スターストリーム・シンフォニー!!

「……それが、貴方たちの見た恐怖だったのね」

 重力センサーが警報を鳴らし続けている。

 テティスの意識は『シンフォニア』の電脳上にあった。

 いまや全ての機能は彼女の手のなかにあった。思考すれば舵が動き、砲門が開き、エンジンが鳴り響く。目は星々の輝く天空を映し出し、肌には電子の閃光を感じる。耳は重力の渦の轟きを聞き、舌には鉄錆の味が乗っている。

 全ての感覚が、船そのものと完全に一体化していた。

 テティスはこれまで、小さな身体であまりに大きな世界と対峙し続けてきた。観測船のクルーとして宇宙に出た時、そのあまりの広大さに圧倒されたことを憶えている。しかし、戦艦のセンサーが反映する宇宙の真の姿は、生身のまま感じた世界を何倍も濃密にしたものだった。

 レギナとシンガーは、この果てしない虚空のなかを生き延びてきた。

 生身の身体と機械の身体に分かたれたまま、自分たちに向かって伸ばされる無数の怨嗟の腕を過去に置き去りにして、時の川を駆け続ける。

 故郷を失い、たどり着く場所はあるのか分からず、常に命の危険に晒されながら進み続ける人生。心の底から安心できる日など無かったことだろう。

 テティスは視界を上に向けた。海賊船団はブラックホールに蓋をするような形で展開して『シンフォニア』の逃げ道を潰そうとしている。コロッサルは獲物を絡めとったと思っているのだろう。

 だが、テティスはもう彼に対する恐怖を忘れていた。

 自分が見てきたもの、レギナとシンガーが見てきたもの。

 それに比べれば、あの男が一体何を知っているというのか。

『敵船団、本船を包囲しつつあり。しかしこれは好機でもある』

 ブリッジに彼我の位置関係を現した作戦図が表示される。シンガーの言う通り、『シンフォニア』は敵に押し込まれるように船尾を下にしてブラックホールに沈降しつつある。

「どうするつもり?」
『本船の最終兵器を使用する。ただし、使用後は完全に無防備になる。一撃で全ての敵を撃破しなければならない』
「最終兵器……」

 テティスが兵器の隠された格納庫を意識すると、その情報が頭のなかに流れこんできた。

 その恐るべき性能にテティスは戦慄する。『シンフォニア』は500年以上も前に建造された船だ。しかし帝国の崩壊によって最盛期の技術は散逸し、いまだ再現されていないものも多くある。

 これは、その忘れ去られた技術のひとつだ。

 だからこそコロッサルも呑気に包囲陣を形成している。もし知っていれば全力で破壊しにきただろう。

『最適な位置はシュバルツシルト半径付近となる。一般相対性理論により通常宙域との時間差が生じる』
「……どれくらい?」
『1秒につき40時間』

 1分間『ブリアレオス』のシュバルツシルト半径付近にいれば、通常空間では100日が経過する。

 5分ならば500日、10分ならば1000日。

「めちゃくちゃ怖いわね」

 ネレイド人の寿命は平均で30年。

 もしこの場を斬り抜けられたとしても、スターストリームを通って惑星ネレイドに着くころには、自分を知ってくれている人は誰もいなくなっているだろう。

「それでも、やるわ」

 テティスの決意は変わらなかった。

『時間は戻せない』

 他に手は無い。お互いにそんなことは分かり切っていた。それでもあえて言ってくれたのは、覚悟を決めさせるためのシンガーなりの気遣いなのだろう。

「分かってるわよ。でも、死んじゃったら前に進むことだってできない。だから貴方も、レギナに生きろって言ったんでしょ?」
『……』

 テティスは兵器庫の扉を開いた。

 メインスラスターと生命維持装置を除いた、全てのエネルギー回路が一ヶ所に集中する。

『シンフォニア』の両舷から巨大なポール状の構造体が展開した。そして、ポールから無数のフィン状のパーツが次々と起き上がっていく。メインエンジンから供給される膨大なエネルギーが、眠っていた禁断の兵器を覚醒させていく。

