籠のなかで、妖精が怒鳴り散らしている。
宇宙海賊として500年の時を生きてきたレギナ・ストレリチアにとっても、さすがに初めての経験だった。
「今すぐあたしを解放しなさい!! 船を通常航路に戻して、惑星ネレイドに向かうのよ!!」
レギナはブリッジの船長席に深々と腰掛けたまま、豊かな銀色の髪に指を絡ませた。
海賊戦艦『シンフォニア』号のブリッジは、大昔の帆船を思わせる優美な造りだ。床や手すりは全て木製で、空には満点の星空が広がっている。両舷には夜光虫の瞬く水面が広がり、船はその青い水面を裂いて進んでいる。船体に波が穏やかに打ち付けていた。
もちろん宇宙空間で生身のまま過ごすことはできない。宇宙船の構造材に燃えやすい木材を用いることもありえない。帆船風の豪奢な造りはすべてテクスチャー、海や星空はホログラム、波の音も合成である。
だがブリッジに映し出された海は偽物でも、船そのものは巨大な波の上を進んでいる。
スターストリーム。
宇宙空間を貫く巨大な潮流。
その全幅は地球を100個並べたよりも広く、長さに至ってはどこまで続いているのか誰も知らない。
ここでは通常宇宙での時間法則は通用しない。スターストリームは光よりも速く流れている。その空間内にいる者もまた、通常の物理法則の外にいることになる。
「おいチビ、助けてもらっておいてその態度は何だ? 礼のひとつも言えないのか?」
「何が礼よ、宇宙海賊のクセに! あんたなんか、あたしが本気出したらすぐにベソかくんだから! 舐めんなッ!」
「はっ」
「あーッ!! いま鼻で笑った、こいつーッ!!」
「ギャンギャンうるっせぇな、一体そのちっこい身体のどこから出てんだか」
レギナの身長は180センチに届く。手脚は長く、宇宙での生活でも鈍らないよう毎日時間をかけてトレーニングするよう心掛けていた。人工重力装置によって理想的な重力環境は維持しているが、船乗りとしては当然のたしなみである。
髪や肌を整えるのと同じように肉体や武器を整えるのは宇宙海賊の義務なのだ。
ことに彼女のように、ひとりで生きることを決意した者にとっては。
「デカけりゃ良いってもんじゃないわよタコ! ブス! 白髪! ゔぇ~~~っだ!!」
対して、威勢の良い「拾い物」は、小鳥と見まがうほどに小さかった。
少年のように短い髪は水色で、瞳はアクアマリンのように煌いている。容姿や肢体も美しく可憐だが、サイズ以外にもうひとつ、明らかに普通の人間には見られない特長があった。
それが、背中から伸びる水晶で作ったような翼である。
形状は鳥のものに似ているが、半透明でどこか無機的な印象もまとっている。さながら機械仕掛けの天使のようだ。彼女を閉じ込めているのが鳥籠に似た機械であることも相まって、黙っていればメルヘンチックな光景にさえ見えるだろう。
レギナの『シンフォニア』号が通常空間に出現したのが2時間前。こそこそと隠れるように航行していた輸送船に狙いを定め、一気に襲い掛かった。
罪悪感は無い。相手が堅気でないことは一目瞭然だった。少しは抵抗するかと思ったが、戦艦クラスの海賊船に襲われて恐慌をきたしたのか、宇宙空間に積荷をばら撒いて逃げてしまった。
その落とし物のなかに入っていたのが、この少女だ。
「反社! 極悪人! 悪逆非道のダークマター!!」
「わけわからん」
レギナは嘆息した。天井を見上げ、『シンフォニア』のメインコンピューターを呼び出す。
「シンガー、こいつは一体何なんだ?」
『亜人類の一種と考えられる。本船のデータバンク上に類似の例を見つけた。銀河帝国崩壊後に分派した一族と推定。崩帝歴163年に惑星ネレイドへ入植、165年独立。以後の歴史は不明』
「辺境のレア人種か。低俗な海賊連中が好きそうなネタだな」
「海賊に上も下もあるもんか。みんな最低よ!」
「あんな蛮族連中と一緒にするな。それとも、リサイクラーに放り込まれるのが望みか? たいしたカロリー量には変換できなさそうだが」
「んなっ!? 人間を食べる気!? マジでケダモノなんだけど!!」
「いや、船内農園の肥料にしてやる」
「キーッ!!」
