ライムライト・ゲーム〜口下手先輩は憧れの配信者?〜


 4時頃になってようやく、眠気の限界で気絶するように寝落ちしたらしい。
 しかし、2時間後にはアラームによって強制的に意識を叩き起こされるわけで。

 ぼやぼやと思考にモヤがかかった状態で登校する。
 太陽の下に出れば少しはこのぼやけた思考も晴れるかと思ったのに、朝の柔らかな日差しではどうにもならなかった。
 入学してから最初の授業になるため、毎時間トレースするように自己紹介をしていくだけでいいのは幸いだった。
 それに、慣れたことを繰り返す時間よりも、初めてで新鮮な気持ちの時の方が体感時間は短いことが多い。今日はまさにそういう感覚で、あっという間に放課後になって、教室に残っている生徒もまばらになっていた。

 パソコン室へ向かおうと席を立ったその時、「興味を持ってくれて、嬉しい。」の声が二重になって脳内に響く。
 昨夜の配信を視聴したことで、パソコン室へ部活の見学に行くだけ。ただそれだけのことなのに、緊張する時間になってしまっていた。
 腰が重くなって、自然にストンと着席してしまう。
 どうしてこんなにも動けなくなっているのか、自分でも分からなくて、机に突っ伏し誰にも聞こえない小さな声で唸った。

「伊熊くんっている?」
「……俺、だけど」

 聞き覚えのない男子生徒の声が聞こえて、ガバッと体を起こし、声のした方へ顔を向けると、いかにもスポーツをやっていそうな爽やかな風貌の男子生徒が立っていた。自分がそうだと知らせるため、声を発するのと同時にその男子生徒に向けて軽く手を挙げると、向こうも君がそうなのかと確認するように手を挙げ小さく振り返してくれる。
 
「3年の先輩が待ってるよ」
「あ、うん。教えてくれてありがとう」
「おう」

 3年の先輩ということは、朝凪先輩か牛木先輩のどちらかだろう。
 迎えに来たのだろうか?逃げやしないのに、とも思ったが、少し前の自分の思考的には逃げ出してしまってもおかしくなかったなと気付いて、迎えに来てくれたのは正解だったかもと思い直した。
 モヤモヤする気持ちを深呼吸で追い出して、改めて席を立つ。

 教室の後ろの出入り口から廊下に出て、右側に目をやると、壁に背中を預けて待っている朝凪先輩が居た。
 長身で整った顔立ち、アンニュイな表情でスマホの画面を眺め、窓から差し込む真昼の日差しを浴びていると、モデルかと思ってしまうほど。近くを通る女子生徒のざわめきに朝凪先輩は気付いていないようだった——いや、気づかないふりをしていたのかもしれない。
 俺は先輩の手持ち無沙汰でぶらついている手首を掴み、つかつかと歩き出す。

「おわっ…………あ、伊熊くん」

 急な動きに一瞬驚いた様子でスマホから顔を上げたのが声の聞こえてくる位置で分かった。ちらりと先輩の方に目をやると引っ張られるように歩きながら、キラキラと効果音がつきそうな笑顔で俺を見ていた。
 階段を降り、パソコン室へ向かう道中、人が少なくなったことを確認してから先輩に声をかける。
 昨日、眠れない時間に上手く言葉が出てこない人の特徴や原因、対応策などのネット記事を眺めていた。そこには緊張から吃りが強くなると見掛けて、少しでも話しやすい状況にしてあげたかったのだ。

「わざわざ迎えに来たんですか?」
「うっしーからのミッション、的な」

 何を言っているんだろと朝凪先輩の方へ目を向けると、スマホの画面が向けられていた。そこには牛木先輩とのメッセージのやりとりが表示されていて、一度足を止めて内容を確認することにした。
 そこには「伊熊くんを教室(1−2)まで迎えに行って、一緒にコントローラーとかの機材を運んできて」とあった。

「うっしーは、FPS。僕は、格ゲーの担当だから……伊熊くんが格ゲーするなら、僕が……面倒見る……って、こと。コントローラーは種類があるから……選んでもらう目的もあって……でも、えっと、その…………迎え、嫌……だった?」
「俺は、嫌じゃないですけど……1年生のフロアに3年生が居ると注目の的になるし、朝凪先輩の方がしんどいんじゃないかと思って。心配になったというか」

 きょとんとした顔で数十秒ローディング状態になっている先輩を眺めていると、納得したのか何度か頷いてから、元のニコニコと愛嬌のある笑顔に戻った。

「心配してくれてありがとう……正直、緊張して落ち着かなかった」
「迎えは今日みたいに用がある時だけにして、無理しないでくださいね」
「うん」
「機材がある場所はどこですか?」
「こっち」

