ブリッジを絡めとっていた触腕が力を強めた。
警報が鳴り響き、無数のウィンドウがレギナを取り囲む。彼女はそれを腕の一振りで払い落すと、軽く銀色の髪を梳いて首の後ろに流した。
「シンガー、いい加減にこの鬱陶しいやつを追っ払えないのか?」
『善処している』
「チッ、仕方ない。おいテティス!」
レギナが振り返り、清掃ドローンにへばりついているテティスに視線を向けた。
「な、なによ!」
「アシストしろ! 操作権限を半分くれてやる!」
「あたしに!?」
「お前以外に誰がいる。勝手に電脳内をうろついていたのは知ってるんだぞ」
「げっ、バレてたか」
「火器管制を担当しろ。敵の座標を観測して弾道を計算すれば良い。トリガーは私が引く」
「……」
テティスは唾を飲み込んだ。
ネレイド人は争いを避けるため辺境の惑星に閉じ籠った。母星に戦闘艦は一隻も無い。当然テティスも兵器と言われる物に触れたことはない。
ブリッジを襲う揺れが強まる。左舷方向にブラックホール『ブリアレオス』の巨大な暗黒が口を開いている。超重力の渦に抗いながら、船はその上空を横切ろうとしていた。
後続の海賊船は追撃の手を緩めず、むしろ一層激しく砲撃を加えてくる。船尾のデフレクターがレーザーを弾いているが、その防壁も限界に近づきつつあった。
(でも、怖くない)
ブラックホールも砲撃も、仲間たちが味わった地獄に比べれば、恐怖という言葉にすら値しない。
そしてあの連中を放置すれば、母星の仲間だけでない、宇宙社会の多くの人間に危機をもたらす。それは自分が死ぬより恐ろしい未来だ。
テティスは、穏やかで争いを好まないネレイド人にそぐわない、気の強い性格の持ち主だった。
「……やるわ!」
「やってみせろ!」
レギナの声に背中を押されるように、テティスは意識を『シンフォニア』の電脳空間に潜航させた。
電脳内では、そこかしこから生え出た触手を相手にチェスの駒のようなガードプログラムが応戦していた。船室の扉や窓を突き破ってくる触腕に対して、ナイトの駒が手に持った剣を振りかざす。一方で、ルークの駒が腕に巻き付かれ壁に叩きつけられた。
火器管制システムを目指すテティスにも触腕が伸びてきたが、ポーンたちが寄り集まって魔手を阻んだ。
『テティス、本船システムへの接続を歓迎する。火器管制システムの使用を許可、敵艦隊迎撃に当たられたし』
「ありがと、シンガー!」
シンガーが開いた電脳に飛び込む。大砲の並ぶガンデッキに降り立ったテティスは即座にセンサーの観測データを各兵装に接続させた。レギナとのやり取りからここに至るまで、現実世界ではわずか0.01秒も経っていない。
現在『シンフォニア』はブラックホールを左舷方向に見ながら航行している。追撃する海賊艦隊は右方向に斜めに広がり、『シンフォニア』をブラックホールに追い込もうとしていた。
「接続完了、レギナ! どれを狙えばいいの?!」
『敵旗艦、一番デカいやつ。親玉を仕留めればこっちの勝ちだ。最低限、脚を止めればその隙に離脱できる』
電脳の外から落ち着いた声が返ってきた。
「了解!」
テティスはセンサーをフル稼働させ、敵船団のなかで一番大きい船に狙いを定める。サイズは『シンフォニア』より上だが、その分放出するエネルギー量が多いため簡単に捕捉できた。
光学カメラが船影を映し出す。ブラックホールの影響で映像はぼやけているが、ごつごつとした赤紫色の船体は確かにコロッサルの船だ。
あの船に襲われた日、テティスと仲間たちは観測船に乗ってネレイドの防衛システムの点検を行っていた。そこにあの威圧的な船が迫ってきたのだ。その時の恐怖を少しだけ思い出した。
だがそれ以上の怒りがテティスを突き動かした。
敵の座標データを入力。連動して、『シンフォニア』の両舷に取り付けられた旋回砲塔が敵船に向けられる。レーザー発射のためのエネルギーが自動でチャージされる。
「敵の親玉、ロックしたわ!!」
『よし……喰らえッ!!』
テティスからパスされたデータを元に、レギナは迷いなくトリガーを引いた。
『シンフォニア』の主砲から強力なレーザー砲撃が発射される。半端な船のデフレクターなど簡単に貫通できるほどの超高出力射撃。
