「6月は愛ちゃんが担当だよね?」
ゴールデンウィーク明けの教室で、同じクラスの調理部の子から「はい、これ今までのレシピね」とファイルを受け取った。
窓からの心地良い春風を感じながら、ペラペラと写真付きのレシピをめくる。
「そうだ、去年の6月は水無月だったな」
白い外郎の上にゆでた小豆を敷き、再び外郎液をかけて固まらせた和菓子。もちもちの外郎がレンチンでできて、みんなですごく感動した。
他の月のレシピも見ていると、「おおー囲まれてるねえ」と春哉の声が聞こえた。窓の外を友達数人と見ている。
窓側の席の僕も気になってのぞくと、体操服を着た軍団が移動しているところだった。
あれって……。
二階堂くんを中心に女の子が集まっている。
茶室で不意に見せた淡い表情なんて欠片もない。
クールというか迷惑そうなというか。
でも隣にいる男子とは親しそうだな、と思ったら、おもてなしの時に一緒に来てた子だった。
「もう何十人も振られてんだろ」「マジか。羨ましー」「俺にも女の子紹介してー」と春哉たちのグループが盛り上がっている。
その隣で、「ファンクラブあるらしいよ」「この前スカウトされてたの、友達が見たって」と女子たちが話している。
違う学年でも話題になるほど、二階堂くんは目立っていた。
放課後の調理室。いつもは手を洗ってエプロンを着けるけど、今日は支度する部員の邪魔にならないよう、調理室の端の方の机にファイルや筆記用具を準備して座った。
「愛ちゃんのペアの子、誰だろうね。2年か3年だと思うけど」
エプロンと三角巾をつけた子が、そわそわしてる僕に話しかけてくれる。
「あー……初めてだから緊張する」
「大丈夫大丈夫。進まなかったらみんな相談のるし」
「ありがと。でもいい機会だよね。お茶菓子って、普段調べたり作ったりしないから」
去年から始まった新たな取り組み。昨年度就任した茶道部顧問の提案により、月に一度、調理部で茶菓子を考えることになった。
茶道部の子とペアになって。
調理部にとっては茶道用のお菓子を考え作ることは勉強になるし、茶道部側にとっても一緒に考案し作り方を知ることで、より茶道について理解を深められる。
そのレシピ作りを、調理部は受験に影響のない2年生がしていた。
心地良い……。
緊張しっぱなしだったせいか、聞き慣れた包丁の音や鮭を焼く香ばしい匂いに、体も心も解凍されたみたいにゆるっとゆるむ。と、「失礼します」と引き戸を開けた意外な人物に一気に目が覚めた。
「――⁉」
慌てて立ち上がった僕に、その人が軽く会釈する。そして「茶道部のお茶菓子の件で来ました」と迷わずこちらにやってきた。そっか、僕だけエプロンしてないしファイルとか色々置いてるし。というか、もしかしてペアの子って――。
僕の前に来た彼が、丁寧におじぎした。
「6月の担当をする二階堂です。よろしくお願いします」
まさか1年生が来るとは思わなかった。
「こ、こちらこそ、よろしくお願いします」
変な緊張が走ったけど、女の子に囲まれて嫌そうにしてた雰囲気は全くなくホッとした。が、「座って」と勧めると、向かいじゃなく隣に座り、その距離の近さにまた心臓が跳ねた。
「二、二階堂くんって、茶道の経験者?」
今まで1年生が担当になることはなかった。ある程度の知識が必要だからだ。
「はい。小学生の頃からやってます」
「あ、それでなんだ。この前のお茶会、すごく所作が綺麗だったから」
素直な感想を伝えると、「ありがとう……ございます」とあの時みたいに照れくさそうに目をそらした。
無愛想だとか冷徹だとか、そんな噂を聞いたこともあるけど、噂はやっぱり噂だ。
どんなお点前をするんだろう。いつか見れるかな。
「えっと、まずこれに名前書いてくれる?」
とレシピ担当者が記入する書類を渡す。僕のは記入済だ。
「愛田、悠希先輩。……だから愛ちゃん」
「へへ、そうなんだ。仲良い子には愛ちゃん呼びされてて」
小学校の同級生に『ゆうき』がもう一人いたこと。それと背が低く女の子っぽかったから『愛ちゃん』となった。
高校でも可愛らしいあだ名が浸透してるのは春哉のせいだ。まあ、人生の半分以上『愛ちゃん』って呼ばれてるからもう慣れてるけど。
「さつき……くんって読むの?」
「はい」
二階堂紗月。
