いつから6月は恋の季節になったのだろう。
夏希に彼氏ができてしまった。
相手は同じ学童に通う同級生の「あっくん」。
迎えの都合で僕は会ったことがない。失敗したシュークリームみたいにしぼんでいると、「優しくてかっこいい子よ」とお母さんの高い評価に、さらにぺちゃんこになった。
「まだ小2なのに……」
涙をにじませる僕に、
「恋に学年は関係ないよ」と夏希からは大人びた答えが返ってきた。
まだ立ち直りきれてない数日後の部活の帰り。
「あ、愛田くん!」
校門をすぎたあたりで、顔を真っ赤にした男子に呼び止められた。隣のクラスの子だ。
「これ、橋本先輩に渡してくれないかな」
部長へのラブレターだった。
「えっと……」
調理部ではみんな知ってることだけど、部長には他校にラブラブな彼女がいる。
そう、部長の恋愛対象は女性だ。
でも勝手に個人情報をしゃべるわけにいかない。
「自分で渡した方が……」とやんわ断るも押し切られ、次の朝部長に届けた。当然、彼にとっては残念な結果になった。
その日の帰り、僕はまた学校の近くで呼び止められた。
「あの!」
「あれ、二階堂くん?」
明らかに様子がおかしい。今まで僕の前で見せていたやわらかな態度とは違い、眉間を寄せ、つらそうにみえる。
「どうしたの?」
この前の茶菓子に問題があったのかなと不安がよぎったけど、茶道部の友達や顧問の武内先生からも絶賛してもらっていた。
「今、少し時間いいですか」
「うん、大丈夫だけど……」
人気のない公園に移動すると、二階堂くんはきゅっと口を結び、意を決したように鞄の持ち手を握りしめた。
「あの……愛田先輩って、好きな人とか付き合ってる人、いますか」
「え?」
好きな人?
「い、いないいない」
夏希が生まれてからは妹一筋だし、その前は幼さすぎて友達以上の好きには発展しなかった。
もしかして恋愛相談かな。茶道部も女子しかいないし、身近な同性の上級生って僕くらいかもしれない。
頼ってもらえるのは先輩冥利に尽きる。でも経験値が0で相談にのれるかどうか怪しい。
あ、それか、
「もしかして、好きな人が調理部とか?」
「…………はい」
「!」
行く先々で視線を集める二階堂くんだ。
相手は誰だろう。心臓がバクバクしてきた。
うちの部ということは、きのうの子みたいに言付けとかだろうか。
でももし相手が部長だったら……
「協力できる範囲なら、力にはなるけど……」
「じゃあ、一つ質問してもいいですか」
「う、うん」
ごくりと唾を飲む。
「きのう、告白されてましたよね。なんて返事したんですか」
「……告白?」
首を傾げると「きのうの帰り、男子に」と言われ、「ああ!」と手紙の件を話せる範囲で説明した。
「そう、だったんですか」
大きなため息とともに二階堂くんの体から力が抜ける。
恋愛相談じゃないのかな、と頭に浮かんだ“?”マークは、突然両手首をつかまれ吹っ飛んだ。
「先輩が告白されたと思って、ずっと、気が気じゃありませんでした」
「二階堂……くん?」
手首をつかむ大きな手に力がこもる。
真剣な眼差しに縫いとめられ、目を逸らせない。
「愛田先輩が好きです。恋愛っていう意味で、好きです」
「…………へ?」
好き?