 前日のように先導してれる先輩の背中を追った。

* * *

 コントローラーは職員室の隣にある準備室にあった、真新しい箱に入っていた。こういった機材は朝凪先輩や牛木先輩の家にある予備のものを持ち込んでいるらしい。
 新設の部活動で予算が豊富でないことと、手に馴染みのあるものを使いたいという先輩たちの意見が尊重されたようだった。
 自分自身が格ゲーに触れたのはゲームセンターだけと話すと、アーケードコントローラー、通称アケコンを1つ持っていくことになった。朝凪先輩はゲーム機に付属しているようなコントローラー、ゲームパッドで操作していると教えてくれた。

 パソコン室に着くと昨日見かけなかった生徒が何人か増えている。

「熊、昨日ぶり。アケコン置いたら早速、紹介してもいいか?」
「はい」

 近くの空きスペースにアケコンを置いて、牛木先輩の隣へと並ぶ。

「先に俺とか、FPSでチームになってる面子から紹介させてもらうな。俺は牛木快晴。3年でFPS……ゲーム上でやるサバイバルゲーム的なやつ、知ってる?」
「はい、ゲームタイトルもいくつかは。見る専ですけど知ってます」

 配信動画を見るようになってから、他の有名ゲームをプレイしている人たちの動画や、大会の広告が出て来るようになり、触ったことはないまでも存在は把握していた。
 
「そかそか、じゃあ簡単に。FPS歴は5年とかそこらで、U18の大会とかにも出てる。この部活でも出たいんで後輩の育成を頑張ってるところだ。うちのチームは俺と、2年生の田嶋、野崎。1年生の宮部、土岐の合計5人でやっていくって感じだな」

 紹介されたチームメンバーはそれぞれ名前を呼ばれる毎に手をあげたり、会釈をして、それだけで統率が取れているのを理解した。
 まだ名前を知らない人物は、あと1人。

「うっしー、悪い。格ゲー側も……紹介、してもらっていい?」
「仕方ねぇな」

 牛木先輩は困ったような表情は作るものの、いつものノリといった感覚で声としては明るく好意的なのが分かった。先輩たちの普段の中の良さを垣間見た気がした。
 でも気になったのは、視界の端にいるまだ名前も知らない男子生徒。彼は明らかにがっかりした様子で横を向いてため息をつく動作を隠しもしないところに、俺は嫌な感覚を覚えた。あの態度をする根っこに、朝凪先輩のことがあるように感じたから。
 牛木先輩は俺が彼の方を見ているのを感じ取ったのだろう。

「あいつは熊と同じ1年生、紺野彰太(こんのしょうた)。格ゲー歴は3年くらいだったかな。紺野もU18の大会に出場してるから、俺とか怜、田嶋とは顔馴染みでもある」

 紺野は自分の名前が呼ばれるとハッとするも、無愛想な表情はそのままに会釈で場を濁した。
 
「……やっぱり経験者ばかり、なんですね」
「誰だって何だって、始めなきゃ初心者にだってなれないだろ。その辺は気にするな。興味を持って足を踏み入れてくれたことだけで進歩だし、最初から怜が手取り足取り教えてくれるなんて、熊は運がいい」

 牛木先輩は含みのあるニヤニヤ顔を朝凪先輩に向け、がっしりと肩を組んで引き寄せた。朝凪先輩は困っているようにも、照れているだけのようにも見える表情で「いやいや、そんなことは」というようなことをもごもごと呟いている。
 その様子を俺は何のことだろうと不思議に眺めていたが、紺野は事情を知っているようで、面白くなさそうな表情を浮かべて、俺の方をジトリと睨む。何やらシンパシーを感じる部分もあるが、そんな態度でこられるとこちらも良い気はしない。まだ視線が向いているのを確認してから、負けじとへの字口横線してやる。
 反応が返ってくると思っていなかったのか、少し驚いた顔をしてからフイッと顔を逸らすとそのまま近くの自席へ不機嫌そうに腰を下ろすと、ヘッドフォンを装着して全てをシャットアウトしてしまった。

「熊、詳細は実際にプレイしているところ見せてもらったり、本人の口から聞かせてもらうといい。その方が親睦も深まるし、やってみた方がこういうのは分かりやすいからな。よし、最後に熊の自己紹介よろしく」
「あ、はい。伊熊航輝、1年生です。格ゲーはゲーセンの筐体を触った程度の初心者です。格ゲープレイヤーの配信を見ることが多くて、eスポーツに興味が湧いて見学に来ました。よろしくお願いします」

 部員の一人ずつ見ながら自己紹介をしていくと、意図せず「配信」と言うタイミングで視線は朝凪先輩へ向いた。ほんの少しだったけど、ひくりと肩が揺れたのを見逃さなかった。
 やっぱり、そういうことなのだろうか。

 ——答え合わせの時は、すぐに訪れた

「怜、詳細な指示とかはチャットで。とりあえず電源入れて」
「うん」

 牛木先輩は端的な指示だけ伝えると、部員はそれぞれに普段の定位置があるようでサッと着席していく。

「僕たちは、こっち」

 朝凪先輩について行って促された場所に座って、電源を入れたり、自分自身の機材の設定やチェックをしていく先輩の様子をしばらく眺めていたが、スマホが震えたのに気付いてポケットから取り出し確認する。

