レギナ・ストレリチアは赤い派手な水着を着て、プールサイド・チェアに横たわっていた。
目の前にはプール、そして壁一面に惑星ネレイドの蒼い星影が浮かんでいる。綺麗な星だと思った。ひとつの惑星にこれだけ近寄るのは200年ぶりのことだ。
「いやー、まさか自分のお墓を見物するなんて思わなかったわ。たまったもんじゃないわよ」
レギナは隣に置いたテーブルからアイスティーの入ったグラスを取り上げ、ストローに口をつけた。船内農園で育てた有機茶葉にブルーマロウやサフラワーを加えた、華やかで優雅なオリジナルブレンドの一杯。
だが味がしない。
「4つ下の妹に娘がいて、その娘にさらに赤ちゃんがいるんだもん。身体はうら若い乙女だっていうのに、事実上35歳の超お婆ちゃんよ!」
「なあ」
「あんたはもう500歳越えだから気にならないだろうけど、35よ、35! いやぁ、参るわ、ほんと!」
「おい」
「もしかしたら塩漬けしてた株が値上がりしてるかな~、とか思ったんだけど、とっくに口座まで凍結されてたし! 政府とかお役所に相談しても前例がないって言い張るんだもん。ちょっとは融通利かせてくれたって」
「テティス!!」
レギナはばね仕掛けの玩具のように勢いよく起き上がった。
チェアの隣に清掃ドローンが佇んでいる。そのうえに、ネレイド人サイズのプールサイド・チェアがちょこんと置かれている。
テティスがサングラスを外して「なに?」と言った。
「なんでここにいる? 降りたんじゃなかったのか?」
「降りたわよ。で、色々身辺整理を済ませてきたってわけ」
「はぁ!? 聞いてないぞ、おいシンガー! なんで乗せた!?」
『乗船希望を受理した』
「勝手に受理するな! 許可もするな! 私の意見を尊重しろ!!」
『新たな船員を迎え入れるにあたっての制度設計を行っていない。従って、乗船に際して船長の許可も必要無いものと解釈した』
「ぁん……っ?!」
レギナは、開いた口が塞がらなくなった。
「だってさ、レギナ!」
テティスが顔いっぱいに笑みを浮かべて言った。レギナは力なくチェアの上に倒れ込んだ。
「こ、この小うるさいチビを連れて航海だと……!?」
「チビ言うな。二度とワインセラーに入れなくするわよ?」
脅しではない。テティスのハッキング技術を考えれば簡単なことだろう。シンガーまで敵に回る可能性もある。
「最悪過ぎるっ……!」
ひとしきり銀色の髪を掻き毟ってから、ぴたりと動きを止めた。真面目な表情になって、天井を見上げたままテティスにたずねる。
「……分かってるのか? 普通の生き方は出来なくなるんだぞ?」
『シンフォニア』の真下にはネレイドの海が広がっている。テティスの同族たちが平和に暮らす惑星。たとえ知人が誰もいなくなったとしても、死ぬまでスターストリームを旅するよりずっと良いのではないか。
「あたし、もうネレイドの戸籍上は故人なんだよ? あそこでのあたしの人生は、もう終わったことになってるの」
テティスはミニチュアサイズのチェアから立ち上がると、背中に生えた翼を広げた。
「だからここからはボーナスステージってわけ!
あたしの残りの人生で、ネレイド人の誰よりも遠くに行って、誰よりも長く生きる!
誰も見たことのないものを見に行く、この船に乗ってね!!」
小さな同乗者の顔に、恐れや緊張は浮かんでいない。レギナは嘘や強がりを見つけられなかった。
「それにね」
ドローンの上にしゃがみこんで、テティスはレギナの顔を見下ろした。妖精の蒼い瞳は優しく透き通っていた。
「ずっと二人っきりってのは不健全よ。人って三人いると喧嘩を始めるって言うけど、あたしたち、良い喧嘩友達になれそうじゃない?」
「……」
レギナは無言だったが、テティスが何を言おうとしているのか、そして彼女とシンガーの間でどんなやり取りがあったか正確に理解していた。
この船にはクルーが必要なのだ。
そしてレギナは、ただ見捨てられるばかりの皇女ではないのだ、と。
「シンガー……お前はいつも、大事なことを私抜きに決めてしまうな」
『すまない、レギナ』
機械で合成された声に、生身の頃の彼の声音が少しだけ滲んでいるような気がした。
レギナは小さく鼻を鳴らし「好きにしろ」と言った。
そしておもむろに立ち上がり、プールに向かって頭から飛び込んだ。
水飛沫が舞い散り、温水の感触が身体を包む。レギナは深く息を吸い込んで水を掻いた。今は何も考える気にならなかったし、どこから考えをまとめていけば良いのか分からなかった。
船長になってから初めてのことだった。
仲間が増えるという経験は。
☆☆☆
惑星ネレイドの軌道から離脱した『シンフォニア』は、星系外に向けてメインスラスターを点火させた。
進路、スターストリーム。
光よりも早く流れる宇宙の潮流。
まだ見ぬ時代、まだ見ぬ世界へと運んでいく時の川を目指して、皇女と妖精を乗せた船は舵を切った。