大人びた彼に似合う美しい名前だ。
緊張してるのか、あまり目が合わない。
「なんか、嬉しいな」
「え?」
「調理部って、男子は僕ひとりだから」
「あー……うちと同じですね」
女子ばかりの環境で、初めてできた男子の後輩。仲間ができたみたいで、なんだか嬉しい。
あの日お茶会で掛けてあった『一期一会』が蘇る。
――一生に一度の出会いを大切に
縁あって、こうして並んで座っている。
この出会いを大切にしたいと思った。
雑談をするうちに、目も合うようになってきた。
「何か訊きたいこととかある?」
すると早速質問が飛んできた。
「愛田先輩は、なんで調理部に入ったんですか?」
「えっと、僕、年が離れた妹がいるんだけどね、おやつとかご飯作ったらすっごく喜んでくれて」
弾ける笑顔で「おいしい~。お兄ちゃん大好き♡」なんて言われたら料理のレパートリーも増えてくる。
「あと部活は週2回だから、親が忙しい時に学童の迎えも行けるし」
出席も厳しくなく、部員も料理好きばかりで和気あいあいとしていて、自分にとても合っている。
「……妹さん、うらましい」
二階堂くんがなにかボソッとつぶやいた。
「え?」
「いえ、何でもないです」
「もしかして一人っ子?」
「はい。愛田先輩は他に兄弟いますか?」
「妹だけだよ」
得意料理は何ですか?好きな食べ物は?嫌いな食べ物は?と次々に質問され、様子を見に来た部長に「お見合いか」と突っ込まれた。
二階堂くんの独特な距離感に、可愛らしさすら感じた。
「茶会の目的とか季節とか、あとは掛け軸や花に合わせたりもしますね」
お菓子を作ったことはないらしいけど、茶菓子に関する知識は豊富だった。
「じゃあこの前の黄色い花のお菓子って」
「山吹ですね。4月の花なので、調理部の人を招いたときも生けられてました」
「そうだ。花とお菓子、揃えたっておっしゃってたね」
和室の凛とした空気に色を添えていた黄色。
「はい。あと黄色は明るい色なので、華やかさを出したい時にもよく使われますね」
「そうなんだね」
すらすらと出てくる知識に感心する。
「来月はどんなのにしよっか。夏はたしか……」
スマホでブクマしておいたサイトを呼び出す。
「あった。涼やかなのが好まれるって。寒天使ったのとか涼し気だよね」
そうですね、と彼がスマホを覗き込む。肩が触れそうなほど近い。
「透明感あるし、寒天使ったものも多くなりますね」
「花とか掛け軸はもう決まってる?」
「んー……まだだと思います。たぶん、こっちのお菓子に合わせてくれるかと」
だったら結構自由に作れそうだ。
「6月の花は、紫陽花とか花しょうぶとか蛍袋とか」
「紫陽花! だったら」
図書館で借りていた和菓子の本をめくって見せた。
薄紫や青で色付けした寒天を小さな四角に切り、手の上に薄くにのせる。そこに丸めた白餡を置いて優しく握れば、紫陽花の和菓子の完成だ。
「茶室の外に紫陽花植わってるし、葉っぱの上に載せたら風情がありますね」
「それいいね! じゃあレシピ書いてこっか」
テンションが上がったのも束の間、「あー、そっか、寒天かあ」と消沈した僕に「何かあるんですか?」と心配そうにのぞき込んだ。
「前日に作って冷蔵庫に保管しとくんだけどね。寒天って空気に触れる面が広かったら、乾燥したり菌が繁殖しやすくなって」
去年作った水無月は容器から出さず、表面にぴったりラップをつけて冷蔵し、当日切り分けたから問題なかった。
でもこれは細かく切るから空気にたくさん触れるし、かといって当日白餡にまぶして成形する時間もない。なんせ約40個だ。
「紫陽花、良い案だと思ったんだけどな……」
「そうですね」
他のお菓子も見てみようか、と本を手に取ると、ピー、ピー、と炊飯器の音が響いた。
「これ、持って帰れるくらい炊けたね」
としゃもじで混ぜる声にのって、炊き立てご飯の甘い匂いがこちらにも届く。
今日のメニューはおにぎりと豚汁だ。
お茶菓子どうしよう、とページをめくっていると、隣からぐぅ……とお腹の音が盛大に聞こえた。
「す、すみません。今日、あんまお昼食べてなくて……」
耳まで真っ赤にした二階堂くんの反応が意外で可愛くて、
「ふふっ、ちょっと休憩しよっか。一緒に食べよ」
と笑いがこぼれてしまった。
「でも、調理部員でもないし」