ケージの向こうから少女がけたたましい声を発した。レギナは思わず長身をのけぞらせて「うるさっ」とぼやいた。
『レギナ。提言するが、辺境人類は特殊な能力を備えている場合がある。いたずらに刺激することは推奨しない』
「いや無理だろこいつには……はぁ、せっかく通常航路に出たってのに、収穫がこれではなぁ」
何度目かの溜息をもらしかけた時、木造帆船を模したブリッジに不釣り合いな、金属的なアラートが鳴り響いた。レギナが上体を跳ね上げる。ケージのなかの少女がびくりと身体を震わせた。
『本船後方に船影あり。敵対勢力と推定』
シンガーの淡々とした報告を聞きながら、レギナは強気を崩さなかった少女の変化を捉えていた。
「……なによ」
「ずいぶん静かになったな?」
「うっさい」
「あいつらたぶん、お前を捕まえていた連中の仲間だろうな。おおかた落とし物を取り戻しにきたってところか」
「……」
「連中、そんなにヤバいか?」
少女は頭を伏せて小さく頷いた。
「どうやらお前、相当高い値札がつけられているらしいな」
「あたしは売り物なんかじゃない。それに、テティスっていう名前だってちゃんとあるのよ」
「奴らには関係ない」
「……じゃあ、なに? 命乞いのために売り渡すつもり?」
レギナは唇を吊り上げ、立ち上がった。
「一度奪ったものは私のものだ、返してやるつもりはない……シンガー、操縦代われ!」
『了解、バックアップモードに移行する』
籠のなかのテティスの目の前で、レギナの羽織った古風なコートが、紅い風のようにひるがえった。
操縦席に滑り込んだレギナは長い指をレバーに絡ませる。同時に、彼女の周囲に無数のホロ・ディスプレイが立ち上がる。
船の上体、外部状況、追撃する敵戦力とその評価レポート、有効な戦術案の提示、全てがリアルタイムで更新される。
レギナの紅い瞳は、それら情報の奔流から必要な情報を抜き出していく。
『フォルネウス級高速巡洋艦、数3。すでに本船を捕捉している。砲戦可能距離に達するまで残り47秒』
「中古品のカスタムメイドだな。良い船だが……いける」
レギナの白い肌の下で血液が熱く滾った。
「デフレクター最大出力! 超光速砲戦用意!!」
『対艦ドローンの射出準備完了。全砲門、安全装置解除』
「ちょ、ちょっとあんたたち、本当に撃ち合う気なの!?」
ケージのなかから悲鳴混じりにテティスが叫んだ。
「当然だ。しっかり檻を握っていろよ」
「そんな……!」
『敵艦、発砲』
「そぉら、来た!!」
「えっ、きゃあああ!!」
叫び声を背中に浴びながら、レギナは操縦桿を深く押し込んだ。
仮想艦橋を包んでいた波が大きく逆巻き、津波のように降り注ぐ。
船は海の底を目指していた。膨大な量の水がブリッジを覆い隠し、テティスは思わず目を閉じ息を止めた。バーチャルな水だが、本当に溺れそうな気がした。
レギナは笑っていた。笑いながら、紅い目を走らせる。
スターストリームは時間流の乱れ。一本の川のなかに水流の激しい場所と穏やかな場所があるように、星の狭間の大河にも時間が早く流れる場所と遅く流れる場所がある。
『砲弾の到達まで残り10秒、9、8、……』
「見つけた!」
時の水の流れのなか、『シンフォニア』の時間流センサーがひときわ遅く流れる潮流を指し示す。レギナは迷うことなくより遅い潮流のなかに船を飛び込ませた。
ブリッジを包む水流の色、勢いが変化する。やや暗く、濁ったような水色。
天井側、はるか後方を二筋の光線が通り抜けていき、船の前方で光の華となって炸裂した。
その光の華も、超光速で飛び続ける『シンフォニア』にすぐに追い抜かれ、ブリッジの後方に流れていく。
「シンガー、全対艦ドローン発進」
『了解』
小さな振動が船に走った。カタパルトから4機の大型ドローンが射出されたのだ。
「敵船団の動きは?」
『全艦とも同一時間流のなかを密集して航行中。索敵は前方に集中させている』
「はっ、素人だな」
「なに余裕こいてるのよ、あっちは3隻もいるのよ!?」
「だからさ」
『油断はするべきではない。しかし、敵の練度は高くない』
「なんでそう言い切れるのよ」
