――今日も、朔先輩が来る。
放課後の茶道部。僕は着物を着て、お湯を沸かして、ドキドキしながら朔先輩を待っていた。
あれから朔先輩は週に一度程度、茶道部にお茶を飲みに来てくれていた。
二回目は他の部員達と鉢合わせたけれど、その他の日はやっぱり僕しかいなかったので、毎回二人でお茶を飲んだ。――そして、先輩は毎回、最後にぎゅっと抱き締めてくれる。
朔先輩が来るのは今日でもう七回目。抱きしめてもらうのも、きっと七回目になる。だけど、まだ慣れない。毎回同じようにトキめいて、初めてみたいに体中が幸せで溢れる。
僕は今日、一つ心に決めていることがあった。
僕はいつも、お茶を飲み終わった後、期待でソワソワしてしまっている。今日も抱きしめてくれるのかな、今日は朔先輩そんな気分じゃないかもって、毎回ドギマギしながら先輩の様子を窺ってしまう。
朔先輩はそんな僕の様子を見て、毎回クスリと笑い、そうして
「満月君、おいで」
と手を広げてくれるのだ。
いつもいつも、僕は受け身。
――今日は、朔先輩に『抱きしめてください』って、ちゃんと自分からお願いするんだ……!
入り口の方で音がして、僕はドキリとして振り返った。一瞬朔先輩だと思って、すぐにそうでは無いと気が付いた。
なんだかガヤガヤと、騒がしい複数人の声がしたからだ。
「ここ? ここなの?」
「なんか暗くね?」
「分かる、なんか薄気味悪い」
「あのー、すんません。誰かいますー?」
「は、はい」
遠慮の無い大声に僕が慌てて入り口に向かうと、そこには弓道着を着た大柄な生徒が三人立っていた。
――弓道着だ。
僕はドキッとしたけれど、その「ドキッ」に違和感を覚えた。
朔先輩が姿を見せてくれた時とは違う――嫌な感じの「ドキッ」だと感じたからだ。
分からないけど、三人は体格のせいもあってかなんとなく貫録がある感じがして、恐らく同学年では無い。先輩だと思うだけで僕は少し萎縮してしまった。
「あ、あの、何か御用ですか……?」
「ここで茶道の経験ができるって聞いて」
「合ってる?」
「は、はい。合ってます」
「じゃあお願い。今から、三人」
「あの、前日までに部員の誰かに連絡して、予約してもらわないといけないんですけど……」
「え、そうなの? ――あのさ、朔先輩がここでお茶飲ませてもらってるって聞いて来たんだけど」
「え?」
僕は目を瞬かせる。そして、“朔先輩”と呼ぶということはこの人たちは二年生なのかな? と思った。
「朔先輩、最近調子いいじゃん。その秘訣、ここで一年生の男の子がお茶立ててくれるんだって。抹茶飲むと弓道上手くなるって、聞いて」
――朔先輩が、自分からこの人たちに教えた?
それで、紹介してくれたということだろうか。
「まぁ、無理ならいいや」
三人組はあっさり帰ろうとする。一瞬迷って、僕は彼らを引き留めた。
「あ、あの大丈夫です。今日僕しかいないので。なんの準備も無いですけど、それでも良ければ……」
「では中にどうぞ」
僕は彼らを茶室に招き入れた。
「お上がりになって、そちらに並んで座ってください」
僕が畳を手で示すと、先輩たちはゾロゾロと畳に上がった。
――ああ、敷居を踏んだ。畳の縁は踏んではいけないのに。
和室を歩くときの伝統的なルール。この人たちは分かってないのか。
でもこれは僕がちゃんと、先に教えておかなくてはいけなかった。畳に馴染まない人は知らなくても仕方ないことだ。
――朔先輩は、当たり前に避けて歩いていたのにな。
頭の中で思わず朔先輩と彼らとを比べた。
彼らが喋りながら畳の上に胡坐を掻いて、僕は戸惑いながら声を掛けた。
「あの……、正座で座ってくださいね……?」
「えー、別によくない?」
「作法なので……」
「キビシーなぁ」
「あのさ、俺達別に茶道習いに来たんじゃないから。お茶飲ませてもらったら、すぐ帰るし」
「はぁ……」
僕は曖昧に返事をする。一応彼らは正座に座り直してくれたけと、朔先輩に紹介されてきたにしては、なんていうか、タイプの違い過ぎる人たちだ。
とにかく準備をしよう。僕は三人分の茶器を用意するため、彼らに背を向けた。
その間も三人はずっと話しをしている。途中、
「菓子タダで食えるのラッキー」
なんて聞こえてきて、僕はちょっとびっくりした。
部外の人が来た時には一席五百円いただく。これが部活の正式な決まりで、タダでは無い。材料費は茶道部の部費から出ているのだから当たり前だ。
でも、朔先輩のお菓子はいつも僕が個人的に買ってきていたし、抹茶が少し減るくらいはいいかなと思ったので、先輩からは料金を貰っていなかった。
