さよならまたね、またいつか。 ~あの世とこの世のあいだご飯~

 泣き疲れて眠ってしまった陽葵(ひまり)を、そっとソファに横たえる。
 薄いタオルケットをかけてやってから、宗介は再び台所へと足を向けた。
 足元には、やはり朔がついてくる。

「なにをするの……?」
 そう尋ねる朔に、宗介は答える。
「呪いを、おまじないに変えるんだよ。スイーツでさ」
「すいーつ?」
「そう。甘味っていえば、わかるかな」
 朔はなんとなく言葉遣いが古風だから、そう言い換えてやる。
 すると「あなたは、甘味まで作れるんだね」と目を丸くされた。
「そんな大したものは作れないよ。作れるものだけ、な」
 野菜室から取り出したにんじんの皮を剥きながら、宗介は呟く。

「俺もさ、昔『好き嫌いしたら大きくなれないぞ』って、弟妹(ちび)たちに言ったことあるんだ」

 にんじんをすりおろし終えたなら、次はオレンジだ。
 皮ごと真っ二つに切って、果肉と果汁をスプーンで丁寧にくり抜いていく。

「でもさ、あれって本当は、願いだったはずなんだ。〝いろんなものを食べて、元気に育ってほしい〟っていう、さ」

 陽葵の親が言ったその言葉も、まだ陽葵が病気になる前の、親が子を思うがゆえの言葉だったのではないかと宗介は思う。
 それはきっと、ごく普通の親心から出た言葉だったはずなのだ。
 それなのに、今の陽葵にとっては「嫌いな食べ物があったから、大きくなれなかった」と、歪んだ形で刺さってしまっている。
 背伸びをして大人ぶる女の子の、その奥に見え隠れする、年相応の(やわ)い心。
 親が子を想ってかけた言葉が、その心に呪いとして刻まれてしまっているのだ。
 そんなの、解けるものなら解いてやりたいではないか。
 だからこそ宗介は、にんじんを隠し味に使ったスイーツを作り始める。
 それはかつて、弟のにんじん嫌いを克服させるために覚えたレシピだった。

 ゼラチンを水でふやかしつつ、すりおろしたにんじんとオレンジを鍋にかける。
 時間はそうかからない。すぐに火を止めてゼラチンを溶かし混ぜ合わせ、ラップを敷いたバットに流し込めば、あとは冷えるのを待つだけだ。

 宗介はもう、身をもって知ってしまった。
 本当はなんの理由がなくたって、人は理不尽に事件や事故に遭う。病にかかる。
 因果応報なんていうのは、そうあってほしい人の、ただの願望で。現実はそう上手くできてはいない。
 だからそう、嫌いな食べ物があろうとも、そこに因果関係なんてないのだ。
 けれど、陽葵にとっては、そうじゃない。
 だったら、「美味しく食べることができた」という経験を、おまじないに変えてあげたいと思ったのだ。親が子を想って(つむ)いだ言葉が、子どもの命を限る呪いではなく、子どもの未来を寿(ことほ)ぐおまじないになれるように。

「あのね……あの亡者、きょうも舟に乗りたがらなかったらね、もう無理やり乗せるしかないぞって言われてたんだ」
 宗介の足元で、朔はぽつりと呟く。
「ぼくにできること、なにか、ある……?」
 朔は宗介のズボンの(すそ)を、きゅっと握る。
 宗介はふっと口元を緩ませて、朔の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「もちろん。朔が手伝ってくれると、助かるな」
 そう言って、宗介は朔ににんじんとピーラーを手渡した。


      ◇◆◇

 陽葵が目を覚ます頃には、ゼリーはすっかり冷えて固まっていた。
 バットからラップごと持ち上げ、まな板の上に移すと、包丁を刺し入れて一口サイズのサイコロ状に切っていく。
 カラフルに色づいた半透明の立方体たちは、見た目も涼やかで、まるで宝石みたいだ。
 果肉をくり抜いた皮を器として盛り付ければ、それだけで彩りがぐっと際立った。
 ここにミントの一葉でも添えられたら完璧、と言いたいところだけれど、さすがにそんな洒落(しゃれ)たものはここにはない。
 せめてもの遊び心で、皮の片割れをかぽりと被せて蓋にする。
 お皿の上ではぐらぐらと安定しないので、うさぎ型に切ったりんごを添えて支えにした。

「朔、こっちにおいで」

 宗介がそう声をかけると、朔はとてとてとこちらにやってきた。
 オレンジに収まりきらなかったゼリーをひとかけら、その小さな口に運んでやれば。最初は驚いた顔をしていたものの、両手を頬に当てたその顔にじわじわと喜びが溢れ始める。

