紺野の八つ当たり事件で、図らずもずっと胸にあった気持ちが恋心だと自覚した。
あの日、そのまま想いを伝えてみようと思ったけれど、何をどう伝えればいいのかと悶々と考えている内に、部活が終わり、それぞれに帰宅してタイミングを逃してしまってから、何も言い出せずにいる。
だって、考えれば考えるほど、今のままでいた方がいいのではないかと思えてくるのだ。
男同士。
先輩と後輩。
配信者とリスナー。
有名人と一般人。
恋人ではなく、別の形で一緒にいられる方法はいくらでもある。
それなのに、何度他の道を考えてみても、俺じゃない誰かが朝凪先輩の恋人やパートナーになった時、俺が一番近くに居られなくなる事を思うと、堪らなくなった。
止まらない、伝えたい気持ち。
だけど今の関係を壊してしまうのではと怖気付いてしまう、俺の背中を誰か押してくれないだろうか——そう思った時に目に入ったのは、格ゲーの画面だった。
そうだ、夏休みの終わりにショッピングモールで開かれる学生向けのeスポーツイベントがあるじゃないか。
今の自分が告白を尻込みしているのは、きっと自分の未熟さが恥ずかしくて、先輩に胸を張って言えるほどのものがないからだ。
それならば、初めて挑戦する舞台で成績を残せたら、その時には。
単純なもので、目標が決まるとやるしかないとスイッチが入った。
夏休み期間中、場数のある朝凪先輩や紺野に、どんな対策が必要なのか聞いてみると、相手の癖を読む「人読み」が大事だということを教わった。イベントに出場するチームや個人勢の名前も共有されていたので、使っているキャラクターや特徴的な動きを朝凪先輩や紺野に再現してもらいながら練習をしていく。
「伊熊くん、イベントに向けてかなり気合入ってるね」
「初めての舞台でいい成績残せたら、自分に誇れるものができるなと思ってて」
「今までの努力だけじゃ満足できない感じ、伊熊くんらしくていい。頑張れっ」
その声、言葉で、どれだけモチベーションが上がるのか、言った本人は知らないのだろう。そして、その活力の先、あなたに何が待ち受けているかも。
* * *
あっという間に時は過ぎ、イベント当日。
思った以上に多くの人が特設ステージの前に集まっていた。
他の部活メンバーは顔見知りが多いようで、各々ステージ近くには居るものの、バラけて会話に花を咲かせている。中でも牛木先輩と朝凪先輩は、その界隈ではなかなか有名人らしい。2人の周りには人集りができていた。
俺はその様子を眺めつつ、緊張で強張っている体をストレッチや手のマッサージで解すのに必死だ。
「伊熊くん、大丈夫?」
「あれ、朝凪先輩……かなりの人数に囲まれてたはずじゃ」
「うっしーに協力してもらって、抜け出してきた。手、出して」
「は、はい……」
「やっぱり冷たい。大丈夫……大丈夫、今まで一緒に頑張ってきたし、どんな結果になっても……今日ここまで来たことが、すごいんだから。あとは、交流会として楽しめたら花丸」
そう言って以前のように手を包んでマッサージをしてくれた。温かさに手の緊張は解れていくのに、心の中で決意は——固まった。
【伊熊】朝凪先輩。俺、今日のイベント頑張ります。先鋒戦で全勝できたら、イベント終わり、俺に時間をくれませんか?
