【短】追いついて、隣で。




「澄水、ちょっといいか」


 練習終わりの夕方。帰ろうとせずにプールサイドに残っている澄水を見て、瑞稀は思わず声をかけていた。

 自分一人で処理しようと思っていたものの、なにもかもが分からなくて仕方がないし、むしろ集中できなくなってきてこうするほかなかった。澄水が離れていきそうだった三週間、瑞稀にとっては苦しかった。


「なあ、最近なんなの。一緒にいてくれなくなったし」


 久々に隣に座りながら、質問する。


「俺、なんかした?」


 澄水は持っていたナップサックをぎゅっと握った。視線が下に落ちて、それからなんとなく話しだす。


「瑞稀、楽しそうだよね。……速くなって、周りも瑞稀のこと見るし」

「……嫉妬ってことか?」

「違う」

「じゃあ、なに」

「分かんないよ」


 また、あの表情だ。『瑞稀って、誰とでも楽しそうだよね』――そう言ったときと同じ。

 無性にむしゃくしゃしてくる。澄水はあのときも自分がどう思っているかを言わずに、曖昧にして瑞稀に伝えた。気持ちがつかめなくて、もどかしい。


「はっきり聞くけど、なんで避けんの」


 早く答えが知りたくて単刀直入に聞いた。


「――好きだから、かな」

「好きって、その」

「恋愛として。好き」


 中途半端に彷徨っていた視線が、ぴたっと止まった。しばらくしてから、視線は忙しなく動き出す。

 好きだと言われたのは納得している。だがそれは事実としての納得でしかなかった。

 いざ本人から言われてみると、自分がどうすればいいか分からなくて、どうしたいかが分からなくて、戸惑った。


「で、でも、それって理由にはなんないだろ。避けられる理由には」

「……ならないね」

「そうだったら、」

「だって瑞稀、俺に勝ったら俺といてくれなくなるでしょ?」


――え。


「いつも俺と一緒にいてくれるのって、俺に勝つためでしょ。てことは俺に勝ったらそばにいる必要なくなるじゃん」


――そんなこと。


「俺、瑞稀がいなくなるの嫌だし、なのにこの頃どんどん速くなるし……どうしたらいいか分かんないから避けちゃうし、そしたら俺のこと気にしてくるかなとか、思っちゃうし」


――そんなこと、絶対にないのに。


「ほかの部員と話してる瑞稀見るより、記録更新していく瑞稀見るほうがずっとしんどかった」


 ないのに、言葉が崩れた澄水の話を聞いて自分も同じだということに気付いた。

 隣にいたいけど勝ちたい瑞稀と、隣にいたいから負けたくない澄水。ほぼ同じだ。
答えは、すぐに出た。


「……俺、澄水に勝ちたい」

「瑞稀……?」

「まだ一回も勝ててないし、ずっと憧れだし目標だし。でも、」


 澄水はなんでそんなことを考えたのだろう。

 勝ったら終わり? そんなわけない。

 ずっと澄水と泳いでいたい。隣にいてほしい。



――俺だって嫌だよ、勝ったせいで澄水がいなくなるのは。



「勝ち負けとかそういうの全部どうでもよくて、絶対澄水の隣がいい!」


 思わず、だった。自分がどうしたいかに気付いて、伝えるなら今しかなかった。

 澄水も思わずだった。自分がずっと求めていた人から、求められていることを知って、驚き、安心して、――そっぽを向いた。片手は赤くなった顔を隠すように覆って。

 それから弱い声で、


「瑞稀からそう言ってもらえてよかった」


 と呟く。


「……澄水、ちなみにきっかけ、は」


 そんな澄水に自分のどこに惹かれたのかを聞きたくなって、勢いだけで言う。


「えっと、……小学生の頃からもともと瑞稀のことは特別で、そこからじわじわというか。いつとかなにってはっきりしてるわけじゃないけど。……瑞稀は?」

「俺は……なんだろ、澄水に嫉妬されたのが嬉しかったから、かな? なんで? 俺のこと見てくれてるから?とかって考えたときに、そうかなぁ……って」

「ほんとは俺、瑞稀に引かれたかと思ってた……」

「引くわけないだろ!」


 それはそっか、瑞稀だもんね、と澄水は言う。『明日の大会、頑張れそう』とも。


「あーっ! そうだ、明日大会じゃん! 今日寝られるかな……」


 あっという間に元通りになった瑞稀を見て、澄水もかすかに遅れて笑う。


「それ、記録会のときも言ってたよね」

「しょうがないだろ、緊張するんだから!」

「多分俺のほうが緊張してるよ。いろんなプレッシャー抱えてたんだから」

「それだったらこっちだって『伸びてる人』っていうプレッシャーあるし!」


 おもむろに澄水はナップサックを手に取った。置いてあったリュックも持って立ち上がる。瑞稀も慌てて荷物をまとめた。


「……澄水!」

「なに?」

「俺も一緒に帰っていい?」


 妙にかしこまった様子の瑞稀に、澄水は迷いのない口調で答える。


「もちろん」


 その日の帰り道は、ずっと隣だったはずなのに妙に近く感じた。