あの曲みたいな恋だった。

 
#1


(あずさ)、別れよう」

春うらら、って言葉がピッタリな穏やかな春の午後。

あたしは学校の裏庭で、付き合って3ヶ月経つ彼氏から別れの一言を告げられた。

「なんで?」

まず最初に出たのは、その一言だった。

「ん~他に好きな子出来たから?」

こっちが訊いてるのに、疑問形で返す彼。

わかってたよ。

最初から、あたしは本命じゃなかったってことくらい。

ただ、もうあたしに飽きただけでしょ?

やっぱり本命の方が良かったってことでしょ?

“他に好きな子ができたから”じゃない。

あたしの方が最初から浮気相手にされてただけだ。

「あっそ。あたしも別にあんたのこともう好きじゃないし。これでバイバイだね」

「……あ、ああ」

あたしがあっさりと別れを承諾したことに驚いたのか、彼は戸惑ったような表情を浮かべると、

「じゃあ…話は終わったから戻るわ」

そう言って踵を返し、校舎の方へ向かって歩き出した。

誰もいなくなった裏庭に、ウグイスの鳴き声が響く。

「何がホーホケキョよ。こっちはフラれてムカついてるって言うのに!」

今のシチュエーションに全くふさわしくない、呑気な鳴き声にムカついて思わず叫んだ時。

「鳥に八つ当たりするなよ」

誰もいないと思っていたのに、どこからかそんな言葉が聞こえてきた。

「誰?」

声がした方を探して周りを見回すと、裏庭の大きな桜の木の陰にある古ぼけたベンチに見覚えのある男子生徒が座っていた。

さっきは木の陰になっていて見えなかったんだ。

「っていうか、なんで森川(もりかわ)がこんなところにいるの?」

森川は同じクラスで隣の席の男子だ。

休み時間はいつも自分の席で本を読んでいる、いわゆる地味男子。

友達と話しているところも見かけたことがなく、陰では学年一の地味男子なんて言われているくらい目立たない存在。

だから、昼休み中でほとんどの生徒が教室か屋上でお弁当を食べているこの時間に、森川がこんな場所にいるなんて思わなかった。

「ここは静かに本を読んで過ごせるから」

そう言った彼の手には、確かに文庫本があった。

難しそうなタイトルの、あたしじゃ絶対に1ページも読めなさそうな小説。

「まさか椎名(しいな)さんがフラれるところを見ることになるなんて思わなかったけど」

なんか今さりげなくムカつくこと言われた気がする。

何か言い返そうとしたとき、ちょうど昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴った。

「じゃあ、俺は教室戻るから」

森川はそのまま校舎の方へと歩き出した。

「―あ」

だけど一瞬立ち止まって、

「泣きたいなら、俺がいなくなってから泣きなよ。授業中は誰も来ないから」

振り返って、そう言ったんだ。

「は? 何言ってんの?」

「さっきから泣きそうな顔してる」

「……え?」
うそ……そんなわけない。

だって、あんな浮気ばかり繰り返してるヤツ、もう好きじゃないし。

最初から本気じゃないってわかってたから、別に悲しくなんてないし。

だから別に泣きたくなんて……。

そう思っているのに、なぜか視界がぼやけていく。

遠ざかっていく森川の後ろ姿が、ゆらゆら揺れている。

悲しいのか、悔しいのか、自分でもよくわからない。

だけど、元カレの前では決して見せなかった涙が、今になって溢れてくる。

本当は、わかってるんだ。

いつもこういう恋しか出来ない自分が悔しくて、もどかしくて、どうしたらいいかわからないってこと。

“泣きそうな顔してる”

