たり前のように食卓を囲んでいると、ついついその事実を忘れそうになる。
 前髪の下に隠れる小さな角以外には、見た目は人と差がないから余計にだ。

「この鬼皮をむくのだって、人の子の身ではえらく手間だったろうに。言ってくれれば、朔坊を手伝いにやらせたんだぜ? とりわけ今日は、亡者も少なかったしなあ」
「ぼくだって、力仕事はとくいなんだよ」

 八尋の言葉を受けて、朔は力こぶを作るように腕を曲げて見せる。
 その腕は、宗介の手首よりずっとずっと細いけれど。それでもやはり、人外だからだろうか。その力は大の大人より遥かに強いのだという。嫌がる亡者は、強制的に川を渡らせなくてはならないからだそうだ。
 たとえ暴れる巨漢が相手でも、やろうと思えば朔だって簀巻(すま)きにして、舟に乗せてしまえるほどなのだという。
 人とそう変わらない見た目でありながら、鬼人というのはなかなかに凄い。

「そういえば、二人は俺が一緒に食べてほしいってお願いするまで、食事はどうしてたの?」
 ふと疑問に思って尋ねてみれば、朔は「あんまり食べてなかったよ」とこともなげに言う。
「八尋は、お酒ばかり飲んでたよね」
「あぁ、行き場がなくて配られる供物(くもつ)のうちの、酒だけな。朔坊の方は、山に柿や枇杷(びわ)なんかが実ると、たまーに(かじ)るくらいだったか」
「えっ、二人とも、ご飯は食べてなかったの!?」
「うん。だって、ぼくたち鬼人も、亡者といっしょで()えることはないから」
 朔はぱくぱくと栗ごはんを頬張りながら、さも当然のことのようにそう答える。

「でも、味覚はあるわけだろ?」
「うん……だけど、食べなくても、ひもじくはなかったから」

 その言い方に、宗介はかえって戸惑った。
 なぜなら、飢えないという割に〝ひもじい〟という感覚自体は知っているような口ぶりなのだ。
 宗介の困惑を察してか、八尋は肩をすくめて苦笑する。

「そりゃあ鬼人だって、元は現世を生きる人だったんだから、ひもじさだって分かるさ。朔坊だって、見た目こそ幼いが、天保の頃の生まれなんだぜ。なんせ死んじまうと、見た目は成長しないからなあ」
「待って、てんぽうって、どっかで聞いたことあるんだけど……なんだっけ」

 宗介は天井を仰いで眉を寄せ、記憶の糸を手繰(たぐ)り寄せる。
 確か、日本史の授業に出てきたような──と、そこまで考えたところで声を上げる。

「あっ、思い出した! 天保って、まさか江戸時代の!?」
 天保の改革に、大塩平八郎の乱。高校の期末考査に、ばっちり出てきた年号だ。
 宗介の驚きに、朔はこくりと頷く。

「そうだよ。ぼく、天保のころの大飢饉(だいききん)で死んだんだよね」

 その言葉に、宗介は思わず絶句した。
 言葉遣いが少し古風なところがあるとは思っていたけれど、まさかそんな時代を生きていたとは。
 しかも、飢饉。こんな小さな子どもが飢えて死んだというのだから、言葉もない。

「あのころはね、木の皮だって食べたんだよ」
 朔は淡々と、当時の様子を語り始める。
 あのね、食べる穀物がないとね、みんな始めは山に入って野草を食べるんだ。
 それでもそのうち、野草もなくなるから、次は木の皮を食べるんだよ。
 だけど、食べるだけ食べていると、今度は木の皮がなくなるでしょ。
 そうなるとね、中には石ころや土を食べる人もいたんだよ──と。

「そんな……石や土なんか食べても、生きられないだろ」
「うん。石や土にまで手を出した人は、やっぱりしばらくすると死んじゃってたよね」
「ま、遅かれ早かれの違いしかないよなあ」

 八尋は眉をひょいと上げて、あっけらかんと言う。
 だが、それくらいひもじかったということの証左でもあるのだろう。
 豊かな現代日本を生きる宗介には、想像もつかないような壮絶な話だ。
 けれど一方で、新たな疑問に宗介は首を傾げる。

「だけど、飢饉の中で餓死(がし)したとしても、普通に三途の川を渡ることになるだけなんじゃ……?」

 自然災害に遭って死ぬのも、交通事故に遭って死ぬのも、そう大差はない気がするのだ。
 死後に鬼人となる元人間と、川を渡ることになる亡者。
 いったい何が、どう違うというのだろう。
 宗介のもっともな疑問に、八尋は言いづらそうに頭を搔いた。

「まぁ、朔坊の場合は……人身御供(ひとみごくう)として、生贄(いけにえ)にされたってのが問題なんだよなあ」
「はぁ、生贄……!? そんなものを捧げたところで、苦しい状況が変わるわけないのに!?」
「ところがどっこい、そうでもない」
「少なくとも、口減らしにはなるよね」