「大丈夫大丈夫、今日休みの人いてご飯余ってるみたいだし。それに僕もお腹すいてきて、――って、あ!」
そっか、その手があった。
彼に話すと、「それなら紫陽花つくれますね!」とすんなり解決した。
炊飯器の隣には、バジル鮭やたくあんと梅の和えもの、高菜明太チーズやしらす昆布といった変わり種がずらりと並んでいる。おにぎりパーティーだ。
すっきりした気分で手を洗ってエプロンを着け、三角巾を締める。
「具、何にする?」と透明のビニール手袋をはめると「愛田先輩の作った具ってありますか」なんて可愛らしいリクエストをされた。
「愛ちゃん懐かれてるじゃん」と女子からのあたたかい視線に、嬉しいやら恥ずかしいやらだ。今日は調理に参加できないから、きのう作っておいてよかった。
僕たちもみんなと一緒に「いただきます」と合掌する。
「やば……すげえ旨い」
えのきと昆布を甘じょっぱく煮た具のおにぎりを頬張る二階堂くんに、クッキーの時みたいにまた、心が満たされた。
「これお兄ちゃんが作ったの⁉」
大きな瞳を輝かせる夏希に、「きれいでしょ」と頬がだらしなく緩む。
僕が小学3年生のときに生まれた妹。赤ちゃんのころから可愛くて可愛くて、夏希の喜ぶ顔が見たくて作れる料理もどんどん増えていった。
「あじさい、宝石みたい」
お皿にころんと取りだした試作は、明かりを反射してきらめいている。
部活でご飯が余ったら、いつもラップにくるんでおにぎりにして部員で持ち帰っていた。
そう、ラップで、だ。
手のひらにラップを敷き、そこに紫陽花の材料を乗せてぎゅっと包む。
そのまま冷蔵庫に保管すれば、空気に触れる面積をかなり減らせる。しかも包みを解けば、形が整ったまま簡単に提供できる。
「食べるのもったいないな」
うっとり眺める妹の姿が、ふと二階堂くんと重なった。
あまり他人を寄せつけず無愛想に見えたけど、話してみると礼儀正しく、年相応の可愛らしさもあった。
レシピは茶道部調理部、両方の顧問からOKをもらえたし、6月に提供し終えたら、もうあんなふうに会うこともないだろう。学年も、部活も違う。
そう思うと、言い表せない淋しさが胸をよぎった。
ゴールデンウィーク明けの教室で、同じクラスの調理部の子から「はい、これ今までのレシピね」とファイルを受け取った。
窓からの心地良い春風を感じながら、ペラペラと写真付きのレシピをめくる。
「そうだ、去年の6月は水無月だったな」
白い外郎の上にゆでた小豆を敷き、再び外郎液をかけて固まらせた和菓子。もちもちの外郎がレンチンでできて、みんなですごく感動した。
他の月のレシピも見ていると、「おおー囲まれてるねえ」と春哉の声が聞こえた。窓の外を友達数人と見ている。
窓側の席の僕も気になってのぞくと、体操服を着た軍団が移動しているところだった。
あれって……。
二階堂くんを中心に女の子が集まっている。
茶室で不意に見せた淡い表情なんて欠片もない。
クールというか迷惑そうなというか。
でも隣にいる男子とは親しそうだな、と思ったら、おもてなしの時に一緒に来てた子だった。
「もう何十人も振られてんだろ」「マジか。羨ましー」「俺にも女の子紹介してー」と春哉たちのグループが盛り上がっている。
その隣で、「ファンクラブあるらしいよ」「この前スカウトされてたの、友達が見たって」と女子たちが話している。
違う学年でも話題になるほど、二階堂くんは目立っていた。
放課後の調理室。いつもは手を洗ってエプロンを着けるけど、今日は支度する部員の邪魔にならないよう、調理室の端の方の机にファイルや筆記用具を準備して座った。
「愛ちゃんのペアの子、誰だろうね。2年か3年だと思うけど」
エプロンと三角巾をつけた子が、そわそわしてる僕に話しかけてくれる。
「あー……初めてだから緊張する」
「大丈夫大丈夫。進まなかったらみんな相談のるし」
「ありがと。でもいい機会だよね。お茶菓子って、普段調べたり作ったりしないから」
去年から始まった新たな取り組み。昨年度就任した茶道部顧問の提案により、月に一度、調理部で茶菓子を考えることになった。
茶道部の子とペアになって。
調理部にとっては茶道用のお菓子を考え作ることは勉強になるし、茶道部側にとっても一緒に考案し作り方を知ることで、より茶道について理解を深められる。
