クラバスの街は中心部こそ賑わっているが、少しはずれた場所になれば閑散としていた。そこにひっそりとたたずむ古美術商、その一角が、『人絶ち』の少女にとってこの街での仮初の根城だった。
「これはまた、大口の依頼がきたね。驚いたよ」
イスに腰かけながら少女が言う。テーブルを挟んで対面に座るのは、先刻声をかけてきた少女。
コートを脱いだ彼女はドレス姿だった。控えめながらも装飾が施されており、髪はまるで自ら光を発しているかのように煌めくブロンド。彼女が髪に指をかけてなびかせると、薄暗いそのスペースは一瞬だけ明るくなったようだった。少女の黒髪とはまるで対照的だった。
「まさかこの地を治めるシャディ子爵のご令嬢にご依頼いただくなんてね」
アリアナ・クラバス。それが彼女の名だった。
訪れた先で依頼してくるのは、先刻のような金を持った商人が多い。それがまさか、街でもっとも権力と財力を持つ地方貴族の人間と相対することになるなんて。しかも年齢だって自分とさほど変わらないときた。まったく、人生というものはわからないものだな。
「わたくしも、まさかこんな寂れた場所に足を踏み入れるなんて思いもしませんでしたわ」
アリアナが扇を開いて口もとを隠しながら言う。遠くにいる初老の男性――古美術商の店主がわざとらしく咳ばらいをしたが、彼女は意に介するさま子はない。少女にとっては間借りしている身だからあまり好き放題言われると困るのだが、おそらく言っても無駄だろう。
「もう少し品性のある場所で店を構えてくださればよろしかったのに」
「そいつは無茶な相談だね。ボクはいろんな土地を転々としているんだから」
それに、と少女は言う。
「やってることは裏稼業みたいなもの。お世辞にも賛美されるものじゃない。……だから貴女も、従者をひとりだけ連れてこっそりと来たんでしょ?」
「……そうでしたわね」
アリアナはそれ以上なにも言わなかった。自分にも後ろ暗いところがあるのを、最も理解しているから。
誰かとの縁を切ってくれなんて、とてもじゃないが日の当たる場所で言えたものじゃない。
「よろしくお願いしますわ。ええと」
「ああ、ティハナ、でいいよ。いちいち『人絶ち』と呼ぶのも面倒だろうしね。よろしくアリアナ嬢」
少女あらため、ティハナが笑う。それだけを切り取れば純朴な少女の笑みに見えたかもしれない。
――それが誰かの依頼を受けて、人の縁を絶ち切ることを生業とする人間のものでなければ。
「先に訊いておきますけれど、あなた……女性、ですわよね?」
「よく気がついたね。同性同士だからかな。なんなら確かめる?」
「いえ、結構ですわ。ですが安心しましたわ。男にわたくしの苦しみは理解できるとは思いませんもの」
「苦しみ、ね。それが今回の依頼と関係してるってことでいいのかな」
「その通りですわ。ですが本題に入る前に……ステラ」
「はいお嬢さま」
アリアナが手を叩くと、後ろで控えていた少女が答える。ステラ、と呼ばれた彼女もまたコートを脱いでいたが、思った通りアリアナの従者だったようで、メイド服姿だった。
ステラは無駄のない動きで持っていた革製のアタッシュケースを開くと、中に収納されていたものをテーブルの上に広げていく。
それは純白のティーポットにカップだった。
「お話をするのですからお茶くらいは必要でしょう? さすがにお湯くらいはありまして?」
アリアナがくすりと笑う。ティハナは肩をすくめると、ステラに店の奥に行くよう促す。じいさんにはあとで小言を浴びせられるな。
「それで、縁を切りたいのは結婚……いや婚約相手、ってところかな」
予想を口にすると、アリアナは「ええ、そうですわ」とうなずいてから、
「わたくし、アリアナ・クラバスは隣の領地を治めるフィルノア家、その跡取り息子と結婚することになっておりますの」
フィルノア家。聞いたことがある。たしかクラバス家と同じく地方貴族だったはずだ。