それは、海賊船の遥か手前で、湿気たパスタのようにくにゃりと曲がって、宇宙のどこかに飛び去ってしまった。
「あれぇ???」
やってやるぞと決め込んでいただけに、テティスも拍子抜けした。
『このバカ!! ブラックホールが見えてないのか?!』
「あーッ!! またバカって言った、こいつーッ!!」
『やかましい、バカはバカだ! 超重力源の近くなんだぞ、光も曲がるしレーザーも曲がる! ニュートン力学からやり直せ!!』
「キーッ!!」
現実のブリッジと電脳の両方に巨大烏賊の笑い声が響き渡った。
『いやはやお粗末ですねぇ』
『煽ってんじゃねえぞタコ!』
『レギナ、敵は烏賊だ』
「なんだっていいでしょ! 次はちゃんと当てるんだから!」
電脳内にいるにも関わらずテティスは顔が熱くなるのを感じた。それを振り払うように再度敵の座標を入力する。もちろん、ブラックホールによる重力の影響も忘れずに演算した。
「今度こそ……!」
『当たってくれよ!』
リチャージの済んだ砲塔から二発目の砲撃が放たれた。
光線は『ブリアレオス』の重力の影響で、野球の変化球のように曲がってコロッサルの船に吸い込まれていく。
無論、易々と喰らうほど不用心ではない。海賊船のサイドスラスターが噴射され弾道から逃れようとする。同時にデフレクターを全力で展開させて防御態勢をとった。
結果、直撃はしなかった。
だがデフレクターを貫通したレーザーが敵船右舷を焼き焦がした。装甲や武装の一部が削ぎ落とされる。数十万キロ彼方の出来事のため音など当然聞こえないが、テティスは船体が破壊される轟音を確かに聞き取った。
「……当たった!」
『当てるために撃ったんだ、当然だろ』
レギナは冷静だった。
『大変なのはここからだ、来るぞ!』
「来るって何っ……きゃぁ!」
電脳との接続が途切れた。船を襲った激しい震動のために、意識が身体の方に引き戻された。
清掃ドローンから振り落とされないよう掴まっているだけで精一杯だった。
後方の敵船団からの砲撃が苛烈さを増していた。強引に速度を上げて『シンフォニア』に追いつこうとしている船もある。近づけば近づくほど砲撃の命中率は上がるからだ。
「な、なんで元気になってんの?!」
「そういうものさ。顔面ぶっ叩かれて怒り狂ってるんだよ」
いつの間にかブリッジから巨大烏賊の姿が消えていた。
もちろん電子攻撃が止んだわけではない。むしろ先ほど以上に苛烈になっており、シンガーはそちらの対処に手一杯になっている。
だがレギナはリラックスしていた。襟首に指をかけて小さく息を吐き、テティスに笑いかける。
「分かりやすい奴だと思わないか? いざ自分が撃たれたらこれだ。胆が小さい証拠だな」
レギナはコロッサスを批評しながらも、操船には全く手を抜いていない。敵の攻撃コースを読み切って最小限の動きで回避し続けている。ブラックホールの荒波すら利用して、スラスターを使わずに慣性飛行と重力だけで飛行する芸当までやって見せた。敵からすれば『シンフォニア』の動きが読みづらく、ただでさえ当てにくい砲撃がさらに難しくなる。
「あんた、ほんと落ち着いてるわね……怖くないの?」
『シンフォニア』の装甲が引き裂かれれば、外との気圧差で一気に船外に吸い出されてしまう。恐らく瞬間的に凍死するだろう。
ぞっとしない死に方だ。だがレギナがどう返すか、何となくテティスには分かっていた。
「これくらいでいちいち怖がっていられるか」
可愛げが無い女、とテティスは言おうとした。
だが「怖い」という言葉を口にした時、一瞬だけレギナの表情が見たことのないものに変わった。
落ち着いている。冷静な表情だ。だが戦闘に臨んでいる時のそれとは少し違うニュアンスが滲んでいる。
レギナは知っているのだ。本当に恐ろしいものが何であるのか。
そして、それを目にしたことがあるのだとテティスには分かった。何故なら彼女自身、砲撃よりもブラックホールよりも、人間の悪意の方がずっと恐ろしいことを身に染みて分かっているから。
テティスの思考を切り裂くように、ブリッジに接近警報が鳴り響いた。
「っ、レギナ! 敵が近づいてきてる!」