マッサージされていない方の手で打ち込んだ文面を先輩に送信するが、両手が塞がってみれないだろうと思い、スマホの画面をそのまま見せてみた。
「いいよ」
何も知らない朝凪先輩は柔らかく笑って、俺の頭をポンポンと撫でる。
* * *
そして宣言通り、俺は先鋒戦で1ラウンドも落とすことなく、全勝を決め、部活メンバーと肩を組んでステージ上で喜びあった。
FPSチームも格ゲーチームも優勝して、表彰状や目録などの授与が行われた後、先輩たちは別室で地域の広報担当からインタビューを受けることになっていた。
「お疲れ。お前、この短期間でかなり強くなったよな」
「先輩と紺野にあれだけ扱かれたら強くなるって」
「……まあ、な。でも、めげずに努力し続けられるのって、お前の才能だと思うぞ」
あの一件以降、親しく話すようにもなったし、俺の努力を紺野も評価してくれたようで肩を組み合うくらいには仲良くなっていた。だが、ここまで詳細に褒めてくれたことはなくて、先輩から褒められた時とは別ベクトルでむず痒い気持ちになる。
「なんだよ急に。んでも一応、ありがとう」
「一応は余計なんだよ! あ、FPSチームの他メンツも俺も帰るけど、伊熊はどうすんの?」
「俺は……ちょっと予定があって、もうしばらくショッピングモールに居る」
「ふーん、そっか。じゃあ、お先」
「うん、また学校で」
軽く会話を流したように聞こえるが、紺野はニヤリと不敵な笑みを浮かべているのを見逃さなかった。多分、この後誰かと待ち合わせしてデートでもするのか?程度の邪推が彼の中であったのだろう。
そういう部分で青春、思春期真っ只中にいるのだと痛感する。
あながち間違ってはいないわけで。
まだインタビューに時間がかかるだろうと踏んで、イベント広場の近くに設置されているベンチに座って、先輩に向けてチャットを打ち込んでいくことにした。
言葉よりも先に、文字で。
その後に、ちゃんと言葉でも伝えよう。
【伊熊】
単刀直入に言います。俺は朝凪先輩のことが好きです。
最初は『Negoto』への憧れからでした。
バスケ少年だった俺が、怪我で自暴自棄になっている時に、偶然出会った『Negoto』の配信で聴いた声に、鮮やかなゲームプレイに目を奪われた。どんなに苛立ちそうな場面でも穏やかで、自分の努力に変換していく人柄を尊敬していました。
そしてまた偶然にも、朝凪先輩に出会ってしまった。
朝凪先輩を知っていく内に、『Negoto』の時の穏やかさの根本に苦労が隠れていたことを知って、俺は分不相応にも先輩のことを支えたいと思いました。
哀れみではなく、これまで俺の心を救ってくれた見返りとして。
そんな気持ちに近かった。
でも、紺野の俺に対する嫉妬心に触れた時、俺の中のこの気持ちも嫉妬心や恋心なのではと自覚しました。他の誰かじゃない、先輩の傍にいるのは、俺じゃなきゃ嫌だって思うほどに。
返事はすぐじゃなくていいです。
でも、今日の先鋒戦で全勝できたら、先輩に胸を張って伝えられるって、覚悟決めて挑んだことは褒めてください。大好きです。
書き終わって、女々しいだろうかと思いながらも、覚悟が鈍ってしまう前に送信ボタンを、押した。
——バタバタバタッ
「え?」
慌ただしい、今にも転んでしまいそうな足音が聞こえて、その方向へ目をやると息を切らした朝凪先輩が駆け寄ってくるところだった。
「いっ、インタビューは?」
「ち、ちょうど、終わったところ……だった。それで……時間の約束、あったから……どこに居るのか、確認しようとしたら……長文、飛んできたし、内容が……その、えっと、うん」
「だからって、そんなに急いで来なくても……」
どっちも考えなしに突っ走った直後で、ふと我に返り、沈黙が流れて目を合わせるのも気恥ずかしくなってしまった。どうしたものかと視線を彷徨わせていると、息を切らした朝凪先輩の手が、小さく震えているのに気が付く。
それと同時にその手はゆっくりと俺の方へ伸びてきて、人差し指が額をツンと突いた。
突かれた場所を片手で押さえながら顔を上げると、朝凪先輩は真面目と困惑と照れが入り混じったような、なんとも言い難い表情をして。
「急ぐよ……あれは」