「てことはクラバス家とフィルノア家は懇意ってことなんだね」
「いいえ、そうではありませんわ。もちろん、特段関係が悪くもないですの」
アリアナが首を振る。ティハナは内心首をかしげた。仲がよくも悪くもないのに縁を切りたいというのはどういうことだろう。
ぱしん、と扇を閉じる音が聞こえた。そしてアリアナは言う。
「正確には、これから縁が結ばれるというころですの」
「……なるほどね」
その瞬間、ティハナの疑問はすべて解決された。答え合わせをするがごとく、言う。
「政略結婚、ってやつかな」
「察しがよくて助かりますわ」
「――どうぞ」
と、ティハナたちの前にティーカップが置かれる。たちのぼる湯気と、仄かに果実を思わせるような香りがティハナの鼻腔に届く。
「紅茶、か」
「さあ、召し上がって頂戴な」
アリアナが言うので、カップを持ち上げ口をつける。直後、みずみずしく爽やかな風味が口内を駆け抜けた。
「これは……ダージリンのファーストフラッシュ、ってところかな」
「あら。おわかりになるのですね。教養のある方でよかったですわ」
満足げな表情を浮かべると、アリアナも紅茶を口に含んでうなずく。それから「今日もよい出来ですわ」とステラに声をかけた。ステラが恭しく首を垂れる。
「話をもどしますわね。あなたのおっしゃる通り、わたくしとフィルノア家の長男とは幼いころから結婚することが決まっておりましたの」
「親同士が決めた結婚、ってやつだね」
「ええ、お父さまがお決めになった、と」
貴族世界ではめずらしいことではない。同盟関係を結ぶために、時には資金援助の代償として。
「ですが、わたくしは我慢なりませんの。もちろん、クラバス家の人間として一族の繁栄に貢献する必要があることも理解しておりますわ。ですが、そのためにあらかじめ決まった、それもほとんど会ったこともないような相手と結婚するというのは違うと思いませんこと?」
アリアナが語気を強める。
「まるで女であることを道具のように扱われて……貴女ならわかってくださるでしょう?」
「まあ……気持ちはわからなくもないな」
家族である以前に駒として扱われるのは誰だっていい気はしない。
「わたくしは自由に生きたいのですわ。結婚する相手を自分で選べるくらいには」
鼻を鳴らし、アリアナは理想を語る。社交界でいつか王都にいる大貴族に見初められる。それくらいの相手ではないと自分ではつり合わない、と。
「というわけで、縁を切っていただきたいのですわ」
あらためて、アリアナが言う。
「ああそれと。お断りになるなら先ほど見たものは憲兵にお伝えいたしますわ」
再び扇を開く。口もとは隠れているが、きっとほくそ笑んでいる。依頼を断る選択肢なんてないぞ、と。このお嬢さまもなかなかにしたたかだ。
だが、主導権を譲るつもりはない。
「……安くはないぞ」
ティハナは肯定も否定も返さなかった。縁を切るという依頼をする以上、相応の対価を用意できるのか、それがすべてだ。
「心得ておりますわ。ステラ」
アリアナが目配せをすると、ステラが再びアタッシュケースを開き、中に入っていた袋を取り出してテーブルに置く。同時に聞こえてきたのは、金属がこすれるような音。
「こちらで足りるかしら? 成功報酬、なんて出し惜しみはいたしませんわ」
袋いっぱいに詰められていたのは多種多さまな宝石がちりばめられた装飾品たちだった。ネックレス、指輪、ティアラ。アリアナの私物ってところか。
「……ああ、これだけあるならいいだろう」
「よかったですわ。足りなければ言ってくださいまし。まだまだありましてよ?」
その宝石を買った金だって結婚の約束をした父親、シャディ子爵が稼いだものだろうに。なんて悪態をつけたい気持ちに駆られたが、仕事は仕事。受ける以上は完璧にこなす。それがティハナの信条だった。
だからこそ、彼女は決まった言葉を告げる。たとえ相手が誰であっても。