【牛木】昨日の話だと、入部決定してからDiscordに呼ぶって言ったんだけど、連携しやすいようにもう招待しちゃっていいか?
【伊熊】はい、大丈夫です。よろしくお願いします。

 返事をすると、すぐに招待ページが送られてきた。Discordの画面に飛んでサーバーの内容を確認すると、格ゲーのテキストチャンネルを開いた瞬間、目に飛び込んできたのは『Negoto』という名前だった。

「えっ!!」

 思わず出てしまった声に自分自身で驚いて、周囲を確認するように顔を上げると、今度は目の前のモニターに釘付けになる。オンラインのトレーニングモード画面には見慣れたキャラクターと、上部のゲージ下に表示されているユーザーネームにも『Negoto』と出ていた。
 一瞬、これは現実なのか、自分の妄想なのか分からなくなる。
 考えないわけではなかったけれど、でも、こんな近くで対峙することになるなんて——

「だ……大丈夫?」
「あ、いえ、あの、ちょっと頭がこんがらがっちゃって……えっと、アケコンの線って、繋ぐ場所って下でしたっけ?」

 急に声をかけられて更にテンパった俺は質問したのに、返事を待たず、テーブルの下に潜り込んだ。まるでそこに隠れようとしているみたいに。
 バスケットボールをやっている時だって、プレイスタイルに憧れて尊敬していた先輩がいた。その時だってこんな風になったことはなかったのに、今は心臓が皮膚を突き破って飛び出してきそうなほど強く胸を叩いている。
 芸能人にでも会ったような……あまりにも生活に溶け込みすぎて普通に感じていたけれど、自分が『Negoto』に対してこんなにも強烈な憧れ、もはや崇拝に近い気持ちを持っていたのだと初めて思い知った。

「伊熊くん? 接続場所、わかる?」
「あ、はい」

 線を差し込んだ後、自分がどんな顔をしているのか分からず、どうやってここから出ていけばいいのだろうと頭がいっぱいになっていた。だから机の高さなんて忘れて普通に頭を上げてしまった。
 ——ゴツッ

「いっ! ……痛、くない」
「せ……セーフ」

 朝凪先輩の声に振り向くと、こちらを覗き込んでにこりと笑った顔が見えた。そしてよく見ると、自分が頭をぶつけたであろう箇所には先輩の手の甲があって、ぶつかる前にガードしてくれたのだと分かる。
 先輩の優しさに、また一段と心臓の鼓動が激しくなって、胸なのか、腹なのか分からない位置が痛い。

 思考も鼓動も落ち着かないままで、どんな顔をしていいのか分からないままに、埃っぽいにおいと共にゆっくりと机の下から這い出した。
 這い出したはいいけれど、先輩の方を見ることもできない。
 すると、机に置いたままだったスマホが震えた。

【Negoto】大丈夫?頭ぶつけたところ、痛くない?たまにやっちゃうよね、僕なんかはよくやってうっしーに笑われてる。恥ずかしいかもと思って個人の方で声掛けちゃった

 どうやら俺の様子が変なのは、頭を机にぶつけた失態を恥ずかしがってのことだと先輩は解釈したようだった。ゆっくりと先輩の方に視線を向けると、口パクでも(だいじょうぶ?)と確認してくれる。周囲に悟られまいとする気づかいなのだと分かる。

【伊熊】大丈夫です。先輩も、手、痛くなかったですか?大事な手なのに、ごめんなさい。それにいろいろ気づかってくれてありがとうございます
【Negoto】僕の手は大丈夫、全然痛くなかったよ!伊熊くんが無事ならそれでよし、気にしないで

 Discordのチャットでの返信は会話をするよりも何倍も早く、テンポ良く感じる。牛木先輩が詳細はチャットでと言っていたのは朝凪先輩のこの性質を知っていたからだったのかと腑に落ちた。

【伊熊】先輩って、言葉で会話するよりも、チャットとかでやり取りする方が楽だったりしますか?もしそうなら、こっちでのやり取りをメインにしようかと思って
【Negoto】え!それはすごくありがたい!……お恥ずかしながら、耳から入った情報を整理するのがすごく苦手であんまり上手く話せないんだ。目から入った情報に対しては問題ないし

「文字に対しての返事は、多分皆と同じように会話でも返せるんだけどね。こんな風に。それにしても伊熊くん、よく気付いたね」

 分かってくれたことに対する嬉しそうな表情の朝凪先輩。
 朝凪先輩が上手く話せない理由と、『Negoto』の時には上手く話せる理由、そのピースがかちりとはまった。
 俺は——まだ喋り出せずにいる。
 さっきまでの先輩と俺とでは、まるっきり逆転してしまった。
 聞きたいこと、言いたいことが大渋滞して。
 何から話せばいいのか分からない。
 俺は、朝凪先輩の苦労を片鱗を見た気でいる。