「体当たりでも命じられたのか? 不憫だな」
フォルネウス級巡洋艦が1隻、機関出力を最大異常に引き上げて猛追していた。『シンフォニア』のセンサーは敵船のエンジンが異常発熱していると報告してきている。
予想進路は『シンフォニア』のコースと重なっている。明らかに衝突狙いだ。
そのさらに後ろからは、敵船団が依然としてレーザーを乱射している。味方の船をかすめようとまるで頓着しない。
そして突撃してくる船もまた、『シンフォニア』を道連れにすることに恐怖を抱いていないかのようだった。
ブリッジの背面に巡洋艦の影が覆い被さる。敵船の船窓まで見えそうなほどの距離だ。
「ぶつかる!」
「無駄」
レギナは冷酷なほどの冷静さで舵を切った。『シンフォニア』を上昇させ、衝突寸前であっさりと交差軌道から離れる。突撃してきたフォルネウス級はオーバーヒートのため船体各所から火を噴きながら、それでも何とか食いつこうと一瞬船首を上げたが、『シンフォニア』には手が届かない。
完全に回避したと、レギナもテティスも思っていた。
だがコロッサルの真の狙いは二人の想像を超えていた。
交差したフォルネウスに海賊の旗艦から放たれたレーザーが吸い込まれた。
「えっ!?」
「そこまでやるか!」
レギナは『シンフォニア』を急上昇させる。しかし、船の真下で発生した巨大な火球によって船体が大きく揺さぶられた。コロッサルは部下の船を丸ごとひとつの爆弾に見立てて使ったのだ。
「テティス、デフレクターを!」
「やってる!」
言い返した通り、テティスは咄嗟に『シンフォニア』のデフレクターを最大出力で起動させていた。特に船体下部を重点的に守るように展開している。
だが、防御態勢が完全に整う前に、吹き飛んできた船体の一部が『シンフォニア』に突き刺さった。
今まで感じたことのない衝撃がブリッジを襲った。テティスの小さな口から、自分でも信じられないほどの悲鳴が溢れ出したが、それさえ船体の軋む音に掻き消されてしまう。
床に踏ん張っていた清掃ドローンがバランスを崩した。テティスの身体は宙に放り出された。
「テティス!!」
何も聞こえないほどの轟音のなか、自分を呼ぶ声だけがはっきりと聞こえた。
レギナが操縦席から飛び出し、空中でテティスの小さな身体を抱き止めた。
そして、そのまま床に叩きつけられる。背中から激しく打ち付けられ、それを境にレギナの意識が途絶えた。
「……レギナ、レギナ!?」
テティスは女海賊の腕のなかから何とか這い出し、彼女の身体を揺さぶった。だが額から血が溢れていることに気づき、その手も止まった。
レギナの口からは苦しげな吐息が漏れ出ている。息があることに一旦は安堵したが、『シンフォニア』を動かす者がいないことに気づいて愕然となった。
「そんな……」
『テティス、聞こえるか?』
シンガーの電子音が響き、テティスは弾かれたように顔を上げた。
「シンガー! レギナの意識が無いの!」
『把握している。しかし、本船の高度が下がっている。現在『ブリアレオス』に向け降下中。すぐにでも立て直す必要がある。レギナの治療は、現状を斬り抜けてからでなければ対応できない』
「じゃあ貴方がどうにかしてよ!」
『電子攻撃が継続している。幸い、敵旗艦の破損によって攻撃の出力は落ちつつあるが、操船にリソースを避ける状態ではない。遺憾だが、自分は無力である』
人工知能であるはずのシンガーの口調に、奇妙なほどの人間臭さが滲んでいた。
(いや、違う)
機械は悔しさなど抱かない。銀河のあらゆる人類種族よりも情報工学に通じているネレイド人ゆえに、テティスはシンガーという人工知能の持つ違和感に気づいていた。
「……シンガー、あたししかいないのね?」
『生身の人間は、君だけだ』
「じゃあこの船の全権限をちょうだい。あたしに出来るかどうかは分からないけど……」
テティスは床に横たわったレギナを見やる。
不思議な女だと思った。人々と同じ時間を生きることを厭うくせに、自分のような亜人類を守ろうと飛び出してきた。戦いに恐怖を覚えないくせに、より大きな恐怖を知った者の顔をしていた。
あんたは、なんなの?