「最初の一口は、キッチンにいる人の特権だからね」

 そう教えてやると、朔はこくこくと頷く。
 朔と自分の分はガラスの器に取り分け、ひとまずラップをかけて冷蔵庫へ。
 まずは、陽葵に食べてもらうのが先決だ。朔と連れ立ってリビングに戻れば、陽葵はソファに腰かけていた。

「おやつを作ったんだけど、食べてみない?」

 そう言って、宗介はオレンジの蓋をぱかりと開ける。
 つやめく半透明のゼリーが光を受けて、きらりと輝いた。陽葵はきょとんとした顔で、物珍しそうにそれを眺めている。
 嫌いな食べ物を克服させるには、まず見た目で興味を引くことが重要だ。(だま)()ち上等。
 食べてもらえなければ、始まらないのだから。その点、この器もゼリーの色艶(いろつや)も、申し分なかった。

 宗介と朔が見守るなか、陽葵はスプーンをそっと差し込む。
 ひと口すくって口に運んだ瞬間、その目が大きく見開かれた。ゼリーの冷たさとオレンジの甘酸っぱさが、口いっぱいに広がったのだろう。

「美味しい?」

 そう尋ねれば、陽葵は小さく頷いた。
 続けてもうひと口、またもうひと口と、彼女はどんどんスプーンを動かしていく。
 宗介は朔と顔を見合わせて、こっそりハイタッチをした。
 ゼリーの大半を平らげたのを見計らって、宗介はようやく種明かしをする。

「実は、それ……にんじんがたくさん入ってるんだよ」
 陽葵の手が、ぴたりと止まった。
「うそ!?」
 スプーンを持ったまま、陽葵は大きな目でこちらを見上げてくる。
 信じたくないというような、心底驚いたような顔だった。
「本当だよ。な?」
 朔に目配せすると、こくりと頷く。
 それから、朔は後ろ手に隠していたザルを、陽葵の前にそっと差し出した。
「……これ、証拠だよ」
 ザルの中には、ピーラーで剥いたにんじんの皮が、こんもりと山を作っている。
 陽葵は信じられないとばかりに、ゼリーと皮の山を何度も見比べた。
「……ほんとうに?」
 そう問う陽葵に、宗介と朔はそろって頷いてみせる。
「にんじん、ちゃんと入ってるよ」

 もっとも、皮を剥いたにんじんのうち、ゼリーに入れたのは五分の一にも満たない。
 朔が追加で剥いてくれたものは、ラップでくるんで野菜室に逆戻りだ。
 完成したゼリーも、にんじんはほんの(かす)かな風味だけで、味の大半はオレンジが占めている。


 それは、にんじんの皮を剥き終わった時のこと。
「……それって、嘘にならない?」
 朔はおずおずと、ピーラーを置きながら見上げてきた。
「これは、俺の母さんの受け売りなんだけどさ」
 散らばるにんじんの皮を拾い集めながら、宗介は口をひらく。
「『相手を想っての嘘っていうのはね、つき通せば優しさになるのよ』だってさ」

 これ、大人のライフハックね、なんてお茶目に笑っていた母の声が、耳の奥に(よみがえ)る。
 思えば、子どもに向けられる嘘というのは、案外あちこちに転がっているものだ。
 ちゃんとお片づけしないと、恐いお化けがおもちゃを壊しにくるんだぞ。おなかを出しっぱなしで寝たら、カミナリ様におへそを取られちゃうぞ。サンタクロースだってそうだ。
 小さな子どもと向き合うと、大人はどうしても、小さな嘘が多くなる。
 けれど、それが相手を想ってつき通す嘘ならば。
 無粋(ぶすい)な事実にも勝る、優しさになることだってあるのだ。

 宗介は膝を折り、陽葵と目線の高さを合わせる。
「にんじんだって、美味しく食べられるなら、もう嫌いじゃないかな」
 そう問いかければ、陽葵は小さく目を瞬いた。
 しばらく手元のゼリーを見つめてから、ませた口調でぽつりと答える。

「……そうね、この味だったら、にんじんも嫌いじゃない、かも」
「じゃあ、次はきっと、大きくなれるね」

 陽葵ははっと顔をあげ、それからくしゃりと表情を歪める。
 泣くかと思ったけれど、涙は落ちなかった。ただ「……そう、かしら」と、小さく呟く。
 少しの間を置いて、陽葵は宗介の顔をじっと見つめた。

「ねぇ……今度は病気にならない体で、またお母さんとお父さんのところへ生まれられると思う?」
 その声音には、期待と不安が(にじ)んでいた。
 だから、宗介はその小さな手をぎゅっと握る。
「うん、きっとね」
 それが、たとえ無責任な気休めだとしても。そう言わずにはいられなかった。
 それはきっと、祈りにも似たものだった。