104Hzから愛を込めて

 茜色に染まった教室で、朝野は寝ていた。
 補習が終わったって連絡が来て、その後すぐに『教室で寝てるから迎えに来て』なんて可愛いお願いをされたら、無視なんて出来なかった。
 というより、一緒に帰りたかったから、迎えに行かないなんて選択肢はない。その為にずっと放課後待っていたんだから、当然と言えば当然だ。
 
 高校に進学して、寮暮しになって、俺の情緒は物凄いスピードで成長を遂げていた。それもこれも、今目の前で穏やかに眠っている恋人のお陰でもある。
 ルームメイトになって、漫画を貸してくれたり、くだらない話を聞かせてくれたり、とにかく沢山のものをくれたお陰で、空っぽな身体が満たされていくのを、日々感じていた。
 

 ずっと悪夢を見続けている。
 そんな錯覚さえ覚える程、俺の人生にはいい事がまるでなかった。
 同級生達のように、家族旅行だなんてしたことがない。ゲームで遊ぶだなんてしたことがない。
 誰かと遊ぶだなんて、許してもらったことがない。

 英才教育といえば聞こえのいい、暴力のようなそれに耐えられる心は持っていなかった。
 激痛にも似た期待に応えられる技量はあっても、それから逃げ出せる知恵がなかった。
 痣がひとつ消える度に、また新しい痣がひとつ増える日々に耐えられず、俺は俺の心を殺した。なにもわからなければ、辛いと思ってることにすら気がつけないなら、痛みはないと思ったから。
 
 優しかった兄の死。
 母のヒステリックな絶叫。
 父の憎悪に捉われる身体。
 見失っていく自分自身。
 
 人生の半分は空っぽだった。
 死んでるのに身体だけが動いているような、そんな人生だった。
 朝野達に出会わなければ、今頃自分はどうなっていたのか、考えるのが恐ろしかった。想像するだけでもゾッとする。
 
 沢山のものを貰った。
 感謝をしてもしきれない。一生かけても返せない恩だ。こんなにも恵まれていていいのかと、たまに恐ろしくなる。
 朝野がどのくらい、その事に自覚的なのかはわからない。けど、これから知っていけばいい。
 少なくとも、俺は朝野から離れる気がない。
 

 ゆっくりと目が開く。
 オレンジ色が反射する綺麗な黒が、俺だけを写す瞬間。ずぐんっと心臓が妙な音を立てて疼く感覚。
 まだなんて言えばいいかわからないけど、多分、悪いものではないと思う。だって、こんなに愛おしいって思えるから。

「おはよ、朝野」
「……俺死ぬ時に思い出す景色、これがいいわ」
「……朝野?」
「佐柳がすんごく綺麗だなってこと」

 キラキラとした目を優しく細めて、俺を見上げている朝野以上に綺麗なものなのだろうか。
 俺はその辺、まだよくわかっていない。

「朝野」
「うん?」
「ずっと綺麗だ」

 異国の血が混じっている俺の少し青っぽい紫の目より、なにも混ざっていない朝野の目の方がずっとずっと綺麗だ。
 前にデートで行った博物館にあった黒曜石みたいな黒。それに色んなものが写るのが、凄く綺麗だ。
 目と同じ色の髪に沢山の色が反射するのが、俺の白髪?銀髪?よりずっと綺麗だ。

「朝野の方が、ずっと綺麗だ」
「おッ、前はよくんなことスラスラと……」
「嫌?」
「……やなわけないでショ」

 逸らされた目は照れ隠しだからだと知っているから、嬉しくなる。
 夕日に負けないくらい赤い顔を見つめながら、胸の中に生まれ始めた暖かい気持ちを大事に大事に抱え込んだ。