「それじゃあアンタの依頼、この『人絶ち』ティハナが受けさせてもらうよ」
「これはまた、大口の依頼がきたね。驚いたよ」
イスに腰かけながら少女が言う。テーブルを挟んで対面に座るのは、先刻声をかけてきた少女。
コートを脱いだ彼女はドレス姿だった。控えめながらも装飾が施されており、髪はまるで自ら光を発しているかのように煌めくブロンド。彼女が髪に指をかけてなびかせると、薄暗いそのスペースは一瞬だけ明るくなったようだった。少女の黒髪とはまるで対照的だった。
「まさかこの地を治めるシャディ子爵のご令嬢にご依頼いただくなんてね」
アリアナ・クラバス。それが彼女の名だった。
訪れた先で依頼してくるのは、先刻のような金を持った商人が多い。それがまさか、街でもっとも権力と財力を持つ地方貴族の人間と相対することになるなんて。しかも年齢だって自分とさほど変わらないときた。まったく、人生というものはわからないものだな。
「わたくしも、まさかこんな寂れた場所に足を踏み入れるなんて思いもしませんでしたわ」
アリアナが扇を開いて口もとを隠しながら言う。遠くにいる初老の男性――古美術商の店主がわざとらしく咳ばらいをしたが、彼女は意に介するさま子はない。少女にとっては間借りしている身だからあまり好き放題言われると困るのだが、おそらく言っても無駄だろう。
「もう少し品性のある場所で店を構えてくださればよろしかったのに」
「そいつは無茶な相談だね。ボクはいろんな土地を転々としているんだから」
それに、と少女は言う。
「やってることは裏稼業みたいなもの。お世辞にも賛美されるものじゃない。……だから貴女も、従者をひとりだけ連れてこっそりと来たんでしょ?」
「……そうでしたわね」
アリアナはそれ以上なにも言わなかった。自分にも後ろ暗いところがあるのを、最も理解しているから。
誰かとの縁を切ってくれなんて、とてもじゃないが日の当たる場所で言えたものじゃない。
「よろしくお願いしますわ。ええと」
「ああ、ティハナ、でいいよ。いちいち『人絶ち』と呼ぶのも面倒だろうしね。よろしくアリアナ嬢」
少女あらため、ティハナが笑う。それだけを切り取れば純朴な少女の笑みに見えたかもしれない。
――それが誰かの依頼を受けて、人の縁を絶ち切ることを生業とする人間のものでなければ。
「先に訊いておきますけれど、あなた……女性、ですわよね?」
「よく気がついたね。同性同士だからかな。なんなら確かめる?」
「いえ、結構ですわ。ですが安心しましたわ。男にわたくしの苦しみは理解できるとは思いませんもの」
「苦しみ、ね。それが今回の依頼と関係してるってことでいいのかな」
「その通りですわ。ですが本題に入る前に……ステラ」
「はいお嬢さま」
アリアナが手を叩くと、後ろで控えていた少女が答える。ステラ、と呼ばれた彼女もまたコートを脱いでいたが、思った通りアリアナの従者だったようで、メイド服姿だった。
ステラは無駄のない動きで持っていた革製のアタッシュケースを開くと、中に収納されていたものをテーブルの上に広げていく。
それは純白のティーポットにカップだった。
「お話をするのですからお茶くらいは必要でしょう? さすがにお湯くらいはありまして?」
アリアナがくすりと笑う。ティハナは肩をすくめると、ステラに店の奥に行くよう促す。じいさんにはあとで小言を浴びせられるな。
「それで、縁を切りたいのは結婚……いや婚約相手、ってところかな」
予想を口にすると、アリアナは「ええ、そうですわ」とうなずいてから、
「わたくし、アリアナ・クラバスは隣の領地を治めるフィルノア家、その跡取り息子と結婚することになっておりますの」
フィルノア家。聞いたことがある。たしかクラバス家と同じく地方貴族だったはずだ。
「てことはクラバス家とフィルノア家は懇意ってことなんだね」
