その少女、縁を切る。

 その日、アリアナは朝からどこか浮ついていた。高揚していたと言ってもいい。
「それでは、計画通り頼みましたわよ」
 声も昨日までより少しトーンが高く、どこか緊張を孕んでいる。これから許嫁とのパーティに臨むから? いつもとは違うドレスを着ているから? どちらも違う。
 ……今日、わたくしは自由になるのですわ。
「任せておいてよ。縁は必ず切るから」
 すっかり見慣れたメイド服姿のティハナが答える。最初は馬子にも衣装だと思っていたが、今やすっかり着こなしていて屋敷に溶け込んでいた。こうして最終確認のためにアリアナの部屋に集まっていても、まるで使用人と話しているように見えて違和感はない。
「頼もしいですわ。貴女に、『人絶ち』に依頼して正解でしたわね」
 少し多めに息を吸う。心なしか、空気も澄んでいる気がした。
「ステラも、ティハナの足を引っ張るようなことはしてくださらなくてよ」
「はい、心得ております、お嬢さま」
 アリアナの真後ろから声が届く。ステラはアリアナのドレスの着替えを手伝っているところだった。コルセットを締めると吸ったばかりの空気が一気に吐き出された。
「…………」
「あら、どうかしてまして?」
 眼前の、仮初のメイドからの視線に気づいて尋ねる。
「やけに高揚してるなと思ってね」
「無理もありませんわ。待ち望んだ日が来たんですもの」
 自分を縛る余計な縁とお別れができる日が。
 今日でフィルノア家の跡取り息子はクラバス家に相応しくない存在となり、婚約は白紙となる。アリアナの縁談は一から考え直しを余儀なくされる。
 そうなれば、お父さまもきっと考えを改めてくださるはずですわ。自分が決めた人間よりも、わたくし自身が選んだ相手と結ばれるのがよい、と。
「わたくしは生まれ変わるのですわ。生きたいように生きる、新しいわたくしに」
 そう思うと、目に映るすべてが新鮮に映った。心にもゆとりがあった。
「そうですわ、ステラ」
「なんでございましょうか」
 ドレスの着付けが終わり、アリアナが振り向く。中腰のステラを見下ろしながらアリアナは思いついたことを口にする。
「計画がうまくいきましたら、あなたにも特別に報酬をあげましょう」
「え」
「特別にあなたの望むものを与えますわ。何がほしいかしら」
「あ……その……」
 見上げてくる彼女は言葉を詰まらせ、視線をさまよわせる。迷っているのか、それとも自分の考えがないのか。まったく、せっかく言ってさしあげたのにこの子ったら。
「まあよいですわ。じっくり考えておきなさい。きっとわたくし、しばらくは上機嫌ですから」
 なにせ自由を謳歌するのだから。
「盛り上がってるところ悪いが、そろそろ出迎えにいった方がいいんじゃないか」
 と、ティハナが時計の方に首を向ける。じきにフィルノア家の面々がやって来る時間だ。
 わざわざ出迎えなんて気は進まないが、仕方ない。それに今日だけだと思えば安いものだ。
「そうでしたわね。では行きますわよ」
 ステラとティハナを後ろに侍らせる形でアリアナは部屋を出る。すると、シャディ子爵が廊下と通りかかったところだった。
「おおアリアナ、ちょうど呼びに来たところだ。さあ、フィルノア家の方々がいらっしゃるから出迎えるとしよう」
「ええ、お父さま」
 アリアナは笑う。そしてその表情のまま後ろを向く。
「ティハナ。あなたは大広間の準備の方、お願いしますわ」
「かしこまりました、お嬢さま」
 ティハナは答えた。アリアナと同じ、貼り付つけたような笑みをして。
 それからアリアナとステラ、シャディ子爵は階段を下りて玄関までやってくる。少しだけ待つと、玄関の扉が開いて陽気な声が届いた。
「おお、子爵殿! それにアリアナ嬢も!」
 それは恰幅のよい男だった。シャディ子爵よりもひと回りは上のようだが、文字通り脂の乗った男だった。
「ゲバルト男爵! お元気そうで何よりだ!」
「子爵殿こそ変わらず壮健でよかったですぞ。いやあ、わざわざ出迎えていただいて申し訳ない! それにアリアナ嬢も!」
「お久しぶりですわ、ゲバルトさま」
 ゲバルトとは幼い頃から顔を合わせているが、その印象は最初からあまり変わっていなかった。貴族というより商人が似つかわしい風体。領内にある港の交易を活かして私腹を肥やした結果だろう。
 直近で面会した際も、じきに義父になるのだからと冗談交じりにシャディ子爵と話していたのを覚えている。だがアリアナにとっては冗談ではなかった。
 なにせその息子がこれ(・・)なのだから。
「いやあ、とてもきれいなお屋敷ですなあ父上!」
 ゲバルト男爵に続く形で、もうひとりの男が屋敷の敷居をまたいでくる。青年、と呼ぶにはいささか年齢を重ねた男だ。そして特筆すべきは、ゲバルト男爵よりも丸い体型。
「アリアナ嬢! お久しぶりです!」
「ええ、ウォーレンさま」
 アリアナを見るや息を荒くするウォーレン。アリアナの方は顔の薄皮一枚が剥がれないようなんとか表情をつくった。彼こそが自身の婚約者にして、フィルノア家の跡取り息子だ。
 なんて欲望丸出しなのかしら。きっと社交界でもほとんど相手にされていないのですわね。レディの扱いがまるでなっていませんもの。
 だがそんなアリアナの感情とは裏腹に、シャディ子爵は陽気に話しかける。
「おお、ウォーレン殿! 以前よりもまた立派になられましたなあ!」
「いやあ、最近港から届く海産物がおいしくてつい食べ過ぎてしまって」
「それはよいですな。私も味わってみたいものです」
「ぜひとも! フィルノア家に招待します!」
「楽しみですなあ! その時はきっとわれわれの縁もより深まっているでしょうな!」
 縁、ですか。
 アリアナは誰にも悟られないよう、小さく息を吐く。それは尊いものなのかもしれない。
 ですがそんなモノ、わたくしはいりませんわ。
「おふたりとも、ここまでいらっしゃるのにお疲れでしょう?」
 これ以上聞くに堪えない。そう思いながらも気丈な声でアリアナは言う。
「部屋を用意しておりますの。どうぞパーティまでお休みになってくださいな」
 直後、引き継ぐようにステラが「それで男爵さま、ご子息さま、ご案内いたします。どうぞこちらに」と誘導する姿勢をとる。
「おお、なんという心配り! さすがは子爵殿のご令嬢だ! いや、これは未来の娘といった方がよいのかな?」
「恐縮ですな。この子もおふたりが来るので準備をしてくれていたのですよ」
「ほほう、それはそれは。ではお言葉に甘えるとしようかウォーレン」
「はい父上!」
 フィルノア家のふたりは笑いながら「ではのちほど」と言って、ステラに案内されながら廊下へと消えていった。
「どうしたアリアナ、やけにうれしそうだな」
「ええお父さま。わたくし、今日が待ち遠しかったですの」
「そうかそうか。そう言ってくれて私もうれしいよ」
 シャディ子爵が笑い、アリアナも笑う。
 だがそれはまったく質の異なるものだった。扇で隠れた口角は、いつになく歪んだカーブを描いていた。
 ――これで計画は成功したも同然、ですわね。
 そう心の中でだけ、アリアナはつぶやいた。