「怖がっているからさ。3隻もいるっていうのに、時間流を先回りして私たちの鼻っ面を抑えようとしない。仲良しこよしで固まってるのは、違う時間流に乗るのが怖いからさ」
レギナの言葉を捕捉するかのように、シンガーがホロ・ディスプレイでイラストを提示する。
通常の宇宙空間において、物体は光より速く移動できない。
また、速く移動すればするほど、それより遅く移動している者との間に時間差が生じていく。
事実上、速く移動する者は、遅く生きている者よりも未来に行くことになる。
アインシュタインの特殊相対性理論は人類が宇宙に出て数千年を経た今でも有効である。
「もしバラバラの時間流に乗ってしまったら、戦いが終わった後に片方は若いまま、片方はジジイになってる。そんなことも、スターストリームのなかじゃ普通に起こりえる……ふっ」
レギナはテティスに振り返り、獰猛な笑みを浮かべた。
「バカだと思わないか? 海賊ともあろう者が、そんな些細なことに怯えるなんてさ」
「些細って……」
対して、テティスの顔は蒼白だった。妖精のような姿が、本当に消えてしまいそうなほどである。
「まあ、連中はそんな心配はしなくて良い……すぐに皆殺しにしてやるさ」
テティスは恐怖を覚えていた。乱れた時間のなかを自由自在に飛び回る、魔女のような海賊に対して、初めて畏怖に近い感情を抱いた。
だが、それよりも怖いのは、自分が「元居た時間」からどんどん遠ざけられてしまうことだ。
そんな少女の感情を無視して戦闘は進む。
『敵艦、第二射の発射を確認』
「ドローンの配置は?」
『遅い時間流を逆進させ、敵艦隊の後方で展開させる。察知される危険があるが』
「せいぜい囮になってやろう」
レギナは再び大きく舵を切った。遅い時間流から船を浮上させ、同時に砲塔を敵艦隊に向ける。
「主砲、全門斉射」
『了解』
船全体に小さく振動が走る。主砲塔から発射された砲弾が、後方の敵艦隊に向けて飛翔する。
海賊船団は最小限の回避運動でそれらをやり過ごそうとするが、発射されたのはスマートバレット。敵の存在を感知して炸裂し、相手の進路をふさぐように散弾をばら撒く。先頭の一隻が弾丸の雨を真正面から受けた。
『命中。しかし、シールドに阻まれた。損傷軽微』
「いい、狙い通りだ」
鼻先を叩かれたことに怒ったのか、海賊たちが全砲門から盛んに砲撃を放った。
だが、一発たりとも『シンフォニア』を捉えることはなかった。
レギナは果敢な操船で船を飛行させ、自由奔放に時間流を行き来する。
正気を疑うような操船である。
もし通常宇宙に家族や友人、恋人がいたならば、速い時間流に乗るたびにその人たちは老いていく。死んでいく。
『シンフォニア』のブリッジには通常宇宙の時間を表示する時計が掲げられている。その針が、時間流を乗り換えるごとに急激に早まったり、故障したように遅くなったりを繰り返す。
レギナには大して興味のない情報だ。
だがテティスにとっては違った。
「……やめて」
『レギナ、ドローン全機、敵艦隊後方に展開した』
「よし、真後ろからぶち抜いてやれ」
『了か』
「やめてぇ!!」
海賊船団に向けて、ドローンが砲撃を開始する。
海賊たちは夢中になって『シンフォニア』を砲撃していたために、その奇襲に気づかなかった。一瞬のうちに、3隻同時に炎の塊に変わり、時間流のなかへと飛散していく。
だが『シンフォニア』でも異変が生じていた。
「っ、制御不能だと!? シンガー!」
テティスが叫んだ瞬間、翼から一瞬、蒼白い光のようなものが放射された。そこまではレギナも気付いていた。
その謎の発光現象が収まると同時に、コクピットを包んでいたホロ・ディスプレイが一斉に消失したのだ。のみならず、仮想艦橋のテクスチャーやホログラムまでもがダウンして、無機質な宇宙船の地肌が剥き出しになった。
それだけなら良い。だが、シンガーからの応答がなく、操縦桿も手応えを失っている。
「ちっ」
レギナは咄嗟に手元の物理コンソールを引っ張り出して、緊急コードを入力した。完全手動操縦に切り替える。
操縦桿を思い切り右に倒したのは、完全に勘だった。
直後、ここ300年ほど揺さぶられることのなかった『シンフォニア』を大きな振動が襲った。
