スターストリーム・シンフォニー!!

 テティスの目の前に、可憐なドレスを纏った少女が座っていた。

 長い銀色の髪がうつむいた顔を覆い隠している。前髪の下の赤い瞳は悲壮な色を湛えていた。年の頃は15歳か、16歳か、いずれにせよ大人とは到底言えない年齢だ。

 だが顔には幼さは微塵も無く、むしろ年齢不相応の知性と忍耐と、そして諦観が滲んでいた。

 テティスは自分の目線が、本来ではありえないほど高い位置にあることに気づいた。通常の人類と同じか、平均よりやや高いくらいの視点である。

 二人は豪奢な内装の施された車内にいるが、リラックスした雰囲気は微塵もない。むしろ刺すような切迫感に満ちている。

 窓の外は夜で、銀色の月が辺りを照らしている。どうやら森のなかを走行しているようだが、速度は異常に速い。月明かりを美しいと思う余裕も無い。むしろ、その光を恐れるかのように車はエンジンを唸らせている。

 二人の乗る車の背後には、別のリムジンが車列を作っている。いずれも重厚な外見の車だが、ライトの光量は最低限に絞っていた。

「もうじき合流ポイントです。ご安心ください、『シンフォニア』に乗艦さえすれば首都星系の離脱も容易です。反乱鎮圧のために各州の艦隊も集結中とのこと、それが成れば」
「無駄よ、シンガー大尉」

 少女が小さな、しかし威厳の籠った声で言った。

「彼らはすでに反乱軍と内通しているわ。それか、次の指導者は誰かを決めるために、提督同士での権力闘争が始まっているはずよ。貴方も分かっているでしょう?」

 赤い瞳がテティスを、いや、シンガーを見つめ返した。

 彼はしばし無言のままだった。それがそのまま答えになっている。

 少女……レギナは溜息をついて、頭についていたティアラを座席に放り投げた。

「あの船に乗り込んだとしても、私たちはひたすら逃げ続けるしかない。滅びゆく銀河帝国のどこにも、逃げ場所なんて無いと知りながらね」
「……しかし、殿下は生きなければなりません」
「私はどうでも良いわ。でも、幼いあの子たちまで巻き添えにするわけにはいかない……ふふっ、『シンフォニア』には図書室も劇場もあるのでしょう? ついでにプールやグラウンドでも作らせましょうか? どうせお父様やお母様のためのスペースはいらないんですもの。その方が」

 レギナがシニカルな笑みを浮かべたその時、遮光ガラスを突き抜けるほどの光が空から照射された。

 数機の武装ヘリが、車列に覆い被さるように飛行していた。

 機体下部のレーザー機銃がレギナたちに向けられた時、テティスの視界がノイズに覆われた。

 霧が晴れた時、テティスの視界にはコンクリートの地面が映った。

 片手にレギナの手を引き、もう片方の手には銃を握っている。その銃を握った方の腕は、肩から血が溢れていた。

 失血で息が上がっている。それでもシンガーは驚異的な体力で走り続けていた。

 二人の目指す先には、月の光を跳ね返す純白の船がひっそりと佇んでいる。

「殿下、起動コードを!」
「っ、動きなさい『シンフォニア』!!」

 レギナが叫ぶと同時に、眠っていた船に明かりが灯った。宇宙船の巨大なエンジンが地面を轟かせる。本能的に恐怖を覚えるほどの地響きだが、レギナの目にわずかばかりの光が戻った。

 彼女は振り返り、追いかけてきている少年や少女に呼びかけた。

「みんな、あと少しよ!! 船に乗りさえすれば」

 テティスの、シンガーの目には、背後の子供たちの表情がはっきりと見えていた。それはほんの一瞬のことだった。恐怖と希望、生きようとする意思がないまぜになった必死な顔。彼らは純粋にレギナの言葉を信じていた。唸り声をあげる宇宙船に手を伸ばし、そこに逃げ込もうとしていた。

 そのいくつもの小さな手が、雨のように降り注いだレーザーで千切れ飛ぶところまで、テティスは見てしまった。

「殿下っ!!」

 シンガーが、反射的に引き返そうとしたレギナを引き留めた。

「放して……放しなさいっ、シンガー!! 命令よ、私を放しなさい!!」
「なりません!!」

 なおもレギナは暴れようとしたが、自分を力の限り抱きしめている腕が血に塗れていることに気づいて、息を呑んだ。

 幼い弟妹たちを撃ち殺したヘリが二人にサーチライトを投げかける。獲物に対して舌なめずりするように銃口を向けた。

 だが、起動した戦艦を前に、それはあまりに無防備な行為だった。

 レギナが怒りのままに叫んだ瞬間、再び場面が切り替わった。

「……そう、誰もいないのね」

 がらんとした無機質なブリッジで、レギナはぽつりと呟いた。

 起動した『シンフォニア』は、自分たちの頭上に敵戦力が集中しつつあることを告げていた。軌道上にまで戦艦が集まり脱出を妨げようとしている。

 その状況を打破しようと奮闘するクルーはひとりもいない。

 船には誰も乗っていなかった。

 レギナと、傷ついたシンガーの他には。

「無能で傲慢な皇帝と、強欲なお妃。富と権力の蒐集(しゅうしゅう)に余念のない王侯貴族。臣民に見放されるのは当然かもしれないけれど……いざ当事者になると、さすがに虚無感を覚えるわね」

 レギナは自嘲した。

 皇女の自覚を持つ者として人一倍努力してきたつもりだが、さすがに宇宙戦艦の操縦をひとりでやるのは荷が勝ちすぎている。

「ごめんなさい、シンガー大尉。どうやらここまでのようだわ」

 レギナは船長席に座らせたシンガーを見やって言った。最後の最後までついてきてくれた忠臣は、いまや血に塗れて呼吸を止めようとしている。彼の忠誠に報いる術がなにひとつないことを、レギナは心の底から悔いているようだった。

 それでも生身のまま捕らえられるわけにはいかない。

「銃を借りるわ。さすがに甘んじて辱めを受ける気は無い。銀河帝国の血統はここでお終いよ」

 レギナがほっそりとした白い手を銃に伸ばした。

 だが、シンガーの手がその上に重ねられた。

「まだ……です」
「もう終わりよ、何もかも」
「歴史に、終わりはありません。宇宙の果てに人がたどり着けないように……しかし、歴史のどこかで、戦争も革命も無い時代が……王族も貧民も無い、身分も、迫害も無い、世界が……」
「そんな」

 きっとレギナは、「そんな世界は無い」と言おうとしたのではないか。

 テティスはそう思った。

 だがレギナは言わなかった。死にゆくシンガーの前で、強い意志を秘めた赤い瞳に涙を滲ませ、そして少しだけ微笑んで見せた。

「……あったら良いわね」

 恐らくはそれが、孤独な皇女を星の潮流のなかに閉じ込める、愛に溢れた呪いの始まりだったのだろう。

「だから、俺が連れて行きます」

 シンガーは最後の力を振り絞り、自分の血塗れの指を首筋に触れさせた。そこには脳神経系に直通するインプラント端末が存在する。

 銀河帝国の近衛騎士、そのなかでもごく一握りの人間にのみ使用が許されている。機能は肉体や感覚器官の能力拡張、電脳空間との自由接続、そして機密保持のための自己破壊及び意識データの転送。

 すなわち肉体の死と引き換えに意識を電脳空間に保存する技術。

 そして騎士は、皇女を乗せる船に生まれ変わった。