あんな、ほとんど話したこともない地味男子に見抜かれるなんて。

「……なんか、ムカつく」

結局、あたしは5時間目の授業をサボった。



【Side 夏樹(なつき) 】


穏やかな春の午後。

俺は、いつものように裏庭で本を読みながら昼休みを過ごしていた。

大きな桜の木の下にある古いベンチに座って、本の世界に入り込む。

誰もいない静かなこの空間は、読書をするのに最適だ。

だけど、今日はいつもと違った。

「梓、別れよう」

突然、耳に飛び込んできた言葉。

そっと木の陰から様子を窺うと、カップルらしき男子生徒と女子生徒がいた。

男子の方は顔が見えないけど、女子は同じクラスの椎名さんだとすぐにわかった。

「なんで?」

「ん~他に好きな子出来たから?」

ふたりはここに他に人がいるなんて気づきもせず、別れ話を続けている。

盗み聞きするつもりはないけど、静かな場所だから会話が丸聴こえだ。

「あっそ。あたしも別にあんたのこともう好きじゃないし。これでバイバイだね」

「……あ、ああ」
「じゃあ、話は終わったから戻るわ」

予想外にあっさりと話が終わり、男子の方はさっさと校舎の方へ歩き出した。

再び静かになった空間に、まるでタイミングを見計らったようにウグイスの鳴き声が響いたその瞬間。

「何がホーホケキョよ。こっちはフラれてムカついてるって言うのに!」

椎名さんが、苛立ったような大きな声で叫んだ。

「鳥に八つ当たりするなよ」

思わず口に出すと、

「誰?」

周りを見回して、椎名さんが俺の存在に気づいた。

「っていうか、なんで森川がこんなところにいるの?」

「ここは静かに本を読んで過ごせるから」

質問に答えると、椎名さんは俺が持っている文庫本に視線を移した。

今更隠しても無駄だし、はっきり言ってしまおう。

「まさか椎名さんがフラれるところを見ることになるなんて思わなかったけど」

俺の言葉に、一瞬椎名さんが不機嫌そうな表情を浮かべた。
「じゃあ、俺は教室戻るから」

聞こえてきた予鈴を合図に、俺はそのまま校舎の方へと歩き出した。

「―あ」

だけどさっきから気になっていることがあって、一瞬歩みを止めた。

「泣きたいなら、俺がいなくなってから泣きなよ。授業中は誰も来ないから」

他人の失恋現場を見たのなんて初めてだから、なんて言葉をかけたらいいのかわからないけど、思い切ってそう言ってみた。

「は? 何言ってんの?」

でも椎名さんは、意味がわからないというように言葉を返してきた。

もしかしたら、自分では気づいてないのか。

「さっきから泣きそうな顔してる」

「……え?」

その言葉に明らかに動揺している椎名さん。

きっと、そんなことを言われるとは思っていなかったんだろう。

彼氏の前でも俺の前でも平然とした態度を装っていたけど。

俺には必死に泣きたいのを我慢しているように見えたんだ。

戸惑っている椎名さんを残して、俺は教室へ向かった。

きっと、椎名さんはあの場所でひとり泣いているんだろう。

結局、5時間目が終わっても椎名さんは教室に戻ってこなかった。


#2


元カレと別れてから数日後の昼休み。

「椎名さん、2年生の子が呼んでるよ」

友達とお弁当を食べていたあたしに、クラスの子が声をかけてきた。

視線を向けると教室のドアの前に、大人しそうな女の子が立っていた。

「梓、知ってる子?」

一緒にお弁当を食べていた梨沙(りさ)に尋ねられたけど、顔も名前も知らない子だ。

それなのに、あたしに何の用があるんだろう?