予想外すぎる言葉に、まぬけな顔になってたと思う。
「いま返事はいりません。突然だし、しかも男からだし。でも、前向きに考えてください」
お願いします! と勢いよくお辞儀をすると、固まったままの僕の前から去っていった。
初めて告白された。しかも、後輩の男の子から。
――先輩が好きです。恋愛っていう意味で、好きです。
飾り気のない真っ直ぐな言葉が、何度も胸の中でこだまする。
どうしよう。
「いま返事はいりません」ってことは、いつか「僕も好きです」か「ごめんなさい」のどちらかを伝えないと、ってことだ。
二階堂くんのことはもちろん好き。
見惚れるほど上品な仕草も、ふいに見せる可愛らしい反応も、美味しいと食べてくれる姿も、彼のことを知れば知るほど愛おしくなる。
でもそれは後輩として好きなのか、恋愛としての好きなのか、どっちなんだろう。
そもそも、恋愛の好きって何なんなんだろう。
というか、二階堂くんは僕のどこを気に入ってくれたんだろう。
学校の机にぐでりと突っ伏してぐるぐる悩んでいると「あれ、愛ちゃん、メガネまで溶けてない? 体調悪いん?」と上から春哉の声が降ってきた。そして「なんか髪にもハリがないような」とされるがまま頭をふわふわとマッサージされる。
「夏希ちゃんのこと、けっこう深刻?」
そうだ。二階堂くんに告白されて、妹の彼氏問題どころではなくなっていた。
「えーっと……まあ」
事情を話せるはずもなく、「生まれた時から激ラブだったし、まあショックだよね」となぐさめられていると、「あれ、愛ちゃん大丈夫?」と茶道部の子に声をかけられた。
「あのね、武内先生が放課後職員室に来てほしいって」
「実は愛田くんにお願いしたいことがありまして」
武内先生は去年新卒で赴任したばかりの若い先生。
おだやかな話し方は、もやもやと悩んでいる僕の心に、なんだかじんわりと沁みた。
「この前作っていただいたお茶菓子、味も見た目も保存方法もとても素晴らしかったです。改めて、本当にありがとうございました」
「いえ、こちらこそ、そう言っていただきありがとうございます」
「そこで愛田くんさえ良ければ、文化祭に出すお茶菓子を頼みたいのですが」
「文化祭用の、ですか?」
思わぬ大役だ。
「はい。まだ6月ですけど、2学期に入ると調理部での準備も忙しくなるでしょう」
早めに相談したいなと思いまして、とにっこり微笑む。
たしか今年の文化祭は――「最終日、ハロウィンだ」と年間計画表を見ていた部員の声が蘇る。
10月30、31日の2日間。
季節や作り方や保存方法、色々なことを考慮しどんな茶菓子にするか考えるのはとても勉強になった。それに提供したものを高く評価してもらえて、素直に嬉しい。
「挑戦、してみたいです」
「ありがとうございます。あ、でもあまり気負わないでくださいね。もし難しそうだったら、今まで通り外注しますので」
引き受けたけど難しかったら、という不安がないわけでもない。だからそう言ってもらえて少し気が楽になった。
その時、職員室の引き戸を開ける音とともに「失礼します」と聞き覚えのある声がした。きのうから何度も胸の中で響いていた、熱のこもった声。
振り返ると、その人がこちらに近づいてきた。
「――二階堂くん」
「あ、二階堂くん。愛田くん、了承してくれましたよ」
「え!」
了承? ってもしかして……
「文化祭のお茶菓子、愛田くんに依頼しようかって部内で話が出たときに、二階堂くんが自分も担当したいって立候補してくれたんです」
ドクドクと急に心臓が速くなる。
「愛田先輩、よろしくお願いします」
僕の前で止まると、礼儀正しくお辞儀した。
連絡先を交換し、茶道部と調理部が休みの放課後、5月に茶菓子の打ち合わせをした机に、再び二階堂くんと並んで座っていた。
図書室は会話禁止だし、教室だと生徒の出入りがあったり話し掛けられたりと、たぶん落ち着かない。だから顧問に事情を話し、調理室を借りた。
二階堂くんのいる体の右側が妙に緊張する。
もしかして告白のこと何か言われるかな。
俺のことどう思ってますか? なんて訊かれたらどう答えよう。