宇宙海賊として500年の時を生きてきたレギナ・ストレリチアにとっても、さすがに初めての経験だった。
「今すぐあたしを解放しなさい!! 船を通常航路に戻して、惑星ネレイドに向かうのよ!!」
レギナはブリッジの船長席に深々と腰掛けたまま、豊かな銀色の髪に指を絡ませた。
海賊戦艦『シンフォニア』号のブリッジは、大昔の帆船を思わせる優美な造りだ。床や手すりは全て木製で、空には満点の星空が広がっている。両舷には夜光虫の瞬く水面が広がり、船はその青い水面を裂いて進んでいる。船体に波が穏やかに打ち付けていた。
もちろん宇宙空間で生身のまま過ごすことはできない。宇宙船の構造材に燃えやすい木材を用いることもありえない。帆船風の豪奢な造りはすべてテクスチャー、海や星空はホログラム、波の音も合成である。
だがブリッジに映し出された海は偽物でも、船そのものは巨大な波の上を進んでいる。
スターストリーム。
宇宙空間を貫く巨大な潮流。
その全幅は地球を100個並べたよりも広く、長さに至ってはどこまで続いているのか誰も知らない。
ここでは通常宇宙での時間法則は通用しない。スターストリームは光よりも速く流れている。その空間内にいる者もまた、通常の物理法則の外にいることになる。
「おいチビ、助けてもらっておいてその態度は何だ? 礼のひとつも言えないのか?」
「何が礼よ、宇宙海賊のクセに! あんたなんか、あたしが本気出したらすぐにベソかくんだから! 舐めんなッ!」
「はっ」
「あーッ!! いま鼻で笑った、こいつーッ!!」
「ギャンギャンうるっせぇな、一体そのちっこい身体のどこから出てんだか」
レギナの身長は180センチに届く。手脚は長く、宇宙での生活でも鈍らないよう毎日時間をかけてトレーニングするよう心掛けていた。人工重力装置によって理想的な重力環境は維持しているが、船乗りとしては当然のたしなみである。
髪や肌を整えるのと同じように肉体や武器を整えるのは宇宙海賊の義務なのだ。
ことに彼女のように、ひとりで生きることを決意した者にとっては。
「デカけりゃ良いってもんじゃないわよタコ! ブス! 白髪! ゔぇ~~~っだ!!」
対して、威勢の良い「拾い物」は、小鳥と見まがうほどに小さかった。
少年のように短い髪は水色で、瞳はアクアマリンのように煌いている。容姿や肢体も美しく可憐だが、サイズ以外にもうひとつ、明らかに普通の人間には見られない特長があった。
それが、背中から伸びる水晶で作ったような翼である。
形状は鳥のものに似ているが、半透明でどこか無機的な印象もまとっている。さながら機械仕掛けの天使のようだ。彼女を閉じ込めているのが鳥籠に似た機械であることも相まって、黙っていればメルヘンチックな光景にさえ見えるだろう。
レギナの『シンフォニア』号が通常空間に出現したのが2時間前。こそこそと隠れるように航行していた輸送船に狙いを定め、一気に襲い掛かった。
罪悪感は無い。相手が堅気でないことは一目瞭然だった。少しは抵抗するかと思ったが、戦艦クラスの海賊船に襲われて恐慌をきたしたのか、宇宙空間に積荷をばら撒いて逃げてしまった。
その落とし物のなかに入っていたのが、この少女だ。
「反社! 極悪人! 悪逆非道のダークマター!!」
「わけわからん」
レギナは嘆息した。天井を見上げ、『シンフォニア』のメインコンピューターを呼び出す。
「シンガー、こいつは一体何なんだ?」
『亜人類の一種と考えられる。本船のデータバンク上に類似の例を見つけた。銀河帝国崩壊後に分派した一族と推定。崩帝歴163年に惑星ネレイドへ入植、165年独立。以後の歴史は不明』
「辺境のレア人種か。低俗な海賊連中が好きそうなネタだな」
「海賊に上も下もあるもんか。みんな最低よ!」
「あんな蛮族連中と一緒にするな。それとも、リサイクラーに放り込まれるのが望みか? たいしたカロリー量には変換できなさそうだが」
「んなっ!? 人間を食べる気!? マジでケダモノなんだけど!!」
「いや、船内農園の肥料にしてやる」
「キーッ!!」