「とりあえず、行ってくる」

不思議に思いつつ席を立ってドアの前まで行くと、

「あなたが椎名先輩ですか?」

大人しそうな見た目とは裏腹な冷たい声で言われた。

「そうだけど、あたしに何の用?」

初めて会う後輩に怒られる覚えなんてないんだけど。

「とぼけないで下さい! 私がアキラ先輩の彼女だって知ってたくせに!」

「え?」
突然声を荒らげて怒鳴られて、教室にいたみんなが何事かとあたしの方に注目している。

“アキラ”という名前でようやく事情を察知したあたしは、

「ちょっと、場所変えよう」

慌てて女の子の腕を掴んで教室を出た。

「あなた、アキラとつきあってるの?」

廊下の一番端にある階段の踊り場に着いたところで、あたしは掴んでいた腕を離して尋ねた。

「そうです。2年A組、秋山(あきやま) 詩穂(しほ)です」

やっぱり、この子がアキラの本命の彼女か。

会ったことがないから顔も知らなかったし、フルネームも今初めて知ったけど。

“シホ”って名前だけは、時々アキラの口から聞いていた。

つまりこの子から見ればあたしは彼氏の浮気相手になるわけで、確かに怒られるのも当然と言えば当然だ。

「あいつとはもう別れてるから」

あいつは、あたしよりこの今目の前にいる大人しくて真面目そうな秋山さんを選んだ。
だからもうこの話は終わりだ。

まだお弁当食べ終わってないし、さっさと教室に戻ろう。

そう思って教室の方へ歩きかけたとき、

「ちょっと待って下さい!」

秋山さんがあたしの腕を掴んだ。

「人の彼氏と浮気しておいて謝りもしないんですか!? 私、1年の時からずっとアキラ先輩のこと好きで、バレンタインの日にやっと勇気出して告白してつきあえることになって嬉しかったのに、たった2ヶ月で浮気なんて⋯⋯!」

そう言いながら、秋山さんが泣きだしてしまった。

これじゃ、なんだかあたしが泣かせてるみたいじゃない。

(っていうか、実際あたしが泣かせたようなものだけど)