それを直接聞いてみたいと思った。
「やってみるわ」
了解した、とシンガーが返した。
テティスは意識を電脳空間に向けた。
0.000001秒のうちに、あらゆるデータと記憶が妖精の頭に流れこんできた。
警報が鳴り響き、無数のウィンドウがレギナを取り囲む。彼女はそれを腕の一振りで払い落すと、軽く銀色の髪を梳いて首の後ろに流した。
「シンガー、いい加減にこの鬱陶しいやつを追っ払えないのか?」
『善処している』
「チッ、仕方ない。おいテティス!」
レギナが振り返り、清掃ドローンにへばりついているテティスに視線を向けた。
「な、なによ!」
「アシストしろ! 操作権限を半分くれてやる!」
「あたしに!?」
「お前以外に誰がいる。勝手に電脳内をうろついていたのは知ってるんだぞ」
「げっ、バレてたか」
「火器管制を担当しろ。敵の座標を観測して弾道を計算すれば良い。トリガーは私が引く」
「……」
テティスは唾を飲み込んだ。
ネレイド人は争いを避けるため辺境の惑星に閉じ籠った。母星に戦闘艦は一隻も無い。当然テティスも兵器と言われる物に触れたことはない。
ブリッジを襲う揺れが強まる。左舷方向にブラックホール『ブリアレオス』の巨大な暗黒が口を開いている。超重力の渦に抗いながら、船はその上空を横切ろうとしていた。
後続の海賊船は追撃の手を緩めず、むしろ一層激しく砲撃を加えてくる。船尾のデフレクターがレーザーを弾いているが、その防壁も限界に近づきつつあった。
(でも、怖くない)
ブラックホールも砲撃も、仲間たちが味わった地獄に比べれば、恐怖という言葉にすら値しない。
そしてあの連中を放置すれば、母星の仲間だけでない、宇宙社会の多くの人間に危機をもたらす。それは自分が死ぬより恐ろしい未来だ。
テティスは、穏やかで争いを好まないネレイド人にそぐわない、気の強い性格の持ち主だった。
「……やるわ!」
「やってみせろ!」
レギナの声に背中を押されるように、テティスは意識を『シンフォニア』の電脳空間に潜航させた。
電脳内では、そこかしこから生え出た触手を相手にチェスの駒のようなガードプログラムが応戦していた。船室の扉や窓を突き破ってくる触腕に対して、ナイトの駒が手に持った剣を振りかざす。一方で、ルークの駒が腕に巻き付かれ壁に叩きつけられた。
火器管制システムを目指すテティスにも触腕が伸びてきたが、ポーンたちが寄り集まって魔手を阻んだ。
『テティス、本船システムへの接続を歓迎する。火器管制システムの使用を許可、敵艦隊迎撃に当たられたし』
「ありがと、シンガー!」
シンガーが開いた電脳に飛び込む。大砲の並ぶガンデッキに降り立ったテティスは即座にセンサーの観測データを各兵装に接続させた。レギナとのやり取りからここに至るまで、現実世界ではわずか0.01秒も経っていない。
現在『シンフォニア』はブラックホールを左舷方向に見ながら航行している。追撃する海賊艦隊は右方向に斜めに広がり、『シンフォニア』をブラックホールに追い込もうとしていた。
「接続完了、レギナ! どれを狙えばいいの?!」
『敵旗艦、一番デカいやつ。親玉を仕留めればこっちの勝ちだ。最低限、脚を止めればその隙に離脱できる』
電脳の外から落ち着いた声が返ってきた。
「了解!」
テティスはセンサーをフル稼働させ、敵船団のなかで一番大きい船に狙いを定める。サイズは『シンフォニア』より上だが、その分放出するエネルギー量が多いため簡単に捕捉できた。
光学カメラが船影を映し出す。ブラックホールの影響で映像はぼやけているが、ごつごつとした赤紫色の船体は確かにコロッサルの船だ。
あの船に襲われた日、テティスと仲間たちは観測船に乗ってネレイドの防衛システムの点検を行っていた。そこにあの威圧的な船が迫ってきたのだ。その時の恐怖を少しだけ思い出した。
だがそれ以上の怒りがテティスを突き動かした。
敵の座標データを入力。連動して、『シンフォニア』の両舷に取り付けられた旋回砲塔が敵船に向けられる。レーザー発射のためのエネルギーが自動でチャージされる。
「敵の親玉、ロックしたわ!!」
『よし……喰らえッ!!』
テティスからパスされたデータを元に、レギナは迷いなくトリガーを引いた。