ああ、なんか背中に冷や汗が……。
「愛田先輩」
「ひゃいっ」
声が裏返ってしまった。
ひゃいって。恥ずかしすぎる。
「もし俺とやりづらかったら、他の人と代わるんで……。遠慮なく言ってくださいね」
そう告げる二階堂くんの顔が陰った気がした。
僕は自分のことばかりだ。部活動として依頼されたのに、あからさまに緊張したら誰だって気にしてしまう。
「ごめん。なんて言うか……態度に出てたよね」
「いえ、それはむしろ嬉しいです」
「?」
「気にもされてなかったら、それはそれでへこむんで」
ストレートな言葉に免疫がなさすぎて、どう返せばいいか焦ってしまう。
「ただ、もし俺と組むの嫌だったら、交代するの早めの方がいいかと思って」
「そんなことないよ! 5月に二階堂くんと一緒に考えたとき、勉強になったし、なにより楽しかったし」
クールな印象があったけど、とても真面目で、茶道の知識も深くて、礼儀正しくて、お腹を鳴らして顔を真っ赤にもして。
意外な一面ばかりで、ほほ笑ましかった。
「今回もみんなに喜んでもらえるお菓子、一緒に作ろうね」
「はい。改めて、よろしくお願いします」
正式にペアを組むことが決まった。
「よし。じゃあ、早速進めよっか」
メモ用の白い紙を机に置く。
前回との大きな違いは、普段の茶道部用ではなく、文化祭という点だ。
「文化祭の直前はね、調理部は調理部でお菓子の準備をしなきゃいけないんだ」
「そうですよね」
「だから、お茶菓子の方は最低でも4、5日前には作り終わってないといけなくて」
「ということは、今回は干菓子、ですね」
「うん」
干菓子、と紙の一番上にシャーペンで書く。干菓子は乾燥させた和菓子で、賞味期限は1カ月以上。
普段茶道部に提供しているのは主菓子と呼ばれ、保存できるのは2日ほど。だからいつも提供前日に作っている。
「干菓子なら――」
と二階堂くんがタブレットを取りだした。
画面を操作する長い指。
捲った袖からのぞく、男らしい腕のすじ。
そして真剣な眼差しで画像を探す、整った横顔。
ふいにトクトクと鼓動が速まる。
――本当にかっこいい。
周りに集まる女の子たちの気持ちがなんだかわかる。
だからこそ不思議だった。
たくさんの人に好意を向けられてる二階堂くんが、なんで僕に恋愛感情を抱いているのか。
どうして僕なんだろう。
また悩みの沼に引きずられそうになっていると、ふっとこちらを向いた彼と目が合った。
「先輩?」
「え、あ、えっと、干菓子だよね」
「はい。落雁が定番ですね。あとは煎餅とか、琥珀糖とか」
慌ててタブレットを覗き込む。静かに深呼吸して、心を落ち着かせながら。
画面には小さくて摘まめる、可愛らしい干菓子であふれていた。
「干菓子のときは大体2種類出すので、文化祭もそうしますか?」
「そうだね」
小さなお菓子1つだとさみしい。
作り方や材料を調べ、落雁と寒氷に決定した。
落雁の主な材料は砂糖。口の中でほろっと崩れて溶ける、不思議な食感のお菓子だ。
そして琥珀糖によく似た寒氷。きらきらと宝石のような琥珀糖は夏用で、白濁させてパステルカラーのやわらかな見た目の寒氷は、季節を問わず提供されるらしい。シャリッとした表面とプルンとした中の食感が魅力だ。
「あと形と色は……、あっ」
すんなり決定、とほっとしたものの、大切なことを忘れていた。
「掛け軸と花ってもう決まってる?」
保存期間や作り方に気を取られ、茶会そのものに考えが及んでいなかった。
「えっと、花はまだですけど、掛け軸は毎年使ってるのがあるみたいで」と、さらさらと用紙の隅に三文字書いた。
喫茶去。
「きっさ、きょ?」
「きっさこ。お茶でも飲んでってくださいって意味です」
「へえ……。なんか、すごくシンプルで親しみやすいね」
掛け軸って難しそうなイメージがあったけど。
「じゃあ、お菓子も堅苦しくない方がいいのかな」
ということで、文化祭のイメージを出し合ってみた。
「お祭りだから、楽しい、とかワクワク?」
「そうですね。いつも授業をしている空間がお祭りの舞台になって……」
想像を膨らませているのか、軽く目をつむる。