ケージの向こうから少女がけたたましい声を発した。レギナは思わず長身をのけぞらせて「うるさっ」とぼやいた。
『レギナ。提言するが、辺境人類は特殊な能力を備えている場合がある。いたずらに刺激することは推奨しない』
「いや無理だろこいつには……はぁ、せっかく通常航路に出たってのに、収穫がこれではなぁ」
何度目かの溜息をもらしかけた時、木造帆船を模したブリッジに不釣り合いな、金属的なアラートが鳴り響いた。レギナが上体を跳ね上げる。ケージのなかの少女がびくりと身体を震わせた。
『本船後方に船影あり。敵対勢力と推定』
シンガーの淡々とした報告を聞きながら、レギナは強気を崩さなかった少女の変化を捉えていた。
「……なによ」
「ずいぶん静かになったな?」
「うっさい」
「あいつらたぶん、お前を捕まえていた連中の仲間だろうな。おおかた落とし物を取り戻しにきたってところか」
「……」
「連中、そんなにヤバいか?」
少女は頭を伏せて小さく頷いた。
「どうやらお前、相当高い値札がつけられているらしいな」
「あたしは売り物なんかじゃない。それに、テティスっていう名前だってちゃんとあるのよ」
「奴らには関係ない」
「……じゃあ、なに? 命乞いのために売り渡すつもり?」
レギナは唇を吊り上げ、立ち上がった。
「一度奪ったものは私のものだ、返してやるつもりはない……シンガー、操縦代われ!」
『了解、バックアップモードに移行する』
籠のなかのテティスの目の前で、レギナの羽織った古風なコートが、紅い風のようにひるがえった。
操縦席に滑り込んだレギナは長い指をレバーに絡ませる。同時に、彼女の周囲に無数のホロ・ディスプレイが立ち上がる。
船の上体、外部状況、追撃する敵戦力とその評価レポート、有効な戦術案の提示、全てがリアルタイムで更新される。
レギナの紅い瞳は、それら情報の奔流から必要な情報を抜き出していく。
『フォルネウス級高速巡洋艦、数3。すでに本船を捕捉している。砲戦可能距離に達するまで残り47秒』
「中古品のカスタムメイドだな。良い船だが……いける」
レギナの白い肌の下で血液が熱く滾った。
「デフレクター最大出力! 超光速砲戦用意!!」
『対艦ドローンの射出準備完了。全砲門、安全装置解除』
「ちょ、ちょっとあんたたち、本当に撃ち合う気なの!?」
ケージのなかから悲鳴混じりにテティスが叫んだ。
「当然だ。しっかり檻を握っていろよ」
「そんな……!」
『敵艦、発砲』
「そぉら、来た!!」
「えっ、きゃあああ!!」
叫び声を背中に浴びながら、レギナは操縦桿を深く押し込んだ。
仮想艦橋を包んでいた波が大きく逆巻き、津波のように降り注ぐ。
船は海の底を目指していた。膨大な量の水がブリッジを覆い隠し、テティスは思わず目を閉じ息を止めた。バーチャルな水だが、本当に溺れそうな気がした。
レギナは笑っていた。笑いながら、紅い目を走らせる。
スターストリームは時間流の乱れ。一本の川のなかに水流の激しい場所と穏やかな場所があるように、星の狭間の大河にも時間が早く流れる場所と遅く流れる場所がある。
『砲弾の到達まで残り10秒、9、8、……』
「見つけた!」
時の水の流れのなか、『シンフォニア』の時間流センサーがひときわ遅く流れる潮流を指し示す。レギナは迷うことなくより遅い潮流のなかに船を飛び込ませた。
ブリッジを包む水流の色、勢いが変化する。やや暗く、濁ったような水色。
天井側、はるか後方を二筋の光線が通り抜けていき、船の前方で光の華となって炸裂した。
その光の華も、超光速で飛び続ける『シンフォニア』にすぐに追い抜かれ、ブリッジの後方に流れていく。
「シンガー、全対艦ドローン発進」
『了解』
小さな振動が船に走った。カタパルトから4機の大型ドローンが射出されたのだ。
「敵船団の動きは?」
『全艦とも同一時間流のなかを密集して航行中。索敵は前方に集中させている』
「はっ、素人だな」
「なに余裕こいてるのよ、あっちは3隻もいるのよ!?」
「だからさ」
『油断はするべきではない。しかし、敵の練度は高くない』
「なんでそう言い切れるのよ」
