好きになるということ

「じゃあ、またな」

あれから1ヶ月。
なにかが変わることはなかった。
あの人と会うこともなければ【友人】との関係に良い方向の変化があったわけでもない。
自分自身の心情に変化があったわけでもない。

いつものように鉛がのし掛かり、隙間のない仮面を剥ぎ取り、汚染された空気を一気に吸い込む。

あの人のことはたまに思い出しはするが異性として意識する対象にはならなかった。

そんなありきたりな小説通りの展開には実際そうそういかないものだ。

今日も今日とて鉛のついた足を引きずりながらホームに向かい電車を待って電車に乗る。

電車が線路の切り替え部分に差し掛かり車内が大きく揺れ乗客同士がぶつかりあう。
悪くもないのに「すいません」という。

最近は「そうだね」「ありがとう」「ごめん(すいません)」しか言葉を発していない気がする。

顔の筋肉も固まり、あかさたなはまやらわ50音しっかり発音することができるかも怪しい。

電車のモニターではドラマの宣伝CMが流れていた。
「おまえのことが好きだ」
そんな賞味期限がとっくに過ぎた使い振る去れたイタイ言葉を男はいい、相手を抱きしめる。

どうやったら人を好きになるんだ。

俺は相手が気持ちよく話すためにいるだけの道具なんだ。
そうすれば嫌われることもない、嫌なことでもいいよと付き合って笑顔を見せていればどうにかやり過ごせる。
自分の居場所を確保するために自分を犠牲にする。
自分を犠牲にしているのか。
結局は自分の欲のために自分を苦しめている。
自ら自分の首をしめているわけか。

はっ、笑えるな。
だからと言って自分をだしても誰も振り向いてくれやしないだろう。

自分が口を開いたとき、周りの奴らの顔には右から左に通り抜けてますと書いてある。
そして、なにもなかったかのように自分たちの話をし始める。

それも大体異性の話や性欲の話、性行為やマスターベーション。
口を開けば息を吐くように次から次へとでてくる。

そればかり話してなにが面白いのか。
ただのイキリ男子の会話ばかりだ。
思春期の今、確かにそういったことが気になるだろうがTPOやデリカシーが全くないのはいかがなものか。

あぁ、俺、あいつらのこと貶してるわ。

なんだかんだあいつらと同類なんだな。

そう、いろいろ考えていると最寄りの駅に到着した。
「すいません」と言いながら人混みの中をかき分けて外にでる。

東京を少しでただけでも周りの景色はガラリと変わる。
ル○ネやエキ○ートなんかの商業施設がくっついているわけでなく駅の目の前に西○がドンと寂しくたっているだけの駅。

車のライトが目立ち周りは該当の灯りがポツンポツンと灯っているだけで夜の暗がりに月が遠くからほのかな光で足元を照らしていた。

いつからこんな人間になったんだろうな。

住宅街の路地を歩きながらふと考える。
本心をださず、相手を立てて、対立をさけて、自分の意見を伏せて、それでストレスを抱えて、相手の性にして、どうせ自分を理解してくれるやつなんていないんだって思い込んで、偽りの笑顔を浮かべ、息を殺して。

ずっとみんなと対等でいられない人間に。

はぁと大きなため息をつく。

「あいつ元気にしてるかな」

あいつが隣にいたときは俺は自然に笑えてた。

まだ子供だったからかもしれない。
まだ世の中を知らなかったかもしれない。
でもあいつがいたときの俺の世界は今と180度違った。

朝には雲一つない青空、夜には満点の星空がいつも輝いていた。

多分あいつとは対等だった。

家の前につく。
いつもは静かでリビングの明かりだけが薄いカーテンの隙間から漏れでている夜の静けさに似合った家だ。
しかし、今日はなにかが違う。

普段物静かな母親の声がうっすらと聞こえてくる。
ライブに外れ音漏れだけ聞きにきたファンのように耳に意識を集中させる。

父親の笑い声もきこえてくる。
変なやつがいるわけではなさそうだが、第三者が家にいると思うだけで内蔵が飛び出しそうな思いになる。
ましてや普段誰かを招くことがない親が笑い声をあげるほどのやつとなると余計怖い。

家の中でも仮面をつけなくちゃならない。
重い鉛を拭う場所が、呼吸する場所をがなくなってしまうから。

そんなこと言ったって起こった事実は変えられないからぐっと自分の胸ぐらを掴み一回深呼吸をする。

仮面をかぶって前髪を整える。
少しでも【いい人】を演じるために。

「ただいま」
「おかえりぃ、はやくおいで」

玄関を開けるとリビングにつながるドアから母親が顔をだし待ちくたびれと言わんばかりにそういった。
母親の嬉しそうな、そして楽しそうな顔は久しぶりにみた。

実の息子の自分ですら母親を笑顔にさせられないのに。
っと心の隅で悔しく、また嫉妬した。

どんなやつだろう。

緊張、恐怖、不安、嫉妬、まだ相手の顔すら見ていないのにいろんな感情を心中に抱えながらサブバックの紐を肩にかけ直してリビングのドアを開ける。

ガチャッ……。

目の前に座る人物。
ドアが開くのと同時に俺の方に体を向けた。
そいつの顔をみた瞬間、大きく目を見開いて…

「やし、ろ…」
「よう、俺のお姫様」