「嬉しい、とか…………あとは」
ゆっくり目を開けて僕の方を見た。
「幸せ、とか」
「幸せ?」
「はい。色んなクラス回ってるとこ思い浮かべたら、幸せな気持ちになりました」
「ふふ、楽しみにしてるんだね」
物静かなイメージがあったから、想像とはいえ、文化祭を楽しみ幸せを感じてる二階堂くんは少し意外だった。
「先輩と」
「ん?」
「先輩と一緒に回ったら、すごく幸せだろうなって」
「えっ……」
言葉が出てこない。
射抜くような視線に胸が高鳴る。
「もし休憩時間が重なったら、一緒に回ってもらえませんか」
でも、こちらを見つめる瞳に、不安の色が混じっていた。
本当に、どうして僕なんだろう。疑問がずっと胸にわだかまっている。
でも、ストレートに気持ちを伝えてくれる彼のことをもっと知りたい。知ったうえで、誠実に返事をしたい。
「うん」と小さく頷くと、安心したように無邪気に笑った二階堂くんに、また心臓が速くなった。
夏希に彼氏ができてしまった。
相手は同じ学童に通う同級生の「あっくん」。
迎えの都合で僕は会ったことがない。失敗したシュークリームみたいにしぼんでいると、「優しくてかっこいい子よ」とお母さんの高い評価に、さらにぺちゃんこになった。
「まだ小2なのに……」
涙をにじませる僕に、
「恋に学年は関係ないよ」と夏希からは大人びた答えが返ってきた。
まだ立ち直りきれてない数日後の部活の帰り。
「あ、愛田くん!」
校門をすぎたあたりで、顔を真っ赤にした男子に呼び止められた。隣のクラスの子だ。
「これ、橋本先輩に渡してくれないかな」
部長へのラブレターだった。
「えっと……」
調理部ではみんな知ってることだけど、部長には他校にラブラブな彼女がいる。
そう、部長の恋愛対象は女性だ。
でも勝手に個人情報をしゃべるわけにいかない。
「自分で渡した方が……」とやんわ断るも押し切られ、次の朝部長に届けた。当然、彼にとっては残念な結果になった。
その日の帰り、僕はまた学校の近くで呼び止められた。
「あの!」
「あれ、二階堂くん?」
明らかに様子がおかしい。今まで僕の前で見せていたやわらかな態度とは違い、眉間を寄せ、つらそうにみえる。
「どうしたの?」
この前の茶菓子に問題があったのかなと不安がよぎったけど、茶道部の友達や顧問の武内先生からも絶賛してもらっていた。
「今、少し時間いいですか」
「うん、大丈夫だけど……」
人気のない公園に移動すると、二階堂くんはきゅっと口を結び、意を決したように鞄の持ち手を握りしめた。
「あの……愛田先輩って、好きな人とか付き合ってる人、いますか」
「え?」
好きな人?
「い、いないいない」
夏希が生まれてからは妹一筋だし、その前は幼さすぎて友達以上の好きには発展しなかった。
もしかして恋愛相談かな。茶道部も女子しかいないし、身近な同性の上級生って僕くらいかもしれない。
頼ってもらえるのは先輩冥利に尽きる。でも経験値が0で相談にのれるかどうか怪しい。
あ、それか、
「もしかして、好きな人が調理部とか?」
「…………はい」
「!」
行く先々で視線を集める二階堂くんだ。
相手は誰だろう。心臓がバクバクしてきた。
うちの部ということは、きのうの子みたいに言付けとかだろうか。
でももし相手が部長だったら……
「協力できる範囲なら、力にはなるけど……」
「じゃあ、一つ質問してもいいですか」
「う、うん」
ごくりと唾を飲む。
「きのう、告白されてましたよね。なんて返事したんですか」
「……告白?」
首を傾げると「きのうの帰り、男子に」と言われ、「ああ!」と手紙の件を話せる範囲で説明した。
「そう、だったんですか」
大きなため息とともに二階堂くんの体から力が抜ける。
恋愛相談じゃないのかな、と頭に浮かんだ“?”マークは、突然両手首をつかまれ吹っ飛んだ。
「先輩が告白されたと思って、ずっと、気が気じゃありませんでした」
「二階堂……くん?」
手首をつかむ大きな手に力がこもる。
真剣な眼差しに縫いとめられ、目を逸らせない。
「愛田先輩が好きです。恋愛っていう意味で、好きです」
「…………へ?」
好き?