 当の本人である朔でさえもが、けろりとした様子でそんなことを言う。

「口減らし、って……」
「あぁ、確かにそいつは、目先の分かりやすい効果だよなあ」
 そう軽く肯定する八尋に、宗介は顔を引き()らせた。
「待って……あんまり理解を示したくないんだけど、目先の効果以外にも何かあるの?」
「あぁ、こいつが悲しいことに、なくもないんだよなぁ」
 そう言って、八尋はちらりと横目に宗介を見やる。

「確かにごくごく(まれ)なことではあるんだが、人の死肉が土に(かえ)ることで、土が肥沃(ひよく)になる例も、あるといえばあるのさ。だがまぁ、それ以上に、人の(かばね)は腐るからなあ。むしろ村に疫病(えきびょう)が広がる、なんてことも多かった──そうなると、生贄を捧げた側の村人たちは、どう物を考えると思う?」
「…………」

 そりゃあ、栄養不足の人だらけの環境で疫病が流行すれば、どんなことになるかは火を見るより明らかだけれど。
 思わず無言になった宗介に、助け舟を出したのは朔だ。

「あのね、村の人たちはね、ぼくの(たた)りだって言いだして、ぼくのことを(まつ)っちゃったんだ」
 朔はどこか他人事のように、淡々とそう呟く。
「祟りって、自分たちで殺しておいて、そんな身勝手な……!」
「ははっ、まぁ確かに、この上なく身勝手ではあるよなあ。だが、生贄なんてものを捧げた側には、少なからず負い目や罪悪感があるわけだろう? だからこそ、悪いことが続けば、その因果を自分たちの行いの中に求めちまうものなのさ」

 人というのは、まったくもって(ごう)が深いよなぁ。
 八尋はからりと笑って、缶ビールを勢いよく(あお)る。
 それからその場に居直ると、声の調子を変えて言った。
「だがなぁ、この〝祀られる〟ってのが、問題だったりするわけだ」と。

「ねぇ……宗介は、言霊(ことだま)って知ってる?」
 朔がこちらを見上げ、こてんと首を傾げる。
「うーん、聞いたことがあるような、ないような……」

 言葉に聞き覚えはなくもないけれど、意味までは知らないかもしれない。
 宗介は首を捻りながら、曖昧な返事を返した。すると朔が、辿々(たどたど)しく説明してくれる。

「えっとね、言霊っていうのはね、(こと)()に宿る力のことなんだ。言葉そのものには力があるから、声に出した言葉どおりの結果が現実になるっていう信仰なんだけど……」
「当時の()(もと)という国は、この言霊を信じる者がことさらに多くてなぁ。そのせいで、言の葉の力がやたらと強く働いたのさ。つまり、祟りだなんだと噂され、それが強く信じ込まれれば信じ込まれるほどに、言霊は力を増したわけだ」
「その上、文字に残されると、尚のことまずい。(ほこら)由緒書(ゆいしょが)きでも刻まれようものなら、風化もしちゃあくれないからなあ。(かく)たる伝承として、後世に残っちまう」

 肉じゃがに添えた絹さやを齧る八尋は、何とも名状しがたい表情だ。
 それから、宗介にちらりと流し目を送る。

「なぁきみ、祀られるってことは、その対象は何になると思う?」
 急に水を向けられ、宗介は慌てて考えを巡らせる。
「えっ、何だろう……えっと、神さまとか?」

 祀るという言葉を聞いて、まず一番に連想したのは神社だった。
 一方で、お寺で祀るという表現はしっくりこないから、仏さまは違うかな、程度の浅知恵だったのだが。
 八尋は腕を組んで「ご名答。ま、そういうことだよな」と鷹揚(おうよう)に頷く。

「ほら、人身御供ってのは、人柱(ひとばしら)とも呼ぶだろう?『柱』というのは、八百万(やおよろず)の神々の数え方だからなあ。人でありながら神に近づいちまった存在は、人の(ことわり)や正常な輪廻の輪からは外れちまうというわけさ。言の葉の(しゅ)が、魂のありようを縛るってわけだ」
「えっと……つまり、村人たちの罪悪感から語られた伝承が、朔の魂を人ではなくしてしまった、ってこと……?」

 宗介は向かいに座る朔を見やり、その顔をまじまじと見つめる。
 口減らしを兼ねた生贄として殺され、そして死後には祟りをなす存在として祀りあげられたせいで、魂が人の理から外れてしまっただなんて。小さな身体で背負うには、あまりにも過酷な運命(さだめ)だった。
 けれど朔は、そんな宗介の思いに反して、静かに首を横に振る。

「だけどね、そんなにめずらしい話じゃないんだよ」
 その声音に、悲嘆の色はない。ただ淡々と事実を述べるように、朔は呟く。
 いろんな場所で、よくあった話なんだよね、と。

 こうした例は、長い歴史の中で、各地に無数にあるという。
 人身御供となって、人でありながら神に近づいてしまった、人と神の狭間(はざま)にある存在。
 人の理や輪廻の輪から外れてしまった者たちは鬼人となって、今は地獄の獄卒として働いているというわけらしい。
 朔の言葉は静かで、揺らぎがなかった。
 朔がその運命を受け入れていることは、宗介にも分かる。
 分かった上で、それでもどこか飲み込めないものが残って、なんだかひどくやり切れない思いだ。