そもそも、アキラはこんな秋山さんみたいな真面目な子がつき合えるようなタイプじゃないんだよね。

あいつ、多分あたし以外にも浮気相手いただろうし。

要するに、誰とも本気の恋なんかしてないってこと。
だけど、そんなことに気づかずに秋山さんは泣くほど本気でアキラに恋してる。

どうして、そんな風に本気で人を好きになれるんだろう。

こうやって浮気されて、嫉妬して、苦しんで、泣いて。

そんなの、バカみたいじゃない。

「あのね。ひとつ言っておくけど、アキラは秋山さんが思ってるような男じゃないよ。あたし以外にも何人も浮気相手がいるし、多分秋山さんのこともすぐに飽きると思うから」

「椎名先輩、ひどい⋯⋯」

「ひどいのはアキラでしょ。もっと傷つく前に早く別れた方がいいと思うけど?」

「……っ」

さらに泣きだした秋山さんを残して、あたしは教室へ向かった。

キツイことを言ってるのはわかってるけど、事実なんだから仕方ない。

だけど、この出来事が思わぬ波紋を起こすことになるなんて思わなかった――。


#3


翌日、教室に入った瞬間からいつもと空気が違うなと思った。

あたしに向けられている視線が冷たいし、一瞬こっちを見てヒソヒソと小声で話し合っている女子もいる。

「2年の子の彼氏と浮気してたんでしょ?」

「可愛ければなんでも許されると思ってるのかなぁ?」

「そういうの、マジウザいんだけど」

やっぱり昨日のことか。

偶然聞こえてきた会話で納得した。

たった1日でこれだけ騒ぎになるなんて、女子のウワサ力ってすごいとつくづく思う。

それに、昨日まで普通に話してた女子達があっというまに敵になる。

中学時代から何度も経験してきたことだから、もう慣れてしまった。

昼休みになると、昨日まで一緒にお弁当を食べていた梨沙が、あたしを避けるように他の子達のグループに入っていった。

朝からずっと感じる女子達の反感の視線と好奇の視線。
時々聞こえてくるあたしの陰口。

自業自得だとは思うけど、さすがに気が滅入るし、疲れる。

教室でお弁当を食べる気になれなくて、教室を出てある場所へ向かう。

人が来ない静かな場所と考えて思いついたのは、学校の裏庭だった。

そこは、予想通り誰もいなくて、静かだった。

5月の爽やかな風が、桜の木の葉を揺らしている。

その下にある古ぼけたベンチには、誰もいなくて。

あたしはそのベンチに座って、お弁当を食べることにした。

森川は昼休みいつもここにいるわけじゃないんだ。

ふとそんなことを考えている自分に驚いた。

別にあいつのことなんてどうでもいいし、誰もいない方が静かでのんびりできるし。

それに、あいつがいるかもなんて思ってここに来たワケじゃないし。

なんて、誰に対してなのかわからない、まるで言い訳みたいなことを考えていたその時。



「椎名さん?」

ウワサをすればなんとやら(正確には心の中で考えてただけだけど)、名前を呼ばれて視線を向けると、森川がいた。

「ごめん、もう食べ終わったから」

慌てて席を立とうとしたあたしに、

「いいよ、そこ座ってて」

森川は穏やかな口調で言った。

そして、

「なんとなくここにいる気がしてたし」

そう言葉を続けた。

「なんか、大変そうだね」

あたしとの距離を空けてベンチに腰掛けながら、森川がつぶやいた。

「別に、いつものことだから」

こんな風に恋愛絡みのことでハブられるのなんて、今に始まったことじゃない。

だから、あたしは大丈夫。

そう思っていたのに、返ってきたのは思いがけない言葉だった。

「落ち着くまで、昼休みはしばらくここに来れば?」

「え?」

「教室の中にいてひとりで過ごすのは辛いでしょ」

それって、ひとりが辛いなら昼休みはここで一緒に過ごしてあげるよってこと?
「意味わかんないんだけど。あたし、辛いなんて一言も言ってないじゃん」

そりゃあ、あのイヤな空気の中にいるのはウザいし疲れるけど。

「うん。でも、椎名さんがホントは寂しがり屋な人だって思ったから」

「は? あんたにあたしの何がわかるっていうの?」

同じクラスで隣の席って言ったって、ついこの前初めてほんの少し話しただけなのに。

「わかるよ、この前の椎名さん見てれば。ホントは泣きたいのに泣けないし、辛いのに平気なフリしてる。気持ちを素直に表現できないタイプでしょ」

「勝手にあたしの性格分析しないでよ」

なによ。なんなのよ。

なんでわかるの?

全部当たってるだけに、余計悔しい。

「でも、当たってるでしょ?」

そう言って、森川が笑った。

その笑顔に、ほんの一瞬心臓が大きく音を立てた気がした。

なに、今の……。

こんな地味男子の笑顔にときめくとか、ありえない!
「そんなに来てほしければ、来てあげてもいいけど」

さっき感じた胸の高鳴りをごまかしたくて、わざとそんな言い方をしてしまった。

「なんでそんな上から目線?」

だけど、森川は怒ることなくおかしそうに笑っている。

「気持ちを素直に表現できないタイプだから?」

そう言いながら、あたしも思わず笑っていた。

……変なの。

なんか、森川と話してると、調子狂う。

“ホントは寂しがり屋な人だって思ったから”