予想外すぎる言葉に、まぬけな顔になってたと思う。
「いま返事はいりません。突然だし、しかも男からだし。でも、前向きに考えてください」
お願いします! と勢いよくお辞儀をすると、固まったままの僕の前から去っていった。
初めて告白された。しかも、後輩の男の子から。
――先輩が好きです。恋愛っていう意味で、好きです。
飾り気のない真っ直ぐな言葉が、何度も胸の中でこだまする。
どうしよう。
「いま返事はいりません」ってことは、いつか「僕も好きです」か「ごめんなさい」のどちらかを伝えないと、ってことだ。
二階堂くんのことはもちろん好き。
見惚れるほど上品な仕草も、ふいに見せる可愛らしい反応も、美味しいと食べてくれる姿も、彼のことを知れば知るほど愛おしくなる。
でもそれは後輩として好きなのか、恋愛としての好きなのか、どっちなんだろう。
そもそも、恋愛の好きって何なんなんだろう。
というか、二階堂くんは僕のどこを気に入ってくれたんだろう。
学校の机にぐでりと突っ伏してぐるぐる悩んでいると「あれ、愛ちゃん、メガネまで溶けてない? 体調悪いん?」と上から春哉の声が降ってきた。そして「なんか髪にもハリがないような」とされるがまま頭をふわふわとマッサージされる。
「夏希ちゃんのこと、けっこう深刻?」
そうだ。二階堂くんに告白されて、妹の彼氏問題どころではなくなっていた。
「えーっと……まあ」
事情を話せるはずもなく、「生まれた時から激ラブだったし、まあショックだよね」となぐさめられていると、「あれ、愛ちゃん大丈夫?」と茶道部の子に声をかけられた。
「あのね、武内先生が放課後職員室に来てほしいって」
「実は愛田くんにお願いしたいことがありまして」
武内先生は去年新卒で赴任したばかりの若い先生。
おだやかな話し方は、もやもやと悩んでいる僕の心に、なんだかじんわりと沁みた。
「この前作っていただいたお茶菓子、味も見た目も保存方法もとても素晴らしかったです。改めて、本当にありがとうございました」
「いえ、こちらこそ、そう言っていただきありがとうございます」
「そこで愛田くんさえ良ければ、文化祭に出すお茶菓子を頼みたいのですが」
「文化祭用の、ですか?」
思わぬ大役だ。
「はい。まだ6月ですけど、2学期に入ると調理部での準備も忙しくなるでしょう」
早めに相談したいなと思いまして、とにっこり微笑む。
たしか今年の文化祭は――「最終日、ハロウィンだ」と年間計画表を見ていた部員の声が蘇る。
10月30、31日の2日間。
季節や作り方や保存方法、色々なことを考慮しどんな茶菓子にするか考えるのはとても勉強になった。それに提供したものを高く評価してもらえて、素直に嬉しい。
「挑戦、してみたいです」
「ありがとうございます。あ、でもあまり気負わないでくださいね。もし難しそうだったら、今まで通り外注しますので」
引き受けたけど難しかったら、という不安がないわけでもない。だからそう言ってもらえて少し気が楽になった。
その時、職員室の引き戸を開ける音とともに「失礼します」と聞き覚えのある声がした。きのうから何度も胸の中で響いていた、熱のこもった声。
振り返ると、その人がこちらに近づいてきた。
「――二階堂くん」
「あ、二階堂くん。愛田くん、了承してくれましたよ」
「え!」
了承? ってもしかして……
「文化祭のお茶菓子、愛田くんに依頼しようかって部内で話が出たときに、二階堂くんが自分も担当したいって立候補してくれたんです」
ドクドクと急に心臓が速くなる。
「愛田先輩、よろしくお願いします」
僕の前で止まると、礼儀正しくお辞儀した。
連絡先を交換し、茶道部と調理部が休みの放課後、5月に茶菓子の打ち合わせをした机に、再び二階堂くんと並んで座っていた。
図書室は会話禁止だし、教室だと生徒の出入りがあったり話し掛けられたりと、たぶん落ち着かない。だから顧問に事情を話し、調理室を借りた。
二階堂くんのいる体の右側が妙に緊張する。
もしかして告白のこと何か言われるかな。
俺のことどう思ってますか? なんて訊かれたらどう答えよう。
ああ、なんか背中に冷や汗が……。
「愛田先輩」
「ひゃいっ」
声が裏返ってしまった。
ひゃいって。恥ずかしすぎる。
「もし俺とやりづらかったら、他の人と代わるんで……。遠慮なく言ってくださいね」
そう告げる二階堂くんの顔が陰った気がした。
僕は自分のことばかりだ。部活動として依頼されたのに、あからさまに緊張したら誰だって気にしてしまう。
「ごめん。なんて言うか……態度に出てたよね」
「いえ、それはむしろ嬉しいです」