だからこの人たちも無料だと聞いて来たのかなって、僕はそう納得した。ただ――
「あ、あの、今日は皆さんの分お菓子を用意して無いので、お茶しか無いです……」
朔先輩のために僕が用意した練り切りはあるけど、それは出さないでおきたいので。
「え、お菓子無いの?」
「抹茶ってめっちゃ苦いんだよね? きついかも」
「すみません、予め分かっていれば……」
丁寧に対応しながら、心の底には違和感があった。
――この人たち、弓道着なのにな。
本来ならば、大興奮でトキめくはずのシチュエーションだ。
でもなんていうか、この人たちには全然トキめかない。朔先輩とはまるで違う。着崩れてて、だらしなくて、弓道着姿が全然カッコ良くない。
――それに、横柄でなんだか怖い。
弓道着を着ていればそれでいいわけじゃないんだって、僕はそんな当たり前のことに初めて気が付いた。
弓道着を着た人の凛とした姿勢、真っすぐな眼差し、そして穏やかな優しさ。そういったものが組み合わさって初めて、僕はトキめくのだ。
「それにしても、最近の朔先輩すごいよな」
準備をする僕の後ろで、三人は雑談を続ける。
「なー」
「前から実力あったけど、彼女と別れてから全然だったのに」
僕は思わず、茶器を清めていた手を止めた。
「――朔先輩のスランプの原因って、それですか?」
僕が振り返ると、三人は一瞬僕を見て固まって、それから笑った。
「まあ、そういう噂」
「全然ダメダメになっちゃって、もうもう三ヶ月くらいか? このまま立ち直れないのかと思ってたのに」
「急になんにも無かったみたいにピシッとしちゃって、その理由が茶道部でお茶飲んだからだって言うんだぜ? そりゃ俺達も一回飲みに来てみたくなるよな」
「……」
僕はお茶を点てるための作業を再開する。自分の意思に反して、指が細く震えた。
――そうだ、そうだ、それはそうだ。
――あんなに優しくて素敵な人に、付き合っていた人がいないわけが無かった。
――そして、これからも。
放課後の茶道部。僕は着物を着て、お湯を沸かして、ドキドキしながら朔先輩を待っていた。
あれから朔先輩は週に一度程度、茶道部にお茶を飲みに来てくれていた。
二回目は他の部員達と鉢合わせたけれど、その他の日はやっぱり僕しかいなかったので、毎回二人でお茶を飲んだ。――そして、先輩は毎回、最後にぎゅっと抱き締めてくれる。
朔先輩が来るのは今日でもう七回目。抱きしめてもらうのも、きっと七回目になる。だけど、まだ慣れない。毎回同じようにトキめいて、初めてみたいに体中が幸せで溢れる。
僕は今日、一つ心に決めていることがあった。
僕はいつも、お茶を飲み終わった後、期待でソワソワしてしまっている。今日も抱きしめてくれるのかな、今日は朔先輩そんな気分じゃないかもって、毎回ドギマギしながら先輩の様子を窺ってしまう。
朔先輩はそんな僕の様子を見て、毎回クスリと笑い、そうして
「満月君、おいで」
と手を広げてくれるのだ。
いつもいつも、僕は受け身。
――今日は、朔先輩に『抱きしめてください』って、ちゃんと自分からお願いするんだ……!
入り口の方で音がして、僕はドキリとして振り返った。一瞬朔先輩だと思って、すぐにそうでは無いと気が付いた。
なんだかガヤガヤと、騒がしい複数人の声がしたからだ。
「ここ? ここなの?」
「なんか暗くね?」
「分かる、なんか薄気味悪い」
「あのー、すんません。誰かいますー?」
「は、はい」
遠慮の無い大声に僕が慌てて入り口に向かうと、そこには弓道着を着た大柄な生徒が三人立っていた。
――弓道着だ。
僕はドキッとしたけれど、その「ドキッ」に違和感を覚えた。
朔先輩が姿を見せてくれた時とは違う――嫌な感じの「ドキッ」だと感じたからだ。
分からないけど、三人は体格のせいもあってかなんとなく貫録がある感じがして、恐らく同学年では無い。先輩だと思うだけで僕は少し萎縮してしまった。
「あ、あの、何か御用ですか……?」
「ここで茶道の経験ができるって聞いて」
「合ってる?」
「は、はい。合ってます」
「じゃあお願い。今から、三人」
「あの、前日までに部員の誰かに連絡して、予約してもらわないといけないんですけど……」
「え、そうなの? ――あのさ、朔先輩がここでお茶飲ませてもらってるって聞いて来たんだけど」
「え?」
僕は目を瞬かせる。そして、“朔先輩”と呼ぶということはこの人たちは二年生なのかな? と思った。
「朔先輩、最近調子いいじゃん。その秘訣、ここで一年生の男の子がお茶立ててくれるんだって。抹茶飲むと弓道上手くなるって、聞いて」
――朔先輩が、自分からこの人たちに教えた?