『シンフォニア』の主砲から強力なレーザー砲撃が発射される。半端な船のデフレクターなど簡単に貫通できるほどの超高出力射撃。
それは、海賊船の遥か手前で、湿気たパスタのようにくにゃりと曲がって、宇宙のどこかに飛び去ってしまった。
「あれぇ???」
やってやるぞと決め込んでいただけに、テティスも拍子抜けした。
『このバカ!! ブラックホールが見えてないのか?!』
「あーッ!! またバカって言った、こいつーッ!!」
『やかましい、バカはバカだ! 超重力源の近くなんだぞ、光も曲がるしレーザーも曲がる! ニュートン力学からやり直せ!!』
「キーッ!!」
現実のブリッジと電脳の両方に巨大烏賊の笑い声が響き渡った。
『いやはやお粗末ですねぇ』
『煽ってんじゃねえぞタコ!』
『レギナ、敵は烏賊だ』
「なんだっていいでしょ! 次はちゃんと当てるんだから!」
電脳内にいるにも関わらずテティスは顔が熱くなるのを感じた。それを振り払うように再度敵の座標を入力する。もちろん、ブラックホールによる重力の影響も忘れずに演算した。
「今度こそ……!」
『当たってくれよ!』
リチャージの済んだ砲塔から二発目の砲撃が放たれた。
光線は『ブリアレオス』の重力の影響で、野球の変化球のように曲がってコロッサルの船に吸い込まれていく。
無論、易々と喰らうほど不用心ではない。海賊船のサイドスラスターが噴射され弾道から逃れようとする。同時にデフレクターを全力で展開させて防御態勢をとった。
結果、直撃はしなかった。
だがデフレクターを貫通したレーザーが敵船右舷を焼き焦がした。装甲や武装の一部が削ぎ落とされる。数十万キロ彼方の出来事のため音など当然聞こえないが、テティスは船体が破壊される轟音を確かに聞き取った。
「……当たった!」
『当てるために撃ったんだ、当然だろ』
レギナは冷静だった。
『大変なのはここからだ、来るぞ!』
「来るって何っ……きゃぁ!」
電脳との接続が途切れた。船を襲った激しい震動のために、意識が身体の方に引き戻された。
清掃ドローンから振り落とされないよう掴まっているだけで精一杯だった。
後方の敵船団からの砲撃が苛烈さを増していた。強引に速度を上げて『シンフォニア』に追いつこうとしている船もある。近づけば近づくほど砲撃の命中率は上がるからだ。
「な、なんで元気になってんの?!」
「そういうものさ。顔面ぶっ叩かれて怒り狂ってるんだよ」
いつの間にかブリッジから巨大烏賊の姿が消えていた。
もちろん電子攻撃が止んだわけではない。むしろ先ほど以上に苛烈になっており、シンガーはそちらの対処に手一杯になっている。
だがレギナはリラックスしていた。襟首に指をかけて小さく息を吐き、テティスに笑いかける。
「分かりやすい奴だと思わないか? いざ自分が撃たれたらこれだ。胆が小さい証拠だな」
レギナはコロッサスを批評しながらも、操船には全く手を抜いていない。敵の攻撃コースを読み切って最小限の動きで回避し続けている。ブラックホールの荒波すら利用して、スラスターを使わずに慣性飛行と重力だけで飛行する芸当までやって見せた。敵からすれば『シンフォニア』の動きが読みづらく、ただでさえ当てにくい砲撃がさらに難しくなる。
「あんた、ほんと落ち着いてるわね……怖くないの?」
『シンフォニア』の装甲が引き裂かれれば、外との気圧差で一気に船外に吸い出されてしまう。恐らく瞬間的に凍死するだろう。
ぞっとしない死に方だ。だがレギナがどう返すか、何となくテティスには分かっていた。
「これくらいでいちいち怖がっていられるか」
可愛げが無い女、とテティスは言おうとした。
だが「怖い」という言葉を口にした時、一瞬だけレギナの表情が見たことのないものに変わった。
落ち着いている。冷静な表情だ。だが戦闘に臨んでいる時のそれとは少し違うニュアンスが滲んでいる。
レギナは知っているのだ。本当に恐ろしいものが何であるのか。
そして、それを目にしたことがあるのだとテティスには分かった。何故なら彼女自身、砲撃よりもブラックホールよりも、人間の悪意の方がずっと恐ろしいことを身に染みて分かっているから。
テティスの思考を切り裂くように、ブリッジに接近警報が鳴り響いた。
「っ、レギナ! 敵が近づいてきてる!」
「体当たりでも命じられたのか? 不憫だな」