あんなこと言われたのなんて、初めてだ。

ずっと隠し続けてた本当のあたし。

地味男君に気づかれるなんて、悔しいけど……。

でも、本当は嬉しかったんだ。

【Side 夏樹】

いつからだろう。

椎名さんの姿を探すようになったのは。

入学当時から、目立つ存在だった彼女。

明るく染められた髪に、着崩した制服。

整った顔立ちをさらに際立たせるメイク。

絶えない恋愛絡みのウワサ。

次々と変わっていく彼氏。

椎名さんは、あっというまに校内で有名になった。

男子からは、「つきあってみたい美人系女子」と言われていて。

女子からは、「派手で男遊びが激しい」と反感を買っていて。

教師からは、「言葉がキツいし生意気だ」と注意されている。

だけどいつも堂々としていて、自分の好きなように生きている。

そんな姿が俺には羨ましく思えて、眩しく見えて。

気がついたら、椎名さんの姿を目で追うようになっていた。

「今度は2年生の子の彼氏に手を出したらしいよ」

「ホント懲りないね、あの子」
「でもさ、やっぱり男って見た目が綺麗なら性格悪くてもいいのかなぁ
?」

不意に聞こえてきたクラスの女子達の会話。

今朝から、いつもと教室の空気が違うような気はしていたけれど。

昨日の昼休みに修羅場があったということを、ウワサ好きの女子達が楽しそうに話している。

俺はいつも教室にいないから、知らなかった。

でも、これだけみんなが騒げば、吉岡さんも居心地が悪いだろう。

昼休み、椎名さんはいつも一緒に過ごしている女子と会話もせずさっさと教室を出ていった。

朝から絶えない陰口、向けられる冷たい視線にさすがの彼女も教室の中で過ごすのは辛いのかもしれない。

どこへ行くつもりなのかはわからない。

だけど、もしかしたら……。

そんな予感と小さな期待を胸に、俺はいつも通りの場所へ向かった。

そして、そこには本当に彼女がいた。


「椎名さん?」

名前を呼ぶと彼女は顔を上げて、


「ごめん、もう食べ終わったから」

慌てて立ちあがろうとした。

「いいよ、そこ座ってて」

別に、ここは俺だけの場所じゃないし。

それに、こうして椎名さんと会えることを本当は期待してたから。

「……なんか、大変そうだね」

さすがにすぐ隣に座ることはできなくて少し距離を空けて座りながら言うと、返ってきたのは椎名さんらしい言葉だった。

「別に、いつものことだから」

いつも、そうやって平気なフリしてるんだ。

だけど、気づいてる?

ホントは、また今も泣きそうな顔してること。

「落ち着くまで、昼休みはしばらくここに来れば?」

「え?」

突然の俺の提案に、椎名さんは驚いたように俯いていた顔を上げた。

「教室の中にいてひとりで過ごすのは辛いでしょ」

「意味わかんないんだけど。あたし、辛いなんて一言も言ってないじゃん」

相変わらず強がっている椎名さん。
本当に、素直じゃないんだな。

「うん。でも、椎名さんがホントは寂しがり屋な人だって思ったから」

「は? あんたにあたしの何がわかるっていうの?」

苛立ちったような視線を向けながらキツイ言葉を投げられて、一瞬怯む。

それでも俺は彼女と過ごす時間が欲しくて、必死に言葉を続けた。

「わかるよ、この前の椎名さん見てれば。ホントは泣きたいのに泣けないし、辛いのに平気なフリしてる。気持ちを素直に表現できないタイプでしょ」

本当は、この前だけじゃなくて、ずっと前から見てたけど。

今そんなことを言ったらさすがに引かれそうだから、そこは黙っておこう。

「勝手にあたしの性格分析しないでよ」

「でも、当たってるでしょ?」

俺の言葉に、椎名さんが一瞬悔しそうな表情を浮かべて。

そして、少しの沈黙の後、諦めたように言った。

「そんなに来てほしければ、来てあげてもいいけど」

「なんでそんな上から目線?」

「気持ちを素直に表現できないタイプだから?」

そう言いながら、やっと椎名さんが笑ってくれた。

その笑顔はまだぎこちないものだったけど、それでも俺に笑顔を向けてくれたことがすごく嬉しかったんだ。



#3


それから、なぜかあたしは裏庭で森川と一緒に昼休みを過ごすようになった。

と言っても、お互い会話はあまりなく、森川は初めて会った時と同じ難しそうな文庫本を読んでいる。

「ねぇ、その本そんなに面白い?」

「面白いって言うか…勉強になるよ。読んでみる?」

そう言いながら本を手渡されてページをめくってみたけど、

「うわ、文字びっしりだし。無理、無理」

案の定、1ページ目を見ただけでギブアップしてしまった。

「そんなに本嫌い?」

返した本をもう一度開きながら、森川が笑う。

「嫌い。っていうか、あたしマンガしか読まないし」

「そっか」

即答したあたしに、森川は少し残念そうな表情を浮かべた。

「森川は、なんでそんなに本好きなの?」

何気なく尋ねると、森川は少し考え込んでから答えた。

「違う自分になれるから、かな」

「違う自分?」
「主人公は、自分とは全く違う性格だったり、違う国の人だったり、違う時代の人だったりするだろ? 主人公と一緒に泣いたり笑ったり怒ったりして本の世界に入り込むと、違う自分になれた気がするから」