そうポソリと呟いてから、右隣に腰を下ろした先輩は、ベンチの淵を掴んでいた俺の右手をそっと左手で覆うように握ってくる。その指先はまだ、震えていて。
「驚いたけど、何より……嬉しかった。伊熊くんはさ、僕が『Negoto』って名前……使ってる理由、知ってる?」
「知らない、です。本名とも被ってないですよね?」
「うん、本名由来じゃない。昔、僕の特徴的な話し方を「寝言みたい」って笑われてね。確かにそう聞こえるかもって納得したら、前より自分の話し方を受け入れられるようになったんだ。それでユーザーネームはどこでも『Negoto』を使ってる」
懐かしむような顔のままこちらをチラリと窺ってから、また正面を向いて大きく深呼吸を一つ。心臓や心を落ち着かせようとしているのだろうが、握られた俺の手には、落ち着ききらない脈動が伝わってきて、だんだんと顔に、手に、体に熱が溜まっていく。
「い、急いだ理由は……文字じゃなくて、ゆっくりでも……ぶ、不格好でも、自分の口で伝えたくて。その……何が言いたいかって、言うと……僕は。『Negoto』もまるっと、好きになってくれた……伊熊くんが、好き」
人通りのあるショッピングモールのイベントフロアで、先輩のひそめた声は吐息のように甘く感じて、一瞬で顔が真っ赤になるの分かるほど。
「っ……そんな風に、好きって言うの、なんか……ずるい」
「ずるいだなんて……インタビュー受けてる人に、ラブレター的な文面を送ってくる君ほどじゃあないでしょ」
「それは……」
「……伊熊くん、行こう。見つかっちゃう」
「え?」
照れ隠しの言葉や言い訳を探していると、先輩が真剣な声で行こうと囁き、優しく包むように握っていた手をぐいっと引っ張り、半ば強制的に立ち上がらせると、その手を離すでもなくスタスタと歩き始めた。
小さな子供が必死に親についていくようなチグハグな歩幅でついて行く。
手を引かれるままショッピングモールを抜け、人通りの少ない遊歩道まで来て、ようやく先輩は歩調を緩めた。
「先輩? 何から隠れてたんですか?」
「うっしーの姿が見えて、思わず。伊熊くんとの時間……まだ邪魔されたくなかったから、引っ張り回しちゃった……今更だけど、疲れてない? 大丈夫?」
「俺は大丈夫です」
「伊熊くんは、後悔しない?」
「何ですか、その質問」
「さっきのチャット見た時、僕は伊熊くんのことをどう思っているんだろうって考えてみたんだ。君が来てから部活が終わるのが寂しく感じたり、連絡が来なかったら不安になったり、紺野くんが伊熊くんの胸ぐら掴んでたあの時なんか気が気じゃなかった。家に招いたあの日も、今も、手を離したくないって思ってる……伊熊くんのことになると、わがままな気持ちが溢れてくるんだ」
横並びで歩きながら話している間は、繋いだままの手を眺めていたが、言葉が途切れたのに気付いて、腕を視線でなぞる様に顔を上げた。
目に映った先輩は優しい笑顔の中にほんのりと色っぽさが見え隠れして、ドキリとする。
繋いだままの手の甲を先輩の親指が行ったり来たりしながら、言葉が続く。
「こうして触れたら……もっと欲しくなって、僕はどんどん欲張りになる」
先輩の空いていた方の手が、夏の日差しで汗ばんで額にくっつく俺の髪を後ろに流すように撫で、大きな手がそのまま耳を塞ぐのと、その指先が後頭部まで届いて引き寄せられるのは同時だった。
唇が重なるまで。
そして、重なって離れるまでがどれもスローモーションのようで。
あんなに煩かった蝉の声が一瞬にして消えたように感じた。
「せん、ぱい」
「伊熊くんが思っている以上に、僕は面倒な人間かもしれない。あんな質問しておいて、今はもう手放してあげられないって考えてるくらいには」
「俺は……そんな先輩が、いい」
「物好きだなぁ。僕たち、恋人同士ってことでいいよね……航輝」
「——っ」
言ってやりたい言葉はたくさんあった。
でもたくさんありすぎて、喉元で渋滞して声にはならず。
でも早く伝えたくてコクコクと頷くと、今度はお互いの額が触れた。
暑いはずなのに離れたくなくて。
先輩のシャツの裾をキュッと握る。
「航輝、今日は……もう少しだけ一緒にいて」
「はい」
そう返事した瞬間、自分の名前を呼ぶ「航輝」という響きが、今までとはまるで違って聞こえた。