『ディメンション・ブレイカー、出力60パーセントに到達。発射可能まで残り12秒』

 テティスは手のなかに、小さな竪琴のような物が収まっていることに気づいた。それは楽器などではない。一度弦を鳴らせば、宇宙空間に空間震を引き起こす超兵器だ。

 背中がブラックホールに引き寄せられる。頭のなかにある時計が壊れたように針を回している。重力の渦の淵に近づくにつれて針の動きは早まり、通常空間での一日々々が零れ落ちていく。

 それは、本当なら友人たちと他愛もない話をしながら過ごす日だった。仕事の愚痴を言い合ったり、些細な楽しみを共有する日だった。

 あり合わせの食材で簡単な夕食を作ったり、奮発して買った高い酒をちびちびと飲む夜だった。

 海を渡る風を指で梳き、星座の入れ替わりを目で追いかける。そんな何でもないことに人生を費やす。それがテティスにとっての普通の生き方だった。

「でも、あんたはそれをぶっ壊すんでしょ」

 目の前の敵を見据えてテティスは呟いた。

 自分が生きるはずだった「普通」は、他の誰かが楽しんでくれたら良い。

『出力80パーセント。発射可能』

 テティスは竪琴の弦を鳴らした。

『シンフォニア』が展開した構造体から、前方に向けて放射状に光る弦のようなものが現れた。弦は渦状に広がり、その範囲内にコロッサルたちを取り込んでいく。

 そして、広がるところまで広がってから、一瞬だけ万華鏡のように燦然と輝く鏡を出現させた。

 海賊たちは鏡の平面の中に囚われていた。

 しかし、その鏡を維持できるのはほんの1秒にも満たない。見えない拳が叩きつけられたかのように鏡が割れ、取り込まれた海賊船団も鏡の破片に囚われたまま四散していく。

 砕かれた鏡は、そこにあった宇宙空間そのものだ。

 コロッサルや海賊たちの認識では、自分たちが死んだ瞬間に何が起きたか認知できなかっただろう。そもそも彼らが巻き込まれた事象に「死」というものがあったかすら分からない。

 生きることも死ぬことも宇宙のなかで起きることだ。

 それゆえに、宇宙ではない(・・・・)場所で人がどのように死ぬのかは観測できない。

 もしも肉体が別々の破片によって分断されていたなら、肉体のそれぞれの部分は、分かたれた鏡のなかで永遠に生き続けているかもしれない。

 テティスは呆然とその光景を見つめていた。自分が見ているものが、そして引き起こしたことが、本当に現実のことなのか分からなかった。

『前方に時空震の発生を観測。全戦闘システム強制終了、離脱を開始する』

 テティスの意識が現実空間に引き戻された。身体がブリッジのなかを漂っている。人工重力が停止しているのだ。非常灯の光だけが降り注いでいる。その赤い輝きのなかで、時計が凄まじい勢いで回転していた。

『シンフォニア』のブリッジに、被弾した時以上の衝撃が襲い掛かった。どこかで装甲に亀裂の走るけたたましい音が響いた。だがテティスには、それさえも現実味のない出来事に思えた。身体に力が入らず、無重力のなかを無気力に漂っている。

 そんな彼女の身体を、真下から伸びてきた手が無造作に握り締めた。

「ぐぇっ!!」
「呆けてる場合か!」

 頭から血を流したレギナが、出血も気にせずテティスの身体を捕まえていた。

 一度天井まで流れてから、姿勢を入れ替え操縦席に向かって飛ぶ。

「ちょっ、潰れる潰れる! 痛い痛い痛い!!」
「ええいっ、うるさいな! ここに入ってろ!」
「むぎゅぃ……!」

 テティスの身体を強引にコートのポケットに押し込んでから、レギナは操縦桿を掴んだ。血で糊付けされた前髪を鬱陶しげに払いのける。

「シンガー、待たせた!」
『こちらも、待っていた』
「みたいだな……すまない、一気に脱出するぞ! デフレクターとスラスターに全出力を集中!」
『了解した』

 主を取り戻した『シンフォニア』は、船尾から箒星のように光の尾を伸ばした。重力の渦の淵を蹴りつけ、自ら引き起こした時空の歪みを飛び越えていく。

 酸欠になりかけながらポケットから顔を出したテティスは、時計の針の異常な速さが徐々に落ち着ていくのを見た。

「心配するな」

 レギナがポケットを軽く叩いた。

 ブラックホールと、切り取られた時空を後に残して、『シンフォニア』は星々の海原に帰還した。