「いいえ、そうではありませんわ。もちろん、特段関係が悪くもないですの」
アリアナが首を振る。ティハナは内心首をかしげた。仲がよくも悪くもないのに縁を切りたいというのはどういうことだろう。
ぱしん、と扇を閉じる音が聞こえた。そしてアリアナは言う。
「正確には、これから縁が結ばれるというころですの」
「……なるほどね」
その瞬間、ティハナの疑問はすべて解決された。答え合わせをするがごとく、言う。
「政略結婚、ってやつかな」
「察しがよくて助かりますわ」
「――どうぞ」
と、ティハナたちの前にティーカップが置かれる。たちのぼる湯気と、仄かに果実を思わせるような香りがティハナの鼻腔に届く。
「紅茶、か」
「さあ、召し上がって頂戴な」
アリアナが言うので、カップを持ち上げ口をつける。直後、みずみずしく爽やかな風味が口内を駆け抜けた。
「これは……ダージリンのファーストフラッシュ、ってところかな」
「あら。おわかりになるのですね。教養のある方でよかったですわ」
満足げな表情を浮かべると、アリアナも紅茶を口に含んでうなずく。それから「今日もよい出来ですわ」とステラに声をかけた。ステラが恭しく首を垂れる。
「話をもどしますわね。あなたのおっしゃる通り、わたくしとフィルノア家の長男とは幼いころから結婚することが決まっておりましたの」
「親同士が決めた結婚、ってやつだね」
「ええ、お父さまがお決めになった、と」
貴族世界ではめずらしいことではない。同盟関係を結ぶために、時には資金援助の代償として。
「ですが、わたくしは我慢なりませんの。もちろん、クラバス家の人間として一族の繁栄に貢献する必要があることも理解しておりますわ。ですが、そのためにあらかじめ決まった、それもほとんど会ったこともないような相手と結婚するというのは違うと思いませんこと?」
アリアナが語気を強める。
「まるで女であることを道具のように扱われて……貴女ならわかってくださるでしょう?」
「まあ……気持ちはわからなくもないな」
家族である以前に駒として扱われるのは誰だっていい気はしない。
「わたくしは自由に生きたいのですわ。結婚する相手を自分で選べるくらいには」
鼻を鳴らし、アリアナは理想を語る。社交界でいつか王都にいる大貴族に見初められる。それくらいの相手ではないと自分ではつり合わない、と。
「というわけで、縁を切っていただきたいのですわ」
あらためて、アリアナが言う。
「ああそれと。お断りになるなら先ほど見たものは憲兵にお伝えいたしますわ」
再び扇を開く。口もとは隠れているが、きっとほくそ笑んでいる。依頼を断る選択肢なんてないぞ、と。このお嬢さまもなかなかにしたたかだ。
だが、主導権を譲るつもりはない。
「……安くはないぞ」
ティハナは肯定も否定も返さなかった。縁を切るという依頼をする以上、相応の対価を用意できるのか、それがすべてだ。
「心得ておりますわ。ステラ」
アリアナが目配せをすると、ステラが再びアタッシュケースを開き、中に入っていた袋を取り出してテーブルに置く。同時に聞こえてきたのは、金属がこすれるような音。
「こちらで足りるかしら? 成功報酬、なんて出し惜しみはいたしませんわ」
袋いっぱいに詰められていたのは多種多さまな宝石がちりばめられた装飾品たちだった。ネックレス、指輪、ティアラ。アリアナの私物ってところか。
「……ああ、これだけあるならいいだろう」
「よかったですわ。足りなければ言ってくださいまし。まだまだありましてよ?」
その宝石を買った金だって結婚の約束をした父親、シャディ子爵が稼いだものだろうに。なんて悪態をつけたい気持ちに駆られたが、仕事は仕事。受ける以上は完璧にこなす。それがティハナの信条だった。
だからこそ、彼女は決まった言葉を告げる。たとえ相手が誰であっても。
「それじゃあアンタの依頼、この『人絶ち』ティハナが受けさせてもらうよ」