そのレシピ作りを、調理部は受験に影響のない2年生がしていた。
心地良い……。
緊張しっぱなしだったせいか、聞き慣れた包丁の音や鮭を焼く香ばしい匂いに、体も心も解凍されたみたいにゆるっとゆるむ。と、「失礼します」と引き戸を開けた意外な人物に一気に目が覚めた。
「――⁉」
慌てて立ち上がった僕に、その人が軽く会釈する。そして「茶道部のお茶菓子の件で来ました」と迷わずこちらにやってきた。そっか、僕だけエプロンしてないしファイルとか色々置いてるし。というか、もしかしてペアの子って――。
僕の前に来た彼が、丁寧におじぎした。
「6月の担当をする二階堂です。よろしくお願いします」
まさか1年生が来るとは思わなかった。
「こ、こちらこそ、よろしくお願いします」
変な緊張が走ったけど、女の子に囲まれて嫌そうにしてた雰囲気は全くなくホッとした。が、「座って」と勧めると、向かいじゃなく隣に座り、その距離の近さにまた心臓が跳ねた。
「二、二階堂くんって、茶道の経験者?」
今まで1年生が担当になることはなかった。ある程度の知識が必要だからだ。
「はい。小学生の頃からやってます」
「あ、それでなんだ。この前のお茶会、すごく所作が綺麗だったから」
素直な感想を伝えると、「ありがとう……ございます」とあの時みたいに照れくさそうに目をそらした。
無愛想だとか冷徹だとか、そんな噂を聞いたこともあるけど、噂はやっぱり噂だ。
どんなお点前をするんだろう。いつか見れるかな。
「えっと、まずこれに名前書いてくれる?」
とレシピ担当者が記入する書類を渡す。僕のは記入済だ。
「愛田、悠希先輩。……だから愛ちゃん」
「へへ、そうなんだ。仲良い子には愛ちゃん呼びされてて」
小学校の同級生に『ゆうき』がもう一人いたこと。それと背が低く女の子っぽかったから『愛ちゃん』となった。
高校でも可愛らしいあだ名が浸透してるのは春哉のせいだ。まあ、人生の半分以上『愛ちゃん』って呼ばれてるからもう慣れてるけど。
「さつき……くんって読むの?」
「はい」
二階堂紗月。
大人びた彼に似合う美しい名前だ。
緊張してるのか、あまり目が合わない。
「なんか、嬉しいな」
「え?」
「調理部って、男子は僕ひとりだから」
「あー……うちと同じですね」
女子ばかりの環境で、初めてできた男子の後輩。仲間ができたみたいで、なんだか嬉しい。
あの日お茶会で掛けてあった『一期一会』が蘇る。
――一生に一度の出会いを大切に
縁あって、こうして並んで座っている。
この出会いを大切にしたいと思った。
雑談をするうちに、目も合うようになってきた。
「何か訊きたいこととかある?」
すると早速質問が飛んできた。
「愛田先輩は、なんで調理部に入ったんですか?」
「えっと、僕、年が離れた妹がいるんだけどね、おやつとかご飯作ったらすっごく喜んでくれて」
弾ける笑顔で「おいしい~。お兄ちゃん大好き♡」なんて言われたら料理のレパートリーも増えてくる。
「あと部活は週2回だから、親が忙しい時に学童の迎えも行けるし」
出席も厳しくなく、部員も料理好きばかりで和気あいあいとしていて、自分にとても合っている。
「……妹さん、うらましい」
二階堂くんがなにかボソッとつぶやいた。
「え?」
「いえ、何でもないです」
「もしかして一人っ子?」
「はい。愛田先輩は他に兄弟いますか?」
「妹だけだよ」
得意料理は何ですか?好きな食べ物は?嫌いな食べ物は?と次々に質問され、様子を見に来た部長に「お見合いか」と突っ込まれた。
二階堂くんの独特な距離感に、可愛らしさすら感じた。
「茶会の目的とか季節とか、あとは掛け軸や花に合わせたりもしますね」
お菓子を作ったことはないらしいけど、茶菓子に関する知識は豊富だった。
「じゃあこの前の黄色い花のお菓子って」
「山吹ですね。4月の花なので、調理部の人を招いたときも生けられてました」
「そうだ。花とお菓子、揃えたっておっしゃってたね」
和室の凛とした空気に色を添えていた黄色。
「はい。あと黄色は明るい色なので、華やかさを出したい時にもよく使われますね」
「そうなんだね」
すらすらと出てくる知識に感心する。
「来月はどんなのにしよっか。夏はたしか……」
スマホでブクマしておいたサイトを呼び出す。