「?」
「気にもされてなかったら、それはそれでへこむんで」
ストレートな言葉に免疫がなさすぎて、どう返せばいいか焦ってしまう。
「ただ、もし俺と組むの嫌だったら、交代するの早めの方がいいかと思って」
「そんなことないよ! 5月に二階堂くんと一緒に考えたとき、勉強になったし、なにより楽しかったし」
クールな印象があったけど、とても真面目で、茶道の知識も深くて、礼儀正しくて、お腹を鳴らして顔を真っ赤にもして。
意外な一面ばかりで、ほほ笑ましかった。
「今回もみんなに喜んでもらえるお菓子、一緒に作ろうね」
「はい。改めて、よろしくお願いします」
正式にペアを組むことが決まった。
「よし。じゃあ、早速進めよっか」
メモ用の白い紙を机に置く。
前回との大きな違いは、普段の茶道部用ではなく、文化祭という点だ。
「文化祭の直前はね、調理部は調理部でお菓子の準備をしなきゃいけないんだ」
「そうですよね」
「だから、お茶菓子の方は最低でも4、5日前には作り終わってないといけなくて」
「ということは、今回は干菓子、ですね」
「うん」
干菓子、と紙の一番上にシャーペンで書く。干菓子は乾燥させた和菓子で、賞味期限は1カ月以上。
普段茶道部に提供しているのは主菓子と呼ばれ、保存できるのは2日ほど。だからいつも提供前日に作っている。
「干菓子なら――」
と二階堂くんがタブレットを取りだした。
画面を操作する長い指。
捲った袖からのぞく、男らしい腕のすじ。
そして真剣な眼差しで画像を探す、整った横顔。
ふいにトクトクと鼓動が速まる。
――本当にかっこいい。
周りに集まる女の子たちの気持ちがなんだかわかる。
だからこそ不思議だった。
たくさんの人に好意を向けられてる二階堂くんが、なんで僕に恋愛感情を抱いているのか。
どうして僕なんだろう。
また悩みの沼に引きずられそうになっていると、ふっとこちらを向いた彼と目が合った。
「先輩?」
「え、あ、えっと、干菓子だよね」
「はい。落雁が定番ですね。あとは煎餅とか、琥珀糖とか」
慌ててタブレットを覗き込む。静かに深呼吸して、心を落ち着かせながら。
画面には小さくて摘まめる、可愛らしい干菓子であふれていた。
「干菓子のときは大体2種類出すので、文化祭もそうしますか?」
「そうだね」
小さなお菓子1つだとさみしい。
作り方や材料を調べ、落雁と寒氷に決定した。
落雁の主な材料は砂糖。口の中でほろっと崩れて溶ける、不思議な食感のお菓子だ。
そして琥珀糖によく似た寒氷。きらきらと宝石のような琥珀糖は夏用で、白濁させてパステルカラーのやわらかな見た目の寒氷は、季節を問わず提供されるらしい。シャリッとした表面とプルンとした中の食感が魅力だ。
「あと形と色は……、あっ」
すんなり決定、とほっとしたものの、大切なことを忘れていた。
「掛け軸と花ってもう決まってる?」
保存期間や作り方に気を取られ、茶会そのものに考えが及んでいなかった。
「えっと、花はまだですけど、掛け軸は毎年使ってるのがあるみたいで」と、さらさらと用紙の隅に三文字書いた。
喫茶去。
「きっさ、きょ?」
「きっさこ。お茶でも飲んでってくださいって意味です」
「へえ……。なんか、すごくシンプルで親しみやすいね」
掛け軸って難しそうなイメージがあったけど。
「じゃあ、お菓子も堅苦しくない方がいいのかな」
ということで、文化祭のイメージを出し合ってみた。
「お祭りだから、楽しい、とかワクワク?」
「そうですね。いつも授業をしている空間がお祭りの舞台になって……」
想像を膨らませているのか、軽く目をつむる。
「嬉しい、とか…………あとは」
ゆっくり目を開けて僕の方を見た。
「幸せ、とか」
「幸せ?」
「はい。色んなクラス回ってるとこ思い浮かべたら、幸せな気持ちになりました」
「ふふ、楽しみにしてるんだね」
物静かなイメージがあったから、想像とはいえ、文化祭を楽しみ幸せを感じてる二階堂くんは少し意外だった。
「先輩と」
「ん?」
「先輩と一緒に回ったら、すごく幸せだろうなって」
「えっ……」
言葉が出てこない。
射抜くような視線に胸が高鳴る。
「もし休憩時間が重なったら、一緒に回ってもらえませんか」
でも、こちらを見つめる瞳に、不安の色が混じっていた。
本当に、どうして僕なんだろう。疑問がずっと胸にわだかまっている。
でも、ストレートに気持ちを伝えてくれる彼のことをもっと知りたい。知ったうえで、誠実に返事をしたい。
「うん」と小さく頷くと、安心したように無邪気に笑った二階堂くんに、また心臓が速くなった。