それで、紹介してくれたということだろうか。
「まぁ、無理ならいいや」
三人組はあっさり帰ろうとする。一瞬迷って、僕は彼らを引き留めた。
「あ、あの大丈夫です。今日僕しかいないので。なんの準備も無いですけど、それでも良ければ……」
「では中にどうぞ」
僕は彼らを茶室に招き入れた。
「お上がりになって、そちらに並んで座ってください」
僕が畳を手で示すと、先輩たちはゾロゾロと畳に上がった。
――ああ、敷居を踏んだ。畳の縁は踏んではいけないのに。
和室を歩くときの伝統的なルール。この人たちは分かってないのか。
でもこれは僕がちゃんと、先に教えておかなくてはいけなかった。畳に馴染まない人は知らなくても仕方ないことだ。
――朔先輩は、当たり前に避けて歩いていたのにな。
頭の中で思わず朔先輩と彼らとを比べた。
彼らが喋りながら畳の上に胡坐を掻いて、僕は戸惑いながら声を掛けた。
「あの……、正座で座ってくださいね……?」
「えー、別によくない?」
「作法なので……」
「キビシーなぁ」
「あのさ、俺達別に茶道習いに来たんじゃないから。お茶飲ませてもらったら、すぐ帰るし」
「はぁ……」
僕は曖昧に返事をする。一応彼らは正座に座り直してくれたけと、朔先輩に紹介されてきたにしては、なんていうか、タイプの違い過ぎる人たちだ。
とにかく準備をしよう。僕は三人分の茶器を用意するため、彼らに背を向けた。
その間も三人はずっと話しをしている。途中、
「菓子タダで食えるのラッキー」
なんて聞こえてきて、僕はちょっとびっくりした。
部外の人が来た時には一席五百円いただく。これが部活の正式な決まりで、タダでは無い。材料費は茶道部の部費から出ているのだから当たり前だ。
でも、朔先輩のお菓子はいつも僕が個人的に買ってきていたし、抹茶が少し減るくらいはいいかなと思ったので、先輩からは料金を貰っていなかった。
だからこの人たちも無料だと聞いて来たのかなって、僕はそう納得した。ただ――
「あ、あの、今日は皆さんの分お菓子を用意して無いので、お茶しか無いです……」
朔先輩のために僕が用意した練り切りはあるけど、それは出さないでおきたいので。
「え、お菓子無いの?」
「抹茶ってめっちゃ苦いんだよね? きついかも」
「すみません、予め分かっていれば……」
丁寧に対応しながら、心の底には違和感があった。
――この人たち、弓道着なのにな。
本来ならば、大興奮でトキめくはずのシチュエーションだ。
でもなんていうか、この人たちには全然トキめかない。朔先輩とはまるで違う。着崩れてて、だらしなくて、弓道着姿が全然カッコ良くない。
――それに、横柄でなんだか怖い。
弓道着を着ていればそれでいいわけじゃないんだって、僕はそんな当たり前のことに初めて気が付いた。
弓道着を着た人の凛とした姿勢、真っすぐな眼差し、そして穏やかな優しさ。そういったものが組み合わさって初めて、僕はトキめくのだ。
「それにしても、最近の朔先輩すごいよな」
準備をする僕の後ろで、三人は雑談を続ける。
「なー」
「前から実力あったけど、彼女と別れてから全然だったのに」
僕は思わず、茶器を清めていた手を止めた。
「――朔先輩のスランプの原因って、それですか?」
僕が振り返ると、三人は一瞬僕を見て固まって、それから笑った。
「まあ、そういう噂」
「全然ダメダメになっちゃって、もうもう三ヶ月くらいか? このまま立ち直れないのかと思ってたのに」
「急になんにも無かったみたいにピシッとしちゃって、その理由が茶道部でお茶飲んだからだって言うんだぜ? そりゃ俺達も一回飲みに来てみたくなるよな」
「……」
僕はお茶を点てるための作業を再開する。自分の意思に反して、指が細く震えた。
――そうだ、そうだ、それはそうだ。
――あんなに優しくて素敵な人に、付き合っていた人がいないわけが無かった。
――そして、これからも。