「怖がっているからさ。3隻もいるっていうのに、時間流を先回りして私たちの鼻っ面を抑えようとしない。仲良しこよしで固まってるのは、違う時間流に乗るのが怖いからさ」
レギナの言葉を捕捉するかのように、シンガーがホロ・ディスプレイでイラストを提示する。
通常の宇宙空間において、物体は光より速く移動できない。
また、速く移動すればするほど、それより遅く移動している者との間に時間差が生じていく。
事実上、速く移動する者は、遅く生きている者よりも未来に行くことになる。
アインシュタインの特殊相対性理論は人類が宇宙に出て数千年を経た今でも有効である。
「もしバラバラの時間流に乗ってしまったら、戦いが終わった後に片方は若いまま、片方はジジイになってる。そんなことも、スターストリームのなかじゃ普通に起こりえる……ふっ」
レギナはテティスに振り返り、獰猛な笑みを浮かべた。
「バカだと思わないか? 海賊ともあろう者が、そんな些細なことに怯えるなんてさ」
「些細って……」
対して、テティスの顔は蒼白だった。妖精のような姿が、本当に消えてしまいそうなほどである。
「まあ、連中はそんな心配はしなくて良い……すぐに皆殺しにしてやるさ」
テティスは恐怖を覚えていた。乱れた時間のなかを自由自在に飛び回る、魔女のような海賊に対して、初めて畏怖に近い感情を抱いた。
だが、それよりも怖いのは、自分が「元居た時間」からどんどん遠ざけられてしまうことだ。
そんな少女の感情を無視して戦闘は進む。
『敵艦、第二射の発射を確認』
「ドローンの配置は?」
『遅い時間流を逆進させ、敵艦隊の後方で展開させる。察知される危険があるが』
「せいぜい囮になってやろう」
レギナは再び大きく舵を切った。遅い時間流から船を浮上させ、同時に砲塔を敵艦隊に向ける。
「主砲、全門斉射」
『了解』
船全体に小さく振動が走る。主砲塔から発射された砲弾が、後方の敵艦隊に向けて飛翔する。
海賊船団は最小限の回避運動でそれらをやり過ごそうとするが、発射されたのはスマートバレット。敵の存在を感知して炸裂し、相手の進路をふさぐように散弾をばら撒く。先頭の一隻が弾丸の雨を真正面から受けた。
『命中。しかし、シールドに阻まれた。損傷軽微』
「いい、狙い通りだ」
鼻先を叩かれたことに怒ったのか、海賊たちが全砲門から盛んに砲撃を放った。
だが、一発たりとも『シンフォニア』を捉えることはなかった。
レギナは果敢な操船で船を飛行させ、自由奔放に時間流を行き来する。
正気を疑うような操船である。
もし通常宇宙に家族や友人、恋人がいたならば、速い時間流に乗るたびにその人たちは老いていく。死んでいく。
『シンフォニア』のブリッジには通常宇宙の時間を表示する時計が掲げられている。その針が、時間流を乗り換えるごとに急激に早まったり、故障したように遅くなったりを繰り返す。
レギナには大して興味のない情報だ。
だがテティスにとっては違った。
「……やめて」
『レギナ、ドローン全機、敵艦隊後方に展開した』
「よし、真後ろからぶち抜いてやれ」
『了か』
「やめてぇ!!」
海賊船団に向けて、ドローンが砲撃を開始する。
海賊たちは夢中になって『シンフォニア』を砲撃していたために、その奇襲に気づかなかった。一瞬のうちに、3隻同時に炎の塊に変わり、時間流のなかへと飛散していく。
だが『シンフォニア』でも異変が生じていた。
「っ、制御不能だと!? シンガー!」
テティスが叫んだ瞬間、翼から一瞬、蒼白い光のようなものが放射された。そこまではレギナも気付いていた。
その謎の発光現象が収まると同時に、コクピットを包んでいたホロ・ディスプレイが一斉に消失したのだ。のみならず、仮想艦橋のテクスチャーやホログラムまでもがダウンして、無機質な宇宙船の地肌が剥き出しになった。
それだけなら良い。だが、シンガーからの応答がなく、操縦桿も手応えを失っている。
「ちっ」
レギナは咄嗟に手元の物理コンソールを引っ張り出して、緊急コードを入力した。完全手動操縦に切り替える。
操縦桿を思い切り右に倒したのは、完全に勘だった。
直後、ここ300年ほど揺さぶられることのなかった『シンフォニア』を大きな振動が襲った。