「……ふ~ん」

あたしには、正直よくわからないけど。

でも、瞳を輝かせて嬉しそうに話す森川は、なんだか少しだけカッコよく見えた。

いつも静かで目立たず、ひとりで読書ばかりしてる森川。

だけど、人のことをうわべだけで判断せずによく見てる。

最初はそれがムカついたりもしたけど、今は羨ましく思う。

それに、今はなぜか森川と過ごす時間が嫌いじゃないんだ。

彼が持っている雰囲気なのか、裏庭が静かな空間だからかはわからないけど。

ゆっくりと穏やかに流れていく時間と空気感が、あたしの心を落ち着かせてくれる気がして。

だけど、そんな穏やかな時間は、長くは続かなかった。
森川と昼休みに裏庭で過ごすようになって1週間が過ぎたある日の朝。

教室の前の掲示板に人だかりができていた。

「椎名さん、森川くんとこんな仲良くなってたの?」

「っていうか、ホント男なら誰でもいいんだね」

そしてその中から聞こえてきたのは、あたしと森川の名前。

何の話?

全く状況がわからないまま、人だかりの隙間から掲示板を見てみると…

目に飛び込んできたのは、あたしと森川が裏庭のベンチに座っている写真。

そして、その下に書かれた 『学年一の派手女子と地味男子の密会現場』という文字。

「なに、これ」

いつの間に隠し撮りされていたんだろう。

「森川、こんな男たらしのどこがいいわけ?」

……え? 森川?

その名前に反応して振り返ると、後ろに森川がいた。

ちょうど今登校してきたらしい。

「そういう言い方、やめろよ!
椎名さんはそんな人じゃない」
いつも穏やかな森川が、珍しく怒っている。

「うわ~そんなムキになるってことは、もしかしてマジで椎名に惚れてんの?」

近くにいた男子が、茶化すように森川に聞いた。

ちょっと、やめてよ。

森川があたしのことなんて好きなわけ―

「そうだよ」

――え? うそ、でしょ?

「すげ~公開告白じゃん」

「地味男子のくせにやるなぁ」

「椎名、どうすんの?」

「男なら誰でもいいんだから、もちろんOKじゃね?」

さっきよりさらに騒ぎだして、みんな好き勝手なことを言っている。

やめて。やめてよ。

「うるさい! あたしは、森川のことなんて好きじゃない!」

あたしの言葉に、みんなが一斉に静かになって。

言ってしまってから、まずいと思った。

違う。こんな言い方するつもりなんてなかった。

だけど、一瞬視界に映ったのは、傷ついたような表情を浮かべて廊下を駆け出した森川の姿。
その悲しそうな顔に、あたしの胸がズキリと痛む。

あたし、最低だ。

森川は、あたしのことを庇ってくれたのに。

とにかく、謝らなくちゃ……!

あたしは、周りの視線なんて気にせずに慌てて森川を追いかけた。

「森川!」

振り返った森川の瞳は、今まで見たことがないくらい冷たかった。

「やっぱり、迷惑だよな。俺みたいな地味男子と一緒にいるなんて」

「だからそれは違「もう話しかけないから」

いつも穏やかな森川が、あたしの言葉を遮ってそう言って、足早に去っていく。

“もう話しかけないから”

その一言が、あたしの胸を突き刺す。

どうしてよ。

いつもあたしの強がり見抜いてたくせに。

なんで今回は真に受けるのよ。

ねぇ、好きじゃないなんてウソだよ。

ホントはあたしだって―


【Side 夏樹】

“あたしは森川のことなんて好きじゃない”

その言葉を思い出すだけで、胸の奥が痛む。

みんなの前で言ってしまった自分の気持ち。

まさかあんなにはっきり拒絶されるとは思わなかった。

昼休みに一緒に過ごすようになってから、ほんの少し期待してしまっていた。

もしかしたら、このまま近い距離にいられるんじゃないかって。

だけど、椎名さんにとって、俺と関わることが迷惑でしかないなら。

“もう話しかけないから”

本心を必死に隠して告げた言葉。

離れることが、彼女のためだと思った。

そして数週間が経ったある日の放課後。

日直当番で日誌を職員室へ持って行く途中、2年の教室の前を通りかかった時。

「まさか、あんな騒ぎになるなんてね~」

「でもイイ気味だよねぇ」
A組の教室の中から、女子生徒数人の会話が聞こえてきた。

「詩穂、大人しい顔してすごいことやるよね。椎名先輩の密会現場を隠し撮りして掲示板に張るなんて」

―え?