「あった。涼やかなのが好まれるって。寒天使ったのとか涼し気だよね」
そうですね、と彼がスマホを覗き込む。肩が触れそうなほど近い。
「透明感あるし、寒天使ったものも多くなりますね」
「花とか掛け軸はもう決まってる?」
「んー……まだだと思います。たぶん、こっちのお菓子に合わせてくれるかと」
だったら結構自由に作れそうだ。
「6月の花は、紫陽花とか花しょうぶとか蛍袋とか」
「紫陽花! だったら」
図書館で借りていた和菓子の本をめくって見せた。
薄紫や青で色付けした寒天を小さな四角に切り、手の上に薄くにのせる。そこに丸めた白餡を置いて優しく握れば、紫陽花の和菓子の完成だ。
「茶室の外に紫陽花植わってるし、葉っぱの上に載せたら風情がありますね」
「それいいね! じゃあレシピ書いてこっか」
テンションが上がったのも束の間、「あー、そっか、寒天かあ」と消沈した僕に「何かあるんですか?」と心配そうにのぞき込んだ。
「前日に作って冷蔵庫に保管しとくんだけどね。寒天って空気に触れる面が広かったら、乾燥したり菌が繁殖しやすくなって」
去年作った水無月は容器から出さず、表面にぴったりラップをつけて冷蔵し、当日切り分けたから問題なかった。
でもこれは細かく切るから空気にたくさん触れるし、かといって当日白餡にまぶして成形する時間もない。なんせ約40個だ。
「紫陽花、良い案だと思ったんだけどな……」
「そうですね」
他のお菓子も見てみようか、と本を手に取ると、ピー、ピー、と炊飯器の音が響いた。
「これ、持って帰れるくらい炊けたね」
としゃもじで混ぜる声にのって、炊き立てご飯の甘い匂いがこちらにも届く。
今日のメニューはおにぎりと豚汁だ。
お茶菓子どうしよう、とページをめくっていると、隣からぐぅ……とお腹の音が盛大に聞こえた。
「す、すみません。今日、あんまお昼食べてなくて……」
耳まで真っ赤にした二階堂くんの反応が意外で可愛くて、
「ふふっ、ちょっと休憩しよっか。一緒に食べよ」
と笑いがこぼれてしまった。
「でも、調理部員でもないし」
「大丈夫大丈夫、今日休みの人いてご飯余ってるみたいだし。それに僕もお腹すいてきて、――って、あ!」
そっか、その手があった。
彼に話すと、「それなら紫陽花つくれますね!」とすんなり解決した。
炊飯器の隣には、バジル鮭やたくあんと梅の和えもの、高菜明太チーズやしらす昆布といった変わり種がずらりと並んでいる。おにぎりパーティーだ。
すっきりした気分で手を洗ってエプロンを着け、三角巾を締める。
「具、何にする?」と透明のビニール手袋をはめると「愛田先輩の作った具ってありますか」なんて可愛らしいリクエストをされた。
「愛ちゃん懐かれてるじゃん」と女子からのあたたかい視線に、嬉しいやら恥ずかしいやらだ。今日は調理に参加できないから、きのう作っておいてよかった。
僕たちもみんなと一緒に「いただきます」と合掌する。
「やば……すげえ旨い」
えのきと昆布を甘じょっぱく煮た具のおにぎりを頬張る二階堂くんに、クッキーの時みたいにまた、心が満たされた。
「これお兄ちゃんが作ったの⁉」
大きな瞳を輝かせる夏希に、「きれいでしょ」と頬がだらしなく緩む。
僕が小学3年生のときに生まれた妹。赤ちゃんのころから可愛くて可愛くて、夏希の喜ぶ顔が見たくて作れる料理もどんどん増えていった。
「あじさい、宝石みたい」
お皿にころんと取りだした試作は、明かりを反射してきらめいている。
部活でご飯が余ったら、いつもラップにくるんでおにぎりにして部員で持ち帰っていた。
そう、ラップで、だ。
手のひらにラップを敷き、そこに紫陽花の材料を乗せてぎゅっと包む。
そのまま冷蔵庫に保管すれば、空気に触れる面積をかなり減らせる。しかも包みを解けば、形が整ったまま簡単に提供できる。
「食べるのもったいないな」
うっとり眺める妹の姿が、ふと二階堂くんと重なった。
あまり他人を寄せつけず無愛想に見えたけど、話してみると礼儀正しく、年相応の可愛らしさもあった。
レシピは茶道部調理部、両方の顧問からOKをもらえたし、6月に提供し終えたら、もうあんなふうに会うこともないだろう。学年も、部活も違う。
そう思うと、言い表せない淋しさが胸をよぎった。