目の前にはプール、そして壁一面に惑星ネレイドの蒼い星影が浮かんでいる。綺麗な星だと思った。ひとつの惑星にこれだけ近寄るのは200年ぶりのことだ。
「いやー、まさか自分のお墓を見物するなんて思わなかったわ。たまったもんじゃないわよ」
レギナは隣に置いたテーブルからアイスティーの入ったグラスを取り上げ、ストローに口をつけた。船内農園で育てた有機茶葉にブルーマロウやサフラワーを加えた、華やかで優雅なオリジナルブレンドの一杯。
だが味がしない。
「4つ下の妹に娘がいて、その娘にさらに赤ちゃんがいるんだもん。身体はうら若い乙女だっていうのに、事実上35歳の超お婆ちゃんよ!」
「なあ」
「あんたはもう500歳越えだから気にならないだろうけど、35よ、35! いやぁ、参るわ、ほんと!」
「おい」
「もしかしたら塩漬けしてた株が値上がりしてるかな~、とか思ったんだけど、とっくに口座まで凍結されてたし! 政府とかお役所に相談しても前例がないって言い張るんだもん。ちょっとは融通利かせてくれたって」
「テティス!!」
レギナはばね仕掛けの玩具のように勢いよく起き上がった。
チェアの隣に清掃ドローンが佇んでいる。そのうえに、ネレイド人サイズのプールサイド・チェアがちょこんと置かれている。
テティスがサングラスを外して「なに?」と言った。
「なんでここにいる? 降りたんじゃなかったのか?」
「降りたわよ。で、色々身辺整理を済ませてきたってわけ」
「はぁ!? 聞いてないぞ、おいシンガー! なんで乗せた!?」
『乗船希望を受理した』
「勝手に受理するな! 許可もするな! 私の意見を尊重しろ!!」
『新たな船員を迎え入れるにあたっての制度設計を行っていない。従って、乗船に際して船長の許可も必要無いものと解釈した』
「ぁん……っ?!」
レギナは、開いた口が塞がらなくなった。
「だってさ、レギナ!」
テティスが顔いっぱいに笑みを浮かべて言った。レギナは力なくチェアの上に倒れ込んだ。
「こ、この小うるさいチビを連れて航海だと……!?」
「チビ言うな。二度とワインセラーに入れなくするわよ?」
脅しではない。テティスのハッキング技術を考えれば簡単なことだろう。シンガーまで敵に回る可能性もある。
「最悪過ぎるっ……!」
ひとしきり銀色の髪を掻き毟ってから、ぴたりと動きを止めた。真面目な表情になって、天井を見上げたままテティスにたずねる。
「……分かってるのか? 普通の生き方は出来なくなるんだぞ?」
『シンフォニア』の真下にはネレイドの海が広がっている。テティスの同族たちが平和に暮らす惑星。たとえ知人が誰もいなくなったとしても、死ぬまでスターストリームを旅するよりずっと良いのではないか。
「あたし、もうネレイドの戸籍上は故人なんだよ? あそこでのあたしの人生は、もう終わったことになってるの」
テティスはミニチュアサイズのチェアから立ち上がると、背中に生えた翼を広げた。
「だからここからはボーナスステージってわけ!
あたしの残りの人生で、ネレイド人の誰よりも遠くに行って、誰よりも長く生きる!
誰も見たことのないものを見に行く、この船に乗ってね!!」
小さな同乗者の顔に、恐れや緊張は浮かんでいない。レギナは嘘や強がりを見つけられなかった。
「それにね」
ドローンの上にしゃがみこんで、テティスはレギナの顔を見下ろした。妖精の蒼い瞳は優しく透き通っていた。
「ずっと二人っきりってのは不健全よ。人って三人いると喧嘩を始めるって言うけど、あたしたち、良い喧嘩友達になれそうじゃない?」
「……」
レギナは無言だったが、テティスが何を言おうとしているのか、そして彼女とシンガーの間でどんなやり取りがあったか正確に理解していた。
この船にはクルーが必要なのだ。
そしてレギナは、ただ見捨てられるばかりの皇女ではないのだ、と。
「シンガー……お前はいつも、大事なことを私抜きに決めてしまうな」
『すまない、レギナ』
機械で合成された声に、生身の頃の彼の声音が少しだけ滲んでいるような気がした。
レギナは小さく鼻を鳴らし「好きにしろ」と言った。
そしておもむろに立ち上がり、プールに向かって頭から飛び込んだ。
水飛沫が舞い散り、温水の感触が身体を包む。レギナは深く息を吸い込んで水を掻いた。今は何も考える気にならなかったし、どこから考えをまとめていけば良いのか分からなかった。
船長になってから初めてのことだった。
仲間が増えるという経験は。
☆☆☆
惑星ネレイドの軌道から離脱した『シンフォニア』は、星系外に向けてメインスラスターを点火させた。
進路、スターストリーム。
光よりも早く流れる宇宙の潮流。
まだ見ぬ時代、まだ見ぬ世界へと運んでいく時の川を目指して、皇女と妖精を乗せた船は舵を切った。