“椎名”という名前に反応して、思わず立ち止まる。

「だって、浮気しといて謝りもしなかったんだよ? しかも別れろとか言われてさぁ。ありえないでしょ」

まさか、この前の写真は、シホって子がやったのか?

「今の話、本当?」

思わず教室に入ってそう言うと、女の子達は一瞬ものすごく驚いたような顔をしたけど。

「本当ですよ。森川先輩」

シホと呼ばれていた子は、意外にもあっさりと認めた。

偶然、2年の女子トイレの窓から裏庭で会っている俺と椎名さんの姿が見えて、撮影したものだ、と。

「ギャル系女子で有名な椎名先輩が、まさか先輩みたいな人と会ってるなんて面白くて」

そう言って彼女は楽しそうに笑った。
「でも、最近森川先輩は裏庭に行ってないんですね。椎名先輩は毎日来てるのに」

「……え?」

椎名さんが毎日裏庭に来てる?

どうして?

翌日、俺はその言葉を確かめるため、数週間ぶりに昼休みに裏庭へ向かった。

久しぶりに訪れる空間は、相変わらず静かだった。

いつも座っていた桜の木の下にあるベンチ。

そこには本当に椎名さんの姿があった。

「森川?」

顔を上げた椎名さんの瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。

もしかして、泣いてた?

「久しぶり、だね」

なんて言ったらいいのか迷いながら、出たのはそんなありきたりな言葉だった。

「な、んで……」

声をかけた瞬間、椎名さんの瞳から涙が溢れだした。

「え…ちょっ…なんで泣く?」

まさかのことにどうすればいいかわからない。

「だって…もう来ないって思っ…」

椎名さんが涙声でそうつぶやいた。

「うん、そのつもりだったけど…」
そう言いながら、とりあえずハンカチを差し出す。

「わかったんだ、あの写真隠し撮りしてた人」

「え?」

「2年の秋山 詩穂って子」

「秋山さんが……?」

「そう。本人が認めたから間違いないよ」

「あの子、そんなにアキラとのこと許せなかったんだ……」

「そうみたいだね」

「……ごめん」

突然、椎名さんがつぶやいた。

「え?」

まさか謝られるなんて思わなくて、思わず椎名さんの顔を見返した。

唇を噛み締め、必死に涙をこらえている。

「あたしのせいで、森川までイヤな思いさせて。しかも、庇ってくれたのに酷いこと言って、ホント最低だと思う」

だけど、堪えきれずに涙が次々と彼女の頬を伝っていく。

いつも強がっていて、人前で弱いところなんて見せない彼女が、こんなに泣いているところを初めて見た。

「……俺の方こそ、ごめん。みんなの前であんなこと言っちゃって」
「まさか森川にあんな度胸あるなんて思わなかったよ」

言いながら、椎名さんが笑った。

その笑顔は、涙で歪んでいたけど。

やっぱり俺は椎名さんの笑顔が見たいんだって、改めて思った。

「ホント、変なヤツだよね。なんであたしのことなんか……」

椎名さんが、いつもの強気な口調に戻って呆れたようにつぶやいた。

いつも強がって意地張ってばかりで。

人前で辛いところや弱いところを見せない。

いつだって、気持ちと言葉が裏腹な不器用な君だから。

あの時の言葉も、本心じゃない。

そう信じたい。

だから、もう一度、伝えさせて。

「そういう素直になれないところ、好きだよ」


#4


“もう話しかけないから”

あの言葉を言われた翌日から、森川は本当にあたしに話しかけてこなくなった。

教室にいても、全くあたしの方を見ない。

昼休みに裏庭にも来ない。

あたしと森川の接点はあっという間になくなってしまった。

(やっぱり今日も来てないか)