フォルネウス級巡洋艦が1隻、機関出力を最大異常に引き上げて猛追していた。『シンフォニア』のセンサーは敵船のエンジンが異常発熱していると報告してきている。
予想進路は『シンフォニア』のコースと重なっている。明らかに衝突狙いだ。
そのさらに後ろからは、敵船団が依然としてレーザーを乱射している。味方の船をかすめようとまるで頓着しない。
そして突撃してくる船もまた、『シンフォニア』を道連れにすることに恐怖を抱いていないかのようだった。
ブリッジの背面に巡洋艦の影が覆い被さる。敵船の船窓まで見えそうなほどの距離だ。
「ぶつかる!」
「無駄」
レギナは冷酷なほどの冷静さで舵を切った。『シンフォニア』を上昇させ、衝突寸前であっさりと交差軌道から離れる。突撃してきたフォルネウス級はオーバーヒートのため船体各所から火を噴きながら、それでも何とか食いつこうと一瞬船首を上げたが、『シンフォニア』には手が届かない。
完全に回避したと、レギナもテティスも思っていた。
だがコロッサルの真の狙いは二人の想像を超えていた。
交差したフォルネウスに海賊の旗艦から放たれたレーザーが吸い込まれた。
「えっ!?」
「そこまでやるか!」
レギナは『シンフォニア』を急上昇させる。しかし、船の真下で発生した巨大な火球によって船体が大きく揺さぶられた。コロッサルは部下の船を丸ごとひとつの爆弾に見立てて使ったのだ。
「テティス、デフレクターを!」
「やってる!」
言い返した通り、テティスは咄嗟に『シンフォニア』のデフレクターを最大出力で起動させていた。特に船体下部を重点的に守るように展開している。
だが、防御態勢が完全に整う前に、吹き飛んできた船体の一部が『シンフォニア』に突き刺さった。
今まで感じたことのない衝撃がブリッジを襲った。テティスの小さな口から、自分でも信じられないほどの悲鳴が溢れ出したが、それさえ船体の軋む音に掻き消されてしまう。
床に踏ん張っていた清掃ドローンがバランスを崩した。テティスの身体は宙に放り出された。
「テティス!!」
何も聞こえないほどの轟音のなか、自分を呼ぶ声だけがはっきりと聞こえた。
レギナが操縦席から飛び出し、空中でテティスの小さな身体を抱き止めた。
そして、そのまま床に叩きつけられる。背中から激しく打ち付けられ、それを境にレギナの意識が途絶えた。
「……レギナ、レギナ!?」
テティスは女海賊の腕のなかから何とか這い出し、彼女の身体を揺さぶった。だが額から血が溢れていることに気づき、その手も止まった。
レギナの口からは苦しげな吐息が漏れ出ている。息があることに一旦は安堵したが、『シンフォニア』を動かす者がいないことに気づいて愕然となった。
「そんな……」
『テティス、聞こえるか?』
シンガーの電子音が響き、テティスは弾かれたように顔を上げた。
「シンガー! レギナの意識が無いの!」
『把握している。しかし、本船の高度が下がっている。現在『ブリアレオス』に向け降下中。すぐにでも立て直す必要がある。レギナの治療は、現状を斬り抜けてからでなければ対応できない』
「じゃあ貴方がどうにかしてよ!」
『電子攻撃が継続している。幸い、敵旗艦の破損によって攻撃の出力は落ちつつあるが、操船にリソースを避ける状態ではない。遺憾だが、自分は無力である』
人工知能であるはずのシンガーの口調に、奇妙なほどの人間臭さが滲んでいた。
(いや、違う)
機械は悔しさなど抱かない。銀河のあらゆる人類種族よりも情報工学に通じているネレイド人ゆえに、テティスはシンガーという人工知能の持つ違和感に気づいていた。
「……シンガー、あたししかいないのね?」
『生身の人間は、君だけだ』
「じゃあこの船の全権限をちょうだい。あたしに出来るかどうかは分からないけど……」
テティスは床に横たわったレギナを見やる。
不思議な女だと思った。人々と同じ時間を生きることを厭うくせに、自分のような亜人類を守ろうと飛び出してきた。戦いに恐怖を覚えないくせに、より大きな恐怖を知った者の顔をしていた。
あんたは、なんなの?
それを直接聞いてみたいと思った。
「やってみるわ」
了解した、とシンガーが返した。
テティスは意識を電脳空間に向けた。
0.000001秒のうちに、あらゆるデータと記憶が妖精の頭に流れこんできた。