あれから数週間が過ぎて、5月も半ばを過ぎた頃。

あたしは毎日裏庭に行って、来ないはずの森川の姿を探していた。

あんなこと言われたんだから、もうここにも来るわけないのに。

それでも、毎日ここに来てしまう。

“森川のことなんて好きじゃない”

あんなこと言うつもりなんてなかったのに。

だけど、一度口に出してしまった言葉はなかったことにできない。

「人に対して言った言葉は書いた文字みたいに消しゴムでは消せないから、よく考えて発言しましょう」

そういえば、小学生の頃に学校の授業で先生が言ってたっけ。

本当にその通りだ。

だけど、あたしはいつだって、思ってることとは違うことばかり言ってしまう。

いつも素直になれずに意地を張ってばかりで、誤解されてばかりだ。

本当はわかってる。

こんな性格だから、あんな風に陰口を言われるんだ。

きっと森川も、もうあたしのこと、嫌いになったよね。

そんなことを思ったら、涙が溢れてきた。

やだ、なんで……。

慌てて涙を拭おうとした、その時。

目の前に人の気配を感じて顔を上げた瞬間。

「森川?」

信じられなくて、夢を見てるんじゃないかと思った。

だけど、

「久しぶり、だね」

ためらいながらも発せられたその声は、間違いなく森川のもので。

「な、んで…」

最後まで言い終えることが出来ずに、あたしの瞳から涙が次々と溢れていた。

「ちょっ、なんで泣く?」

「だって…もう来ないって思っ…」

言いながら突然泣きだしたあたしを見て、森川が慌ててハンカチを差し出してくれた。

「…うん、そのつもりだったけど…」

そのあと、森川が告げた言葉は衝撃的だった。

この前の隠し撮り写真は、秋山さんが撮ったものだったらしい。

そんなことをする理由なんて、ひとつしか浮かばない。

アキラとのことが許せなくてやったことなんだ。

秋山さんに呼び出された時、あたしがきちんと謝っていれば。

あんな態度をとらなければ。

こんな騒ぎにはならなかっただろうし、安東を巻き込むこともなかったんだ。

「……ごめん」

今までずっと言いたいけど言えなかった言葉。

今さら遅いかもしれないけど、やっぱりちゃんと伝えなくちゃ。

「あたしのせいで、森川までイヤな思いさせて。しかも、庇ってくれたのに酷いこと言って、ホント最低だと思う」

気がつけばまた涙が溢れていた。

人前でこんな風に泣いたことなんて、初めてかもしれない。

「……俺の方こそ、ごめん。みんなの前であんなこと言っちゃって」

森川はこの前のように冷たく突き放さず、そう言ってくれた。

「まさか森川にあんな度胸あるなんて思わなかったよ」

あんな風にみんなの前ではっきり言える強さが、森川にあったなんて。

すごく驚いたけど、本当は嬉しかったんだ。

「ホント、変なヤツだよね。なんであたしのことなんか……」

森川は、こんなあたしのこと、まだ好きでいてくれてる…?

本当は、素直にそう訊きたいのに。

やっぱり上手く言葉に出来ない。

だけど、森川はそんなあたしの気持ちを見透かしたように、

「そういう素直になれないところ、好きだよ」

優しくそう言って笑ったんだ。

なんでだろう。

森川のその一言が嬉しくて仕方ないなんて。

なんだか自分が自分じゃなくなっていくみたい。

あたしにも、こんな気持ちあったんだ。

でも、強がりで意地っ張りなあたしは、やっぱりそう簡単に素直にはなれそうもない。

「……責任とってよ」

「え?」

「あたしのことこんなに泣かせた責任、とってよね」

「喜んで」

森川はそう言って笑うと、あたしの涙をそっと指で拭ってくれた。

素直になれない不器用なあたしの恋は、始まったばかり。


♪ ♪ ♪

ねぇ 今すぐにキミに会いたい

素直になりたい

特別な目で私を見てほしくて

ありのままのキミが好きだよ

本当の思いを伝えたくて

ずっと I love you


♪キミに贈る歌/菅原 紗由理